弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月 7日

江戸庶民の楽しみ

著者:青木宏一郎、出版社:中央公論新社
 三代将軍家光が江戸城内の大広間で町人向けの「お能拝見」のイベントを催したというのです。そんなこと初めて知りました。寛永11年(1634年)のことです。この年、江戸の主な町の町人を江戸城内の庭に集めて銀5000貫を配るということもしています。もちろん、町人の人気取りのためです。町人といっても全員ではなく、江戸に20年以上居住した世帯主であることという条件があったそうです。もらった町人は町総出で大騒動のお祝いをしました。そりゃあ、そうでしょう・・・。
 「お能拝見」は、観世、金春、宝生、喜多の四座の能役者が総出演し、午前8時から夜9時まで昼夜入れ替え制で、酒や折詰も支給されました。そして、町人は無礼講状態だったというのです。将軍の前だからって、町人がコチコチだったというのではなかったんですね。なんだかイメージがまるで違いますよね。
 尾張藩の下屋敷で、御町屋なるものをつくって将軍たちが町人ごっこをしていたというのにも驚かされます。御町屋というのは、宿場町を再現したものです。現代のテーマパークですね。小田原宿と呼ばれていたそうですが、南北に36の町屋が140メートルの長さの町並みを連ね、本陣、旅籠屋、米屋、酒屋、菓子屋、本屋、植木屋、鍛冶屋などが忠実に再現されていた。ここには本物の町人は1人もいかなったが、将軍たちは庶民の日常を疑似体験できた。将軍家斉は、この御町屋が気に入り、再三たずねていた。ただし、外聞があるので、鷹狩りのついでに立ち寄るという形で、裏門から入り、裏門から出ていった、というのです。
 ベルサイユ宮殿にあるプチ・トリアノンを思い出しました。マリー・アントワネットが村を再現して遊んでいたというものです。洋の東西を問わず、支配層は庶民の気ままで自由な生活にあこがれて、同じような遊びを考えるんですね。
 天保の改革にとりくんだ水野忠邦が失脚したあと、寄席が自由化された。江戸に66軒あったのが、とたんに700軒になった。寄席芸人が800人もいた。すごいですね。当時の江戸の人口を考えたら、これって大変な人数ですよ。江戸時代は日本全体で人口3000万人ですからね。江戸に100万人いたとしても、今の東京の10分の1です。
 さらに、相撲取り(力士)がストライキを決行したこともありました。ええっー、まったく知りませんでした。嘉永4年(1851年)に、相撲の人気が高まり、力士の志願者が増えた。しかし、取組数がふえないので相撲を取れない者の不満が爆発し、それを支援する力士が回向院念仏堂に立てこもった。相撲の観客数は、一場所10日で5万人をこえていた。このように、江戸時代、庶民はおおらかに楽しく生活していたようです。
 日米条約を結ぶためにアメリカから日本にやってきて、伊豆の下田に3年近く滞在して日本の庶民の生活を隅々まで見ていたハリスは次のように述べています。
 人々は楽しく生活しており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちが良い。世界のどんなところよりも、労働者の社会で下田におけるよりも良い生活を送っているところはないだろう・・・。
 そうなんです。今の日本の方が異常なんです。みんな、仕事のし過ぎですよ。あなたは、どうですか・・・。

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