弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2003年12月 1日

コミンテルン史

著者:ケヴィン・マクダーマット、出版社:大月書店
 社会ファシズム論というのがあった。戦前、ドイツ・ナチズムより社会民主主義の方が先に撲滅すべき主要な敵だというもの。今になって思えば、そんな間違った理論が横行していたなんて信じられないが、スターリンが裏からしっかり支えていた。しかし、それにしても、なぜ、そんな誤りがヨーロッパの左翼でまかり通ったのか。この本は、その点を解明している。
 ドイツ共産党はコミンテルンのなかで2番目に大きな党であったが、圧倒的に失業者の党だった。大企業には、ほとんど共産党員がいなかった。社会民主党員は年輩の労働者で、共産党員である若い労働者の解雇を見て見ぬふりをしていた。そして職のない共産党員の未熟練労働者は都市の日の当たらない一隅に閉じこめられていた。職のある社会民主党員の熟練労働者が裕福な建物や地区に住んでいたのと対照的だった。2番目に重要なことは、大不況に襲われ、失業者が600万人をこえ、労働者階級の団結の最後の名残が消えうせたこと。第3に、スターリンがソヴィエトを存続させるためにナチスと闇取引をしたことである。
 ディミトロフの反ファシズム人民統一戦線の提唱は、スターリンの責任が問われないことが条件として許された。スターリンは国際共産主義運動を軽蔑し、コミンテルンと各国共産党はイデオロギー的にも政治的にもスターリンの指導するソ連国家の単なる付属物であった。
 1943年6月、コミンテルンは解散した。しかし、実のところ、99、100、205という番号のついた「特殊研究所」が3つあり、これらのスタッフが同じ建物で、同じような仕事をしていた。スターリンは、とくに中欧・東欧のやがて解放される国々への支配を目論んでいた。コミンテルンと各国支部の多くは、経済的にソヴィエト共産党中央委員会とソ連国家に依存していた。ソ連共産党もコミンテルンも今はない。しかし、解明されるべき歴史は今なお多く残されていることを思い知らされる本だ。

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