弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年10月21日

古文の読解

社会

著者  小西  甚一  、 出版  ちくま学芸文庫  

 小西甚一というと、私にとっては高校生のころ大学受験のための『古文読解法』で大変お世話になった印象深い先生です。今も、その本は書棚の片隅に眠っています。捨てるのがあまりに忍びがたいのです。
 入試で合格点のとれる古文学習法なるものが紹介されていますが、私にとってあまりにも高度すぎて、かつて古文を得意科目としていた私なのですが、すっかり自信喪失させられてしまいました。
 著者はおよそ30年間、入試の出題と採点をしてきた罪滅ぼしにこの本を書いたそうです。初版は1981年夏のことだそうですから、今から30年前のことになります。
平安時代の人々が住んでいた家は天井が高く、畳もない。冬の寒さをしのぐよりも夏の暑さのほうが冬よりも辛かったからに違いない。暑さに対抗するには、どうしても風通しのよい構造の家にする必要があった。
徒然草にも「家の造りようは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住まひは、たへがたきことなり」とある。
そうなんですよね。自宅にエアコンのない私は、夏には休みの日でもクーラーのある事務所に出ていって書面を書いています。汗をだらだらながしながらでは、とても書面書きに集中することができません。冬の寒さなら、何枚も着重ねすればなんとかなるのですが・・・・。
平安時代の人々は、一般に短命だった。40歳になると、四十(よそじ)の賀という祝いをした。現代なら40歳まで生きたのが目出たいなどという感覚はないが、当時は祝宴をするほどのものだった。なーるほど、そうなんですね。信長のころは50歳といってましたよね。
裳は一番上につけるもので、下着ではない。平安時代の女性は帯を使わない。ボタンの代わりの紐で、あちこちを留めているだけ。
 女性も男性も、寝室でフトンを使わなかった。褥(しとね)という薄いマットを敷き、着物を脱いで単衣だけになり、今脱いだ着物をかけて寝た。
 平安時代の酒は、ドブロク(濁酒)に過ぎなかった。清酒はまだなかった。腕時計なんぞ持っていない平安時代の人たちにとって、むしろ季節によって伸び縮みする時間のほうが自然だった。
掌の大筋が灯火なしに見えてくるときを夜から昼の境、逆に、それが灯火なしでは見えなくなってくるときを昼から夜の境とした。ふむふむ、自分の手で判断するというわけですか。
現在の宮中の婚礼儀式は平安時代のものではなく、明治時代につくられたもので、ずい分新しい。平安時代の貴族の結婚は、次のような手順ですすめられた。
① 仲人が橋わたしをして縁談をまとめる。
② 男から女に申し込む形をとるのが原則。
③ 申し込みは手紙でする。それを省略するのが現代式となっていた。
④ 嫁入りではなく、聟入りの形式を取るのが普通。
⑤ 結婚の第一、第二夜は、当人同士だけで過ごし、親は表面に出ない。
⑥ 第一夜を過ごしたあと、儀礼として男から女に手紙をやる。
⑦ 第三夜になって、はじめて親も顔を出し、親類にも披露する。そのとき、聟が誰であるか、はっきりする。これを、「ところあらわし」という。
 こう見ると、本人同士で決めていたようですね。
方違(かたたがえ)とか物忌(ものいみ)は、それを口実として、こっそり息抜きをすることも珍しくはなかった。ふむふむ、なるほど、そういうことだったのですね・・・。
清少納言は『枕草子』のなかで、実にいろんな場合に「をかし」「をかし」と繰り返している。をかしは、人事・主観的・描写的なもの。これに対して紫式部は「あはれ」を好んでつかった。『源氏物語』のなかには、大変な分量の「あはれ」が登場してくる。「をかし」が理性的・観察的というなら、「あはれ」は感情的・主体的である。
「いきいきした、しかも洗練された感じ」が「いき」。「つう」とは「通」で、よくその方面に通じていること、つまり何から何まで知り抜いていることをいう。通人は、どうも小さなことにとらわれがちで、のんびりしたところがなく、消極的になりがちである。
江戸時代の前期を代表する精神が「いき」で、後期の特色を示すのが「つう」である。形容詞「ゆかし」は、もともと「行かし」であって、そこへ行ってみたいという意味だった。「奥ゆかし」といえば、ずっと奥まで見たい、奥まで知りたいという意味。
日本語は、ヨーロッパ語に比べて、主語を示すことが少ないという特徴をもつ。そうなんですよね。私も準備書面は別として、極力、主語抜きの文書を書くようにしています。
英語にだって面倒な敬語がある。英語に敬語がないというのは誤解だ。敬語を正しく使いこなさないと、中流以上の人たちとつきあうとき、とんだ結果が生じかねない。
「枕冊子」には、耳の鋭敏な人について「蚊のまつげの落つるをも聞きつけたまひつべこそありしか」という表現がある。
蚊のまつげの落つる音だってお聞きつけになりそうなほどだった。という意味です。蚊にまつげなんてあるはずもありません(そうですよね?)が、なんとなく、ごくごく微かな音のたとえとしてよく分かる表現です。清少納言にすごい文才があると改めて思い知りました。
日本の和歌に出てくる梅は、みな白梅と考えてよい。中国人は紅梅が好きだけど・・・・。
「放下着(ほうげちゃく)」とは禅僧の口ぐせ。「持っているものを捨てろ!」ということ。普通の人は、いろんなものを背負いこんでいる。カネがほしい、遊びたい。好きな女性に会いたい。明日の試合に勝ちたい。あげれば限りない。しかし禅僧に言わせると、そんなものを背負い込んでいるから、ものごとがうまくいかない。捨てるのがよろしい、「カネがほしい」とい考えを捨てたとき、はじめて思い切った営業活動ができて、カネのほうから進んでころがり込んでくる。重荷は思い切りよく捨てるに限る。
500頁もある部厚い文庫本です。パリまでの13時間という長い飛行機のなかで一心に読みふけっていました。古文も漢文も自由自在に読みこなしてみたいものです。
著者は4年前に亡くなっておられますが、英語・フランス語・中国語もマスターしておられたそうですから、まさに語学の達人ですね。しかも、趣味として、能、狂言さらには俳句までたしなまれていたとのこと。偉大なる先達でした・・・・。
 
(2011年1月刊。1500円+税)

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