弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年3月28日

オルガスムの歴史

世界(ヨーロッパ)

著者:ロベール・ミュッシャンブレ、出版社:作品社
 表紙に書かれていたヌードの絵といい、タイトルといい、みるからに怪しげ気な本ですが、書かれていることはきわめて真面目な本なのであります。
 王妃マルゴは、彼女の奔放さにほとほと手を焼いた兄のアンリ3世から追放されるまでの自身の生涯を才能豊かに語った。おそらく夫のアンリ4世から請求された離婚の交渉を、より有利に運ぼうとして筆をとったのだろう。離縁され、王座からはるかに遠ざけられた王妃マルゴは、自分にとってもっとふさわしいイメージを、自分自身に対して与えようとしたのだ。
 16世紀ころのフランスでは、どれだけ殴っても生命を危険にさらさない限り、妻に体罰を加えてよいという権利が夫の与えられていた。妻は何よりもまず、夫の「所有物」であった。
 強姦は、被害者のほうが、生まれつき持っている好色に身をゆだねたのではないかと疑われるので、法廷でこれを証明するのは、きわめて困難だった。
 イギリスでは、1597年、離婚後の再婚はいかなる場合にも認められないという教会法をイギリス国教会が発布した。このようにカトリックでは結婚は解消することができないとされた。これに対してピューリタンは、結婚をただの非宗教的な契約であり、救済に何の関係もなく、完全に当事者同士の合意にもとづくものであるとみなした。
 フランス革命期の1792年につくられた法令は、離婚権は個人の自由にもとづくものである。離婚は、夫婦相互の合意によって行われる。配偶者の一方は、性格不和を申し立てることのみによって離婚の言い渡しを求めることができるとした。これはすごいですね。今と同じです。
 イギリスの首都には、1750年から1850年にかけて、庶民のあいだに風変わりな離婚の形態があった。妻を競売にかけるのである。もっとも、取り引きは、あらかじめ決めてあった。
 19世紀のイギリスでは男の2重性が発達した。昼は良き家庭の父親であったのが、夜になると厚かましい売春宿通いに変身するのだ。だからこそ、ポルノ文学が隆盛を誇った。そして、この時期は、本能を抑えるように口やかましく説いてまわる啓蒙哲学が盛んだった。
 イギリスでは、マスターベーションは18世紀のはじめに正真正銘のタブーとなった。
 イギリスでは、19世紀のあいだずっと、夫婦生活の営みのとき全裸になるのはワイセツの極みと見なされていた。
 1700年のロンドンには、2万人以上の徒弟がいて、1万人以上の娼婦がいた。
 19世紀のパリとロンドンは、地方からやって来る娼婦であふれていた。ロンドンは 1801年の人口が90万人だったのに1901年には450万人となった。このとき街娼の人数は8万人から12万人だった。パリの娼婦も同じく12万人だった。
 1746年にフランスのトゥールーズで処刑されたプロテスタントの牧師の公開絞首刑には、4万人もの見物人が押しかけた。そのうち2000人は子どもだった。公開処刑は、熱狂的な見せ物だった。
 教科書に書かれていないような生活の真実をいろいろと知ることができました。
(2006年8月刊。3200円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー