弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2017年4月 1日

織田信長の城

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 加藤 理文 、 出版  講談社現代新書

安土城は、天下統一をめざす信長が築き上げた富と権力の象徴であった。
安土城の石垣の最大の特徴は、石垣上に構築物が築かれることを前提として積まれている。
安土山(標高199メートル)は、岐阜と京都の中間点の琵琶湖東岸に位置する。京へも岐阜へも、ほぼ1日を要しない利便性と、中部、北陸、畿内各所への地理的優位性からの選地だった。また、来るべき上杉謙信との戦いも想定し、北国街道の喉元を押さえることも目的の一つであった。
築城工事を急がせた信長は、わずか1ヶ月後の2月23日、早くも安土に居を移す。
瓦は、唐人一観に命じ、康様にするよう言い付けた。
天主の外観は五重七階で、青や赤、白と各階の色が異なり、最上階は青と金色で、屋根に鏡が吊るされていた。窓は黒漆。屋根は青く光る瓦で葺かれ、瓦当や鬼瓦には金箔が貼られ、光り輝いている。
安土城は、軍事的目的をもつだけの施設ではなく、政治的、文化的施設として完成を見た。軍事一辺倒で、無粋きわまりなかった城は、安土城の完成によって、この時代を代表する芸術作品として生まれ変わった。
安土城は、天下人信長の居城であって、織田宗家の居城ではない。織田宗家の居城は、岐阜城である。
本丸御殿内に「御幸の御間」があり、そこは天主から見下す場所に位置する。すなわち、信長が天皇の上に位置することを暗に知らしめる目的があった。
信長が天皇をカイライとした政権運営を考えていたのは確実である。
安土城には二度のぼりましたが、この本を読んで、もう一度、天主跡に自分の足で立ってみたいと思ったことでした。
(2016年12月刊。840円+税)

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2017年4月 2日

星空

中国(台湾)

(霧山昴)
著者 ジミー・リャオ 、 出版  ツー・ヴァージン

大人向けの不思議な絵本です。
夜の星空をボートに乗った少年と少女が眺めています。
少女の隣家に少年がひっこしてきた。そして、少女と同じ学校、同じクラスに入ってきた。
少年は路地裏でいじめられた。少女はそれを見て許せないと思って割って入り、二人ともケガをした。
少年はクラスでは無口だった。
ある日、二人は、そろって家出をした。目ざすは山の中の家。そこには、少女のおじいさんが住んでいた。でも、おじいさんは亡くなり、誰もいない。
二人は湖に浮かぶボートに乗って、夜の星空をあおぎ見た。
家に帰ると少女は病気になった。病気が治って家に戻ると、少年はひっこしていた。
少年の住んでいた部屋に入ると、たくさんの壁に魚の絵があり、そのなかに少女の絵もあった。
メルヘンの世界そのもの。ついつい引きずり込まれてしまう、そんな絵本です。
(2017年2月刊。2000円+税)

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2017年4月 3日

すきやばし次郎 旬を握る

社会

(霧山昴)
著者 里見 真三 、 出版  文芸春秋

いやあ、ホンモノの寿司って、実に見事に美味しそうです。
映画にまでなった「すきやばし次郎」の寿司のオンパレード。残念ながら映画は見ていませんし、店に入ったこともありませんが、この本一冊で、なんとか我慢することにします。
原寸大の寿司のカラー写真がたっぷりなので、眼のほうだけは満腹感があります。そして、次郎さんのセリフが素敵です。さすが超一流の職人芸は違います。
本書は、当代一の鮨職人、小野二郎が一年間に供する握り鮨、酒肴、小鉢などの全点を洩れなく収めた、究極の「江戸前握り鮨技術教本」である。
本書は、旬(しゅん)を知る歳時記としても大いに役に立つ。寒い季節の自身の王者はヒラメで、夏はフッコやマコカレイ。タコの足は冬に味が乗って、関東のアワビの旬は夏。シャコは子を持つ春が一番うまい。
小野二郎が握る鮨は、端正で美しい。一流の料理人に必須とされる抜群の嗅覚と味覚、そして未蕾(みらい)の記憶力を兼ねそなえているばかりではない。例を見ないほど度外れて執念深い完全主義者であり、凝り性だ。小野二郎は、味の改革改良のためには労をいとわない。だから、その握る鮨は、日々進化する。
握りの横綱はコハダ。コハダは鮨ネタで一番安い魚。しかし、上手に加工すれば喉が鳴る「握りの横綱」になる。とくにコハダの稚魚であるシンコは秒争い。
小野二郎は、一日に何回も、ネタの味見をする。鮨屋のオヤジが味をみて、「これは、うまい!」と自信をもって握らなかったら、お客さんに失礼にあたる。このように考えている。
コハダは、朝に食べて、お昼に食べて、夕方に食べて、明日の締め具合を見るのにノレンを下ろしから食べる。自分が納得するまで、こうして食べ込んでおけば、お客さんは、決して「まずい」とは言わない。
脂の乗った旬のイワシは、煮て食べる。これが楽しみで鮨屋をやってるんじゃないかと思うほど、煮ると実にうまい。これぞ鮨屋のオヤジの特権である。
カツオを握るのは、春の初ガツオだけ。秋の戻りガツオは使わない。戻りガツオは脂がクドすぎるから。戻りガツオは秋の菊。香りが強すぎる。
マグロに限らず、微妙な香りをどうやって嗅ぎ分けるのかというと、口に入れた瞬間、上あごにネタを少し押さえつける。そして、匂いをフンと鼻に抜いて香りを確かめる。舌では分からない。舌ではなく、鼻で味わう。
うまい握り鮨を楽しむためには、前に食べた握りの味と脂、それに匂いをガリの刺激で消して、粉茶でつくるうんと熱いアガリで口中を洗う。これが江戸前の流儀。だから、アガリは熱くないといけない。このように、鮨屋のアガリは、いれ加減がむずかしい。濃すぎてもダメ、薄くてもダメ。粉茶は一度しか使わない。新茶や玉露ではない。
小野二郎の握った鮨は、食べても喉が渇かない。店を出たあとで、ああ、もう少し食べたかったなあ、そんな気にさせるには、シャリは薄味でなければいけない。
『すきやばし 次郎』の客は、何も言われなくたって、看板の10分前、午後8時20分になると、一斉に席を立つ。
見事な鮨の写真には、ほれぼれします。そして、鮨の技術教本というだけあって、写真付きの懇切丁寧な解説までついています。20年前の本をネットで注文して読んでみました。あなたに至福のひとときが約束される本です。
(1997年10月刊。2800円+税)

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2017年4月 4日

熱狂の王、ドナルド・トランプ

アメリカ

(霧山昴)
著者 マイケル・ダントニオ 、 出版  インプレス

 アメリカの変な大統領の実体を知らなくては、と思って読みました。本当は読みたくもないのですが、読まざるをえません。
 ドナルドは、普通の実業家ではなく、他に類を見ないやり方で、政治権力を利用できる人々とのつながりを築いていた。「話をつける」ときには、利益や脅しで動く政治家たちが関わるのが常だった。
 トランプタワーをつくるときには、「ポーランド軍団」と呼ばれる不法就労者の数百人を熟練作業員20人あまりに監督させながら使った。熟練作業員はマフィアがらみの作業員組合から連れてきた。ポーランド人の労働者たちは、労働時間は週7日、1日18時間労働で働かされた。そして、寝るのは、ぎゅうぎゅう詰めの部屋が解体のビルの床。賃金は組合基準よりずっと少なく、支払いもまちまちだった。不満を言えば国に送り返すと脅された。代わりはいくらでもいた。
マフィアに抵抗する建設業者は放火されたり、機材などを盗まれたり、作業を止められたりするので、逆らわない方が安全で、結局は安上がりだった。
これって、今の日本の公共工事について暴力団が総工事費の2%とか3%をピンハネしているのと同じ構図ですね。
 ドナルドが有名人になれたのは、彼のような人物にあふれんばかりの関心を注ぐ、新種とも言えるマスメディアが出現したからだった。ドナルドにとって、メディアに出ることが、エゴを満たす必須の栄養素なのは明らかだった。
トランプのように美男子でなくとも、金と名声と社会的地位という成功の現代的定義に当てはまっていさえすれば、「セクシーである」と認められた。メディア時代のセレブに不可欠な3大要素は、名声と富そしてセクシーさだ。
ドナルドは、酒もドラッグもやらず、タバコも吸わない。女好きなだけ。
トランプには資産はあっても、手持ちの現金はなかった。
トランプは結婚する前にかならず婚姻契約を妻となる女性と取りかわした。
イヴァナはトランプと離婚したとき、前払いとして1000万ドル、そして、子どもの養育費と生活費として年に65万ドルを受けとることになった。
ドナルド・トランプは、有名であることをお金に替える方法を知っていた。ドナルドは、自分のプライバシーも金もうけのネタであることを知り、利用していた。
破綻したはずのドナルドに対して、債権者は毎月45万ドルを支出することを認めた。
上流階級が格好をつけるために骨を折っていた昔と違い、現代のセレブたちは自ら進んで恥知らずなショーを大衆に提供する。セレブたちは悪行を重ねても、次々とスキャンダルを乗りこえてスポットライトを浴び続ければ、お金を稼ぐことができるのだ。
 ただし、これには相当な面の皮の厚さが必要で、無傷のままで有名になれる者はごくわずかだ。有名になりたいものとは嘲笑され、屈辱されても、平気なくらいタフでなくてはならず、それでも完璧な笑顔を保ち続けなければならない。名声とはドラッグのようなもので、いったん中毒になると、それを手に入れるためには何でもするようになる。自分の存在が忘れられないよう、メディアに自ら話題を提供するのだ。
 金持ちで見栄のいい男としてメディアと大衆の注目を集めることに成功したトランプは、その後も注目を求め続けた。中年太りとたたかい、常に高級なスーツに身を包み、髪の毛を守るために最大の努力をささげてきた。「はげるのは男として最低だ。絶対にはげになってはいかん」
私は幸いにもはげてはいませんが、これって遺伝的なものが大きくて、本人の努力だけではどうしようもないと思うのですが・・・。
 この本は、最後に、ドナルド・トランプは特異な男ではない。彼は、むしろ現代を生きる我々の誇張された姿に過ぎない。こうしめくくっています。
 それにしても最悪の人物がアメリカの大統領になりましたね。超大金持ちを、豊かでない大衆が手を叩いて支持するなんて、最悪です。まるで過去のヒトラーの再現のような気さえします。もちろん、大虐殺はしないでしょうが、それでも、あきらかな人種差別を公然と口にするところは共通しています。
 日本だって「政治改革」で最悪の小選挙区制が実現し、国鉄民営化で、安全無視のJR各社が誕生し、郵政民営化でアメリカ資本が日本の保険業界でむさぼり、身近な郵便局が次々になくなっています。一時の熱狂をかきたてた新聞もテレビも、今ではどこも経営困難に直面しています。もっと、日本人の私たちも足をどっしり地につけて考え議論し、投票行動で意思表示すべきなのだと、つくづく思います。

(2016年10月刊。1780円+税)
東京は日曜日に桜が満開だといいますが、まだ4分咲きです。今年は桜の開花が1週間ほど遅れています。入学式に間にあいそうです。
チューリップのほうも少し遅くて8分どおり咲いています。
日曜日の午後、やわらかい春の陽差しを浴びながら庭の手入れをしました。ウグイスが青空の下で気持ち良さそうに高らかに鳴いています。先日、観音竹の葉先が目にあたって痛い思いをしましたので、庭をすっきり整理しました。春本番です。

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2017年4月 5日

赤い星は如何にして昇ったか

中国

(霧山昴)
著者  石川 禎浩 、 出版  臨川書店

 毛沢東がまだ有名ではなかったころ、日本をふくむ国際社会が毛沢東をどう見ていたのかを知ることのできる本です。
 日本の外務省が1937年8月の官報の付録に載せた毛沢東の顔写真は、今から見ると、どう考えてもまったくの別人。革命家という雰囲気はまったくない。太った、人の好さそうなブルジョアという印象の中年男性の顔写真。とても「極悪人」には見えません。それほど、この1937年の時点では毛沢東は知られていなかったのです。
 その毛沢東を世界に紹介したのが、アメリカ人ジャーナリストのエドガー・スノーによる、『中国の赤い星』でした。1937年秋にイギリスで、1938年初めにアメリカで刊行され、ベストセラーになりました。
当時、エドガー・スノーは32歳の若さです。取材申請を許可されて3ヶ月ものあいだ赤軍根拠地に入り、毛沢東に直接取材したのです。毛沢東が自分の生い立ちから青少年時代までを語った本は、この『赤い星』が唯一といえる貴重な本です。
私も大学生のころに読み、とても感銘を受けました。もっとも、そのころには文化大革命が進行中でしたし、あとになって、その本質が毛沢東による権力奪還闘争ということを知りました。今では、毛沢東とは、要するに権力欲にとりつかれたエゴイストだったと今では考えています。功もあったけれど、はるかに罪が大きい。
毛沢東は生涯、外国に行ったことは一度もない。中国語しか話せない。
毛沢東は4度結婚している。4回目の妻が例の悪名高い江青で、このときは多くの党幹部の反対を押し切って結婚した。毛沢東には三人の男の子と三人の娘がいて、娘二人は、今も生きているようです。全然ニュースになりませんね。なぜでしょうか・・・。
 毛沢東の肖像画が、本物の写真をもとにして描かれたのは1934年が初めて。これは、1927年3月に武漢で撮影された国民党幹部の集合写真の一人としてうつっている写真をもとにしている。国共合作時代、毛沢東は共産党員でありながら国民党員であり、国民党の中央委員として活動していたというわけです。
 エドガー・スノーは、中国共産党の根拠地へ一人でいったのではなく、もう一人、ジョージ・ハテムという医師と二人だった。そして、孫文の妻・宋慶齢がエドガー・スノーの中共基地への潜入を手助けした。
戦前の日本では、この『赤い星』は一般に刊行されることはなかった。要するに、日本は敵がどういう人物であり、集団であるかを知らないまま戦争していたことになる。これは、ひどいですよね。「敵」を知らないで戦争に勝てるはずはありませんから・・・。
エドガー・スノーの『赤い星』と毛沢東の初期の活動状況、それについての日本の認識について知ることのできる興味深い本です。
(2016年11月刊。3000円+税)

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2017年4月 6日

偽囚記

司法


(霧山昴)
著者 鬼塚 賢太郎 、 出版  矯正協会

東大法学部生がニセの看守になり、また囚人として刑務所に入ったときの体験記です。
ときは戦後まもなくの昭和22年(1947年)のことです。団塊世代の一人である私の生まれる前年です。教授になったばかりの国藤重光教授が志願囚をつのったのでした。4人の学生が応じ、そのうち3人が実際に看守となり、また、囚人となって刑務所に入っています。
場所は横浜刑務所です。横浜修習だった私も横浜刑務所のなかに見学者として入りました。高い塀があり、模範囚が塀の外で花壇の手入れをしている光景を思い出します。
しかし、学生が3人もニセ囚人になるというのは容易なことではありません。いったい、どんな犯罪をしたことにするのか、家族や出身地、そして当時なら兵隊経験はあるのか、どこに行ったのか、嘘をつき通して、つじつまを合わせなければいけません。
囚人から次第に疑われていく様子がリアルに描かれています。要するに当局から送り込まれたスパイではないかと疑われるのです。それが確定したら、ひそかにリンチされるのは必至です。そのとき、本当に誰かが助けてくれるのか・・・。
体験者は、無事に「出所」したあと、国藤教授に「もう、あとの人には、こういう体験をすすめるようなことをしないで下さい」と迫ったそうですが、それもなるほどだと思いました。
罪名はPCとされています。要するに、進駐軍(アメリカ軍のことです)の物資の不法横流しをしたというのです。それで刑期は5年。
刑務所内ではタバコを吸っていた。その火種はどうしていたか・・・。
ホウキの柄と綿くずを使って、ゴリという発火の方法を利用していた。
今から30年ほど前でしたか、福岡刑務所でピストルを製造していたことが発覚したことがありました。戦後間もなくの刑務所では、それこそいろんなことがあっていたことでしょう。タバコを吸っているというのは、20年ほど前の刑務所の話としても聞いたことがあります。今はないのでしょうか・・・。
それにしても、この体験をした著者が、裁判官になり、機会の許す限り矯正施設を訪問していたというのにも感銘を受けました。やはり、刑事裁判では行刑の実際を知ることも大切だと思います。裁判員裁判を担当する人には、事前に刑務所見学もしてもらい、その実情の一端を知ってほしいものだと思います。いかにも貴重な体験記です。
先日の本(原田國男『裁判の非情と人情』)に紹介されていましたので、早速ネットで注文して読んでみました。
(昭和54年3月刊。850円+税)

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2017年4月 7日

北朝鮮の国家戦略とパワーエリート

北朝鮮

(霧山昴)
著者 玄 成日 、 出版  高木書房

 これはすごい本です。北朝鮮の現状、そのトップの人事構造と統制の仕組みについて、これほど詳細かつ具体的に分析できるとは、見事というほかありません。
 著者は脱北者の一人です。父親は、万景台革命学院を卒業し、政府護衛総局、東欧留学を経て労働党中央員会組織指導部副部長、第1副部長、幹部部長、検関委員長、道党責任秘書などを歴任している。まさしく北朝鮮の権力の核心に長く身を置いていた。そして、叔父もまた、著者が脱北したあとも軍部にいて、金正日の側近として体制に忠誠を尽くしている。著者自身は、権力層家族のための平壌南山高等中学校と金正日総合大学英文科を卒業し、同大学の教員、外務省と海外公館の外交官として勤務していた。ですから権力上層部の動向が身近なものでもあったようです。
金正恩権が誕生して3年たったが、この政権を構成している核心権力エリートの大部分は依然として金日成と金正日によって育成され補充された人物たちである。
 基本的に先代の路線と政策の枠組みから抜けられずにいるのも、継承を通した正当性確保が世襲政権の生命であり、先代の遺産である既存統治システムと権力エリート構造が世襲政権の基礎になっている。
北朝鮮では、全住民を多くの階層に分類し、各個人に一定の成分を付与することで、入党と各種人事に活用している。
 1971年末までに全住民を3階層51部類に分類した。基本階層391万人、動揺階層315万人、敵対階層793万人。北朝鮮の半数以上が動揺階層と敵対階層に属している。
北朝鮮では、すべての住民が出身成分と社会成分の2種類の成分を付与される。出身成分は生まれたときに家庭が置かれた社会階級的関係によって区分される成分。つまり、本人が出生した当時の父母の成分を意味する。出身成分は、日帝時期や朝鮮戦争のような過去の身分と職業を反映したものが大部分である。社会成分は、主として現在の身分と関連したもので、本人が直接社会生活を始めたあとの職業と社会階級的関係によって規定される成分を意味する。すなわち、職業を基準としている。
 思想性の強調は出身成分の強調を意味し、思想性中心の幹部選抜は、結局、労働者階級出身中心の選抜を意味する。政治性中心の原則は、結局のところ一般的な幹部補充よりも政治エリート補充に目的を置いている、金正日時代に、北朝鮮の指導思想がマルクス・レーニン主義から金日成主義に転換された背景には、既存の指導思想と理念が、金正日の絶対的権威と金正日の後継体制構築に障害になるという判断によるとみられる。過去、権力層で金正日の権威と路線に挑戦したエリートは、ほとんどマルクス・レーニン主義の理念と党性で武装した理論家だった。いくらマルクス・レーニン主義理論に精通して能力を備えたとしても、忠誠心に問題があると判断された者は、幹部はおろか、北朝鮮社会で生きていくことさえ困難になった。
幹部対策の重要な原則の一つが、派閥形成遮断の原則である。人事担当者は、血縁、地縁、学縁、人縁などによって人事問題を処理できないよう、厳格な禁止事項が定められている。幹部政策として、学縁や学閥による補充も原則として排除された。金正日総合大学出身者が派閥を形成する可能性はまったくない。
「散れば生き、まとまれば死ぬ」。
北朝鮮が強調する専門性は、忠実性の別の表現であり、忠実性が欠如した専門性、金日成と金正日の路線に反する専門性は、幹部政策では絶対に許されない。
 密室政治を通じて、側近は金正日に自身の見解を表明する空間が与えられ、北朝鮮の政治に実質的影響力を確保することができた。
 金正日後継体制において、組織指導部は、4~5人の第1副部長と10人余りの副部長、300人ほどの職員で構成される巨大な組織に拡大した。ここは、金正日の直属部署として唯一指導体制確立の核心道具だった。側近の資格は、金正日の意図を事前に十分に把握し、それにあうように自己啓発をし、建議できる人にあること。側近になるには、飲酒と歌唱力、ユーモア感覚のようなパーティー文化に必要な資質や、最小限その雰囲気に適応できる融通性が求められた。このパーティー文化は、少なくない側近の寿命を縮めた。飲酒運転による死亡事故、過度の飲酒が原因の病気による早死などである。
 金正日政権下の北朝鮮の権力構造の特徴は、金正日が場・軍・政の各分野をタテの従属関係ではなく、ヨコの並列関係において、自分が直接政治する方式が定着したことにある。
側近といっても、絶対に油断も隙も見せられない。突然の左遷、そして粛清もありうる。
過去に党政治局が行っていた上層部での政策決定の役割を金正日時代には側近政治が代替した。
 張成沢にとって、党組織指導部との対立関係を解決できなかったのは、致命的な失敗だった。張成沢の電撃的で公開の粛清は、北朝鮮権力層とエリート、住民に金正恩を幼いと見くびり、もしくは金正恩の「権威」と指導に挑戦する者は、誰であれ容赦しないことを明確に示した恐怖政治の典型だった。
 北朝鮮トップに君臨しているエリートたちが氏名をあげて論じられています。実に具体的で、なるほどという分析が続きますので、430頁の本を一日で一心に読みふけってしまいました。北朝鮮に関心をもつ人々には一読を強くおすすめします。

(2016年9月刊。3000円+税)

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2017年4月 8日

絵でみるニッポン銭湯文化

社会

(霧山昴)
著者 笠原 五夫 、 出版  里文出版

私にとって銭湯とは、まず何より我が家にテレビのなかった小学生のころ、銭湯の経営者宅に上がり込んでテレビ(もちろん白黒です)を見せてもらっていたという記憶です。「ジャガーの眼」だったでしょうか。それとも「快傑ハリマオ」か・・・。私のような子どもたちで満員盛況でした。でも、銭湯を利用していない子どもは入場禁止になったような気がします。我が家にはテレビはなくても、風呂はあったのです。大学生のころには、寮生活と下宿生活をしていましたので、銭湯には、よく行きました。1回40円だったと思います。「神田川」の世界ですが、待ち合わせするような女性は残念ながらいませんでした。
銭湯が始まったのは江戸時代で、経営者には新潟、富山、石川の三県出身者が多かったとのことです。なぜ、この北陸三県に銭湯の経営者が多かったのでしょうか・・・。故郷の若者を呼び寄せ、チームを組んで苦労して湯水を確保していたようです。
今でも東京の銭湯の9割は、新潟、富山、石川の三県出身者が経営している。ホントでしょうか・・・。
富山県人(越中人)は、酒もタバコもやらずにひたすら働き、せっせと貯め込む、その勤勉ぶりは、新潟県人も驚くほど。県民意識が高く、人間関係が緊密。経済観念は北陸随一。
ところが、今や銭湯も絶滅危惧種。昭和43年(1968年。私が大学2年生のころ)に東京都内に2660軒あったのが、平成6年には1650軒になった。1000軒も減っている。利用客の減少、固定資産税の高負担などが原因。
この本によると、銭湯の料金は私が大学生のとき(1967年)に32円だったのが、大学を卒業した1972年には48円だったとのこと。たしかに、私の司法試験受験日記には40円を払って銭湯に入って、さっぱりしたという記述があります。
今では、その10倍近い460円になっています。
銭湯でなくても、日帰り温泉も安くなりました。日本人の風呂好きは昔からですが、これも高温多湿の気候条件を抜きにしては考えられません。
銭湯を残すのは社会的責務なのではないでしょうか・・・。
自らも銭湯を営みながら、昔をしのぶ絵を描いて、銭湯の歴史をたどった貴重な本です。
(2016年11月刊。2000円+税)

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2017年4月 9日

チア・ダン

社会


(霧山昴)
著者 円山 夢久 、 出版  KADOKAWA

映画は見ていませんが、感動のノンフィクションというオビのフレーズは本当です。
なにしろ、わずか3年で福井県の女子高校生たちがアメリカのチアダンス大会で優勝した実話を紹介しています。その苦労話が実に生き生きと紹介されていて、著者の筆力もたいしたものだと感嘆しました。
前に、このコーナーで長崎の女子高校のブラスバンド部の活躍ぶりを紹介しました。そのときは監督も自ら音楽を演奏していましたが、今回の教師は自分ではチアダンスの経験はないのです。有名コーチをひっぱってきて指導してもらい、チームを育てていきました。その苦労がすさまじいのです。生徒たちと大変な格闘をしていたことがよく分かる描写です。
なぜアメリカで日本の女子高生が優勝できたのか、それはチアダンスの特性による。
日本チームの強みは、なんといっても、チームワーク。振付の難易度は下げてでも、おたがいを尊重・強調して演技する。しっかいりそろった演技を一番の見どころにする。
先日、ネットで日本体育大学の学の集団行進を見せてもらいましたが、大集団が一糸乱れず、さまざまな形になって行進するのには、息もつけないほど感動しました。まさしくそれと同じなんですね・・・。
バレエやダンスなら、個人としての表現力が第一。しかし、チアは、ラインダンスで脚の高さをそろえるとか、全員で同じ動きをするために、必要なら自分を抑えるという協調性が第一の競技。
となると、そのチームワークをいかに築き上げるのか、ということになります。
もちろん技術力の高いコーチが必要ですが、それだけでは十分ではない。そこに監督の指導が求められるわけです。
監督の仕事は孤独である。生徒たちと同じ目標をもってはいても、決して仲間や友だちにはなれない。なーるほど、そうですよね・・・。
この福井商業高校のすごいところは、2009年に全米チアダンス選手権大会で優勝してから、2016年まで実に6回も優勝していること、そして2013年から2016年まで四連覇だというのです。これはすごいことですよね。全米の大会で一回だけ、奇跡が起こったというのではなく、毎年、新しい高校生を迎え入れながらレベルを落とさなかったというわけですから、たとえようもないくらいの賞賛に価します。
夢はかなう。大きな夢をもち、あきらめずに前進し続けば、夢がかなう。この信念を現実のものにした教師、それにこたえた生徒集団に心から声援の拍手を送ります。
ちなみに、このチアダンスのチームJETSを卒業した109人のほとんどがアメリカのステージで輝き、優勝を体験したとのこと。この109人の周囲にはそれを支えてくれる大勢の高校生、そして家族がいるわけです。これまたすごいことです。
こんな地道な努力が日本を支えているのだと思うと、胸が熱くなります。
(2017年1月刊。1400円+税)

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2017年4月10日

戦場に行く犬

犬・アメリカ

(霧山昴)
著者 マリア・グッダウェイジ 、 出版  晶文社

2011年、アメリカ軍の特殊部隊がパキスタンに潜んでいたウサマ・ビンラディンを暗殺しましたが、そのとき犬も参加していたことを初めて知りました。
この作戦を映画化した映画『ゼロ・ダーク・サーティ』は、私もみたのですが、うかつなことに犬がいたことに気がつきませんでした。「カイロ」という名前の軍用犬だったそうです。映画ではジャーマン・シェパードが出ているけれど、本当はベルジアン・マリノワなんだそうです。マリノワって、どんな犬なのでしょうか・・・。
いずれにしろ、アメリカ軍がイラクやアフガニスタンで軍事作戦をするときには大量の軍用犬も連れていきます。犬は、頼りになる「兵士」なのです。
軍用犬はハンドラー(人間)からほめられることだけが仕事のごほうびだ。それを楽しみに作戦に参加している。
アフガニスタンでもっとも殺傷能力が高い武器はIEDだ。そのため、犬にとってもっとも重要な感覚器が、かつてないほど頼りにされている。現代の軍用犬に一番多く課せられる任務は、爆発物の探知だ。数十種の爆弾を、犬なら嗅ぎわけることができる。アフガニスタンにいる軍用犬のほとんどは、パトロール兼爆発物探知犬だ。
軍で使用される犬は、柔軟性があり、無駄がなく、簡単に配置でき、必要とあれば素早く移動させることのできる兵器システムだ。
アフガニスタンに従軍した軍用犬が2010年に見つけた爆発物は5670キロ以上ある。
もちろん、多大の犠牲を払っています。2001年以降、17人のハンドラー兵士が戦死し、2005年以降には44頭の軍用犬が戦地で死亡した。
軍用犬は、かけがえのない存在である。軍用犬として採用される犬は、純血種でも登録種
でなくてもかまわない。大切なのは能力である。実のところ、純血種でないほうが元気であり、問題も生じにくい。
アメリカの軍用犬は、ヨーロッパ生まれが多い。買い付けチームは、1回のヨーロッパ出張で60~100頭の犬を買ってくる。アメリカには軍用犬の候補になりうる強い犬が少ないらしい。
犬は人間の仕草にとても敏感で、ほんの小さな動きでも、緊張を示す行動は見逃さない。
人間は困ったときには、声の周波数がわずかに上がる。ほかの人間が気がつかないことにも、犬は反応する。恐怖も心配も、哀しみさえも、犬は匂いとしてかぎとっている可能性がある。
犬のいらない、戦争しない平和な国際社会であってほしいものです。
ウサマ・ビンラディンをアメリカ軍が暗殺して、何かいい方向に変わったことがありましたか・・・。代わりの人物が、いくらでも出てくるだけですよね・・・。やっぱり武力に頼らず9条の力で平和共存するしかないのです。軍用犬の活躍なんて不要とする、そんな国際社会を目ざしましょう。
(2017年1月刊。2500円+税)
天神の映画館でオーストラリア映画「ライオン」をみました。心温まる、とても感動的ないい映画で、涙が止まりませんでした。忙しいなかに時間をつくり出して、来てよかったと思いました。
インドで5歳のときに突然、親から離ればなれになり、オーストラリアに養子としてもらわれた男の子が25年後に、グーグル・アースで探し出した生まれ故郷に戻って生母と再会するという実話を映画化したものです。
グーグル・アースは弁護士も活用している人は多いと思いますが、こんなことも出来るのですね。5歳の子役の愛らしさと賢さに脱帽でした。インドの広さも実感させられます。
 

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2017年4月11日

青春の柩

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 岡村 治信 、 出版  光人社

 あまりにも過酷な戦争体験記です。よくぞ戦後まで生きのびたものだと驚嘆せざるをえません。戦後は裁判官として活躍しました。
 この本で印象に残った言葉をいくつか紹介します。まずは艦長の言葉です。
 「主計長(著者のことです)は司法官だそうだね。そして一人息子か。ご両親は、きみのことを本当に心配しているだろうね。戦争が終わったら、立派な仕事につけるのは、うらやましい。せいぜい命を大切にするんだね」
これが海軍の将校(川井大佐)の言葉なのです。いかにも命が粗末に扱われる戦場(海域)での言葉ですから、重味があります。
 次は著者の言葉です。
 「いのちの家である『木曽』(著者の乗っている巡洋艦)は、いったい、いつここを脱出できるだろうか。なるものなら、ぶじに故国の土を踏みたい。そして、もう二度と、こんなラバウルになど来るものか、という、いわば厭戦的な気持ちなのである。こういう気持ちは開戦いらい抱いたことはなかったのに、こんどの作戦中だけは終始、ぬぐうことができなかった。なぜであるか、自分でも分からない。おそらく、戦中2年に近い海上生活に疲れたのだろう。そんな弱いことでどうするのだと、心に苛責を感じながらも、やはり生きたいのであろう。結局は、捨てきれぬ小さな命にひきずられて思い迷う自分なのである。
 そうだ、この現実がある以上、私はなお生き続けなければならない。この抜きがたい刻印が胸の中にいっぱいに醗酵しながら、私に厳然と命令する、お前は生き続けなければならない。絶対に彼らの様に負傷したり、死んだりしてはならないと」
 著者は駆遂艦「追風」の庶務主任、巡洋艦「木曽」の主計長として、いくつもの海上作戦に参加しました。南洋のウェーク島占領作戦、ラバウル・ソロモン海戦、ガダルカナル救援作戦、そして北方のアッツ島攻略作戦、キスカ撤収作戦などです。まさに歴戦の海軍将校でした。生きのびたのは不思議、奇跡としか言いようがありません。
 もともと軍艦における死傷の様の残酷なことは、陸戦の場合とは比較にならない。艦上は四周みな鉄であって、一個の爆弾の破裂によって、そのことごとくが、同時に、残酷、凶悪の化身となって飛散する。その断片、鉄片がひとたび人体に振れれば、たちまち肉を裂き、骨を砕き、文字どおりの肝脳地にまみれしめねばやまない。
 海軍主計中佐だった著者は、戦後裁判官になり、東京高裁の判事をつとめました。前に紹介した原田國男元判事の著書(『裁判の非情と人情』)に紹介されていたので、ネットで注文して読んだ本です。その記憶力のすごさにも感嘆させられます。相当詳しい日記をつけていたのでしょうね。

(昭和54年12月刊。980円+税)
金・土・日と桜の花が満開でした。例年より一週間ほど遅れましたが、ちょうど入学式に間にあって喜んだ家族も多かったと思います。わが家の庭のチューリップもようやく全開となりました。朝、雨戸を開けるのが楽しみです。赤や黄そして白など、その華やかさは心を浮きたたせます。ハナズオウの小さな豆粒のような紫色の花も咲きました。アイリスの花が出番を待っているのに気がつきました。春、本番です。

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2017年4月12日

プーチンの世界

ロシア


(霧山昴)
著者 フィオナ・ヒル・クリフォード・G・ガディ 、 出版  新潮社

 ロシアのプーチンとは何者なのか・・・。それが知りたくて読んでみました。この本は決してプーチン賛美のキワモノではありません。手ごたえ十分の本です。
 現代の著名人のなかで、プーチンはもっとも謎多き人物だ。プーチンの妻や子どもがメディアで紹介されることもないし、プーチンの個人資産も明らかにされていない。
 プーチンという人間を単純な言葉で説明したり、たった一つのレッテルを貼りつけたりできると考える人は間違っている。プーチンは非常に複雑な人間である。
プーチンが世界のほかの指導者ともっとも異なる点は、その個人的な経歴として諜報機関で訓練を受けたプロの工作員であるということにある。
 プーチンは、ソ連崩壊後に形成された現在の世界政治と安全保障秩序は、ロシアの「特別な役割」を否定するだけでなく、主権国家としての存続を脅かすほどロシアを不利な立場に置くものと考えている。そのため、プーチンは、現在の秩序を変えることを自らの責務としている。
 西側諸国の多くの人々はプーチンを見くびりすぎている。プーチンは目標実現のためなら、どれだけの時間や労力、汚い手段をも惜しまない人間だ。使える手段は何でも利用し、残酷になることもできる。
プーチンは戦士であり、サバイバリストである。決してあきらめないし、勝つためには汚い手も使う。だからプーチンの言葉は常に真剣に受けとめなければならない。
プーチンは嘘の約束や脅しはしない。プーチンが何かをすると言えば、いったん準備がととのったら、あらゆる手を尽くして、その実行方法を見つける。
国内・国外対策の両方において、相手よりも優位に立つことがプーチンの主たる戦術である。
プーチンがもっとも重視するのは経済だ。プーチンが大統領になってからの10年間に、ロシアは世界でもっとも急成長を遂げた国の一つになった。それは、石油と天然ガスの価格高騰によってもたらされた。この10年間にせっせと外資準備を築きあげたおかげで、ロシア国家とプーチンは、2008~2010年の世界金融危機を乗り切ることができた。
 プーチンは、側近たちを資産とみている。だから、プーチンのチームは常に少人数だ。人材を見つけ、側近グループへ勧誘し、その動きを管理する人物は自分だけ。それがプーチンの考えだ。プーチンの企業モデルは、少人数のグループの上に成り立つもの。
「株式会社ロシア」の上層部の人間関係は、すべてプーチンとの関係によって成り立っている。
 プーチンの源泉を知った気にさせる本格的なプーチン解説書です。


(2017年3月刊。3200円+税)

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2017年4月13日

邪馬台国時代のクニの都・吉野ヶ里遺跡

日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 七田 忠昭 、 出版  新泉社

 私は遠くから福岡に来た人には吉野ヶ里遺跡に行くようにいつも強くすすめています。青森の三内(さんない)丸山遺跡にも二度行きましたが、日本の古代国家をイメージするのには、なんといっても吉野ヶ里遺跡を抜きに語れません。行くたびに整備されていて、新しい発見があります。
この冊子は、その吉野ヶ里遺跡の意義を写真とともに分かりやすく解説してくれます。吉野ヶ里遺跡は、筑紫平野に位置します。佐賀市からは遠くありません。
 1989年2月に全国デビューを果たした。発掘が始まったのは1986年5月のこと。
 1988年9月、日本初の巴形(ともえがた)銅器の鋳型が発見された。
 1989年3月、朱塗りの甕棺から、類例まれな把頭飾付き有柄銅剣とあざやかに輝く青色のガラス管玉(くだだま)が発見された。これによって工業団地として造成がすすんでいた吉野ヶ里が遺跡として保全されることになった。売れるかどうかも分からない工業団地より遺跡として保全されたことを日本人の一人として素直に喜びたいと思います。
吉野ヶ里遺跡は、縄文時代そして弥生時代から始まる。そして、稲作を始めていた。
甕棺墓は、高さ1メートル以上の素焼きの巨大な土器を棺としている。大型は成人用、中型は女性と小児用、小型は乳幼児用。全帯で1300基の甕棺墓が確認されている。いくつかの家族の墓地が集まっているとみられる。
墳墓の副葬品からは、沖縄や奄美産の貝殻(イモガイ)製腕輪も発見されている。そして絹布(けんぷ)や大麻(たいま)布も見つかっていて、日本茜(あかね)や貝紫で染めたものもあった。つまり、袖のある華やかな衣装をまとった人がいたことを示している。
 300人分以上の人骨も出土していて、成人男性の平均身長は162.4センチと高身長。私は165センチですから、たしかに昔では高身長ですよね。高身長・高顔の渡来系人骨ということです。
甕棺のなかの人骨には、石鏃(せきぞく)。弓の矢先が突き刺さっていたり、頭骨のないもの、刃傷があるものなどもあり、その大半が戦いの犠牲者だと考えられる。
 女性の人骨は、左腕に11個、右腕に25個のイモガイ製の腕輪を装着していた。司祭者ではないか・・・。
 そして、吉野ヶ里遺跡から、銅鐸(どうたく)も発見されている。
 結局、邪馬台国時代に吉野ヶ里集落内で多くの人々が活発に生活していたことが証明されたのです。ということは、やっぱり邪馬台国は九州にあったということになりますよね・・。
 吉野ヶ里にまだ行っていないという人は、必ず一度は行くべきです。邪馬台国論争が加わりたいなら、まずは吉野ヶ里の遺跡に立ってみてください。奈良は、ずっとずっとあとなんですよ・・・。

(2017年13月刊。1600円+税)

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2017年4月14日

住友銀行 暗黒史

社会

(霧山昴)
著者 有森 隆 、 出版  さくら舎

こういう本を読むと、つくづく銀行なんかに就職しないで良かったなと思います。
ノルマ競争とか出世競争というのはどんな企業にもあることでしょうが、暴力団やアングラマネーの世界との深いつきあいまでいったら、類似しているのはゼネコンくらいでしょうか。
前に『住友銀行秘史』(國重惇史)を読みましたが、この本によると、住銀、イトマン事件の真相を巧妙に避けているというのです。そして、國重の本は「住友銀行は被害者だ」というトーンで貫かれているが、著者は住友銀行は被害者ではなく、事件の共同正犯だと断言しています。
住友銀行かイトマンに融資したお金のうち6000億円もの巨額の資金の行方は、今もって謎に包まれたまま。いや、6000億円プラス3000億円という、1兆円に近い巨費が闇に沈んだ。
住友銀行は不動産投資を名目にイトマンに多額の資金を投入した。イトマンを迂回して、このカネは伊藤寿永光、許永中、さらには暴力団関係者など闇の世界に消えた。暴力団に斬り込むのは、身の安全を考えると銀行員にとってもタブーだろうが・・・。
バブルの時代、東西に二人の経済ヤクザの巨頭がいた。東に石井進・稲川会二代目会長。西が宅見勝・山口組若頭。この二人の経済ヤクザと住友銀行をつなぐフィクサーは、東が佐藤茂・川崎定徳社長、西がイトマン事件の主役・伊藤寿永光だった。
磯田一郎は、1977年に住友銀行の頭取になり、1983年に会長就任。実に13年の長きにわたってトップとして君臨し、「磯田天皇」と呼ばれた。
土地は必ず値上がりするという「土地神話」のメカニズムが作動していた。住友銀行は、担保掛け目を80%にした。そして、どうしても融資したい案件には、100%にした。
1990年3月期の住友銀行の貸し出し金利息は1兆9300億円。第一勧銀の1兆9100億円、三菱の1兆7800億円、富士の1兆8100億を上回り、トップだった。
磯田流人事は、ナンバー2を切るということ。そして、「表のカード」と「裏のカード」とを使い分けた。自ら手を汚さず、ダーティーな役回りを担わせる「汚れ役」をいかにうまく使うか。
まさしく、すまじきものは宮仕えの世界ですね。
そして実力をもつに至った「裏カード」は、いずれ疎ましくなって放り出されてしまう。
仕手集団が狙うのは、創業者以外に頼れる人材のいない会社だ。
磯田一郎会長が辞意を表明したのは、1990年10月7日。その2日前に、住友銀行の青葉台支店長・山下彰則が出資法違反で東京地検特捜部に逮捕された。株の仕手集団・光進の小谷光浩代表への融資を不正な方法で斡旋したという容疑だった。
住友銀行、イトマンの経営者のほとんど全員が地上げや株上げで巨利をむさぼっていた。いわば、バブルの共犯者である。
1994年9月、住友銀行の取締役であり名古屋支店長だった畑中和文氏が自宅マンションの廊下で射殺された。真犯人は今に至るも捕まっていない。
この本は、最後に、日経新聞やNHK記者が当事者のように行動していたことを厳しく批判しています。安倍首相と高級飲食店で食事をともにしているジャーナリストがあまりに多くて、幻滅しています。権力や財界にかかえこまれることなく、距離を置いて、あくまで国民目線で報道してほしいものです。
たしかに、國重本よりも読みごたえがありました。
(2017年2月刊。1600円+税)

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2017年4月15日

シャクシャインの戦い

日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平山 裕人 、 出版  寿郎社

日本は単一民族ではない。アイヌ人が民族として存在しているというのは歴史的な事実だと私も思います。同じように琉球民族がいたという説もありますが、そちらには私は賛同できません。
そのアイヌ人が江戸幕府側からの迫害に抗して起ちあがったのが1669年のシャクシャインの戦いです。これを「乱」と呼ぶのは、「和人」の側に立つ論法だと私も思います。
アイヌ史上、三つの大きな戦いがある。コシャマインの戦い、シャクシャインの戦い、クナシリ・メナシの戦いである。
1600年が関ヶ原合戦の年ですよね。その1669年6月にシャクシャインの戦いが始まりました。首領のシャクシャインは1669年10月に松前藩によって騙し討ちされて殺害されましたが、戦い自体は3年のあいだ続いています。
このころ、松前は砂金を産出していて、日本中から砂金を求めて人がやってきていた。その数は3万人とも5万人とも言われた。アメリカの西部開拓時代のようなゴールドラッシュが17世紀の北海道にもあっていたのですね・・・。
シャクシャインの戦いのあと、松前藩士が商人に請け負わせ、請け負った商人がアイヌと交易する。藩士は商人から運上金をとるという形態がとられていた。交易の場所を「商場」(あきないば)とか請負場所と呼んでいた。
当時、北海道各地に居住していたアイヌの人々の生活は追い込まれていた。アイヌシモリに金掘りが入り、鷹師が入り、漁師が勝手に魚を獲り、交易は不当なものだった。それで、シャクシャインの呼びかけにアイヌ民族が広範に呼応し、松前藩を攻めた。
松前藩を滅ぼし、自由交易を復活させることが目的だった。しかし、現実には、アイヌ民族も松前藩も、互いを必要とする経済基盤をもっていたから、交易の仕組みが変わることはあっても、どちらかが滅びるしかないということにはならなかった。
シャクシャインの戦いを本格的に論じた貴重な本だと思いました。
(2016年12月刊。2500円+税)

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2017年4月16日

ぼくが発達障害だからできたこと

人間

(霧山昴)
著者 市川 拓司 、 出版  朝日新書

世の中には本当に多種多様な人がいるものだと、毎日、痛感しています。私も奇人変人の一人だと自覚していますが、それでも私なんかまだまだ可愛い存在にすぎません。
この本の著者は作家です。私は一冊も読んだことがありませんが、『いま、会いにゆきます』『そのときは彼によろしく』など、私もタイトルだけは聞いて知っています。
アスペルガーであり、ADHD(注意欠陥・多動性障害)をもっています。そんな人がベストセラーになる本を書いているのですから、世の中は不思議です。面白いです。
通常、発達障害者は自分自身について客観的に観察し洞察すること、つまり自己認知ができていないことが多いが、著者はそれを深くしている。きわめて珍しい。
マンツーマンでは会話ができても、三人以上になると会話が混乱して聞きとれなくなってしまうのがAD特有の会話の不得手さ。電話で人と話すこともできない。
ADの人は自分なりの特定の習慣や手順・順番に強いこだわりがあり、臨機応変な対応ができず、変更や変化を極度に嫌う。
また、自分の興味・関心のあること、とくに視覚的な情報を記憶することは得意だが、頭の中で想像することや予測することは苦手とする。
レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、アルバード、アインシュタインもADHDだった。
アーネスト・ヘミングウェイは典型的なADHD.宮沢賢治もADHD・アスペルガー障害を有していた。織田信長も坂本龍馬もADHDだった。
AD、自閉症、ともに遺伝的負因がきわめて強い。AD者は、通常の人より感性が豊かで、美味しいものや心地よい匂いや触感に非常に敏感だ。
この本を読んでいると、この人、とても変わっているよね、そう思われる人ほど、いえ、そんな人こそ、世の中の役に立つ、すごいことをやっているようです。
やっぱり、金子みすずの、みんな違って、みんないい、というのは真理ですね。
(2016年11月刊。780円+税)

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2017年4月17日

脳を最適化すれば能力は2倍になる

人間・脳


(霧山昴)
著者 樺沢 紫苑 、 出版  文響社

脳内物質を見きわめて、毎日、生き生きとしようと呼びかける本です。
絶対に24時間も戦い続けてはいけない。
これは本当にそうだと思います。会社のために過労死するなんて、ぜひやめましょう。
アドレナリンは、ピンチや危機を乗りこえるために重要な物資である反面、アドレナリンが分泌されすぎると、心臓がバクバクして極度な緊張に陥ったり、冷静さを失ったりと、よくないことも起きる。アドレナリンは、強力な味方でもあり、生命を脅かす敵でもある。
セロトニンが分泌されると、「今日も一日がんばるぞ」という気持ちになる。身体にも力がみなぎり、ハツラツとした気分になる。頭もスッキリしているので、すぐに仕事をスタートできる状態になる。セロトニンは、睡眠と覚醒をコントロールする脳内物質である。
カーテンを開けて寝ると、朝、スッキリと目が覚める。この、とても役立つ習慣は、セロトニンによってもたらされている。
私は、ホテルに泊まるときにも、窓はレースのカーテンのみにしておきます。外界の明るさを身体で感じられるようにするためです。
睡眠は「時間の長さ」ではなく、「熟睡感」があるかないかのほうが重要。朝、起きたときに、「ああ、ぐっすりと眠れた」と感じられたときには、それは睡眠の質と量が適切な証拠だ。
私も、この熟睡感を大切にしています。花粉症の季節だけは、思うようにいきませんが・・・。
熱い風呂に入るのもストレス発散によい。脳からエンドルフィンが分泌されるから。ただし、熱い風呂は心臓に負担をかけるから、ほどほどにする。
私も、どちらかというと熱めの風呂が好みです。
今の自分に満足し、現状維持で大丈夫と思ってしまうと、ドーパミンが出なくなり現状維持どころか、記録は悪くなり、人間としての成長がストップしてしまう。
脳はチャレンジを好む。チャレンジして、達成して、幸福になる。だから、常にチャレンジを続けなければいけない。
私は、このところ小説に挑戦していますし、毎朝、フランス語の上達を目ざしています。
ドーパミンは学習脳、フルアドレナリンは仕事脳、セロトニンは共感脳。
脳とうまく折り合いをつけて、楽しく充実した毎日を過ごしたいものです。
(2017年2月刊。1480円+税)

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2017年4月18日

ルポ・思想としての朝鮮籍

朝鮮

(霧山昴)
著者 中村 一成 、 出版  岩波書店

ネットをみていると、いまの安倍政権を批判している人に対して、「反日思想を抱いている連中は、日本から出ていけ」と簡単に言う人がいて、本当に悲しくなります。
日本という島には多種多様な人がいるのを許容できない心の狭い、哀れな人です。きっと、幼いころから、周囲の人に愛されて育ったという実感のないまま成人してしまったのでしょうね。気の毒ではありますが、そんな自分の狭い体験にもとづく間違った考えを他人に押しつけてはいけません。
日本に朝鮮人がなぜ存在するのか、それはアメリカ人が日本にいるのとは違った歴史的経過があるということを、きちんと認識すべきだと日本人の一人として、そう思います。私の父も、戦前、三井の労務係員として強引に朝鮮人を日本へ連れてきたということを私自身は忘れてはいけないと考えています。
高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範、という6人の「朝鮮籍」にこだわっている人たちに、その理由をインタビューしたものをまとめた本です。なるほど、歴史は個人のなかに生きていると思いました。
2015年末現在の朝鮮籍者は3万4千人ほど。在日外国人全体の1.5%。韓国籍者は、その13.5倍。特別永住者に占める朝鮮籍者の割合は1割弱でしかない。
日本共産党が戦後の短い期間に無謀な軍事路線をとっていたとき、山村工作隊の隊長だった人物もいます。そこへ、元党員のナベツネ(渡辺恒雄)が取材に来るのです。その結果が、ナベツネの特ダネ(スクープ)となったのでした。
「潜水艦や金属活版だって朝鮮人が初めてつくった。天文観測を初めてやったのも朝鮮人だ」
本当なのでしょうか、私は知りませんでした・・・。
祖国とは、第一に民族。南か北か、総連か民団か、とかではなくて、民族としてどうあるべきかを考えてほしい。若い人に対して、こう言ってきた。
なーるほど、そうですよね。私も同感です。
1955年ころ、在日朝鮮人の生活保護受給率は2割をこえていた。これは全体の10倍になる。このころ、多くの「在日」は「今日のメシ」が課題だった。今では、世界有数の超大金持ちになった孫氏も鳥栖の朝鮮人集落で生活していたようです。
済州島4.3事件を描いた『火山島』の著者である金石範は、こう語った。
「私は、あくまで統一祖国を求める。実現すれば、そこの国籍をとり、国民となる。ただし、そのとき私は、もはや民族主義者ではない。それ以降は、必要に応じて国籍を放棄するつもりでいる」
この本を読むと、戦前と戦後は連続していること、そして、それが今につながっていることを実感させられます。私にしても、50年前の日本がどうだったのか、そう問われたら、思い出せないはずはありません。それは大学1年生の私がいたわけです(現在、68歳)。そして、大学1年生の経験があって、今の私があるわけなのです。連続性があってあたりまえなのです。
大変重たい内容の本でした。ずっしり感があります。
(2017年1月刊。2000円+税)
日曜日、春の陽気に誘われて庭に出て畑仕事をしようとして長靴に足を入れると、ふにゃりとした感触。あれ、どうしたんだろうと、逆さまにすると、なんと死んだ若モグラが出てきました。先日、風が吹いて長靴が倒れていましたので、起こしたのですが、倒れていたあいだに地上に出てきたモグラがトンネルと間違えて入っていたようです。可哀想なことをしました。
チューリップはそろそろ終わりかけていて、アイリスが咲きだしました。これからジャーマンアイリスそしてクレマチスが咲きそうです。
紫色のシラーもあちこちに咲いてくれています。ウグイスの美声の下、アスパラガスを収穫しました。太さも十分で、少し甘味があって美味しいアスパラガスでした。春らんまんの午後を楽しみ英気を養いました。

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2017年4月19日

超一極集中社会アメリカの暴走

アメリカ

(霧山昴)
著者 小林 由美 、 出版  新潮社

アメリカの暴走は恐ろしい限りです。シリアへトマホーク・ミサイルを撃ち込みましたが、明らかに国際法に違反する犯罪行為です。ところが、日本のマスコミは問題にせず、シリア政府軍がサリンを使って子どもたちが死んでいる事態を看過できないと考えたというトランプの言い分だけを大きく報道しています。
仮にシリア政府軍が残虐行為をしていたとして、なぜアメリカ軍がミサイルを撃ち込んでいいのでしょうか。それだったら、北朝鮮が収容所内で自国民を虐待しているとして、平壌市内にアメリカ軍がミサイルを撃ち込んでもいいことになります。いくらなんでも、それはないでしょう。
なぜ、そんな暴走をアメリカはするのか。それは、アメリカの支配層が超大金持ちだけからなっていて、それをプア・ホワイト(貧乏な白人層)をふくめて多くのアメリカ人が他人事(ひとごと)のように相手し、支持しているからです。
アメリカの上位0.01%、1万6500世帯の平均年収は29億円。上位0.1%、16万世帯、60万人でみると6億円。上位1%、149万世帯は1億2600万円。残る99%の国民の所得は減り続ける一方である。むしろ、借金のシェアを増やしている。
アメリカのエリート大学に入る間は一段と狭くなっている。エリート大学に入るためには、家族ぐるみで、長年にわたって特別な努力が必要となる。ユダヤ人と中国人がそれをこなしている。エリート大学に入学するには、勉強が出来るだけではダメ。スポーツやボランティア活動そしてパーティ、さらには大学への寄付など、簡単ではない。
エリート大学の授業料は高い。スタンフォード大学は年に470万円で、このほか学生寮に入ると、700万円はかかる。卒業までに3000万円を要する。
アメリカでは、授業料の高さは、大学の質の高さと考えている人が多い。いやな国ですね。ヨーロッパを見習ってほしいです。
アメリカでは、大学に進学する人の60%以上が学生ローンを利用している。この負債は学生が自己破産しても免責されず、債務が消えることはない。
アメリカの製造業が回復しているのは、シェールオイルやシェールガスの発掘が急増し、石油製品の製造も増えているため。
ヘッジファンドは運用資金の2%を手数料としてもらうほか、別に運用益の20%を成功報酬としてもらう。したがって、ヘッジファンドに投資すると、1年目には元金が減っている可能性が高い。
金融機関の多くは、預金者や事業者、経済、社会に対するサービスには関心がない、また、それを犠牲にしてまでも自らの利益追求に走っている。
今では資本市場は、資金をもつ人たちのカジノと言うのが実態に近い。したがって、「投資ファンド」ではなく、正直に「浪費ファンド」とか「ウォール街雇用ファンド」、「分の悪いギャンブルファンド」という実態を反映した名称で呼ぶべきだ。
グーグルはメールを全部保存していて、コンピューターで、読みとって、さまざまな情報を抜き出し、分析して、ターゲット広告に利用したり、データとして販売している。
グーグルの売上7兆5000億円(2015年)の大半は、データを活用した広告宣伝収入と、データを販売した売上収入である。
フェイスブックは情報資産が1兆8000億円の売上収入をもたらした。
データ量がこれだけ膨大になり、そのデータの販売がビックビジネスになったのは過去10年内のこと。
世界のインターネット広告は15兆1600億円で、グーグルは44%、フェイスブックは8.5%、バイドウは5.8%。この3社をあわせると、6割近い58.3%のシェアを占める。
この本は、ネット情報を売り物にしている企業が巨大な利益をあげていますが、ネットで情報をじっとみていても考える力はつかないと警告しています。たしかに、というか、なるほど、そうだろうなと私は思いました。
事実に即した、大変に迫力のある本でした。ぜひ、ご一読ください。
(2017年3月刊。1500円+税)

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2017年4月20日

安倍三代

社会

(霧山昴)
著者 青木 理 、 出版  朝日新聞出版

安倍首相の国会答弁のひどさは、一言でまとめると、えげつないということになります。国民に対して、論争点を誠実に説明しようという気がまるでありません。そのくせ口先では説明責任を丁寧に尽くしたいとは言うのですから、救いようがありません。
どうして、こんなに不誠実を絵に描いたような首相の支持率が5割をこえているのか、世の中の七不思議のトップに来ます。
この本は、安倍首相がどういう育ちなのか、いつからそうなのかに迫って、解明しようとしています。
安倍首相には受験戦争の経験がまったくない。成蹊学園の小学校に入り、中学、高校、大学までの16年間を過ごした。そして、同じ学年やクラスを一緒にした人、そして教える側の教員にまったく印象を残していない。
可もなく不可もなく、どこまでも凡庸で、なんの変哲もない、おぼっちゃま。
ごくごく普通の「いい子」だった。成績が悪かったわけではないが、決して優秀でもなかった。東大は無理だったし、早稲田や慶応も恐らく無理だったろう・・・。
アーチェリー部に入っていたか、とくにいい成績もあげていない。アメリカに行ったけれど、その実態は語学留学に毛のはえた程度にすぎない。
若き日の晋三は、16年も籍を置いていた学び舎で何かを深く学んだという形跡がまったくない。少なくとも、何かを深く学んだと教員や周囲の人間から認識されていない。何かを学んだという印象すら残していない。特筆すべきエピソードがない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。善でもなければ、強烈な悪でもない。
母方の祖父である岸信介には溺愛された。では父の晋太郎はどういう政治家だったか。
晋太郎は、タカ派の系譜を継ぎつつも、実際には、平和憲法擁護論者だった。
晋太郎には戦争体験があった。特攻を志願し、もう少し戦争が長引いていたら、生命がなかったかもしれなかった。
晋太郎には、必死で地盤を耕したことに由来する目線の低さ、なによりも絶妙のバランス感覚があった。特攻に散る寸前だった戦争体験は、晋太郎の基底に強固な反戦意識を形づくっていた。晋太郎は東京帝国大学法学部に入学したものの、学徒出陣で海軍の滋賀航空隊に徴兵された。
さらに晋三の祖父・安倍寛はどうか。
安倍寛は戦前、東京帝大法学部を卒業し、村長を経て衆議院議員に当選している。
それも、大政翼賛会の推薦ではなくて無所属として・・・。安倍寛は、貧富の格差を憤り、失業者対策の必要性を訴えた。ええっ、これって無産政党の主張と同じではありませんか・・・。
安倍寛は、村長をつとめていた日置村では98%もの票を独占した。特高警察の干渉にもめげず、1942年にも2度目の当選を勝ちとった。
安倍寛は、大政翼賛会に反対し、裸一貫で東条英機に反対した。ところが、安倍寛は惜しいことに戦後、1946年に51歳で病死してしまった。
安倍家三代で、今の晋三は、祖父にも父にも似ていないことがよく分かる本です。
恐らく晋三には強烈な学歴コンプレックスがあるのでしょう。それを見せないためにも強がりを言い通すしかないのです。でも、それで迷惑を蒙る国民は、たまったものではありません。安倍家の三代をよくぞ調べあげたものだと思います。
決してキワモノ、決めつけ本ではありません。ご一読をおすすめします。
(2017年4月刊。1600円+税)

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2017年4月21日

また、桜の国で

ヨーロッパ(ポーランド)


(霧山昴)
著者 須賀 しのぶ 、 出版  祥伝社

第二次大戦前のヨーロッパが舞台です。
ナチス・ドイツが台頭しつつあり、戦争に向けて緊迫した状況が生まれています。
ヒトラーがイギリスのチェンバレン首相と笑顔で握手します。チェンバレン首相が見事にだまされたわけです。
ポーランド人の父と日本人の母のあいだに生まれた青年が、外交官としてワルシャワの日本大使館で働くようになります。
第二次大戦のとき、ポーランド人の戦災孤児56人が日本へやってきて、日本は温かく彼らを迎え入れ、育てて本国へ送り返したということもありました。私は、ワルシャワ蜂起について日本人の書いた本で、そのことを知りました。この本にも、その親日ポーランド人青年が登場し、活躍します。
ポーランドの孤児たちは4歳から12歳までだったので、たちまち日本語を習得した。そうなんですよね。子どもの頭の柔らかさは、万国共通、まったく変わりません。私の孫の一人も、いま、日本語と韓国語を上手に使い分けて育ちつつあります。大人には、とても出来ない芸当です。
1939年10月1日、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ワルシャワを占領した。ポーランド軍が降伏したのは9月28日だった。
ワルシャワにある日本大使館に所属する外交官として、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して、いかに対処するか、難しい決断が迫られます。同じころ、「センポ・スギハラ」は勇気ある決断をして、いま高く賞賛されています。
ワルシャワ市民がナチス・ドイツ軍に抗して蜂起して立ちあがります。しかし、その結果は無惨なものでした。スターリンが意図的に見殺しにしたのです。
歴史をふまえて、人物がよく描かれている小説だと思いました。ワルシャワ蜂起の実情については、このコーナーで何冊か紹介していますが、その素材をもとに想像力で補ってストーリーをつくりあげる著者の筆力たるや、たいしたものです。さすがは直木賞候補作だと思いました。
(2016年10月刊。1850円+税)

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2017年4月22日

わたしは、こうして執事になった

イギリス


(霧山昴)
著者 ロジー・ハリソン 、 出版  白水社

『おだまり、ローズ』というイギリスの貴族にメイドとして仕えていた女性の回想記を前に紹介したと思いますが、同じ著者が同業の執事たちの話をまとめた本です。イギリスの貴族たちの日常生活を垣間見ることができる点という点で面白い内容です。
貴族は、朝は使用人が運んでくる紅茶をベッドの中で飲み、着替えやヒゲソリさえも使用人の助けを借りる。
華やかなディナー・パーティーでは、すべての参加者は会話を絶やしてはいけない。右側に座っている人とひととおり会話をしたら、ころあいを見はからって左の人とも会話をしなくてはいけないのだが、そのタイミングはなかなか難しい。
これって、貴族じゃなくても日本の食事会でも共通する課題ですよね・・・。
食事が終わると、女主人は食卓を囲んでいる女性たちに視線を送り、女性は全員すっと立って食堂から応接間に移る。言葉を使わず、目線だけで退場のメッセージを送り、女性の客も、「そろそろだな」と思うと、女主人を注目しなければいけない。残った男性たちは、ポートの瓶を回し、政治や「淑女には聞かせられない」話をひとしきりしてから、応接間に向かう。こうしたしきたりを知らない客は恥をかくことになる。
夜食つきのパーティーが開かれるときには、使用人は午前2時前にベッドに入れる見込みはまったくなく、朝は遅くとも7時には起きなくてはならない。
イギリスのご婦人は、旦那様はしょっちゅう替えるけれど、執事は絶対に替えない。
金持ちや貴族のモラルを批判する世の人々は、彼らが常に誘惑にさらされていることを忘れている。ストレスを受けて心が乱れた雇い主は、ときに立場を忘れ、身近に仕える使用人の意見や助言を求めることがある。しかし、従僕にとって、見ざる、聞かざる、言わざるが一番よいこと。
秘密を守れない人物とみなされた従僕は、どこでも雇ってもらえない。
上の人も、下の人も、それぞれ苦労は尽きないということのようです。
(2016年12月刊。2600円+税)

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2017年4月23日

みつばち高校生

生物(ハチ)


(霧山昴)
著者 森山 あみ 、 出版  リンデン舎

長野県富士見高校には全国でも珍しい「養蜂部」がある。そこで飼っているハチは外来種の西洋ミツバチではなく、日本在来種の日本ミツバチ。
そして、創立以来3年目にして全国大会で優勝したのでした。快挙というほかありません。
全国大会というのは、日本学校農業クラブ全国大会です。いわば農業甲子園なのです。そこで発表した報告のタイトルは、「ニホンミツバチで笑顔広がるまちづくり」です。
富士見高校は、長野県の諏訪地方にある、全校生徒300人という小さな高校です。
ミツバチは、女王蜂を中心とした集団生活を営んでいる。春から夏にかけて群れの中に働き蜂が増え、巣が手狭になると、女王蜂は次に女王となる卵を産む。そして、これが孵化する少し前に、半分の働き蜂を連れて別の場所へ飛び去る。これがミツバチの巣分かれ、分蜂(ぶんほう)である。養蜂家は、分蜂した群れを捕まえて、群れを増やす。
もし、地球上からハチがいなくなると、人類は4年以上は生きていけない。世界の農産物の3分の1が昆虫による受粉によって成り立っている。そして、昆虫の8割をミツバチが占めている。
日本ミツバチは、昔から日本に生息する在来種。気性はおとなしく、寒さや病気に強い反面、巣の環境が気に入らないと、集団で逃げてしまう。これを逃去(とうきょ)という。
日本ミツバチは、人間が家畜として飼いならすことはできない。そして、日本ミツバチは西洋ミツバチと違って売られていない。
日本ミツバチの群れには8千から1万匹のハチがいる。働き蜂の寿命は、およそ4週間。
日本ミツバチから蜜をとるのは年に1回だけ。西洋ミツバチのようにたくさんはとれない。
一匹のミツバチが一生かかって集められる蜜の量は、ティースプーン1杯ほどでしかない。
農業甲子園に出場し、優勝の栄冠を見事勝ちとるまでの苦難の日々がよく紹介されています。ブラスバンド、チアダンスそして養蜂と、日本の高校生も捨てたものではありません。そして、指導した教師の粘り強さにも頭が下がります。心から拍手を贈りたいと思います。
(2016年3月刊。1500円+税)

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2017年4月24日

人生を変えてくれたペンギン

生物

(霧山昴)
著者 トム・ミッチェル  、 出版  ハーパーコリンズジャパン

イギリスの若き教師がアルゼンチンンの海で油まみれのペンギンを救い出し、それからずっと一緒だったという実話です。
ペンギンって、実に可愛いらしい動物ですよね。パンダに似てるところがあります。白と黒のツートンカラーで、愛らしいところなんて・・・。
この40年間に、ペンギンは大幅に減っている。場所によっては、80%以上も減少している。その原因は、海洋汚染、漁業といった人間の活動が原因だ。かつて人間はタンカーから廃油を大量に海へ投棄していた。そして、タンカーの座礁事故も頻発していた。
ペンギンは人間より尾骨がたくさんあるので、その上に座ることができる。
脚の骨の大部分は体の中に隠されていて、体のすぐ下に踵(かかと)がある。ペンギンの足が冷たくならないのは、主として、このため。
マゼランペンギンは、一夫一婦制で、終生連れ添う。
水に入ると、ペンギンは華麗な変身を遂げる。水面を泳いでいるときは、頭と尻尾だけを水の上に出して、まるで泳ぎに自信のないアヒルのよう。だが、いったん水に潜ると、まず右に出るものはいない。水中では優雅で巧みな動きを見せる。
重油まみれのペンギンを洗い流すために、バターとマーガリン、オリーブオイルに食用油、せっけんにシャンプー、中性洗剤を集めた。
ペンギンは洗われるとき、ものすごく怒り、抵抗した。しかし、洗剤を洗い流していたとき、突然、その抵抗をやめた。そして、べっとりした重油を洗い流していることを理解したようだった。ところが、ペンギンの羽には防水効果がなくなり、海に戻ることが出来なくなった。
なーるほど、海中でべっとり濡れてしまえば、さすがのペンギンだって海で生きてはいけないのです。
そこで、どうしたか。ペンギンは助けてくれた若い教師のあとを、ずっとついていくことにしたのです。著者は、なぜペンギンがずっとついてきたのか、その後も長いあいだ不思議に思っていました。すると、ペンギンは群れで生きる動物なので、一頭だけでは生きていけないのです。そこで、著者を仲間とみなして、ずっとついていったというわけです。
そして、結局は、著者のつとめる学校にまでやってきて、生徒たちの人気者になったのでした。名前までつけられています。ファン・サルバドといいます。
頭がよくて、人なつっこい性格だったので、みんなから好かれて幸せな「人生」を過ごしたようです。
ファン・サルバドには手がかかった。エサと水を与え、運動させ、遊び相手をしなければならなかった。学校では、生徒たちがしてくれた。ファン・サルバドは、週に3~4キロの魚(スプラット)を食べた。これはビール1本程度で買えた。
ファン・ダルバドは、きわだった個性で周囲の人を虜(とりこ)にした。聞き上手なうえ、頭や目の動きで受けこたえして、相手を会話に引き込んだ。
これから動物の行動に関する研究がすすんだら、動物たちには、人間が考えているよりはるかに高度な伝達能力があり、仲間同士あるいは人間と十分に意思疎通ができることが判明するに違いない。
ファン・サルバドは著者の旅行中に不慮の事故で死んでしまいました。
ファン・サルバドが残してくれたのは、希望という贈り物だった。
40年も前のアルゼンチンでのペンギンとの出会いと、ともに過ごした日々を楽しく思い出している本ですが、ペンギンのかしこさと愛らしさ、包容力の豊かさが伝わってきて、ほわんほわんと胸が、温かく熱くなってきます。いい本です。
(2017年1月刊。1500円+税)

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2017年4月25日

ルポ・トランプ王国

アメリカ

(霧山昴)
著者 金成 隆一 、 出版  岩波新書

ヒラリー・クリントンが支配階級の一員だとして、アメリカ国民の庶民層からひどく嫌われていたことが、この本を読んでも、よく分かります。社会民主主義者を自称するサンダースが善戦したのも、そのためですよね。
それでも票数ではヒラリー・クリントンのほうがトランプを上回ったわけですが、これまで民主党を応援してきたブルーワーカー(労働者層)がトランプに幻想にとらわれて熱い期待をもっていたこともよく分かる本です。
自分たちはアメリカの特権階級から見捨てられた。ヒラリーは特権階級の一員だ。ところが、トランプは大金持ちだけど、特権階級の一員ではない。自分たちのやってやると言っている。それなら、トランプに賭けてみよう。そんな幻想に飛びついていったアメリカ人(とくに白人層に)が多かったようです。
「トランプを支持するのは、社会保障を削減しないと言ったからだ。選挙の前だけキスして、当選したら大口献金者の言いなりになる政治家(ヒラリーを指す)は信用できない」
「アメリカには不満をためこんだ人が多い。トランプにはカネがあり、普通の政治家と違って、特定の業界団体の献金をアテにせず、言いたいことを自由に言える。しかも、その声がでかい」
「昔は、民主党は勤労者を世話する政党だった。ところが、10年以上前から、民主党は勤労者から集めたカネを、本当は働けるのに働こうとしない連中に配る政党に変わっていった。勘定を労働者階級に払わせる政党になっていった」
「トランプはカネも豪邸も飛行機もゴルフ場も持っている。これ以上稼いでも意味がないから、愛国心からひと仕事をしようとしている」
クリントンは、金持ちの支持者を前にして、トランプの支持者の半数は、みじめな連中の集まりだと言ってしまった。そして、自分が「みじめな」状況にあると思いっている人々を敵にまわした。
クリントンには、エリート、傲慢、カネに汚いとのイメージが定着し、トランプは既得権を無視して庶民を代弁できるという期待が高まった。これこそ、まったくの幻想ですよね・・・。
トランプは、クリントンは「現状維持」、自分は「変化」の象徴だと一貫して主張した。「変化」ってオバマの「チェンジ」ですね。
トランプは選挙中も、そして大統領になってからも、平然とウソを繰り返している。事実が何であるかのこだわりも見せない。
これって怖いですよね。国の指導者が平気でウソを口にして、国内の隅々にまでウソが浸透してしまったら、国の行方を間違えてしまいます。アメリカ国民が一刻も早く間違った大統領を選んでしまったことに気がついて、違う選択をすることを心より願っています。先制攻撃なんて恐ろしすぎます・・・。
(2017年2月刊。860円+税)

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2017年4月26日

現代日本の官僚制

社会

(霧山昴)
著者 曽我 謙悟 、 出版  東京大学出版会

現代日本の官僚制において、政治任用や権限委譲の制限といった統制の程度は低い。これは、官僚制の側が戦略的に政治介入を防御している結果である。
現代日本の官僚制は、統治の質は高いが、その代表性はきわめて低い。世界的にみて、これは特異な状態である。この特異な姿は、政治介入の可能性に対して、あくまで政策形成者としての能力に特化することで介入の実現を防ごうとしてきたことの帰結である。
しかし、代表性が弱いことは、官僚制に対する人々の信頼の低さの一つの要因と考えられる。ここでいう代表性とは何なのか・・・。女性比率が高いほど、代表性は高いと考えておく、という文章があるように、女性や民族・宗教的代表性のことを指しているようです。
今日でも、女性の公務員はあまりに少ないように思われます。
「私人」のはずの昭恵夫人の付き人として国家公務員が5人(全員が女性)も存在していたとは驚き以外の何者でもありません。そして、彼女らは、なんと昭恵夫人と同じようにハチマキ姿で自民党の候補者の応援運動を街頭で公然としていたのです。私もネットで流れている写真を見ましたので間違いありません。明らかに国家公務員法違反です。これが革新候補の応援だったら警察が有無を言わさず逮捕して、自宅のガサ入れ、そして長期拘留になったはずです・・・。政権与党なら、何をやっても許されるというのであれば、日本は法治国家とは言えなくなります。
この本を読んでいて違和感があるのは、私にはまるで理解不能の数式が何回も登場してくることです。その解説が「自然言語」で説明されていますが、これまた私にはさっぱり理解できません。一般向けの本(と、私は思って買って読みました)に、なぜ数式が頻出するのか、これこそ学者の自己満足ではないのか・・・、そんな不満を覚えてしまいました。
日本男官僚制の実態の分析、そして問題点を指摘し、その改善に向けた処方箋を期待して私は読みすすめたのですが・・・。
内閣府の職員数は1200人から1300人。併任者が増えていて、この15年間で3倍、500人となっている。内閣府がより恒常的な政策の運営を所管している。

内閣官房には、職員、常駐の併任者、非常駐の併任者が、ほぼ同数の1000人ほど存在する(ということは3000人いる・・・)。
内閣官房は、今や新規立法活動の中心にある。この15年間で合計80の新規立法に関わり、第2位の国交省の60強、第3位の総務省の60弱とは大きな差をつけている。
内閣官房の比重の増大は、財務省や経財省の機能と併存している可能性が強い。
官僚になってもいいかなと一時的に漠然と考えたこともある私ですので、日本の官僚制と長所と短所について自然言語で諸外国と比較してほしいと思いました。労作ですが、難解すぎて、いささか不満を覚えてしまいました。
(2016年12月刊。3800円+税)

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2017年4月27日

貧困クライシス

社会


(霧山昴)
著者 藤田 孝典 、 出版  毎日新聞出版

日本で貧困が広がり続けている。それも驚くほど速いスピードで。あなたも、気がついたら、身近に迫っていて、身動きできなくなっているかもしれない・・・。恐ろしいことです。
子どもの貧困は見た目では分からない。自分は誰にも大事にされていない。存在があってないようなものだと感じる。そんな子どもたちが日本各地にひっそりと生活している。
健康で文化的、そして人間らしい生活ができない。相対的貧困が拡大している。
私が大学生だったころ、つまり50年も前に、絶対的貧困と相対的貧困の違い、そして、今、どちらも進行しているのではないかという議論をしていました。この議論が50年後の現代日本にも依然として生きているというわけです・・・。
民間企業で働く人の平均年間給与は、1997年に467万円だったのが、2015年度には420万円と、50万円近くも下がっている。
公務員バッシングをして、自分たちの公共サービスを削減している。市民が自身の生活に深い関係のある公務員労働者を減らし、自分自身を、より厳しい状態に追い込んでいる。日本では、現在の公務員労働者の数は、すでに異常なほど少ない。
非正規雇用は、正規に比べて糖尿病合併症のリスクが1.5倍も高い。そして、教育年数が短い低所得の高齢者ほど、要介護リスクも大きい。経済力によって、病気のリスクや寿命に格差が生じる。
所得が低いほど食生活や健康に費用や時間を割けず、栄養状態も不良で、その結果、健康を損なう確率が高い。これでは自己責任だとは言えない。
まだ下流に落ち込んではいないと、少なくとも自分では思っている層が、下流を警戒し、憎むという構図になっている。
介護保険も生活保護も、申請主義である。なので、人様(ひとさま)には迷惑をかけられない、かけたくないという人は、手を伸ばしにくい。
日本とイギリスではホームレスの定義が異なっていて、イギリスの定義によれば、今の日本には膨大な人々がホームレスになっている。ネットカフェ難民は、立派なホームレスなのだ。
65歳以上の高齢者が刑務所に入るのが、この20年間ほぼ一貫して増加している。2014年は、1995年と比べて総数で4.6倍に、女子では実に16倍に激増した。女子の場合、罪名の9割が窃盗、うち8割が万引。
著者は、プライドを捨て、「受援力」をもというと呼びかけています。大切な呼びかけです。
そして生活保護は「相談に来ました」ではなく、はっきり「申請します」と言うことだとアドバイスしています。必要なことです。
社会のみんなで困っている人を温かく支えあう。それが社会の正しいあり方ですし、正しい税金のつかい方なのです。遠慮することなんかありません。
歯切れのいい新書です。一読をおすすめします。
(2017年3月刊。900円+税)
パキスタン映画『娘よ』を東京の岩波ホールでみてきました。先輩の藤本斉弁護士と、ばったり顔をあわせて驚きました。
パキスタンの山奥には多くの部族が割拠し、対立、抗争、復讐の連鎖による殺人が絶えない。女の子たちは15歳で親の言いなりに政略結婚させられる。しかし、王子様との結婚を夢見るばかりの可愛い我が娘を、敵対する老部族長の嫁に差し出すなんて耐えられない。母親は娘を連れて村を飛び出す。
この映画の主役の母親と娘の美しさと気高さには思わず圧倒されてしまいます。そして、行きかかりで母と娘の逃避行を助けるトラック運転手役の男優も格好いい限りでした。パキスタンの困難な状況の下でも、女性が活躍を切り拓いているからこそ、こんな素晴らしい映画が出来たのでしょう。

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2017年4月28日

張作霖

中国

(霧山昴)
著者 杉山 祐之 、 出版  白水社

満州某重大事件とも呼ばれる日本軍による張作霖爆殺(暗殺)事件までの経緯が刻明にたどられている本です。
張作霖というと、なんとなく馬賊の頭目というイメージですが、この本を読むとなかなかの人物だったようです。中国の政争、派閥抗争史としても興味深く読みましたが、著者の筆力はたいしたものだと感嘆しました。読み物としても面白いのです。
ちなみに、最近の日本の「ネトウヨ」一味のなかに、張作霖暗殺はコミンテルンによるものだという人がいるようです。昭和天皇が、この事件の報告をめぐって田中義一首相を嫌って退陣に追い込んだ事実が明らかとなっている今日、あまりにナンセンスな説であり、ネトウヨの知的レベルの低さをあらわしているだけだと思います。
張作霖爆殺事件は1928年6月に起きたが、この事件は、日本敗戦に至る亡国の軌跡への決定的な分岐点だった。
張作霖は、1875年3月、奉天近くの農村で、雑貨店主の三男として生まれた。父親は博徒でもあった。張作霖は、13歳のころ、3ヶ月間だけ教育を受けた。要するに、張作霖は正規の教育は受けていないのです。ところが、軍の近代化など教育には熱心でした。単なる馬賊ではなかったのです。
張作霖の14歳のころ、父親は殺され、そのあと一家は生活に苦労したようです。
張作霖は、獣医を始めた。馬の治療が出来たということです。
張作霖は、誰にでも、好かれる面をもっていると同時に、激しい衝動、人を凍りつかせる冷酷さももちあわせていた。張作霖は小柄で、身長162センチだった。
張作霖が匪賊に加わったのは1897年春ころの2ヶ月間のみ。人質の見張り役をしていた。22歳のころということになります。
張作霖は、人を見きわめ、信じ、用い、報いた。徹頭徹尾、人を生かした。いろんな事業に力を入れ、稼いだお金は部下にばらまいた。
袁世凱の下に張作霖は入り、38歳の若さで中将位の師団長となった。奉天最大の武人であった。張作霖は、日本との対立を慎重に避けた。張作霖は、44歳にして名実ともに「東北王」になった。
日本政府は、張作霖を完全には信用しなかった。張作霖は、日本の支援を得たいとき、困ったときには、日本との協力を口にする。だが、張作霖は、満州で日本が権益を拡大しようとすると、表面では笑顔を見せながら、のらりくらりと、裏では頑強に抵抗した。満州では、外国人への土地家屋貸借を禁じる条例が次々に施行されていった。
張作霖にすれば、何かと口実を設けて権益を拡大しようとする日本にフリーハンドを与えるわけにはいかない。中国では親日的であることが「売国」行為と見なされつつあった。義俠を誇る張作霖にとって、中国人から売国奴呼ばわりされることは耐えられない屈辱である。
張作霖は、若いころから、ためらうことなく新兵器を採用した。機関銃を導入し、迫撃砲を外国から買いいれた。
ソ連と国境を接し、その力や冷酷さ、詐謀を目にしてきた張作霖は、ソ連と共産党を恐れ、心底から嫌っていた。
1927年6月、張作霖は北京で大元師となった。国家元首である。
張作霖暗殺のシナリオは、張作霖を殺し、治安が乱れたところで関東軍を出動させ、一気に満州を制圧するというものだった。日本の朝鮮軍から呼び集められた工兵隊が橋脚の上部に200キロの黄色爆薬を仕掛けた。張作霖の乗っていた車両は吹き飛ばされ原形をとどめていなかった。張作霖は10メートルも飛んでいたが、まだ生きてはいた。亡くなったのは4時間後だった。起爆スイッチを入れたのは、鉄橋から300メートル離れた監視所にいた独立守備隊の東宮(とうみや)鉄男(かねお)大尉だった。亡くなったとき、張作霖は53歳だった。日本軍は爆破「犯人」として中国人3人を捕まえようとして2人を殺したが1人に逃げられた。この3人は日本軍に騙されたカムフラージュ用の浮浪者だった。逃げた1人は、張学良のもとに駆け込んで、すべてを話した。
張作霖を抹殺すれば満州問題は解決するというのは河本大佐らの甘い期待は、妄想でしかなかった。
日本政府は、日本軍の手による暗殺事件だと判明しても、それを発表することは出来なかった。国際社会からの批判を恐れて、満州某重大事件として、あいまいにしてしまった。
やはり、正すべきときに正しておかないと、あとで大変なことになるというわけです。
今の「森友学園事件」だって、権力行使の事実を明らかにすることが何より大切なことで、うやむやにしてはいけないということです。
大変な力作ですので、戦前の満州に関心のある人は強くご一読をおすすめします。
(2017年4月刊。2600円+税)

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2017年4月29日

証言・北方領土交渉

社会

(霧山昴)
著者 本田 良一 、 出版  中央公論新社

この本を読むと、日本がソ連そしてロシアから北方領土を取り戻すのに大きな障害となっているのはアメリカであり、その意向を受けて常に動く日本の外務省だということがよく分かります。
アメリカは、北方領土に続いて沖縄を返せとなるのが嫌なのです。それは、沖縄の施政権が日本に戻ってからも変わりません。大量の米軍の基地があるからです。
アメリカにとって、沖縄の米軍基地を維持するのは至上命題。
「ソ連が千島列島の重要な部分を放棄するような事態が起きれば、アメリカは直ちに沖縄の施政権返還を求め日本からの強い圧力を受けることになる」「アメリカにとっての沖縄は、ソ連にとっての千島列島よりも、もっと価値がある。このため、沖縄でのアメリカの立場を危険にさらしてはいけない」
これはダレス国務長官の言葉です(1955年3月、4月)。
そこで、日本の外務省は、アメリカの意を受けて、2島平還で日本がソ連と平和条約を締結しようとしていたのを、「4島一括返還」にこだわる口実で、つぶしてしまった。その後も外務省は4島一括返還にこだわり続け、2島返還という「柔軟」路線をつぶした。
それは、共産党へニセ情報を流したり、鈴木宗男議員の逮捕につながっていた。
4島一括返還にこだわるより、当面は2島返還を先行させたほうがいいのではないか、主権も共同主権のようなあいまいな形のものからスタートしてもいいんじゃないかと、歴史をよく知らず門外漢の私は無責任にも考えてしまいます。ところが、それでは困るんだと日本の外務省の首脳部は考えているようです。本当でしょうか・・・。
日本の外務省が、いつだってアメリカの言いなりにしか動かない現実をずっとずっと見せられ続けている私は、もっと自主性をもって、柔軟にロシアと外交交渉してもよいように思いました。
(2016年12月刊。1800円+税)

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2017年4月30日

小説・ライムライト

イギリス

(霧山昴)
著者 チャールズ・チャップリン 、 出版  集英社

チャップリンって小説も書いていたのですね。まさしく天才って、何でも出来るという見本のようなものです。
この本は映画「ライムライト」の制作過程も丹念に明らかにしていて、興味深いものがあります。チャップリンが打合せのときに言った言葉もちゃんと記録され、ペーパーとして残っているようです。
チャップリンは、推敲に推敲を重ねていて、その手書きの校正の過程も紹介されます。
異常なほどのこだわりがあったようです。そのおかげで私たちは超一流の芸術作品を今日も楽しむことができるわけです。
映画「ライムライト」の先行試写会が催されたのは1952年8月2日。その翌月の9月17日、チャップリンはイギリスへの船旅に出た。ところが、アメリカ司法長官はチャップリンの再入国許可を取り消した。FBIのフーバー長官と共謀して、チャップリンを「アカ」と決めつけての措置だった。
当時、アメリカでは「アカ狩り」旋風が吹いていたのですね。今でも、アメリカではその偏見がひどいようです。なにしろ、国民皆保険を主張すると、そんな人には、みな「アカ」というレッテルを貼られるというのですから、狂っています。それだったら、ヨーロッパなんて、オール「アカ」になってしまいます。とんでもないことです。
チャップリンがアメリカに渡ったのは、20年後の1972年。このとき、アカデミー特別名誉賞が贈られ、チャップリンはようやくアメリカと「和解」した。
トランプ大統領に象徴されるような、アメリカの「影」の部分ですね。
1936年、チャップリンは、ジャン・コクトーに、映画は木のようなものだと語った。
揺さぶれば、しっかりと技についていないもの、不必要なものは落ち、本質的な形のみが残る。
チャップリンが家で新しいアイデアを考えているあいだ、撮影が中断されることはよくあった。それができたのは、プレッシャーがなかったからだ。スタジオはチャップリンの持ち物であり、スタッフは常駐していたし、未使用の映画フィルムは廉価だった。
『黄金狂時代』は撮影に170日、全体で405日かかった。『街の灯』は撮影に179日、全体で683日だった。そして、『殺人狂時代』は80日、『ライムライト』は59日で撮影された。
チャップリンが延々と書きものを続ける形でアイデアを発展させ、磨きあげ、記録していく。実際には、秘書に対して長時間口述するという作業があり、そのあと出来あがったタイプ原稿に対して、チャップリンが改訂を加え、それがまた新しいタイプ原稿とさらなる改訂につながる。このプロセスが問題なく続いていく。チャップリンは、なかなか満足しない性質だった。
チャップリンのこだわりぶりは際だっていた。
チャップリンは気の利いたフレーズを手放しで喜んだし、それがとりわけ自分の創作したものであったときには、なおさらだった。
チャップリンは映画に自分の子どもたちや、妻、兄などの家族も登場させていたのですね。知りませんでした。スイスにチャップリンの邸宅だったところが博物館になっているそうですね。ぜひぜひ一度みてみたいと思います。
映画「ライムライト」は忘れていますので、DVDを借りてみてみたいと思いました。
(2017年1月刊。3500円+税)

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