弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年11月13日

石斧と十字架

著者:塩田光喜、出版社:彩流社
 パプアニューギニア・インボング年代記というサブ・タイトルがついています。今から20年前に2年間、日本人民俗学者としてパプアニューギニアに滞在して見聞したことをまとめたものです。
 その後20年たって、現地はずい分と変わっているのでしょうが、20年前のパプアニューギニアのことを知ることができます。それは現代日本人の私たちにとっても決して無意味のものだとは思えません。実に偶然のことですが、私が毎週かよっているフランス語教室で、パプアニューギニアで何年間か生活した女性が自分の体験記を本にしてベストセラーになったドキュメンタリー番組を見ながら会話の練習をしました。文明人として「未開の地」の生活の実際がどんなものなのか興味をもつのは、洋の東西を問わないのです。
 誰に対しても愛想よくふる舞わねばならない。それは、たった一人、客人として異人種の中で暮らしていかねばならない、しかも人々から心を開いてもらわなければならないフィールドワーカーである私に課せられた鉄の規則の第一条だった。
 ニューギニア高地には、生き馬の目を抜く厳しい生存の法則が存在する。ぼーっとしていてはいけない。村の中にも敵がいる。善良な人々だけと考えるのは幻想にすぎない。
 インボング族の食事は2回。朝、サツマイモを食べ、夕方も焼いたサツマイモを食べる。インボング族にはお湯を沸かす習慣がなかった。土器文化の育たなかったニューギニア高地では、飲み物は常に生水だった。人は土器なしでは湯を沸かすことができない。人々は湧き水を直接のむか、竹かひさごの器に入れて飲むか、いずれにしても生水を飲むのが常だった。白人が入って30年たっても、水をわざわざ湧かして飲む者はほとんどいなかった。しかし、著者は、生水と生肉は絶対に口にしてはいけないと厳しく注意されていた。肝炎にやられるからだ。
 インボング族においては、自然死や単なる病死は存在しない。人が死ぬのは、霊魂が神々の敵に及ぼした打撃の結果である。だから、病気の治療は、病気をもたらした相手を突きとめ、それに対して、その攻撃を止めさせる手を打つことにある。インボング族には、病気をもたらした相手を探す術がいくつもあり、その結果に応じて、攻撃を止める手段がいくつかに分かれる。
 インボング族は白人がやってきて、急に貧乏な立場へ叩き落とされた。白人たちは真珠母貝をたくさんもってきて、ブタ一頭と交換した。インボング族には、誰かの命令のもとに、共同で労働するという習慣はなかった。それを白人が銃の力を背景に強制したのだ。
 怒った子どもが実の父親の眉間を狙って石を投げつけた。その詫びに1000円を父親に渡し、父親もそれを収めて納得するということがあった。贈与や互酬が社会の精神として徹底するということはそこまで行くということなのだ。互酬が社会の精神として関係を支配するところでは、一般に権威というものは発達しない。各個人を超越してその上に立つ全体なるものも、個がその中に抱かれて安らう東洋的共同体の制度理念もここにはない。全体を人格として代表する権威者は現れえないのである。このため、伝統というものは、拘束力あるものとして、個人の上に君臨しえない。そして、権威の不在は、葛藤を暴力へと発散させる絶えざる傾向をうみ出す。だから、部族間の戦争が今でも勃発する。
 暴力が、この連鎖の上を流れることを止めさせる唯一の回路が賠償という贈与行為である。賠償が無事にすまされ、今度は両当事者が互いに対する贈与の連鎖の上を進んでいくなら、友敵関係は逆転する。暴力と互酬の、この等価で無媒介な反転可能な直接こそ、ニューギニア高地社会に権威と支配の発生を排除し、緊迫した新石器的自由と平等を成立させているものである。
 ちょっと難しい表現ですが、自由は戦争をもたらすものであるようですし、また、それを「お金」で解決することもできるということのようです。
 著者は、現地に総額30万円で人類学者と宣教師とは商売敵(がたき)、もっと厳しい言葉をつかうなら、天敵の関係にあるとしています。
 ここは一夫多妻制。夫はどの妻にも満遍なく愛を注いでやるというのが建前だが、現実には、若い方の妻、よく肥えた方の妻に心を傾けがち。一人でも多くの子どもを欲しがる夫にとって、閉経した妻は魅力が薄い。
 男に甲斐性があれば、女を何人めとろうが、文句を言われる筋合いはない。女を多く持つこと、そして子どもを多く持つこと、そして子どもを多くもてばもつほど、その男の名声が上がっていくのがインボング社会の仕組みである。その男の財力と男としての勢力を雄弁に示す標(しるし)であり、ものにした女の数は男の勲章なのだ。それが、この社会で尊敬される指導者となる必要条件でもある。
 そこで、一夫一婦制を説き、一夫多妻の慣行を神の名のもとに弾劾するキリスト教の教えは、夫の愛を失った妻たちにとって強い心の支えとなってくれる。キリスト教は現世の愛、肉の愛を失った女たちを通じて、インボング族のなかにとうとうと流れこむ。キリスト教が土着化しているようです。キリストとの出会いを語る女性説教師が登場するのに驚きました。キリスト教は現地社会にしっかり根をおろしています。
 インボング族は、足跡を見ただけで、誰かを言い当てることができる。インボング族の足は少年のころから大きく発達し、それぞれに個性的だ。とりわけ親指が大きく張り出している。村の子どもたちは、たいてい裸足だ。
 なーるほど、と思った本でした。500頁もある大部な本ですが、写真もあって大変わかりやすく、最後まで面白く読みとおしました。

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