弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月21日

真実と正義のために

著者:諫山博さんを語るつどい、出版社:福岡第一法律事務所
 諫山博弁護士の追悼文集です。諫山弁護士は2004年11月27日、82歳で亡くなられました。1949年に九大の哲学科を卒業し、1951年から福岡市内で弁護士をしてこられました。司法修習3期です。1972年から衆議院議員を4年間、1986年から参議院議員を6年間つとめられ、国政でも日本共産党の議員として大活躍されました。
 この本の表紙は諫山弁護士の精悍そのものの写真になっています。わたしも一度だけ刑事事件をご一緒しました。公選法違反事件(戸別訪問事件)でした。
 諫山弁護士は公訴権濫用論を初めて提起した弁護士として有名です。
 林健一郎弁護士が、諫山弁護士は膏薬弁論とペニシリン弁論というたとえで問題提起していたことを紹介しています。次のような言葉です。
 私はしみじみ考えます。弁護士は膏薬貼りの弁論に甘んじてはいけない。社会の表面に吹き出たものにいくら膏薬を貼ってみても、できたものの根がなくなるわけではない。ふきでものの根を絶つ弁論、膏薬貼りの弁論ではなく、ペニシリン注射的な抜本的な弁論、これはまさに政治の仕事ではないのか、これが私の心境です。
 すごい指摘です。刑事事件(ほとんど国選弁護です)を扱うなかで、まさにここにある膏薬貼りの弁論しかできていないことを恥ずかしく思いました。といっても、なかなかペニシリン注射的な弁論というものを考えつきません。
 諫山弁護士は大の甘党でした。小泉幸雄弁護士が一緒に外出したとき自分の分と思っていた梅が枝餅を食べられてしまったという、ほほえましい思い出を書いています。
 椛島敏雅弁護士は諫山弁護士から諭された言葉を紹介しています。
 弁護士は法廷では臆してはいけない。傍聴人に分かりやすい言葉で、大きな声で弁論するようにしなさい。ぼそぼそと小さな声で発言すると、当事者が不安がります。
 まことにもっともな指摘です。
 諫山弁護士は公安警察と果敢にたたかいました。古くは菅生事件です。現職警察官が駐在所を爆破して共産党に責任をなすりつけ、逃亡した事件です。犯人の戸高公徳警部補は、発覚後も警察内部で異例の大出世をとげました。警察の体質を露呈しています。
 また、公安調査庁の共産党スパイ盗聴事件のときには現場で摘発しています。
 「語るつどい」のとき、仁比聰平参議院議員が諫山弁護士の三池争議における活躍を紹介しながら、心温まる挨拶をしたのも大変印象にのこりました。

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