弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年8月18日

ジャーナリズムの可能性

社会

著者 原 寿雄、 出版 岩波新書

 いまの日本社会は、ジャーナリズムの貴重な存在価値を忘れているのではないか。著者は警鐘を乱打しています。この本を読んで、なるほど、そうだ、そうだと何度となくうなずいてしまいました。情報栄えて、ジャーナリズム滅び、ジャーナリズム滅びて、民主主義滅ぶ。そうであってはならない。公共的な情報は不要視され、権力監視や社会正義の追及に不可欠なジャーナリズムは滅びてしまいそうだ。しかし、そうであってはならない。
 著者は渾身の力をこめて力説しています。
 そして、絵にならない者はニュースじゃない。こんな映像至上主義。面白さに傾く歓声主義を戒めています。
 アメリカでは、ジャーナリズムの第一の役割を、権力監視のウォッチ・ドッグ(番犬)としている。
 権力と対決するには、メディア組織内の団結が不可欠である。これまで、報道機関は、裁判批判をタブー視してきた。NHK番組改編事件について、政治的干渉を拒否するための「編集の自由」が、政治的圧力を受け入れる自由として最高裁が保障した。おかしな判決である。しかし、公共の利益だけを守り、真実を追求するための編集の自由が、政治的圧力を受けて、企業利益を守るために行使されてはならない。
 新聞・放送の現状は、「自主規制」という名の「自己検閲」が横行している。
 視聴率が番組評価の主な資料となっている。テレビでは、視聴率がそのまま広告料金に跳ね返る。テレビ界の諸悪の根源は視聴率競争にある。
 放送局には、リッチな放送局員(正社員)と、プアーな下請けプロダクション(非正規社員)がいる。両者の格差・不平等な関係が無責任体系を生み出していた。
テレビは公共性が強いのだから、もっと大胆に権力の監視や社会正義の実現に努めようという方向をぜひ打ち出してほしい。私も同感です。
 28日(金)夜6時から、福岡のアクロス国際会議場で、著者もパネリストとして参加するシンポジウムが開かれます。『ここまで来た メディア規制―表現の自由から考える―』です。東大の高橋哲哉教授が「表現の自由と私たち」と題して基調講演し、そのあと、「テレビ報道、どこが問題なのか?」というパネルディスカッションがあります。ぜひ、ご参加ください。

(2009年2月刊。1600円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー