弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年12月10日

フジモリ時代のペルー

著者:村上勇介、出版社:平凡社
 500頁をこす大作ですが、大変興味深く読みました。日系2世がなぜ南米ペルーで大統領になったのか、日本大使公邸の人質事件はなぜ起きたのか、よく分かりました。
 1996年12月17日、日本大使公邸のレセプションにMRTAが乱入し、参加していた1200人の招待客のうち600人を人質にとった。127日間、日本人を含めた72人が人質にとられ、最後は翌年(1997年)4月22日にペルー軍の特殊部隊が突入して、人質は1人が死亡したものの残る71人は救出された。MRTAは14人全員が死亡した(射殺された)。
 1200人の招待客は多すぎなかったということが、フランスの招待客は1900人でしたし、同じようにアメリカ1798人、イタリア1297人、イギリス1000人という比較で明らかにされています。
 また、強行突入も2面からやむをえなかったとされています。一つは、人質内部にいたペルー人の軍人や警察官が反乱を起こす寸前であったこと、二つには、MRTAの内部で、キューバへ出国する意思がなく、徹底抗戦の幹部がいたことにあります。
 そして、多くのペルー人には、無縁の日本大使公邸で発生した事件ということであまり関心もなく、結局、人質のほとんどが救出されたことで、フジモリ大統領の支持率は一時的に高まったものの、やがて沈静化していった。
 そもそもペルーでは、1821年のスペイン植民地から独立して以来、一定の制度に従い安定的な状態が12年以上にわたって維持されるという経験をしたことがない。
 ペルーにはPC(主人=パトロンと従者=クライアント)関係があり、主人は独占した権力や権益・財を私権ととらえ、政治を私物化する傾向が強く、従者は利害を共通するはずの者たちとの水平的なつながりや連帯を緊密にしない傾向がある。ペルー全体を統合するシンボルもなければ、独立の英雄もいない。ペルーでは結果が重視され、その過程の手段や手段には拘泥しない態度や行動様式が普遍的である。クリオジョ(ペルー生まれの白人支配層)文化では、抜け目なさ、攻撃的態度、慎重さ、へつらいやおべっかなど、ありとあらゆる対処手段を状況に応じて組み合わせ巧みに駆使し、局面ごとに自分にとって最大限に有利となるよう身を処していくことが尊重される。
 政党も、創設者が無謬性と全能性をもって君臨する。
 フジモリは、手続や過程における方法・手段にはこだわらず、まったく民主的な方法をとらず、自らに権力と決定権限を集中させ、ごく少数の側近との間で迅速に意思決定を行い、これを実効に移すという権威主義的な政治スタイルを貫いた。状況にあわせた短期的な対応をするものの、中長期的な方針やビジョンをもつこともなかった。
 この本を読むと、ペルーに私たちの理解するような民主主義が根づくのは、まだ相当の時間を要するとしか思えません。フジモリは、そのような状況のなかで、うまくマスコミに乗って大統領に当選したようです。いわば、一種の仇花みたいな、あぶく(うたかた)ではなかったかという気がしてきました。

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