弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2005年5月19日

馬賊で見る「満州」

著者:渋谷由里、出版社:講談社選書メチエ
 張作霖の実像を追跡した本です。私が大学2年生のときに生まれた完全な戦後派の著者は、これまでの歴史観から離れて、独自の張作霖像を描き出すことに努めました。その努力はかなり報いられているように思います。ただ、張作霖爆殺事件を引き起こした関東軍内部の動向について、もっと掘り下げてほしいという不満は残りましたが・・・。
 2001年10月に、張作霖の長男の張学良が満100歳でなくなりました。1936年12月の蒋介石を監禁した西安事件の首謀者として有名な張学良は、蒋介石に台湾まで連行され、1990年まで軟禁生活を過ごしていたのです。心身ともにタフだったのですね・・・。
 張作霖は馬賊出身として有名ですが、その馬賊の実態が解明されています。張作霖は身内の援助で「保険隊」を組織した。この「保険隊」は、「保険料」と称するお金を地方の資産家からもらって、その家屋や資産を外敵の襲来から守る自衛組織である。馬賊を社会からの完全脱落者としてのアウトロー集団と位置づけるのは難しい。むしろ、地域社会の底辺層にある人々が社会に食いこみつつ、上昇の機会をうかがうための有効な装置として機能していたものである。張作霖は、内政については王永江にほとんどまかせていて、この王永江が見事に内政を取りしきった。
 張作霖は日本の傀儡(かいらい)政権であったか否か、著者は否定的に見ています。張作霖の軍事顧問として日本軍から送りこまれた日本人(町野武馬や松井七夫)は、日本側の利益より中国の利益第一で意見を述べていました。ですから、日本軍の上層部は、これらの軍事顧問を嫌ったほどです。
 河本大作ら一部の関東軍将校が張作霖を1928年6月4日に爆殺しました。これは鉄道権益を中心に物事を考えたことによるもので、周到かつ極秘裏に暗殺計画はすすめられました。しかし、河本大作らは張作霖本人を殺したかどうかすぐには分からず、ウロウロしているあいだに息子の張学良への政権移譲が完成してしまったのです。
 要するに、張作霖は単なる馬賊ではなかったということです。なるほどですね。そんなに単純な人物でないことがよく分かりました。

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