弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年12月28日

闘魂

現代史

著者:堀江芳孝、出版社:光人社NF文庫
 硫黄島。小笠原兵団参謀の回想というサブ・タイトルのついた本です。1965年(昭和40年)に書かれています。
 著者は陸軍士官学校を卒業し、連隊旗手となり、陸軍大学を卒業後、連絡参謀、第31軍参謀そして小笠原兵団参謀を歴任します。硫黄島参謀として、栗林忠道中将とともに硫黄島守備計画をたて、そのあと派遣参謀として父島で終戦を迎えて、日本に生還しました。陸軍少佐です。
 第二次大戦の激戦地として硫黄島が必ずあげられる理由の一つに、筆の力があると著者は指摘しています。
 硫黄島には詩人がいた。歌人がいた。作家がいた。その筆の力も見落としてはならない。誰であろうか。栗林兵団長その人である。彼が大本営に打電(父島を経由した)した一字一句は、それも刻一刻死期迫る洞穴の中で、ローソクの火を頼りに独特の細いこまかい字で綴った報告は、世界一流の文字でなくて何であろう。
 私も、なるほど、と思いました。
 硫黄島には、1944年6月ころ、1150人ほどの島民がいた。それを7月に3回にわけて内地へ引き揚げさせた。
 栗林中将の死について、著者は次のように書いています。
 常時側近に行動していた下士官の話によると、3月17日夜の出撃時に脚に負傷して行動が不自由となり、3月27日朝、高石参謀長、中根参謀とともに自決した。これが真相のようだ。
 この本を読んで驚くのは、日本軍が栗林中将の死亡のころに3000人いて、5月中旬ころも1500人ほどが硫黄島の荒野を潜行していただろうと書かれていることです。日本軍捕虜は1,125人でした。
 生き残った人たちの手記が紹介されています。いずれも鬼気迫るものがあります。
 死ぬまで祖国を思い、陛下の万歳をとなえて死んでいったのである。かわいい妻子を捨て、家を捨て、国家のために殉じたものではないか。戦いは一国を支配する特権階級と他の国の特権階級との間の争いではないか。われわれ将兵は使役に駆り出されたに過ぎないのだ。日本国民は、こぞって戦没者の霊に捧ぐべきものは捧ぐべきではなかろうか。
 映画「硫黄島からの手紙」を見ました。アメリカ人がつくったとはとても思えない出来ばえでした。こうやって戦争のなかで有為の人材があたら失われていったんだなと万感胸に迫るものがありました。この人たちのおかげで今の平和な日本があります。戦前の反省を生かした日本国憲法を子や孫のためにも守り抜かなければいけないと改めて強く思ったことでした。
 本日(12月28日)で、御用納めとなります。この一年のご愛読を感謝いたします。新年もどうぞ引き続きお読みください。書評を分類分けして検索できるようにしました。仙台の小松亀一弁護士の提案によるものです。ご活用をお願いします。
 みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

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