弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年3月 2日

再発見、江戸の数学

江戸時代

著者:桐山光弘、出版社:日刊工業新聞社
 ええーっ、日本人って、昔から数学が好きだったんですかー・・・。つい、そんな叫びをあげてしまいました。江戸時代に数学(和算)が流行していて、ゼロまでつかわれていたというんです。ホンマかいな。そんな気すらしてきます。
 数学は暗記するのではなく、考えるのが楽しいもの。しかも、それが日本人に向いている。著者の訴えたいところは、ここにあります。
 江戸時代初期に出版された数学の入門書には、ゼロのところに、0または令という記号、漢字が入れられていた。鎖国中の日本人も必要に迫られてゼロを発見していたのだ。円周率も、3.16と表されている。ただ、増補改訂版は3.1416としている。
 江戸時代の数学書の三大ベストセラーは、塵却記、算法闕疑(けつぎ)抄、改算記である。
 本の中で、読者に出題し、正解ものせている。問題を「好」(このみ)といい、それに対する回答は「員数」と言った。
 徳川吉宗は、享保8年(1723年)、全国の大名に対して、寺子屋設置令を出した。この結果、11代将軍・家斉の時代には日本国民の識字率は70%に達してた。
 江戸時代になっても、キリスト教の宣教師はまだ日本にいたが、彼らは、故国イタリアに出した手紙において、日本人が数学好きであることを強調していた。
 和算で有名な関孝和の師匠は、実は、イエズス会の宣教師だった。こんな話が紹介されています。本当でしょうか。
 江戸初期に数学が盛んになった理由の一つとして、暦がおかしいということもあった。
 この改暦のとき、関孝和の一番弟子である建部賢弘は、太陽の動きは円運動であるとし、その直径(天径)を算出している。うむむ、これはすごーい・・・。
 江戸時代の数学家(算者または算勘者と呼ばれていた)の大切な仕事に測量があった。税金を取るためには、田んぼの広さを決める必要がある。そのためには測量が欠かせない。
 にっちもさっちもい(ゆ)かない、という言葉がある。これは漢字では二進も三進も行かないと書く。その意味は、二でも三でも割れないということ、つまり、どうしようもない状態を表している。
 江戸時代に10年間の複利計算もしていたそうです。すごいですよね。
 私は高校1年の終わりころ、数学の才能がないと悟って、理科系から文科系に乗りかえました。微分・積分については何とか分かったのですが、図形をつかった応用問題にまるで歯がたたなかったのです。
 今では、早いとこ文科系に移ってよかったと本心から思っています。やはり、人間、向かないものは向かないのですよね。

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