弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年4月 2日

生活保護、「ヤミの北九州方式」を糾す

社会

著者:藤藪貴治・尾藤廣喜、出版社:あけび書房
 飽食の現代日本で餓死する人が後を絶たない現実。行政の現場で、いったい何が起きているのか。元ケースワーカーと元厚労省のキャリア公務員だった弁護士の共著である本書は、現代日本の現実を鋭く告発しています。
 せっかく頑張ろうと思っていた矢先、切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか。小倉北(福祉事務所)のエセ福祉の職員ども、これで満足か。貴様たちは、人を信じることを知っているのか。市民のために仕事せんか。法律は飾りか。書かされ、印まで押させ、自立指導したんか。
 腹減った。オニギリ、腹一杯食いたい。体重も68キロから54キロまで減った。全部、自分の責任です。人間、食ってなくても、もう10日生きています。米、食いたい。オニギリ、食いたい。ハラ減った。オニギリ、食いたーい。25日、米、食ってない。
 このように日記に書いた52歳の平野さんは、日記の途切れた6月5日から1ヶ月たった7月10日に餓死した状態で発見されました。遺留品のなかには46円しかありませんでした。2007年の小倉北区での出来事です。前の年、2006年5月にも、北九州市門司区で56歳の男性が市営団地でミイラ化した状態で発見されています。地元の門司福祉事務所に生活保護を申請しようとしたけれど、申請書すらもらえなかったのです。
 さらに、その前の2005年1月にも、八幡東区の自宅で68歳の男性が餓死しています。2006年1月に刑務所を出所したばかりの74歳の男性が小倉北福祉事務所で生活保護を申請しようとしても、わずかに下関市役所までの交通費が支給されただけでした。
 ホームレス状態であっても、生活保護利用の要件に欠けることはない。
 北九州市は、福祉事務所からベテランのケースワーカーを排斥し、係長試験合格前の30代の男性職員に入れ替えた。当局は、福祉事務所から北九州市職労の組合員を排除していった。まず役員クラスの組合員が外へ配転され、次に熱心な組合員たちが追い出された。それまでの北九州の福祉事務所は、福祉をやりたい人を人材を迎え入れていた。ところが、福祉ではなく、「惰民取締まり」に変質していった。1967年に北九州市長となった谷伍平市長は、生活保護は怠け者をつくると高言し、厚生省から多くの天下り官僚を迎え入れ、生活保護の切り捨てをすすめ、保護率を急激に下げた。
 ケースワーカー、職員側の声が紹介されています。
 過去は自由気ままに税金も国保料も払わずに好き勝手に生きてきた人間が、高齢になって働けず、お金がないと申請してきたとき、何の懲罰もなくて保護を認めるのか、納得できない。これまで好き勝手にしてきて、最後に保護とは、いかがなものか。
 うーん、そうは言っても、人生いろいろあるわけです。過去を問題にして目の前の困っている人を救わなくていいのでしょうか?
 1982年より北九州のすべての福祉事務所に面接主査制度が導入された。昇任試験をパスしたばかりの若手係長が新規申請の窓口業務を担った。その結果、わずか5年間で申請率は半減し、全国最低の申請率(15.8%)となった。
 1998年から2003年までの政令市の生活保護関連予算の平均伸び率は52%であるのに対して、北九州市だけはマイナス0.12% と、唯一減っている。
 北九州市の特徴は反省がないこと。厚労省の生活保護行政の実験場となっていること、ヤミの北九州方式が日本全国に広げられていることにある。
 いやあ、格差社会日本のひずみをよくよく垣間見る思いがしました。北九州のひどさというのは、国の冷たさの象徴なんですよね。許せません。
 やっと桜が満開となりました。耕耘機が動いて水田づくりも始まりました。わが家のチューリップは今朝かぞえると117本咲いていました。まだまだです。紫色のムスカリ、あでやかな赤紫色のアネモネも咲いています。よく見ると、ハナズオウも花をつけていました。
(2007年12月刊。1500円+税)

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