弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2004年2月 1日

ヒラリーとビルの物語

著者:ゲイル・シーヒー、出版社:飛鳥新社
 ヒラリーの母親・ドロシーは、15歳の母親から生まれ、両親はドロシー8歳のときに離婚した。ドロシーは14歳で住み込み女中として働くようになる。ドロシーは娘(ヒラリー)に離婚がどれほど過酷なものか何度も語ったに違いない。ヒラリーほど、自らの野望に首尾一貫して真摯な女学生はいないと友人たちは言う。ヒラリーが本当に興味をもっていたのは政治学とAをとること。ところが、ヒラリーは高校時代に選挙で負け、心が大きく傷ついた。大学3年生のとき、学生自治会長に立候補し、3週間かけて寄宿舎まわりをして、当選を果たした。
 ヒラリーは、変革を起こすことに興味をもっていたが、それは体制の外からではなく、内側からの変革だった。ヒラリーはまぎれもないタカ派で、秘密の反共組織のメンバーでもあった。
 クリントンの母親・ヴァージニア・ケリーは快楽主義者であり、自分を飾ることに一生懸命の女だった。また化粧するのに時間がかかるから、寝るときにも化粧を落とさなかった。チェロキー・インディアンの血も受けつぎ、5回、結婚した。
 クリントンの家庭は、誰が見ても道徳的・倫理的に混乱していた。本人も「わが家には常に家庭内暴力があり、家庭が家庭として機能していなかった。だから、孤独だった」と正直に語っている。クリントンは決して離婚を選ばない。アルコール中毒者のいる家庭では、どんな犠牲を払っても平穏を保つことが最優先されるから。
 ヒラリーは一家の大黒柱であり、政治の実情も握っている。ヒラリーもクリントンも一人娘チェルシーを愛している。しかし、2人の最優先事項は政治家としてのクリントンのキャリアだった。
 ヒラリーの中毒はビル。クリントンは選挙運動と安物の愛、そしてフリーセックスによって生きている。女たらしの夫の秘密を長い年月にわたって守り続けたヒラリーは、心の中に神経まで麻痺させる分厚い防護壁を築き上げた。
 クリントンのなかには2つ以上の人格が存在する。一方の彼は敬虔な父親であり、良き夫である。もう一方の彼は、妻と娘の双方を平気で裏切っている。子どものころにしばしば虐待された人物は、生き残るために自分の人格の一部を分離することを覚える。クリントンは幼児期をすごしたホットスプリングスで母親がいて、寛容な環境があったころの人格にはいるとき、とてもくつろいて安心できる。しかし、それは虐待をもって終わる。つまり、クリントン自身による女性への虐待によって、このアイデンティティがそこで終わる。そして、バレて嘘をつくとき、彼はすでに別の人格になりおおせている。だからこそ、あたかも第三者がやったことであるかのような口ぶりができる。
 なるほど、クリントンとヒラリーの関係は、そういうことだったのか・・・。よく分かった気がしました。

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