弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年4月10日

なぜメルケルは「転向」したのか

ドイツ

著者   熊谷 徹 、 出版   日経BP社

 10年後に原発は全廃することを決めたドイツの歩みを詳しく紹介した本です。私たち日本人にとっても大変参考になります。
日本人はドイツ人ほどリスクに敏感ではない。原発反対運動は地域的に限定され、ドイツのように国全体を巻き込む社会運動にはならなかった。
日本のメディアは、福島原発事故が起きるまで原発や環境問題、エネルギー問題について、ドイツのメディアほど鋭い問題意識をもって詳しく報道してこなかった。
 原発の危険性を指摘した国会議員がいたにもかかわらず、日本政府は「地震や津波で原発の冷却機能が失われた例はない」という楽観論に終始し、十分な対策をとらなかった。
 日本人は、目先の細部の完璧さを追及するあまり、人命や安全という根本を見失うことがある。日本人は、木を見て森を見ない民族だ。
 日本人は、見事を前向きに考える方向が強い楽観主義者である。不幸な事態が起きても、その原因を徹底的に分析して、政府や企業の責任を追及するよりは、不快な過去は水に流して正体に希望をつなごうとする。悲観主義者が多く、何事にも批判的な状態をとるドイツ人とは対照的だ。
チェルノブイリ事故は社会主義国だから起きたという認識が使えた。しかし、福島第一原発事故が起きて、リスクがこれまで考えられていたより大きく、ドイツ政府は欧州でも大事故が起こり売るという結論に達した。
 結党以来一貫して原発廃止を求めてきたドイツの緑の党は前回選挙より2.6倍に増えて、46万票と大幅増を示した。
ドイツの原発廃止は突然に決まったのではなく、そこに至るまで40年に及ぶ推進派と反対派の戦いがあった。この経験の蓄積があったからこそ、福島第一原発事故のあと、わずか4ヶ月間で国民的合意をまとめ上げ、脱原発を法制化できた。
 ドイツで最初の反原発運動は、突然の恵みに寄って生活の糧をえている農民のあいだから生まれた。そして、ドイツの反原発運動の特徴は、個々の地域で原発に反対していたグループが地域をこえ、全国に広がるネットワークを作っていたこと。
 ドイツの州政府には、日本の県とは比較にならないほど大きな制限が与えられている。原発が地域に立地しても、日本のように多額の補助金がふり注ぐということはない。
 ドイツの行政裁判所は反原発派に対して理解を示すことが多く、原告の訴えを認める傾向が強い。ここらあたりは、日本とはかなり状況が違っていますね。
 チェルノブイリ事故のあと、1987年に『見えない雲』という本が159万部というベストセラーになったことも大きい。今後、本を紹介します。
 ドイツの原発には、航空機による自爆テロ攻撃に備えて煙幕発生装置を設置しているところがある。なーるほどですね。今回の福島第一原発事故によって、原発はテロ攻撃にいかに弱いかも如実に証明されてしまいました。いったんやられてしまったら、もうどうにも止められない怖いもの、それが原発です。
原発で過酷事故が再び起こることは確実だ。唯一確実でないのは、それが、いつ、どこで起こるか分からないということだけ。
 本当にそうなんですよね。「楽観主義」もいいですけれど、やはり安全対策抜きに手放しで「楽観」していたら、とんでもないことになってしまいます。そうなってから後悔しても遅すぎるのです。
 ドイツには学ぶべきところが大きいと改めて考えさせられました。
(2012年1月刊。1600円+税)
 すっかり陽が長くなりました。庭に午後6時半まで出ています。
 日曜日、庭にチューリップが8割方、咲いて、春らんまんをじっくり実感させてくれます。形も色とりどりのチューリップたちがカラフルに華やかに咲き誇っています。私の個人ブログで写真を紹介しています。
 赤い豆粒のような花をぎっしり付けたハナズオウ、生命力旺盛なじゃがの花も咲いています。黄色と白色のアイリスが高貴さを感じさせながら早くも咲きはじめました。
 地植えにしているアスパラガスが3本、地上に伸びていましたので、早速、食べてみました。春の香りを満喫することができました。

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