弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年4月14日

永い影

著者:倉橋綾子、出版社:本の泉社
 団塊の世代の著者が自分の生い立ち、そして大学生のときの学生運動の活動さらには憲兵だった父親が中国で何をしたのかを追跡した記録を小説にしたものです。その心うつ描写に、私は一心不乱に読みふけってしまいました。
 家庭内は両親が不和のため冷えびえとしています。母親は父親を敬遠し、家出したりします。父親は元憲兵だったからか、いつも正しくあれと説教ばかり。だから、著者は優等生をめざしてきた。しかし、兄は反撥して父親に背いてしまう。父と息子は理解しがたい仲にあるものです。
 大学に入って、全共闘の反対派に加わり、活動をはじめる。学生たちがゲバ棒をふるい、内ゲバのためケガ人が続出する。やがて大学を卒業し、教員となる。同じクラスで親しかった友人も、支持するセクトの違いから疎遠になっていった。
 卒業して何十年もたって再会しても、その溝は埋まらない。暴力を受けた被害者は加害者を許せない。しかし、加害者も、心にわだかまりをもったまま今日に至っている。両者が再会したとき、加害者が心から謝罪し、ようやくわだかまりのひとつは消えていった。
 あのころ学生運動にかかわった者たちは、当時のことをどう振り返っているのだろうか。どう総括すればいいのか分からないと彼らは言った。しかし、自分自身も、まともに振り返ったことはなかった。メンバーの一員として夢中で過ごしたあの4年間は、自分にとってどういう意味があったのだろうか・・・。思いをめぐらした。
 子どもたちの教育も大変だった。何事によらず、ぐずな末娘が、案外、友人が多くて、その笑顔が客に喜ばれているという。人にはそれぞれがかかえた弱点があり、それを克服するのは容易なことではない。娘の弱点を問題にするばかりで、その悩みを受けとめ、心からのエールを送ることができなかった・・・。そうなんですよね、わが子となると、つい目が曇ってしまうものなんです。
 憲兵だった父親が中国大陸で残虐非道な行為を女性や子どもたちにしていたことが判明します。現地にわざわざ出向いて調べあげたのです。著者は、現地で謝罪します。もちろん、そう簡単に許してはもらえません、さんざん罵倒されてしまいます。何で、今さらそんなことをするのか、そんな声が日本に帰ると聞こえてきます。自虐史観ではないか。親のことを子どもが責任をとることはない。前を向いて生きていけばいいのだ。そんな考えの人から批判されます。しかし、子どもである以上、それを知り、それなりの責任をとるしかない。それは自然の流れだと著者は考えるのです。
 亡き父親との対話をロールプレイとして再現する場面が出てきます。そこまでしないと、親を乗りこえることはできないものなのか、改めて負の歴史の重たさを思い知らされました。
 どこまでが事実にもとづく小説なのかよく分かりませんが、私と同世代の著者が必死になって自分と向きあおうとしている姿勢に、私は深い感銘を受けました。

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