弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年5月 2日

江戸のなりたち

日本史(江戸)

著者:追川吉生、出版社:新泉社
 都心の再開発をきっかけとして、江戸考古学がスタートした。はじめは大名屋敷の調査・研究が中心的なテーマだったが、そのうちに直参旗本の武家屋敷や墓地、上・下水道など、多様な遺跡が発掘されていった。
 JR御茶ノ水駅の南側一帯、神田駿河台は、日比谷入江に埋め立てるために切り崩された神田山のなごり。家康が死んだあと、江戸に戻った駿河衆(駿府城に付きしたがっていた旗本)が暮らしたことから、駿河台と呼ばれた。旗本の多く住む武家地だった。
 旗本は、もともと戦(いくさ)に際して、主君の旗を守る武士団のこと。御目見以下の御家人とは区別される。目安としては、200俵から1万石程をもらう。その旗本屋敷から、内職として和傘づくりをしていた証拠が出てきた。
 そして、泥面子(どろめんこ)という土製の玩具が8000点も出土した。
 土蔵とともに、地下室もつくられていたことが発掘によって証明されています。江戸の火災の多さからのことです。
 江戸時代は肉食しなかったと思われていますが、獣骨が山のように出てきて、そのイメージをくつがえしました。想像以上に江戸時代の人々は肉食していたのです。
 お墓も発掘しています。3歳で死んだ子どものカメ棺には、副葬品が34点も納められていました。たとえば、羽子板が8枚も入っていました。そのほかには、鶏や猿の人形や、三味線でした。
 桜のソメイヨシノで有名な染井には、地下室がありました。江戸時代の末期に、イギリス人のフォーチュンが、ここを訪れています。フォーチュンは、世界中のどこへ行っても、こんなに大規模に売り物の植物を栽培しているのを見たことがないと報告しています。その染井の植木屋が地下室もろとも発掘されているのです。
 写真と図版によって、江戸時代が現代の私たちの目前に、まざまざとよみがえらせてくれる貴重な本です。
(2007年11月刊。1800円+税)

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