弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年4月 3日

神なるオオカミ(下)

中国

著者:姜 戎、出版社:講談社
 オオカミは、草原の清掃労働者だ。牛や羊や馬、またタルバガンや黄羊、野ウサギや野ネズミ、人間の死体でさえ、すべてきれいに処理してしまう。狼は飲みこんだ羊や野ネズミの肉、皮、骨、アキレス腱を、残り滓もなく全部消化した。オオカミの口、胃、腸を通って栄養分が完全に吸収され、最後に残るのは、わずかな毛と歯だけ。万年の草原が、これほど清浄なのは、オオカミの功績が大きい。
 うむむ、なるほど、なーるほど、そうだったのですか・・・。知りませんでした。
 古代中国の農耕民族は、草原の騎兵を恐ろしい「オオカミ」と同様にみていた。「狼煙」は、もともと、オオカミ・トーテムを崇拝する草原民族の騎兵が万里の長城を越えてくるのを知らせる合図のため、烽火台であげた煙という意味だろう。オオカミの糞とは何の関係もない。
 オオカミは蚊を怖がる。蚊はオオカミの鼻と目と耳を狙って刺す。オオカミは跳びあがるほどいやがって、待ち伏せするどころじゃない。
 草原民族は、夏のあいだは、めったに羊を殺さない。羊を殺したら、食べ残した肉は保存できず、暑さとハエのせいで、2日間で臭くなってウジがわいてしまう。ハエが肉に卵を産むのを防ぐため、遊牧民は新鮮な羊肉を親指ほどの太さの細長い形に切り、小麦粉をつける。それから、ヒモをしばりつけて、パオのなかの日陰の涼しいことろに吊して乾燥させる。夏に羊を殺すなんて、ものを粗末にすることだ。
 モンゴル草原は、ふつうの小山でも、深さ50センチほどの草や土や砂利を掘り出せば、下は風化した石のかけらや石板や石ころである。木の棒でこじあければ、石材がとれる。
 ほとんどの犬はオオカミの遠吠えをまねることができる。しかし、オオカミが犬の吠え声をまねることは、まずない。小オオカミは、犬のまねをして吠えようとしたが、できなかった。でも、オオカミの遠吠えをまねると、一度で、できてしまった。
 モンゴル草原では、牛糞と羊糞が遊牧民の主要な燃料だ。草原の夏、一家の主婦が家事の切り盛りが上手かどうかは、パオの前の牛糞の山の大きさを見れば分かる。
 内モンゴルの冬は非常に寒い。羊油もバターもディーゼル・オイルも凝固する。しかし、タルバガンの油だけは液状のまま。マイナス30度の真冬でも、どろどろした油が出てくる。タルバガンの油は草原の特産品だ。大寒の雪嵐が吹きあれるなか、馬飼いと羊飼いは、顔にタルバガンの油さえ塗れば、鼻が凍傷でとれることなく、顔面も白く壊死することがない。タルバガンの油で揚げたモンゴル風菓子は、黄金色のつやがあって美味しい。火傷にもよく効き、タヌキの油と同じ効果がある。
 モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。
 遊牧民は、先祖代々、モンゴル草原で定住せずに遊牧を続けてきた。これは天(タンゴル)が定めた掟だ。
 牧草地と一言でいっても、四季の牧草地には、それぞれの役割がある。春季の出産用牧草地は、草はよいが、丈が低いから、そこに定住したら、冬の大雪に短い草が埋もれてしまい、家畜が生きるのは難しい。冬期の牧草地は、草の丈が高くて雪には強いけれど、そこに定住すると、春、夏、秋とも同じ場所で草を食べることになり、冬には背の高い草はなくなってしまうだろう。また、夏の牧草地は、水に近くないといけない。家畜はのどが渇いて死んでしまう。だけど、水に近い場所は、みな山にある。そこに定住したら、冬に家畜は凍死してしまう。
 このように、遊牧とは、それぞれの牧草地の悪いところを避けて、一つだけの良さを選ぶということ。もし、同じところに定住したら、いくつかの悪いことがいっぺんにやって来て、良いところが一つも残らなくなってしまう。そうなったら、もう放牧なんてできない。
 漢民族を主体とする中国政府は遊牧民の定着化政策をとった。しかし、そのあげく、住民の幸福感が増したかどうかは疑問だ。
 うむむ、なるほど人間(ひと)の幸福って、ホントよく分かりませんよね。
 中国政府はオオカミを害獣として殺し尽くしてしまいました。でも、そのおかげで自然の生態系が壊されてしまったのです。大自然というのが、いかに微妙なバランスから成りたっているのかということを、よくよく考えさせられる本でした。たまには、このようにスケールの大きい本を読むのもいいものですよ。
(2007年11月刊。1900円+税)

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