弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年8月15日

あくがれ

日本史(平安時代)

著者   水原 紫苑  、 出版   ウエッジ  

 久々に平安時代の和歌を詠み、貴族になった気分に浸ることができました。
 それにしても、気の利いた和歌をその場でつくって相手に返す早業は並みのひとにはむずかったのではないでしょうか。私には、とても自信はありません。
 冥(くら)きより冥き道にぞ入りねべき はるかに照らせ山の端(は)の月
 この世は暗い。だが、その闇よりも、さらに濃い闇に入る日が来るのだろうか。あるはずもない山の端に、大きな月が一輪。
 これは和泉式部の代表作とされるものです。恋多き平安の女性の奔放ともいえる生活の実情が小説として描かれています。
 和泉式部は、源氏物語の空蝉(うつせみ)とは異なり、ここ一番の賭けでは、危険を顧みず一歩踏み出してしまう女性だった。夫がいる身であっても、雲の彼方への恋に和泉式部は踏み出していくのです。父の大江雅致は、そんな和泉式部を勘当してしまいます。
 男が女のもとに通う貴族社会では、逆に女が男のもとに行って逢うのは、屈辱的な行為だった。親王と受領(ずりょう)の妻という、圧倒的な身分の隔たりはあっても、恋においては対等、という誇りを持ち続けてきた和泉式部は、踏みにじられた心地だった。
 ここらあたりは、現代とは、いささか状況が異なりますね。
 白露も夢もこの世もまぼろしも、たとへていへば久しかりけり
 白露も夢もこの世もまぼろしも、およそはかないもののすべてでも、あなたとの逢瀬に比べれば、久しいものです。
 どんなにはかないものよりもはかない一瞬に、人は生きている。ここには恋によって恋の彼方、うつしみによってうつしみの彼方を見る詩人の魂がある。
和泉式部は愛し、愛されれば、より一層、愛の向こう側にあくがれる、この世なら魂をもった女性であった。
 飽(あ)かざりし昔の事を書きつくる 硯(すずり)の水は涙なりけり
 幸せだった昔のことを書きつける硯の水は涙なのですよ。
 今の間の命にかへて今日のごと 明日の夕べを嘆かずもかな
 今このときの命と引きかえにして、明日の夕べは今日のように嘆かずにしたい。
 夕暮はいかなる時ぞ目に見えぬ 風の音さへあはれなるかな
 夕暮れというのは一体どんな時なのだろう。目に見えない風の音さえ心にしみる。
 藤原道長と同じ時代に生きた和泉式部の生きざまを、その日記(もちろん現代文で)たしかめてみたいと思いました。それと、日本女性は昔から強かったんだなと改めて思ったことでした。
(2012年5月刊。1400円+税)

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