弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年5月15日

冤罪弁護士

司法

著者:今村 核、出版社:旬報社
 弁護士歴16年の中堅弁護士が自分の手がけた冤罪事件を語っています。無実の人に対して裁判所が無罪を宣告するのがいかに大変なことか、いえ、裁判官の目を開かせて勇気をもって無罪判決を出させることがどんなに大変なことなのか、よーく伝わってくる本です。裁判官不信になってしまいそうな本でもあります。でも、先の名古屋高裁判決を出した勇気ある裁判官、そして私も知っている良心的な裁判官は何人もいます。となると、弁護士としては、いかに裁判官のもっている(眠れる)良心を呼び覚まし、事実と向きあわせ、力をふりしぼって無罪判決を書く気にさせる主張と立証、そして弁論の工夫が求められているということになります。
 第1のケースは仮眠者狙いの事件です。まったく無関係の地下鉄乗客が犯人として捕まりました。凶器注目効果という現象がある。これは、目撃者が犯人にナイフやピストルなどの凶器を示されると、その方に注意が行き、人の識別が困難となる。また、あるところで見た人物のイメージをまったく違う出来事と融合させてしまうことを無意識的転移という。
 写真面割台帳のつくり方には工夫がいる。英米では、写真面割ではなくラインアップが行われる。ラインアップの構成については、目撃者があらかじめ言語化していた特徴点(たとえば、やせて、背が高く、金髪の男)をすべて備えた人物だけでラインアップを構成しなければならない。写真面割台帳は、その点に配慮がなければ、公正とはいえない。
 やってもいない者が罪を認めて自白するはずがない。しかも、犯行状況を詳しく自白しているのだから犯人に決まっている。
 これは市民の常識ですよね。でもでも、虚偽自白は昔から数多くあります。なぜ犯人でもない人が虚偽の自白をするのか?
 心理学者は、死刑になるかもしれないというのは、あくまで将来の可能性にすぎず、現在の取り調べの苦しみと比べて、はるかに遠く感じられる。もし罪を犯していれば、死刑というのは生々しい現実感をもって迫ってくるが、無実の者には現実感がもてないものだと解説する。
 うむむ、な、なるほど、ですね・・・。しかし、自白は、自分に不利な嘘などつくはずがないという思い込みや、直観に訴える力などのため、過度に信頼されがちで、誤判の原因となる。
 痴漢冤罪が最近いくつも起きています。そのなかの一つは映画『それでもボクはやっていない』(周防正行監督)になりました。
 その一つに、被害にあった女性が「勃起した陰茎をお尻に押しつけられたことが暖かさで分かった」と供述したケースがありました。このときには、男性が陰茎に薬を注射して強制勃起させて実験し、「暖かさ」が分からないことを立証したといいます。このケースでは、そのため、幸い一審も二審も無罪となりました。それはそうですよね。その「暖かさ」なんて、肉体的なものではなく、単なる心情のレベルに過ぎませんよ。
 ところが、いくつかの無罪判決が出たあと、迷惑防止条例の法定刑は6月以下の懲役、60万円以下の罰金に引き上げられた。強制わいせつ罪による起訴も増え、検察官の求刑は重くなった。2000年夏以降、裁判所の無罪判決はなく、しかも判決が増えた。
 うひゃあ、もし、それが冤罪事件だったら、大変なことですよね。
 著者はいくつも無罪判決を獲得したようですが。私自身はこれまで35年間の弁護士生活のなかで2件しか経験がありません。そのうち1件は、公選法違反(戸別訪問罪)で、戸別訪問を禁止する公選法事態が違憲だから無罪とするというもので、明快な判断でした。残念なことに2審では逆転有罪となり、最高裁でも負けて有罪(罰金刑)が確定しました。
 もう1件は被害者の法廷での供述がくるくる変遷するので信用性がないということで無罪となりました。恐喝罪でしたが、一審で確定しました。
 裁判員裁判が始まったとき、市民をどれだけ説得できるか、弁護士の力量が一段と問われることになります。
 サボテンが一斉に純白の花を咲かせてくれました。数えてみると、11本もあります。細長いトランペット形をしていて、いつも南の空に向かって斜めに突き出して咲きます。サボテンの花が咲くと、身体中のあちこちに子サボテンをかかえるようになり、やがて親サボテンは枯れていきます。花を咲かせたらすぐ終わりではありませんが、やがて世代交代をしていくことを意味しています。今のサボテンたちは、少なくとも3代目です。
 縁側に、もらった鉢植えの朝顔を置いています。背が高くならないようにした朝顔です。毎朝、目のさめるような赤い花を次々に咲かせてくれます。夏の近さを感じます。
(2008年1月刊。1600円+税)

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