弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年8月 4日

スレブレニツァ

ヨーロッパ

著者 長 有紀枝、 出版 東信堂

 1995年7月、ボスニア東部の小都市スレブレニツァはセルビア軍に攻められて陥落し、その後の10日間にムスリム人男性6000人が処刑された。犠牲者は今なお埋設場所さえ分からず、その半数が行方不明のままである。第二次世界大戦以来のヨーロッパ最悪の虐殺とされている。
 著者は、この事件発生当時、日本のNGOの職員として現地に駐在していました。その時の痛苦の体験もふまえて、学術的な考察を加えて出来上がった貴重な本です。
 2007年、スレブレニツァは、国際司法裁判所(ICJ)において、史上はじめてジェノサイドと認定された。ジェノサイドには、2つの局面がある。被支配集団の国民的パターンの破壊と、支配集団の国民的パターンの強制の2つである。
 ジェノサイドの語源は、民族・部族を意味する古代ギリシャ語ジェノスと、殺害を言いするラテン語サイドを組み合わせたもの。
 ユーゴスラビアは、次のような子どもの数え唄に象徴される複合国家であった。
 ユーゴスラビアは、7つの国と国境を接し、6つの共和国(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)に、5つの民族(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)が住み、4つの言語(スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)を話し、3つの宗教(カトリック、ギリシャ正教、イスラム教)を信じ、2つの文字(キリル文字とローマ字)をつかう。だけど、一つの国なんだ。
 紛争前のボスニア・ヘルツェゴビナ共和国には、イスラム教のムスリム人(44%)、ギリシア正教のセルビア人(31%)、カトリックのクロアチア人(17%)が特定地域に偏在せず、あらゆる場所で混在しており、政治的にも物理的にも単純な3分割は不可能だった。
 ボスニア紛争時の国連軍の犠牲者117人のうち、フランス49人、イギリス25人となっている。
 メディアにおいては、ボスニア政府がアメリカの広告会社と契約を結んで、広報活動を旺盛にしたため、「セルビア悪玉説」が強い影響力をもち、そのことがセルビア人勢力を一層かたくなにさせていった。
 スレブレニツァにいた国連軍オランダ大隊430人は、3回にわたって航空支援を要請したが、いずれも却下され、セルビア軍の進攻を許してしまった。
 スレブレニツァにおけるジェノサイドの特徴は、国際社会の眼前での大量殺害の実行である。6000人にも及ぶムスリム人の殺害と遺体の埋設、時間をおいた発掘と大がかりな再埋設が組織的に実行されたことは、スレブレニツァの大きな特徴をなしている。
 犠牲者、行方不明者をかかえる遺族にとって、スレブレニツァは今もなお国際社会に見捨てられ、裏切られたという感情とともに慟哭の記憶が生々しい。
 セルビアの指導者(ムラディチ)は、スレブレニツァの陥落という予想外の事態を最大限に利用しつつ、スレブレニツァのムスリム人住民の追放を開始し、同時にムスリム兵の一掃を図ろうとした。その過程で発生した偶発的な事象の積み重ねが、ジェノサイドに発展したと推定される。スレブレニツァ・ジェノサイドは、事前の計画がなかった犯罪行為である。
 いったん発生したジェノサイドを、軍事力を行使して停止させる事には大変な困難がつきまとう。だから、ジェノサイドが発生する前の予防措置や早期の警戒が最重要の課題なのである。
 人道の敵は、利己心、無関心、認識不足、想像力の欠如にある。無関心は、長期的には弾丸と同じく、確実に人を殺すものである。
 この最後の指摘を、私たちは重く受け止めるべきですね。400頁ほどもあって、形も内容もずっしり重たい本でした。
 
(2009年1月刊。3800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー