弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年4月19日

クルクス大戦車戦

著者:デイヴィッド・L・ロビンズ、出版社:新潮文庫
 第二次世界大戦最大の戦車戦がくりひろげられたクルクスの戦いを、ソ連とナチドイツの両方の将兵の動きを通して明らかにした小説です。
 第二次世界大戦の最優秀戦車との呼び声も高いTー34戦車をあやつるソ連の戦車兵親子が、強力無比の88ミリ砲と貫通不能の装甲をもつドイツの無敵ティーガー戦車に戦いを挑むのです。
 クルクスの戦いは1943年7月、ソ連中央部でくりひろげられた。同年2月のスターリングラードの敗北後、ドイツ軍は攻勢に転じたソ連軍に押し返され、ウクライナの重要な工業都市ハリコフを失ってしまう。しかし、マンシュタイン元帥はハリコフを奪還し、ドイツ軍は東武戦線の崩壊をまぬかれた。このソ連軍の攻勢とドイツ軍の反攻の結果、ハリコフ北方の戦線が一部、ドイツ軍側に突出して残された。そこでヒットラーはクルクス突出部を包囲殲滅する攻勢をかけた。これがツィタデレ作戦である。しかし、この作戦はソ連軍に読まれていた。「ルーシー」と呼ばれるスパイ組織によってドイツ軍の糸はソ連上層部に筒抜けになっていた。
 ドイツ軍は戦域をヨーロッパ中に拡大していたため、ソ連軍に対して戦車の数ではかなりの劣勢にあった。ヒトラーは、戦車の数的劣勢を質でおぎなうべく、新型のティーガー戦車とパンター戦車という高性能戦車に大いに期待し、この新型戦車がそろうまで作戦の実施を遅らせた。しかし、この延期策はソ連軍の防御を固め、さらに戦車の生産に拍車をかけることができた。
 ドイツ軍は3号戦車、4号戦車、5号戦車パンター、6号戦車ティーガーの混成部隊。こんなにたくさんの種類の戦車にどうやって予備部品を供給できるというのか。キャタピラ、変速機、エンジン、車輪。これに対してソ連軍の戦車は一種類のみ。コンパクトで高速のTー34だけ。もしどこかが故障しても、部品はそこらじゅうにころがっている。そして、修理法はみんなが知っている。ぜんまい仕掛けのおもちゃと同じくらい単純だから。ソ連は1種類のTー34戦車だけを1ヶ月に何千輌もつくる。だが、ティーガー戦車を1車輌つくるのには、のべ30万時間以上もかかる。
 ティーガー戦車はヒトラーが88ミリ砲を所望した結果だ。この燃費は路上でリッター0.2マイル。不整地ではリッター0.1マイル。燃料搭載量は530リットル。戦闘状態で4、5時間は走れるが、それ以上ではない。
 強固な防御陣地を幾重にもはりめぐらせて待ち構えるソ連軍に対して、結集できるだけの機甲兵力をかき集めたドイツ軍が南北から猛攻撃を仕掛けてクルクスの戦いは始まった。プロホロスカで展開された独ソ両軍の激闘は、あわせて1500両もの戦車が入り乱れたものとなった。
 2週間にわたった戦いで、ソ連軍は当初の150万人の兵力から17万人の死傷者を出した。5000両の戦車のうちの3分の1を失った。75万人のドイツ軍は5万人を失い、3300両あった戦車のうち、少なくとも1000両を失った。
 アメリカ軍がイタリアのシシリー島へ上陸したことから、ドイツ軍の一部は転戦を命じられ、ツィタデレ作戦は失敗のうちに終了した。
 戦場では、スターリンのオルガンと恐れられるカチューシャ・ロケット弾の一斉射撃があった。カチューシャ・ロケット弾は乱打する心臓の速さで降りそそいだ。ドイツ兵たちは、ただその場で腹ばいになって耳をふさいだ。しかし、カチューシャは精密兵器ではない。大混乱と恐怖をまき散らすために考案されている。ただ、もちろん命中したものを破壊することはできる。ロケット弾は恐ろしいが、効果の方はそれほどでもない。
 私は小学生のころ、父に連れられて何回か戦争映画を見に行ったことがあります。ドイツ軍が砂漠でアメリカ軍と戦うシーンだったことを今でも覚えています。戦車の前には防御陣地は無力だと思い知らされる場面です。
 私の父は会社勤めしているところを応召し、中国大陸に2等兵として動員されました。幸か不幸か、戦場にしばらくいたものの、マラリアにかかって、傷病兵として台湾へ後送され、やがて内地に無事に帰還して召集解除となりました。
 戦争っちゃ、やっぱり、えすかった(怖かった)ばい。鉄砲の弾丸(たま)がびゅんびゅん飛んできて、まわりの兵隊にあたって次々に死んでいくんじゃけん。
 このように述懐していました。
 戦争で倒れた人々の気持ちを偲ぶことのできる小説でもありました。

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