弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2007年2月23日

ぼくの村は戦場だった

著者:山本美香、出版社:マガジンハウス
 今年40歳になる日本人女性のフリージャーナリストが世界各地の戦場をかけ巡った体験レポートです。本当に勇気ある女性です。私なんか一ヶ所だって行く勇気がありません。
 彼女が行った国は、この本で紹介されているだけでも、アフガニスタン、ウガンダ、チェチェン、コソボ、イラクなのです。一つだけでも、ぞっとします。そこへ彼女は重いカメラ機材などを運びこみながら取材してまわったのです。うむむ、すごーい。
 タリバン支配下のアフガニスタンで、秘密の勉強会を取材します。大学生が、友人の家を転々としながら勉強していたのです。そこでは、女性にブルカを強制するのに対して、次のような怒りの声が上がります。
 私たちはズダ袋じゃない。頭から足先まで隠せなんて、女性の自由を奪うもの。イスラム法にそんな定めはない。
 アフガニスタンでは、ほとんどがお見合い結婚だ。子どものときに親同士が許嫁(いいなずけ)を決め、適齢期になると結婚する。親と親、家と家の結婚で、本人たちの意志はあまり反映されない。
 一夫一妻が認められている。4人まで妻を娶(めと)ることができる。ただし、妻には平等の生活を保障することが条件となっている。だから、実際には金持ちでないと無理。 ウガンダでは、子ども兵士の存在が深刻だ。LRAゲリラは、草木が生い茂る4月と収穫期の10月に子どもたちの誘拐と食糧の調達のために北部に侵入してくる。これまでに拉致された子どもは2万人以上、避難民は160万人。
 ロシアでは、何をするにも当局から賄賂を要求される。ウィスキーから現金まで、やる気の度合いをモノで証明しなければならない。
 チェチェンで死んだロシア兵は、政府発表によると4000〜5000人。実際にはもっと多く、1万人を超えるとみられている。
 イラクのサマワに日本の陸上自衛隊がいたとき、宿営地をぐるりと囲むように設置された9ヶ所のコンテナハウスを拠点にして、イラク人警備兵が24時間体制で警備にあたっていた。その数300人。無線はない。日本軍である自衛隊をイラクの民間人が自動小銃で守っていた。彼らは月給200ドルをもらっています。そして、今や失業してしまいました。
 サマワから自衛隊が撤退するときは、正門に地権者が補償を求めて押し寄せていたので、裏門から逃げるようにして出た。サヨナラ・パーティーも開かれなかった。
 先日の新聞に、サマワに行った自衛隊幹部が、日本には憲法9条があって戦争できないことになっているとイラク人に説明して安心してもらっていた。だから、憲法9条は大切だ。そう語った記事がのっていました。私も、まさしくそのとおりだと思います。
 著者の今後のご無事を心よりお祈りします。あまり無理しないで下さいね。

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