弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年4月 4日

日本軍はフィリピンで何をしたか

アジア(フィリピン)

著者:戦争犠牲者を心に刻む会、出版社:東方出版
 昨年11月にフィリピンに行ったので、読んだ本です。
 アジア、太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻むという課題で開かれた集会(1989年8月)の記録集でもあります。
 戦前にフィリピンで流通していたペソは3億。ところが、日本軍が占領してからは、軍票が大量に発行されたため、65億から110億にも達した。20倍だ。日本軍は物の裏づけのないおもちゃ(ミッキーマウスと呼ばれた)として軍票を発行し、多くのフィリピン人を苦しめた。
 1945年1月31日にアメリカ軍はバタンガス州の海岸に上陸し、翌日には空挺部隊がタガイタイに降下した。
 先日のフィリピン旅行では、このタール湖畔のタガイタイに行きました。高原の高級避暑地だという前宣伝でしたが、まったくそのとおりでした。
 日本軍は敗退するなかで、フィリピン人の大量虐殺を行っていきました。
 「おい田辺、思い切ってやってみせろ。責任はこの藤重がもつ。後世の人間が、世界戦史をひもといたとき、誰しもが肌に泡立つ思いがするような虐殺をやってみせろ」
 口を閉じた藤重兵団長は、田辺大隊長に視線を当てたまま薄く笑った。
 彼らは、戦火のもとで死に、罪を一身に負い、刑場の露と消えた。
 うむむ、ぞくぞくする会話です。肌が粟立ちます。
 フィリピンのレイテ島のパサールに銅製錬所がある。1983年、マルコス大統領の時代、妻イメルダの生まれ故郷に移転して操業を開始した。このパサールには、リン酸アルミナなどの化学コンビナートがあり、その3分の1が日本の勝者による共同出資となっている。そこに、ODAの一貫として地熱発電所がある。この電力は、パサールのコンビナート、日本の技術と出資によるコンビナートのために使われている。日本のODAで建てた発電所を日本の企業のためにつかっている。そして、レイテ島には公害(汚染)を残す。
 実は、私は、その現地に日弁連の視察団長として出かけました。1989年8月のことです。今から20年近く前のことになります。そのレイテ島は今どうなっているのでしょうか。泊まっていたタクロバンは、台風被害にあったりして、大変だったようですが・・・。現地ではカトリックの神父さんに案内してもらいました。お元気でしょうか。
(1990年5月刊。1300円)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー