弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年12月12日

観光コースでないフィリピン

著者:大野 優、出版社:高文研
 開放的でおおらか、過ちにも寛容な優しい世界。7000万人のうちカトリック教徒が83%、プロテスタント教徒が5%。イスラム教徒もミンダナオ島などに人口の4%いる。7100の島々から成る国で、言語は110もある。
 以上の数字は10年前のものです。今の人口は8000万人だと思います。スペインが333年間も支配し、その後アメリカが42年間、植民地として支配した。日本も第二次世界大戦中に3年間、軍事占領した。
 フィリピンという国名は、スペイン皇太子フェリペに由来する。
 日本との関わりでは、戦国期のキリシタン大名である高山右近が日本を追放されてマニラに住み、日本との交易は盛んだった。20世紀にはミンダナオ島ダバオでマニラ麻栽培を日本人が手がけていた。
 私は11月の連休を利用して3泊4日のフィリピンへ出かけてきました。二度目のフィリピン旅行です。
 ニノイ・アキノ空港は今回も人であふれていました。入国するにも出国するにも大変な行列をつくります。出国する前に空港内でみやげ物を買いたいと思っても、レジの前に並ぶ行列の長さに閉口して、あきらめてしまいました。私たちが出国するのに、上着をとり、靴を脱がされ、ボディーチェックされるのです。出国して数日後、高級ホテルに軍人などが立て籠もって反政府宣言したという事件が起きました。やはりフィリピンの政情は安定していないことを実感しました。
 アキノ元大統領の夫であったニノイ・アキノ上院議員が空港で暗殺されたのは1983年8月21日のことです。マニラのホテルで読んだ新聞に、その暗殺犯たちが24年たって釈放されたことが記事になっていました。空港警備隊長ら兵士16人が終身刑になっていたのです。当時のマルコス大統領が政敵のアキノ議員の暗殺を命じたというのが真相のようです。下手人役の兵士たちがワリを食ったのです。
 アラヤ財閥とかソリアノ家などは、今も純粋なスペイン人の血を保っているそうです。混血を拒否する、恐るべき「白いフィリピン人」です。
 マラカニアン宮殿にも見学に行きました。イメルダ夫人の2000足の靴のうち一組のみが展示されていました。宮殿の半分が開放されて観光コースになっているのですが、そこに至るまでに、何回となく厳重に警戒チェックされます。
 マルコスを追放した2月革命は、フィリピンでエドサ革命と呼ぶそうです。1986年2月22日にはじまりました。50万人のフィリピン人が結集したと言います。マルコス一族は、アメリカ軍のヘリコプターでマラカニアン宮殿を脱出し、ハワイへ亡命しました。ハワイで死んだマルコスの遺体はフィリピンに戻り、今も遺体が保存されているそうです。
 マニラ市内にはリセール公園という広大な公園があります。スペインからの独立をかちとる国民的英雄であるホセ・リサールが処刑された公園です。ホセ・リサールはスペインから独立するについて武力行使に反対したようですが、スペイン軍に捕まり銃殺されます。処刑されたときも、ホセ・リサールはいつものようにスーツを着てネクタイを着用し、山高帽をかぶっていました。リサールは背後から銃殺されたようです。
 サンチャゴ要塞を見学しましたが、リサールが刑されるまで歩かされたときの足跡がずっと残っていました。私は、まさか本物の足跡が残っているはずはないと疑いましたが、ガイド氏の説明は本物だということでした。本当でしょうか?
 サンチャゴ要塞は、スペイン統治のときは牢獄、アメリカ統治時代は陸軍本部、日本軍統治のときには憲兵隊本部と牢獄としてつかわれていました。1945年2月、日本の敗戦間近のとき、牢獄内で600人ものフィリピン人やアメリカ人が虐殺されたということです。水牢を見学しましたが、日本軍の残虐な行為を思って、息を呑みました。
 モンテンルパ刑務所も見学しました。山下奉文大将や本間正晴中将など、日本軍の将兵を敗戦後に収容したところです。戦後まもなく、渡辺はま子の「モンテンルパの夜は更けて」という歌が流行して有名になりました。私自身は聞いた覚えはありませんが、名前だけ知っています。刑務所の正面はアメリカのホワイトハウスを思わせるようなきれいな建物です。ところが、5000人を収容する、この刑務所内はギャングの支配する恐るべき状況があるそうです。
 日本軍の敗戦後、マニラでも日本軍の戦犯を裁く「マニラ法廷」が開かれ、山下大将、本間中将ら80人が処刑されました。
 刑務所の近くに世界平和祈念公園があります。ここで処刑された17人の名前が記されていますが、山下大将や本間中将の名前はここにはありません。彼らは別のところで処刑されたからです。
 日曜日、久しぶりにちょっとした山歩きをしました。ダイエットに励んでいる最中ですから、しっかり汗をかこうと思って、必要以上に着こんで出かけました。歩いて1時間あまりで山頂につき、上半身裸になって着換え、さっぱりしたところでお弁当をいただきました。といっても、目下、米、パン、めんを絶っていますので、おにぎりはありません。代わりにリンゴ丸かじりです。
 春霞ならぬ秋霞の日和りでした。風もなく、爽やかな山頂でしばし遙か彼方に海を見おろし、遠くの山を眺めて浩然の気を養いました。山のあちこちでジョウビタキを見かけました。人を見ると、尻尾をチョンチョンと下げて挨拶する愛嬌者の小鳥です。
 往復3時間あまりの山歩きのあと、少し昼寝をとってから、庭にチューリップの球根を植えました。久しぶりにのどかな秋の一日を過ごすことができました。
(1997年11月刊。1900円+税)

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