弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年7月22日

時効捜査

司法(警察)

著者:竹内 明、出版社:講談社

 警察庁長官狙撃事件が起きたのは1995年3月30日の朝。そして15年たった今年、2010年3月30日に公訴時効が成立した。
 警察トップが狙撃され、日本警察のメンツがかかっていた事件で、警察は犯人を検挙することが、ついに出来ませんでした。この事実の前に、何人と言えども、もはや日本の警察は世界一優秀だなんて言うことは許されないでしょう。
 警視庁本部庁舎14階、最高の眺望を誇る区画には公安部幹部が陣取っている。皇居を望むエリアには、公安部長(キャリア)、公安部ナンバー3にあたる部付(ノンキャリア)、筆頭課長である公安総務課長(キャリア)が執務室を構える。ナンバー2である参事官(キャリア)は公安一課長(ノンキャリア)とともに、桜田通りを見おろす窓側に個室を持つ。公安捜査員は1200人いる。いやはや、大変な人数です。それでも、無能だとのそしりを免れません。共産党の合法ビラ配布の尾行捜査は得意のようなんですがね・・・。
 国松長官は狙撃されて死線をさまよっている状況にあった。このとき、警視総監の井上幸彦(昭和37年入省)は、公安部をモトダチ(捜査の中核となる部署)とした。刑事部と公安部の捜査は、警視総監が一元化する。オウムとは全庁あげて闘うという井上総監の主張に、一期下の関口警察庁次長は異論を封じ込められた。現場での捜査経験のないまま公安部の幹部ポストに就任する警察キャリアが捜査に首を突っ込んで方向性を示してしまうと、真実とはかけ離れた事件の構図を作り出してしまうことがある。
 うへーっ、これって恐ろしいことですよね。そしてまた、これって警察キャリアの存在意義を否定するものでもありますよね・・・。
 この事件では、オウムの信者である公安警察官が犯人として執拗な取り調べを受けました。その点について、次のように指摘されています。
 ヨコガキの世界に生きてきた公安捜査員の弱点が露呈した。ヨコガキとは、供述内容をまとめた取り調べメモや捜査報告書のこと。つまり、刑事事件の捜査で作成する「タテガキ」すなわち司法警察員面前調書の書き方など、刑事訴訟法にもとづいた手続を学ばずにきた公安幹部が、刑事事件捜査を進めることになったとき、その弱点を露呈してしまった。刑事警察と公安警察の違いは根深いものがあるようです。
 「現場警官が国松長官狙撃を供述」と新聞に大々的に報道した。しかし、このとき警察庁は警視庁に対して激しく怒っていた。
 刑事と公安の捜査員の気質は違う。刑事は捜査方針をめぐって上司にかみつくことも辞さない。信じるべきは現場に残された証拠のみ。
 公安の指揮官は現場の捜査員に余計な情報をインプットしない。公安捜査員は捜査の全体像を求めることなく、与えられた任務のみに機械のように没頭し、与えられた範囲内で任務を着実に遂行しようとする。公安は組織を重んじ、個人の意思は存在しない。情報を獲得し、上司の命令に忠実に働く者が評価される。
 時効完成の翌日、警視中は「捜査結果概要」なるものをインターネット上に掲載した。前代未聞の行動である。そこでは、「オウムの犯行であると認めた」と明記されている。しかし、これは、司法手続をまったく無視したものであり、警察権限を無視した暴挙としか言いようがない。
 まったくもって、そうですよね。私は、オウム教団を擁護するつもりなんて、まったくありませんが、警察が、立件できなかったくせに「犯人はやっぱりあいつだ」なんてインターネット上で言うなんて狂気の沙汰です。これでは、裁判なんて不要だということ、つまり私刑の世界に逆戻りしたことになってしまいます。
 それほど警視庁(公安部)の実力低下と、それによる不安感を裏づけるものはありません。ですから、警察のためにも残念な行為だったとしか言いようがありませんよ。
(2010年4月刊。1900円+税)
 白いアサガオの花が咲きました。純白無垢で、すがすがしさを感じます。アサガオには黄色い花が無いそうですね。黒いチューリップや青いバラがないのと同じのようですが、植物にも色との相性があるわけなんでしょう。これも自然界の不思議です…。

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー