弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年5月 1日

関ヶ原合戦400年の謎

著者:笠谷和比古、出版社:新人物往来社
 先日、関ヶ原に行く機会がありました。気持ちよくよく晴れた日でしたので、JR関ヶ原駅で貸し自転車を借りて、それほど広くはない関ヶ原を少し探索しました。
 駅の方から上り坂のところに石田三成が陣を構えた小山があります。家康の本陣であった桃配山は、そこからすると低地の方の小山になります。つまり、負けた西軍は高い方に位置し、勝った東軍は低い方から攻めのぼったわけです。これは現地に行かないと分かりません。やはり、百聞は一見に如かずというのは、そのとおりです。
 西軍に属し、敗戦が決まったころに東軍を中央突破した薩摩の島津軍は、関ヶ原の狭い台地を、高い方から低い方へおりていったことが現場に行くと分かります。それでも、わずか千人ほどの部隊で家康の本陣をかすめて突破して逃げ切ったというのですから、無謀と言えば無謀だと言うしかありません。島津本陣跡という場所が小さな神社の裏にあります。そこに立ってみると、ここから東軍の真只中を抜けて脱出しようとした島津の将兵の勇気には驚かされます。『島津奔る』(池宮彰一郎)は、その状況を活写しています。
 この本は、関ヶ原合戦について、秀忠軍が現場に間に合わなかったことは家康にとって大誤算だったこと、秀忠軍を温存したなんて、とんでもない間違いで、福島正則たち豊臣武将を家康は決して信用してはいなかった。ところが、予想外に勝ちすすんだため家康も進撃を速めたこと、西軍の立花宗茂が大津城の包囲戦に手こずって関ヶ原に間に合わなかったが、もしまにあっていれば、戦いの行方は西軍有利で終わったかもしれない、という。なるほど、家康が絶対の自信をもって関ヶ原の合戦にのぞんだわけではないことを知るいい本です。この際、あなたも機会をつくって現地に行ってみてください。

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