弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年5月14日

弁護士・布施辰治

司法

著者:大石 進、出版社:西田書店

 布施辰治弁護士の孫であり、日本評論社の社長・会長であった著者が等身大の布施辰治の姿を明らかにした力作です。
 布施辰治は2004年12月、大韓民国から建国勲章を授与され、孫である著者が代わって受けとった。なぜか?
布施辰治は明治13年(1880年)に現在の石巻市で生まれた。布施は一般に「社会派」の弁護士と理解されている。しかし、はじめから「社会派」弁護士だったはずはない。   1920年の「自己革命の告白」以前の布施は、熟達の刑事弁護士として花形的存在だったし、「告白」以後も、布施の意識は、生涯を通じて刑事弁護士だった。
 すべての人間は、逮捕された瞬間に社会的弱者になるというのが布施の認識だった。
 「人生まれて刑事被告となるなかれ」というのは布施の警句である。
 刑事弁護人というのは、ボランティアとしては成り立っても、職業としては成り立たない。それを布施辰治は可能ならしめた。他の弁護士の3倍、いや5倍もの仕事をした。そして、その3分の1、5分の1のエネルギーを自分の良心に反しない限りでの民事事件にあてた。つまり、布施辰治はエネルギーの3分の1は、5分の1は食べるために、残りは世のため、人のために使った。
 被告人は判決が心配で、よほど親切な弁護をされても不満を感じる。そういう被告をも満足させるのが本当の弁論だ。弁論が情理を尽くして被告の立場を理解したものであれば、被告は有罪で服役しても、その弁論に心を支えられ、自暴自棄にならずにすむ。
 これは、布施が刑事弁護人として歩み始めたころに訓育を受けた刑務所長の言葉である。
 うむむ、なるほど、そうなんです・・・。
 布施辰治は政府からにらまれ、逮捕・起訴されて2度も下獄しています。
1回目は、1933年に3ヶ月の実刑。新聞紙法違反、郵便法違反。なんと、獄中の依頼人へ手紙を渡したことが郵便法に違反するというのです。信じられません。
 2度目は1939年です。3.15事件の弁護にあたった日本労農弁護士団が一網打尽にされてしまいました。
 治安維持法というのは、弁護人が被告人を弁護しただけで犯罪になり、実刑を科されるというのですから、つくづく恐ろしい法律です。
 布施辰治は、1926年に朴烈・金子文子大逆事件の法廷に立って弁論した。同年、朝鮮に渡り、各地で演説会を開き、また、たたかう朝鮮の人々と交流した。
 治安維持法では、日本人には一人も死刑判決が出ていないが、朝鮮人の処刑者は50人をこえている。この法律の重罰化は、もっぱら植民地対策だった。
 布施辰治は、虎狼の職とされる判事・検事・警官にも、同じ人間としての惻隠の情、あるいは良心というものがあって、それを呼び起こすことができると信じていた。判事や検事の人間性を信じ得ぬものが、どうして被告人の人間性を信じ得ようか。
 そのような性善説なしでは、弁護士の職は、あまりにもむなしい。判事・検事説得の可能性を信じること、この思いが彼の活動を、長い力のこもった弁論を支えたのだ。
 うむむ、なるほど、なるほど、よく分かります。見習いたい、身につけたい指摘です。
(2010年3月刊。2300円+税)

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