弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2006年3月17日

金大中救出運動小史

著者:鄭 在俊、出版社:現代人文社
 民団中央本部の団長を歴任した権逸氏について、著者は厳しく指摘しています。
 彼は日帝の傀儡満州国で検事をつとめ、祖国の独立・解放を目ざして活動する人々を捕まえて刑罰を加える、日帝の走狗だった。民族叛逆罪に該当する人物だ。解放後も日本官憲と親しく内通し、朴正煕 政権の忠実な下僕だった。
 民団中央本部のなかでは、外交官の大使よりKCIA(韓国中央情報部)から来た公使が実権をふるっていた。民団組織内では、KCIAから大使館に赴任してきた領事、参事、書記官という肩書きの情報部要員がやたらと権勢を誇り、彼らの言動が絶対的影響力を発揮していた。
 朴正煕 政権は、在日韓国商工人および資産家からさまざまな名目で金品をしぼりあげた。その金額は、韓国政府が民団に支出する10億円の数倍になるだろうと言われた。しかし、在日同胞の金をしぼりあげる役割はKCIA要員だけではなかった。同郷出身の与党国会議員らがさまざまな縁故で芋づる式に人脈をとどり、ときには民団中央本部の幹部が手先となって、在日一世の事大主義的思想と情緒を巧みに利用した。多くの在日資産家は、権力ににらまれたときの恐ろしい「不運」を予防する対策として、あるいはソウルで困ったことが生じたときに逆に利用する打算から支出に応じていた。
 金大中事件が発生したのは1973年(昭和48年)8月8日午後1時すぎ、東京九段のホテル・グランドパレス22階です。このころ、私は横浜で弁護士をしていました。白昼堂々、日本において、国際的にも有名な韓国人政治家を拉致するKCIAには驚き、かつ日本人として怒りを覚えました。
 著者は金大中救出運動を日本において全力をあげて取り組みました。そして、金大中が大統領に就任したとき、就任式にも招待されたのです。ところが、意外なことに金大中は著者をまったく無視し、冷遇します。なぜ、なのか・・・。
 金大中は671頁にも及ぶ長大な自伝を発刊していますが、そこに在日韓国人による救出運動について一言もふれていないとのこと。著者は、そのことに怒っています。私も、その怒りは理解できます。いったい、どういうことなのでしょうか・・・。
 金大中は大統領になって、自分の拉致事件の真相を知ることができたはずです。個人的には、その詳細を知ったことでしょうが、その真相を国民に広くオープンにすることはしませんでした。なぜなのでしょうか・・・。これも韓国現代史の謎のひとつだと私は思います。

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