弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年6月12日

生きることと自己肯定感

著者:高垣忠一郎、出版社:新日本出版社
 いま、「よい子でないと見捨てるぞ」という脅しの教育や子育てのなかで、見捨てられて自分の無価値感や自己否定感に打ちひしがれていたり、「見捨てられる不安」におびえ、自由にありのままの自分を表現したり主張したりできずに、我慢を強いられている子どもが圧倒的に多い。
 髪をトサカのように立て、眉毛を剃り落としたツッパリスタイルの子どもたちは、相手を威嚇する外面の印象とは裏腹に、自分の弱った心を守る鎧(よろい)をかぶっているのである。なるほど・・・、ホント、そう思います。誰だって、自分を守りたいのです。
 子どもが甘やかされて育っているから自己中心的で、耐性が育っていないなどと簡単に決めつけては見えない姿がそこにある。いま、多くの子どもたちの身体と心は、アドレナリンの分泌過剰な闘争=逃走体制に入っているのではないか。ふだんから、とても緊張している子が多い。不安と恐怖がそれに油を注いでいる。
 人間にとって一番辛いことのひとつは、見捨てられ、無視されることだ。とりわけ、自分の身近な、親密な関係がほしい人々に見捨てられ、無視されるほど、辛く恐ろしいことはない。オレを見捨てないでくれ、私に関心をもってちょうだい、見てちょうだい、という恐怖心と、見捨てられていることへの怒りがいろいろの逸脱行為へと駆りたてている。
 私は、これらの文章を読んで、なるほど、そうなんだと、目からうろこの落ちる思いでした。まったく同感です。私自身の体験というものではありませんが、すごく分かる気がします。子どもの安心基地であるべき家庭のなかで、安心感を与えられない子どもがいる。本当にそうだと思います。
 自分の存在が受け容れられ、大事にされているという手ごたえを感じられない。むしろ、「よい子」でないと見捨てられるという不安におびえ、親の前ではきわめて「よい子」を演じている。
 病気のときに看病してもらえるとか、いけないことをしたときにきちんと叱ってもらえるとか、失敗したときに許してもらえるとか、そういう経験を通して子どもは「自分が見守ってもらえている」という安心感を得る。そして、そのことが「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感を子どもにもたせる。
 いま、「競争原理」の支配のなかで、子どもたちは、「あなたがあなたであってはダメなんだ」というメッセージをシャワーのように浴びながら育っている。しかし、自分で自分の人生を選んでいくためには、それを支える心が育っていなければならない。自分の頭で考え、自分の心で感じたことに依拠して、自分の人生を選んでいくことができるためには、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感がなければならない。
 自分が愛され、共感され、受け容れられているという手応えや安心感がないから、その埋めあわせに過大な賞賛を求める。しかし、その背後には、共感的に響きあってもらえない空虚さ、悲しみが隠されている。近寄るな、オメーなんか、ダイッキライ、と激しい怒りとともに突き放しても、それを受けとめてほしい。こんなに怒っている私のそばにいて、逃げないでそれを受けとめてほしいというメッセージが込められている。感情をぶつけた相手に、それをしっかり受けとめてほしいのだ。それをしっかりと受けとめ、聴きとらないでその場を離れたり、その子を拒絶したりしてしまうと、その人は再びその子どもを見捨てたことになる。その子は、いっそう見捨てられたという想いを強めることになる。
 うーん、ここまでくると、本当に難しいですね・・・。頭のなかでわかっていても、いざ実行するとなると、大変です。
 心を見捨てられた人間は、自分のほんとうの感情が分からなくなる。
 日本の社会は、見捨てられて自己肯定感をもてぬ不安を、しゃかりきにがんばることによって覆い隠そうとする子どものようだ。
 日本人にとっても、自己肯定感は、自分が他人や社会とうまくつながり、歴史に支えられているという自覚があって、はじめて生まれてくるものなのである。脅しは、人の自由な心を殺す。いかに多くの人々や子どもが自分の心を押し殺して生きていることか。
 脅しは脅される人間の心の自由を奪うだけでなく、脅す人間の心の自由をも奪っている。なぜならば、脅しの背後には不信と恐怖の感情がのさばっているからである。
 大切なことは、自分とたたかわないことを教えること。自分の心に生じる感情は、生じるべくして生じているのだから、耳を傾けながら、そのままにしておけばよい、晴れのち曇り、曇りのち雨、嵐が吹こうが、晴れになろうが、天気みたいなものである。憎しみの感情が生じても、放っておけば、黒い雲のように、そのうちに消えていく。
 それをねじ伏せようとすれば、するほど、相手はねじ伏せられまいとしてばんばる。ねじ伏せようとするエネルギーが、相手にエネルギーを与えているようなものなのである。
 自分とたたかわない心が、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感のもたらすものである。自分の心に生じるさまざまな気持ち、感情をそのままに受け容れたらいい。
 いい文章ですね。しみじみとした思いで、書きうつしました。ほんとうにすっと胸にしみこんできます。肩の荷がさらに軽くなりました。私は、よく肩が凝っていますね、と言われます。先日も、理髪店でマッサージしてもらったときに言われました。やはり、見知らぬ人からの難しい相談を受けて、身構えることが多いからでしょう。
 教育基本法を改正して愛国心を押しつけようとする小泉純一郎の考えは根本的に間違っていると、つくづく思います。ぜひ、みなさんに一読されますよう、強くおすすめします。心が軽くなりますから・・・。
 カンナの花が咲きました。黄色にオレンジの斑点が入っています。ほのかな恋心を燃やし続ける爽やかな青春のイメージです。隣りにトケイソウも花を咲かせています。見れば見るほど時計の文字盤そっくりの花です。アジサイの純白の花が咲いて梅雨に入りました。

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