弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年7月22日

そろそろ旅に

江戸時代

著者:松井今朝子、出版社:講談社
 やじさん、きたさんで有名な『東海道中膝栗毛』の作者が十返舎一九というのは江戸時代や日本史に詳しくなくても、誰だって知っていることでしょう。初めの題は『浮世道中膝栗毛』というものでした。主人公は神田八丁堀あたりに住む独身男の弥次郎兵衛と居候の北八。ところが、シリーズの最後には、やじさんは弥二郎兵衛、きたさんは喜多八と表記が変わり、この二人はかつて男色の契りをかわしていたという設定になってしまった。
 ひえーっ、驚きですね。
 それはともかく、このコンビは、江戸を発って東海道を上りながら、出会った女を手あたりしだいにくどいてまわり、隙あらば他人に悪さを仕掛け、あげく失敗を重ねて箱根までの滑稽な珍道中をくり広げた。
 街道のかごかき、馬士(まご)のおかしな言葉づかいに、旅籠(はたご)の様子、名物の食べ物などにはやたらに詳しい本である。駅々風土の佳勝、山川の秀異なるは諸家の道中記に詳しいので、ここでは省略する、こんな宣言をし、風景描写は皆無にひとしい。実に特異な旅行記であった。ところが、思いのほか好評のうちに迎えられ、翌年の第2編で大井川まで、さらに第3編、第4編と延びてゆき、ついには、第6、7編で京都、第8編で大坂の町を書きあげた。これで終わりかと思うと、出版元が許さない。なんと、20年にも及ぶ長旅になってしまった。
 すごい、すごい。すごーい、ですよね。私も写真入りの旅行記を自費出版でたくさん出していますが、残念なことに、これほどの反響はありませんでした。
 十返舎一九は、もともとは武士の身。同じように、武士出身で当時、活躍していたのが、山東京伝、滝沢馬琴、式亭三馬(浮世風呂)。そして、この本は、江戸時代の文化を支えていた、これらの文人たちの生きざまを彷彿とさせる楽しい読み物です。
 実は、初めのころはあまり面白くないなあと思って読み飛ばしていたのです。ところが、中盤あたりから急に面白く思い、あとは一気呵成に読みすすめていきました。
 十返舎一九が作家になるまでの苦労といいますか、遊里通いで放蕩する場面、そして、その心境が、ちょっとあまりにもデカダンス(頽廃)すぎて、ついていけなかったということもあります。
 先日、チャップリンについて書かれた本を読んでいますと、「女たらし」とか「女性の敵」とか批判されているときのチャップリンのほうが芸術的には優れたものを生み出している。逆に、品行方正になったときのチャップリンの作品には面白みに欠けるという評価がなされていました。人間の才能というのは、ことほどさように評価が難しいものなのですね。
 それにしても、この本は、江戸の文化、文政時代の雰囲気、つまりは、田沼時代のあと、松平定信の寛政の改革と、その後の社会の様子をよくぞ再現していると感心しながら、後半は一気に読了しました。さすがはプロの物書きです。
(2008年3月刊。1800円+税)

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