弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年11月14日

ベトナム戦争のアメリカ

著者:白井洋子、出版社:刀水書房
 アメリカにとってのベトナム戦争がいつ始まったのかについて、第二次大戦直後の  1945年とする説がある。つまり、ベトナム戦争は30年戦争だというもの。
 1945年10月、日本の敗戦から2ヶ月後、ベトナムの植民地支配の復活を狙ったフランスの1万3000人の戦闘部隊をサイゴンまで運んだのは12隻のアメリカ商船隊だった。そして、そのフランス軍兵士たちは、アメリカの提供した近代的なアメリカ製装備で武装していた。
 1945年8月末、フランスのドゴール大統領はワシントンを訪問し、トルーマン大統領と会談した。このとき、アメリカはフランスのインドシナ復帰に反対しないことをド・ゴールに約束した。この会談が、その後の30年におよぶインドシナでの戦争をもたらした。
 ホー・チ・ミンの起草したベトナム民主共和国独立宣言の冒頭には、アメリカの独立宣言とフランス革命の人権宣言の一部が引用されている。ところが、アメリカの知識層はそれを知って喜ばなかった。野蛮なアジア人が勝手に利用したことで侮辱されたと感じたのだ。うむむ、そうだったんですか・・・。
 ベトナムでのアメリカの戦争は、アメリカ国民からも「汚い戦争」と呼ばれた。それは、政府と軍部によってウソと秘密で塗り固められていたからだ。
 アメリカの情報機関は、1961年時点で南にいるベトコン1万7000人の80〜 90%は現地の人間であり、北に依存しているとは認められないとしていた。実のところ、CIA報告(1964年)はドミノ理論にしばられてはいなかった。南ベトナムの共産主義勢力の力の源は南ベトナム自体にある、としていた。
 1963年11月、ベトナムのゴ・ジン・ジェム大統領がクーデターで暗殺された。その時点でアメリカ軍はベトナムに1万6500人いたが、ジェム大統領は反米感情を隠さなかった。だから、軍部クーデターが起きたとき、アメリカは黙認した。
 その3週間後、テキサス州・ダラスでケネディ大統領もまた暗殺された。ケネディ大統領が暗殺されなかったとしても、アメリカ軍が撤退していたとは考えられない。
 1964年7月末に起きたトンキン湾事件のとき、実はアメリカ軍艦艇は隠密の偵察摘発活動に従事していた。だからアメリカ政府は事件の詳細を明らかにできなかった。
 詳細を知らされなかったことから、アメリカ国民は北ベトナムへの報復爆撃を支持し、ジョンソン大統領の支持率は、一夜にして42%から72%へと跳ね上がった。
 アメリカが北ベトナムへの爆撃を公然と開始したのは、1965年2月。南ベトナム解放戦線が南ベトナム中部にあったプレイク米軍基地を攻撃したことへの報復として北ベトナムが爆撃された。
 1965年3月、アメリカ軍海兵隊2個大隊3500人が沖縄からダナンに上陸した。
 実は、アメリカ国内では無差別で残虐な皆殺しによる先住民征服のための戦争が数限りなく繰り返されてきた。アメリカ兵にとって、ミライでの虐殺事件は、ごく通常の作戦行為でしかなかった。むしろ、あたりまえの作戦を命令され実行してきたことが、軍法会議にかけられるほどの犯罪だったと知らされたときのショックの方が大きかった。
 ベトナムに送られたアメリカ兵士たちのなかには、アメリカ本国へ帰還したあと、戦争神経症に苦しむものが続出した。アメリカ軍によるベトナム民衆への残虐行為の実態を伝えられたアメリカ社会がベトナム帰還兵に対して「赤ん坊殺し」「訓練された殺し屋」「麻薬常習者」などのレッテルを貼って冷遇したことは、帰還兵のPTSD症状をさらに複雑で深刻なものとした。
 疎外感や抑鬱、戦場の悪夢、不眠、人間関係をはじめとするあらゆる状況での忍耐心や集中力の欠如などの症状が、帰還して何年もたってから発現することが多く、しかもこれらの症状は発現して長期間続いた。ベトナムからの帰還兵300万人のうち50〜70万人がPTSD症状を抱えていた。そして、既婚者の38%が帰還後6ヶ月内に離婚した。帰還兵全員の離婚率は90%。
 帰還兵の40〜60%が恒常的な情緒適応障害をもつ。帰還兵の事故死と自殺は年に1万4000人。これは全米平均を3割以上も上まわる。5万8000人の戦死者のほか、戦後15万人以上の自殺者を出した。50万人の帰還兵が逮捕・投獄され、1990年現在で今なお10万人が服役中、20万人が仮出獄中だった。麻薬・アルコール依存症は 50〜75%。帰還兵の失業率は40%で、その25%が年収700ドル以下だった。
 帰還兵の自殺者は1993年までに2万人となった。日本の自衛隊の自殺率は一般に38.6(これは10万人あたりの自殺者数)。ところが、イラクに派遣されて帰国した7600人の自衛隊のうち既に6人が自殺している。自殺率は78.9。つまり、一般の2倍の自殺率。
 ちなみに、日本の自衛隊員の自殺者数は、2000年度73人。2001年度59人、2002年度78人、2003年度75人、2004年度94人であり、10年間で合計673人であった。さらに、アメリカ陸軍の2005年に自殺した兵士は前年より16人増えて83人。その4分の1はイラクかアフガニスタン出征中。現役兵全体に対する自殺率は12.4。
 2003年にイラク戦争が始まってから1年間にイラクより帰還したアメリカ陸軍と海兵隊の兵士22万人をアメリカ陸軍病院の医師が調査したところ、帰還兵の35%が精神疾患を訴えた。診断したところ、19.1%の兵士に精神疾患が認められた。12%がPTSDだった。調査に回答した帰還兵の半分以上が「イラクで殺されるのと同じ大きな危険を感じた」と述べ、帰還後、2411人が自殺を考えたと回答した。
 別の統計では、イラク戦争が始まってから2005年12月までにイラク国内で45人、帰還後24人の合計69人のアメリカ兵が自殺している。

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