弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年7月 5日

裏社会の日本史

著者:フィリップ・ポンス、出版社:筑摩書房
 「ル・モンド」の日本特派員をつとめるフランス知識人が日本のやくざと貧苦の人々について書いた本です。ここまで日本の文献を読みこんでいるのかと感嘆してしまいました。
 著者は、住民の大半が定住農民であった日本において、旅人は恐怖と猜疑の目で見られた、と書いていますが、私は最近そうではなかったのではないかと考えています。日本人は、昔から自由気ままに旅行するのが大好きな、好奇心旺盛の民族だったという説が最近では有力です。それを裏づける旅行記が数多く存在するからです。日本人の旅行ブームは昔からあったと考えるべきです。そんなに一朝一夕に民族性が変わるはずはありません。
 そういう異論もありますが、著者の指摘は大半あたっていると私は思いました。
 1872年。東京には5万6000人、大阪には1万6000人の車夫がいた。人力車の車夫である。もと駕籠かきであった人々が車夫に転職した。彼らは貧民窟の住人でもあった。
 東京都はホームレスの人数を公表していない。民間の統計では、1998年に東京23区に1万2000人のホームレスがいた。山谷の住民8000人のうち、2500人が高齢のホームレス。
 賭け事の世界には掟がある。組の親分とその手下との間には、もうけの分配について、厳格な原理が存在している。頭に60%、手下に40%である。
 旅順や大連など、遼東半島南部にあった日本租界は、1906年から日本政府の管轄下にあり、日本人やくざの界隈となっていた。雇われていた中国人やくざは1930年代初めに23万人もいた。
 現代日本では、権力の舞台裏で暗躍する黒幕の仲介により、やくざと極右と保守陣営とが結びついている。政治とやくざの癒着はすっかり定着している。九州新幹線を建設するについても、自民党の有力政治家と暴力団が手をつないでゼネコンから大金をせしめ、三者もちつもたれつの関係にあると見られています。ところが、マスコミはまったくこの実態を報道しません。
 敗戦直後の東京には370のテキヤの組があり、7000人の親分と2万人のメンバーがいた。1963年、暴力団は5300のグループ、18万4000人いた。1996年、組は3120、メンバーは8万人。そのうち66%が三大暴力団(山口組、住吉会、稲川会)に所属していた。
 山口組は上納金システムをとっている。関西の16組が月3億5000万円、中部地方が2億4000万円、関東の組が1000万円、北海道の組は3億5600万円。この上納金システムは、幹部らが非合法な事件に直接かかずらわなくてすむようにし、逮捕の危険を阻止するためのもの。また、この上納金により、系列下の組への組織の保護が保証される。暴力団の総売上は1兆3000億円で、その3分の1の4530億円は、覚せい剤の取引によるもの。
 警視庁の統計によると、やくざの60%が中流家庭に、40%が恵まれない層に属する。80%は義務教育をこえる教育をうけていない。多くは失踪の癖があり、また不和を抱えた家庭の出身である。日本のやくざのかなりは被差別マイノリティ出身である。
 野村證券は稲川会に巨額の融資をした。
 佐川急便は、京都の暴力団会津小鉄会と結び、政治家にお金をバラまいた。
 日本の社会の隅々にまで暴力団がはびこっていることを弁護士として実感する毎日です。彼らにちょっとでもたてつくと、チンピラヤクザが鉄砲玉になって飛びかかってくるというのは決して大ゲサな話ではありません。そんな現実をマスコミが紹介しないものだから、少なくない日本人がノホホンとして、ホラー映画で恐怖心を味わっているのです。そんな映画を見なくったって、恐怖はあなたのすぐ隣りにあるのですよ。私は、そう教えてやりたいのですが・・・。

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