弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年5月24日

天孫降臨の夢

日本史(古代史)

著者:大山誠一、出版社:NHKブックス

 とても面白い本です。歴史学界でどのように評価されている本なのかは知りませんが、なるほど、そういうことだったのかと思わず一人で興奮してしまうほど、知的刺激に満ちた本です。東京から帰りの飛行機のなかで読み耽っていると、いつもより早く福岡に着いた気がしました。
 著者は、なにしろ聖徳太子は実在していなかったし、憲法17条が、そのころ成立するはずはない、後世の人々がある意図をもって作りあげたものだというのです。そして、この本を読むと、それがまったく納得できるのです。
 我々は王家(皇室)は一つと考えているが、実は複数の王家があり、交代で大王(おおきみ)を出していた。その一つが蘇我家である。うむむ、そうだったのですか・・・!?
 天皇と皇帝とは、まったく別のものである。何よりも、天皇は皇帝のような専制君主ではない。日本の歴史全体を通じて、一人として唯一絶対の権力者、つまり専制君主であった天皇はいない。
 国政のうえでも、現実の場においても、天皇は権力から疎外されており、現実の権力者は常にほかにいた。では、天皇の役割は何だったのかと言うと、客観的事実として、現実の権力者に正当性を与えることだった。日本の天皇には権力はないが、権威はあった。ただし、飛鳥時代までの大王(おおきみ)は、権力者であった。
憲法十七条は、名を聖徳太子にかりて、『日本書紀』編纂に携わった奈良時代初期の為政者によって作られたものである。このような津田左右吉の考えは、今日の通説である。
 聖徳太子がつくったという『三経義疏』は、中国からの輸入品であった。ながいあいだ日本人の信仰の対象となってきた聖徳太子は実在しなかった。
『日本書紀』が完成したとき(720年)、藤原不比等は右大臣、長屋王は大納言であった。長屋王の変というのは、長屋王が謀反を起こしたのではなく、光明子と武智麻呂が襲いかかって、政敵である長屋王を虐殺した事件である。
 天平時代、天皇も皇后も、彼らを取り巻く女性たちも、すべて藤原不比等の子孫かその近親であった。天皇自身を含めて、皇位にかかわる人間は、実質上すべてが藤原一族であった。皇室といっても、実質的には、藤原氏の一部に過ぎなかった。
 仏教というのは、単なる思想・宗教ではなく、建築、土木、金属の鋳造・加工、医学、織物、染色それにもまして文字(経典)という魔術を有する巨大な高度かつ神秘的な技術の集大成なのであり、最高の国家機密に属するものである。したがって、百済が、交戦中である相手の大和王権に仏教をもたらすなど考えられない。
『隋書』に出てくる倭王は男王であり、推古は女性であり、また卑弥呼のような女王でもない。そこで、それは、蘇我馬子だったと考えるしかない・・・。ええっ、そうなんですか・・・?
 現代日本人は聖徳太子が実在する存在として考えていますが、それは後世の人が自らの権威づけのためにこしらえた存在であること、それを推進したのは藤原不比等であることが、とてもわかりやすく論証されています。
 日本の古代史も、こうやってみると、本当に謎だらけです。また、それだからこそ、面白いのです。私も『憲法十七条』について少し調べてみようとしたことがありますが、役に立つ文献がほとんどなくて困った覚えがあります。
(2009年12月刊。1160円+税)

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