弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年3月30日

ワルシャワ蜂起

ヨーロッパ

著者  尾崎 俊二、    出版  東洋書店
 
 ポーランドのワルシャワで起きた一大事件が紹介されています。
1944年8月1日から10月2日までの63日間続いたワルシャワ蜂起によるポーランド人犠牲者は、民間人18万人、戦闘員2万人、合計20万人をこす。これは広島・長崎への原爆投下による直接的被害者21万人に匹敵する。
ワルシャワ蜂起の主体となった国内軍司令部の判断の誤りを批判する人も少なくないが、果たして簡単に誤りだったと言えるのか。1944年7月の時点で、被占領地の地下国家指導者と国内軍指導者には、他にどんな選択肢があったのか。蜂起直前まで、モスクワからの放送は連日、ワルシャワ市民に決起をあおっていた。そして蜂起のあと、すぐ近くまで来ていたソ連軍が追撃を突如としてストップするなど、誰が予想できたというのか・・・。
 さらに、ナチス・ドイツが叩き出されたあとソ連支配下のポーランドで、国内軍の指導者や蜂起兵は「反ソ」だということから「ナチスの協力者」「ファシスト」「裏切り者」として迫害され、秘密裁判で処刑された人も少なくなかった。
 うむむ、これはこれは、予想以上にワルシャワ市民は難しい局面に立たされていたことを知りました。
 1944年7月、ワルシャワは噴火寸前の火山だった。ワルシャワで4万人の将兵を擁する国内軍が、退却し混乱に陥るドイツ軍を攻撃もせずに傍観しているなどということは考えられなかった。もしポーランド人の支援者なしにソ連がワルシャワを制圧したとき、スターリンはポーランドの地下抵抗運動などなかったと言い通すだろう。そして、首都にいながら、その解放戦に参加できない軍隊とか国家など考えられもしない。
 ワルシャワ蜂起といえば、アンジェイ・ワイダ監督の映画『地下水道』を思い浮かべます。
蜂起で使われた地下水道ルートはいくつもあって、各地区をつなぎ、蜂起部隊の通信、連絡そして武器・弾薬の輸送、さらに脱走ルートとなった。この地下水道の案内人の多くは女性だった。
 カチンの森にポーランド軍の将校の埋葬地が発見されたのは、1943年4月のこと。スターリンの指令の下での大虐殺だったが、ソ連はナチス・ドイツの仕業だと宣伝した。しかし、ポーランド人の多くはナチス・ドイツの仕業だとは思わなかった。ポーランドの人々は、東方から進撃してくるソ連赤軍を単なる「解放軍」とみることはもはやできなかった。ソ連軍によるポーランド占領を危惧していた。実際、ソ連軍はポーランドに入って来ると、ポーランド軍を武装解除し、その司令官を射殺していた。
したがって、ソ連軍が侵入してくる直前に首都ワルシャワを制圧しなければならない。ポーランド国内軍は自分たちの手で、ワルシャワを解放し、ポーランド国家の主権者が誰なのかを明確に示さなければならない。しかし、このワルシャワでの蜂起作戦は、ドイツ軍に対するソ連軍の圧倒的優位に大きく依存するという根本的矛盾もはらんでいた。
 連合国軍は6月6日にノルマンディー上陸を果たしており、7月20日にはヒトラー暗殺未遂事件も起きていた。ワルシャワ蜂起は、早すぎても遅すぎてもいけなかった。
 うむむ、これはこれはきわめて難しい、いや難し過ぎる選択ですね。多くの人命と国家主権の存亡にかかっている選択です。
 国内軍司令部では即時開戦に賛成派と反対もしくは慎重派が5対5に分かれた。しかし、司令官が決断した。8月1日午後5時に蜂起することが伝達された。100万人都市が15分間で戦闘に巻き込まれた。ワルシャワの国内軍勢力は最大で5万人、そのうち銃器で武装していたのは10%に過ぎなかった。
 蜂起後数日間、ワルシャワ市民は5年ぶりに自由の空気を吸って熱狂し、蜂起兵にさまざまな支援を申し出た。しかし、この解放感は1週間も続かなかった。ナチス・ドイツ軍は犯罪者集団をつかって一般市民を組織的に大量虐殺しはじめた。
 映画『戦場のピアニスト』に登場するシュペルマンは、このときワルシャワに実際かくれて生き延びた人物です。ドイツ人将校と出会い、助けてもらいました。
 このドイツ人将校は、シュピルマンの「市街戦になったらどうやって生きのびればいいのか?」という問いに対して、「きみも私も、この5年間、この地獄を生きのびてきたのだから、それは明らかに生きよと言う神の思し召しだろう。とにかく、それを信じようではないか」と答えた。
 このように、ワルシャワ蜂起のあと、市内に隠れ潜んでいた人々は300人ほどで、「ワルシャワのロビンソン」と呼ばれた。
 ワルシャワ蜂起が失敗し、ナチス・ドイツに降伏すると、国内軍兵士はドイツ側の捕虜となり、ワルシャワ市民数十万人は収容所に移送されて、ポーランドの首都はからっぽになった。そして、ヒトラーの命令によってワルシャワは破壊され尽くした。
 チャーチルなど、連合軍はスターリンを怒らせないため、ポーランドの国内軍をあまり積極的に応援しなかったようです。2段組みで440頁もある大部な本ですが、ワルシャワの地域ごとに詳細に蜂起の状況が分かるという大変な労作です。前にも同じ著者の同じテーマの本を紹介しましたが、さらに詳細にワルシャワ蜂起の状況が書き込まれています。
(2011年1月刊。3800円+税)

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