弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年12月 8日

隠される原子力、核の真実

社会

著者  小出裕章  、 出版  創史社   

 著者は私と同じ、団塊世代です。高校生のとき、茨城県東海村に商業用原子発電所「東海一号炉」が誕生し、原子力の開発に命をささげようと決意したのでした。
 そして、夢に燃えて東北大学工学部原子核工学科に入学。ところが、原子力を学びはじめてすぐに、その選択が間違っていたことを悟った。
 なぜ、電気を一番使う都会に原子力発電を建てないのか?
この疑問こそ、原発問題の本質を鋭く衝いたものです。京湾の埋立地「お台場」(かつての夢の島)に原発を作れるのに作らないはなぜなのか?
 その答えは、とても単純なもの。原発は都会では引き受けられない危険をかかえたものであるから・・・。
 「原発は安全」。国と原子力産業は、このように言い続けてきた。仮に作業員がどんなにミスをしても、原子力ではフール・プルーフ(誤っても安全性は確保)になっているので、安全だ。しかし、3.11は、そのことがまったくの嘘だということを明らかにした。
 放射線の被曝によるリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。被曝量が少なければ安全だというのは根拠のない妄言である。
 日本がヒロシマ・ナガサキをかかえた被爆国であることは言うまでもない。しかし、アメリカはネバダの核実験場で核実験を繰り返し、周辺住民が被曝した。同じことはマーシャル諸島についても言える。さらに、旧ソ連のセミパラチンスクでも起きた。
 石油がいずれ枯渇するというが、実際には50年はとれる。少なくとも、予想可能な未来において化石燃料が枯渇しない。
 高速増殖炉は、技術的、社会的に抱える困難が多すぎる。一度は手を染めた世界の核開発先進国はすべて撤退してしまった。
 原子炉「もんじゅ」は1994年に始動した。しかし、17年たっても、今もって1キロワット時の発電すらしていない。すでに、この高速増殖炉には、1兆円もの巨額のお金を捨ててしまった。こんなでたらめな計画をつくった歴代の原子力委員会の委員は誰一人として責任をとらなかった。全員を刑務所に入れるべきだ。
「もんじゅ」を開発した技術者はすでに定年でいなくなった。15年も動かなかった機械を動かすなど、普通ではありえない。
 ところが、高速増殖炉を動かすことができれば、そこから核分裂性プルトニウムの割合が98%という超優秀な核兵器の材料が生み出される。政財界の一部が原発にこだわれるのは、核兵器の材料づくりという一面があるからだ。この意味でも原発は本当に怖いものです。
 原子力発電所は都会につくれない。そこで東京電力は自分の給電範囲内に原発をつくることができなかった。原発が絶対に安全だというのなら、大事故のときには国が援助するという原子力損害賠償法は不要だし、原発を都会につくることも出来た。
 標準の100万キロワットの原発は、1年間の運転で1000キロ、広島原爆に比べると  1000倍ものウランを燃やす。当然、燃えた分だけの死の灰ができる。
 原子力発電所は、正しく言うなら海温め装置である。というのも、300万キロワットのエネルギーを出して、200万キロワットは海を暖めている。残りのわずか3分の1を電気にしているだけ。メインの仕事は海温めである。100万キロワットの原発は、1秒間に70トンの海水の温度を7度も上げる。
 うひゃあ、すごい温度上昇です。これって海中の生物にいい影響を与えるはずはありませんよね。
 原発から出る使用済み核燃料は、100万年にわたって人間の生活環境から隔離しなければならない危険物である。しかし、100万年後の社会など、今の私たちに想像すらできない。
いまある国は日本をふくめてすべて消滅しているでしょうし、人類そのものが存在しているかというかだって分からないですよね。このことひとつとっても原発には反対せざるをえません。

(2011年6月刊。1400円+税)
 東京で40年ぶりに大学時代のクラスの同窓会があるというので、参加してきました。当日は20人が参加したのですが、実は顔に見覚えのある人は半分もいませんでした。私は学生時代、セツルメント活動に没頭していて、あまり真面目に授業に出ていませんでしたので、そのせいかと思うと、そうでもないことが分かりました。今は立派に会社社長をしている人が、大学ではほとんど授業に出ていなかったと告白する人が何人かいて、なるほど、それにしても原因なのかと思いました。
 今では、もっとも講義を受けておけば良かったものを反省しきりなのですが、そのころは生意気盛りでしたから、大学の講義なんて本を読めばカバーできるなんて、小馬鹿にしていたのです。いま思うと、顔から汗が吹き出しそうなほどの恥ずかしさを覚えます。
 クラス46人のうち、2人が亡くなっていて(うち1人は大学2年生のとき)、あとは健在なのですが、消息不明と言うか、応答拒否という人も何人かいて、全員の住所・氏名を完成させるのはなかなか困難だと幹事が報告していました。
(続く)
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