弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年9月18日

先生とわたし

社会

著者:四方田犬彦、出版社:新潮社
 恩師を賛美する美しいエピソードにみちた本だろうと思いながら、期待もせずにパラパラと頁をめくりはじめました。すると、そこに展開するのは、後世、畏るべし、とでもいうような、師が秀でた弟子に長く接することが、いかに難しいかというテーマでした。私も、世間的にはベテラン弁護士と目されるようになっていますが、その内実は、法解釈もよく分からず、新しい法理論を咀嚼するなんて、とてもとてもといった有り様です。債務不履行、履行遅滞、不完全履行、履行不能、瑕疵、瑕疵修補に代わる損害賠償・・・。いったい、どう違うのやら、とんと忘れてしまいました。そんなときには若手弁護士に教えてもらうしかありません。所内で恥をかいてしまえば、外で恥をかかなくてすみます。
 師とは、由良君美(ゆらきみよし)東大名誉教授。英文学者です。1990年に、61歳という若さで亡くなりました。
 著者は私より5年あとに東大駒場に入学しました。浅間山荘で連合赤軍が警官隊と派手な銃撃戦を展開し、その逮捕後に、いくつものリンチ殺人事件が明るみに出た年の4月でした。
 著者が大学にいた4年間は、常に内ゲバが身近にあった。異なるセクト同士、たいてい革マル派と解放派か中核派との抗争です、で殺しあっていました。
 由良君美は駒場の英文学の助教授。東大出身ではなく、慶応大学出身。
 由良ゼミは、90分の公式的なゼミが終わると、一研にある個人研究室で続けられた。紅茶にたっぷりのオールド・パーを入れて由良は飲んだ。ちなみに、私も少し甘みのある紅茶にブランデーを入れて飲むのが好きです。
 学生に由良は次のように訊き、次のように言った。
 ところで、最近の収穫は何かね?何か新しい発見があったかね?いいかい、どんなに疲れて帰宅したときも、洋書の目次だけはキチンと目を通しておかなければいけないよ。
 ええーっ、うそでしょ、そんなー・・・。
 イギリス風に優雅に背広を着こなし、パイプを手離さない由良は、駒場の学生からベストドレッサーに選ばれた。女子学生に圧倒的な人気があった。
 君美とは、実は新井白石の幼名である。父親の由良哲次は、京都大学で西田幾太郎の教えを受けた哲学者である。
 教師とは、単に、みずから携えている知識や技術を他人に手渡すだけの存在ではない。知の媒介者であるか、先行者として振るまうことを余儀なくされる。みずから知の範例を示すことを通して教育という行為を実践する。そして、師とは過ちを犯しやすいものである。
 著者は自問する。はたして自分は現在に至るまで、由良君美のように真剣に弟子にむかって語りかけたことがあっただろうか。弟子に強い嫉妬と競争心を抱くまでに、自分の全存在を賭けた講義を続け、ために自分が傷つき過ちを犯すことを恐れないという決意を抱いていただろうか。
 英文学者として高名だった由良君美が、実は、あまり英語は得意ではなかったという衝撃的な事実が語られています。うむむ、どういうことなんだ・・・。
 流暢な英語を駆使するものの、他人を押しのけてまで内容空疎な質問しかない輩が存在する。その反対に、深い思慮と経歴をもちながら、英語をしゃべるのに慣れていないということでつい発言をためらう人がいる。日本だけでなく、イタリアにも中国にもいる。よく読み、よく思考する者が弁論の場でしばしば消極的だということがある。外国語の会話能力は、つまるところ、その言語のなかの生活時間の長さに比例する問題にすぎないのだ。
 およそ世界に対して無上の知的好奇心を抱いている限り、若き日に一度は、師と呼ぶべき人物に出会うはずだ。由良君美は、著者にとってそのような人物であった。
 私にとって、それはセツルメント・サークルでの先輩たちでした。私は必死で彼らの語る言葉をノートにとったものです。社会に大きく目を開かせてくれた彼らに今でも感謝しています。
(2007年6月刊。1500円+税)

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