弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年3月 4日

韓国戦争(第五巻)

朝鮮(韓国)

著者  韓国国防軍史研究所、  出版  かや書房 
 
 1950年6月25日、金日成の指示で人民軍が南侵して韓国戦争が勃発した。1951年6月、戦争1年目で戦線は膠着した。このとき、中共軍は6コ兵団19コ軍55コ師団77万人、人民軍8コ軍団27コ師団34万人計112万人。中共軍が主力であり、西部と中部の主要な戦線は中共軍がすべて担当し、人民軍は東部戦線の一部だけを担当していた。これに対して国連軍は、アメリカ軍3コ軍団7コ師団25万3千人、韓国軍1コ軍団10コ師団27万3千人。その他の国連軍が2万8千人。そして、海も空も国連軍が絶対的に優勢で、制海権も国連軍が制空権も掌握していた。 
 人民軍は、ソ連空軍によって訓練を受けた中国空軍と北朝鮮空軍の前線配置を急いでいた。マッカーサー将軍は1951年4月11日にトルーマン大統領から解任され、後任はリッジウェイ将軍が国連軍司令官として着任した。そして、中共軍の春季攻勢にあって、一時は危機的な状況に陥ったが、中共軍の人海戦術を火力の優越によって撃破して戦場の主導権を掌握し、1951年5月末には三たび38度線の回復に成功した。
 開城(ケソン)での休戦会談について、毛沢東はスターリンに電報を打ち、スターリンが毛沢東に返信した。休戦会談は、スターリンと毛沢東の指示と承認のもとにすすめられた。スターリンは会談の主管責任を毛沢東に付与し、スターリン自身は幕の後ろから指導し、統制する役に徹していた。共産軍側の実質的な権限は中共軍が握っていたが、形式的には北朝鮮の代表が主席に任命された。休戦会談は当初は共産軍の陣営内の開城で始まり、次いで、板門店に移った。
 休戦会談では、2時間11分も双方が沈黙したまま睨みあったということもあった(1951年8月10日)。うへーっ、これってすごいですよね。にらめっこしましょ、笑ったらダメよ。というのは、つい笑ってしまうものですが、ひたすら腕組みして睨みつけたというのですから、双方とも人間わざありませんね。これもそれまでに何十万、何百万人という人々が死んだということが背景にあったのでしょう。平和なときには、ありえない情景です。
開城での休戦会談は1951年7月10日に始まったが、これによる戦線の小康期を利用して共産軍側は防御線を三重に編成するとともに、国連軍の空爆や砲撃にも直撃弾でなければ耐えうるように有蓋化、掩体化をすすめた。さらに、野砲や高射砲などの火器と装備の前方推進に努めた。
 1951年8月、国連軍と共産軍とのあいだで激烈な陣地戦が展開した。8月から9月にかけての血の稜線の戦いでは、国連軍は戦死326人、負傷2032人、行方不明414人、あわせて2722人の損害を出した。これは1コ連隊に相当する規模。これに対して、人民軍の損失は1万5000人に達する。人民軍は、寸土を譲らない強い意思と人命の損耗をかえりみない抵抗を行ったため、彼我の戦意の決戦場となって多くの人命が失われた。小さな山をめぐって、双方が激しく戦い、取っては取りかえされ、また突撃して奪い返すという激烈な戦いが連日続いた。これは、少しでも休戦の条件を自軍に有利にしようという思惑からの戦闘だった。
 このときの戦闘の推移が詳細に述べられています。双方とも多くの将兵が将棋の駒のように使い捨て同然に死んでいったのでした。ああ、無情。亡くなった人は、さぞかし残念なことだったでしょう。たくさんのことをやりたかったでしょうに・・・・。
1951年の時点で、中共軍は64万2千人、人民軍は22万5千人。国連軍はアメリカ軍が33万人、韓国軍が47万人。共産軍は、高地を占領すると、直ちに塹壕を掘り始めた。強力な地下塹壕に兵員と装備を収容した。そして、トンネルを縦横無尽に展開した。
 1951年冬の極寒のなかでも人民軍は耐えられた。むしろ補給が相対的に良好な国連軍の方に、多くの凍傷者を出した。人民軍が耐えられたのは先天的な順応性と苦労と欠乏に耐えることのできる精神力、そして厳格な規律のためだった。
 休戦会談の主要なテーマの一つが捕虜交換だった。国連軍は13万人あまりの捕虜の名簿を共産軍に渡した。そして共産軍側は、1万人余りの国連軍捕虜の名簿を示した。なんと、そのなかに日本人も3人ふくまれています。日本人が掃海艇に乗っていて戦死したというのは聞いていましたが、捕虜になった日本人もいたのですね。
 そして、巨済島にある捕虜収容所で、暴動が起き、ついには収容所長(ドッド将軍)が拉致されてしまったのです。
 天神で、韓国映画『戦火の中へ』をみました。開戦直後の浦項(ポハン)で学征兵71人が人民軍と戦った実話にもとづく戦争映画です。
 お母さん、僕は人を殺しました。敵は脚がちぎれ、腕がちぎれてしまいました。あまりにもひどい死に方でした。いくら敵とはいえ、彼らも同じ人だと思うと、それも同じ言葉と同じ血を分けた同族だと思うと、胸がつまり、重くなります。
 お母さん、なぜ戦争をしなければならないのですか?
 韓国人は共産軍の兵士を頭にツノがある化け物だと思い込んでいたのですが、実際には自分と同じような人間であることを知ってショックを受けたのです。また、少年兵も戦場に銃を持っていたのでした。
すさまじい戦争アクション映画でした。戦争だけは起こしてほしくない。人が人を殺すなんて、絶対にあってはならないと思わせる、切ない映画でもありました。
 
(2007年6月刊。2500円+税)

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