弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年1月28日

さすらいの舞姫

朝鮮(韓国)

著者  西木  正明、   光文社 出版 
 
 戦前の日本で世界的なバレリーナとして有名だった崔承喜が、戦後、北朝鮮の闇のなかで静粛され消えていくまでを明らかにした長編小説です。900頁もの大作ですので、じっくり崔承喜がどんなに素晴らしいモダンバレエを踊っていたのか、なんとなく想像できます。でも、やっぱり映像で彼女の雄姿を見てみたいものだと思いました。
 美貌と抜群のプロポーションで、道行く人がハッと振り返るほどだったそうです。そのうえ、あふれんばかりの芸術的才能を持っていたというのですから、まさに鬼に金棒ですね。生前、あの川端康成が絶賛していたといいます。
 崔承喜は韓国の両班の家に生まれ育ちましたが、ある日、バレエを志し、日本人の舞踏家である石井獏に押しかけ弟子入りをします。日本へ渡って、東京は自由が丘に住み込みでモダンの・バレエの練習に励むのでした。そうこうするうちに、朝鮮古来の踊りも取り入れ、披露するようになります。やがて、崔承喜のバレエは日本で大評判となり、ついにはアメリカに招かれて公演することになりました。崔承喜は、同じ韓国人でマルキストの安承弼と結婚します。売れない作家の夫は崔承喜のマネージャー役を買ってでるのでした。
 アメリカの公演が大成功し、次にはフランスに渡って、そこでも公演して好評を博します。すごいものですね。練習だけではなく、やはり天賦の才能があったのでしょうね。
やがて第二次大戦が始まります。崔承喜は日本軍の最前線まで慰問に出かけるのでした。そして、終戦。夫とともに崔承喜は北朝鮮に入ります。その選択が、結局は命取りになるのでした。ここらあたりからは著者が当時の北朝鮮内部の権力闘争を要領よく解き明かして、金日成がライバルたちを蹴落としていく状況を描いています。
金日成が自信たっぷりに朝鮮戦争を始め、緒戦の勝ち戦が一変して敗北の泥沼に陥り、中国軍の介入でやっと権力を維持するのですが、その権力闘争の渦のなかで、崔承喜は夫ともども闇のなかに消されてしまったのです。まことに金日成とは罪な権力者でした。
 この本の最後は、崔承喜が北朝鮮の治安当局によって連行される場面となっています。娘と息子の運命はどうなったのでしょうか・・・・。いずれにしても、小説という手法で崔承喜という不世出のバレリーナのたどったみちが克明に紹介されていて、とても勉強にもなりました。同じ著者の『夢顔さんによろしく』も大変面白く読みましたが、著者の綿密な調査に裏付けられた筆力には感嘆するばかりです。
(2010年7月刊。2300円+税)
火曜日の午前中皇居前の広場を通りました。広々とした芝生のあちこちに青いビニールシートを敷いた芝生のあちこちに青いビニールシートを敷いたホームレスの人たちが眠っていました。ざっと見渡すと50人ほどが点在していたように思います。朝は厳しい冷え込みでしたが、私が通ったころには天気が良く3月の陽気を思わせるほどでした。大勢の観光客が皇居を目指して歩いていましたが、相変わらずホームレスの人が多いことを象徴していました。年越し派遣村が出来て大騒ぎしたのが嘘のようにマスコミは取り上げなくなりましたが、もっと真剣に貧困格差の拡大の防止策を講じるべきだとつくづく思いました。

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2011年1月27日

アメリカ大統領の信仰と政治

アメリカ

著者 栗林 輝夫、 キリスト新聞社  出版 
 
アメリカは宗教の国といいますが、レーガンやブッシュを見ていて、キリスト教の博愛の精神を身につけているというように感じたことは一度もありません。それどころか、大量虐殺の張本人ではないのかという気がしてなりません。この本を読むと、案の定、この二人とも教会にほとんど通ったことがないということです。さもありなん。私は、そう思いました。本物のキリスト教の信者なら、刑務所での虐待とか「捕虜」への拷問を許したり、看過したりするはずはありません。その点、アメリカでは現役時代にはまったく評価されなかったようですが、カーターのほうがよほどキリスト教信者らしいと思います。
 宗教はアメリカの建国以来、アメリカ国民の政治に深くからみあってきた。大統領の信仰も、その例外ではない。歴代のアメリカ大統領は誰もが、宗教がアメリカの政治と切っても切れないことを熟知してきた。宗教が政治に深くからまる現実こそ、アメリカ的な生活様式、アメリカをアメリカたらしめている特長である。
 アメリカは熱烈な宗教国家である。その国民の8割が神の存在を神事、宗教は自分の生き方に大きく影響していると9割の国民が述べる。
 ジェファーソン、カーター、オバマは、自由に神学を論じられるほどに知的で、リンカーンやクリントンは聖書の言葉を自由に諳んじることができた。信仰熱心なはずのブッシュは、自分の属するメソジスト教会と聖公会の違いすら明確に述べることができなかった。多くの大統領は在任中、熱心に教会に通ったが、唯一の例外はレーガンで、8年間の任期中、ほとんど教会に通っていない。
 この本を読んで、リンカーンに謁見した日本人が一人だけいることを知りました。アメリカ彦蔵こと、ジョセフ・ヒコです。1862年のことでした。
アイゼンハワーは、もともと職業軍人だった経験から無謀な軍事行動には批判的だった。なるほど、ですね。アイゼンハワーは、反共宣伝をすすめていたマッカーシーの追い落としをこっそり進めていた。また、黒人の権利擁護に前向きだった。中国への原爆投下にも反対したし、日本への原爆廊下にも反対した。
アメリカって、本当に不思議な国ですよね。個々のアメリカ人レベルでみると善良な人が多いと思いますし、ボランティア活動でも盛んなわけです。ところが、イラクへ軍事侵攻し、今またアフガニスタンへ増派しようとしています。これらが、ますますアメリカへの反感を買っていることを自覚しないまま、多くの国民が政府の言いなりに従軍し、前途有為な青年が戦死させられている現実があります。おおいなる矛盾ですよね。
 アメリカの民主主義を信じたい一面、アメリカで国民皆保険制度の導入を唱えると、それは社会主義的な政策だなんて、とんでもない批判が起きてつぶされてしまうのです。ひどい話です。アメリカ人にどれだけホンネのところで自由な博愛心があるのか、他人を迫害して平気な信仰って一体何なのとめて疑問を持ってしまった本でした。
(2009年2月刊。2000円+税)

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2011年1月26日

やめられない-ギャンブル地獄からの生還

社会

著者  帚木 蓬生、    集英社 出版 
 
 やめられない病気は多い。アルコール、覚せい剤、シンナー、買い物、万引、露出症、セックス・・・・そしてタバコ。やめられない病気は数多いが、そのやめられない度合いの強さと本人の人生上の破滅だけでなく、周囲の人々をとことん苦しめる点において、やめられない病気の最悪のものは、ギャンブル依存である。学生なら勉強が手につかなくなり、社会人は仕事がそっちのけになる。家庭をもっても、不和と離婚。社会的な信用は失い、家族や親類から忌み嫌われ、軽蔑される。
 いくつものギャンブル依存症の症例が紹介されています。私の依頼者にも少なからずいましたし、現にいます。パチンコ店の前を素通りできない人々がいるのです。
借金と嘘。これがギャンブル地獄であがいている人間の見まごうことない二大症状である。悪性腫瘍よりもタチが悪く、治癒しない限り進行し、自然治癒もないのが病的ギャンブリング。
借金の尻ぬぐいは、病気を進行させる厳然たるカラクリがある。チャラにしたつもり、リセットしたつもりというのは見せかけだけ。見えないところで病気はぐんと進行している。
 著者のクリニックで初診した100人がギャンブルに平均して投入した金額は1300万円。うひゃあ、ちょっとした中古マンションが買えますね。ギャンブル開始年齢は20歳前後、受診時の平均年齢が39歳、19年間に1300万円がギャンブルで消えた計算になる。
 受診までにギャンブルに使った最高額は1億600万円。借金をかかえたギャンブル依存症の患者に対しては、一番いいのは、放置すること。本人の借金は、あくまで本人が少しずつでも返済していく。この重しが、再びギャンブルへと足を踏みはずさないためのガードレールの役目をしてくれる。
 病的ギャンブラーの頭のなかでは、寝ても覚めても、どんな巧妙な嘘をつけばいいかで占められている。思考がそこに集中するので、編み出された嘘は成功に出来ていて、なかなか見破れない。
 借金と嘘。この二大症状のために骨の髄まで苦しむのが配偶者であり、親兄弟である。本人はケロリとしているのに対し、周りの者が、心労からことごとく病気になっていくのが、病的ギャンブリングの特徴である。
 本人そして家族の錯覚は、この病気が本人の「意思」の力でどうにでもなると思っていること。この病気は「意思」とは無関係。ギャンブル地獄に落ちてしまっている病人には、もう「意思」はないと考えるべき。「意思」よりも強い脳の変化が、そうさせてしまっている。
 年少時にギャンブルを始めればはじめるほど、病的ギャンブリングにうつ病が合併しやすく、自殺企図にまで至りやすい。
病的ギャンブリングに効く薬はない。病的ギャンブリングには、自然治癒もなく、進行性である。回復の方位はただ一つ。週1回以上の自助グループへの参加と、月1回の通院、受診である。
鬼よりもロボットよりも悪いのが病的ギャンブラーである。
人間性を回復したとき、人は自然に次の三つの言葉が言える。
ありがとう。お世話かけるね。ごめんね。
なーるほど、ですね。お互い、いつまでまっとうな人間でありたいものです。作家として高名な著者は、本業の精神科医としてギャンブル依存症の治療に積極的に関わっています。
 私は少し前に、著者と個人的に話すことがありました。一年に一作ということで、その前の取材に何年かかけるということです。なるほど、よく出来ていると感心することばかりの本です。この本は、実践的な啓蒙書として読み通しました。
(2010年9月刊。1200円+税)
 フランス語の試験が終わったあと、KBCシネマで『ハーモニー』という韓国映画を観ました。いやあ、本当に心が洗われるっていうのは、こんなことを言うのですね。澄み切った歌声がまさしくハモっていて、素晴らしい映画でした。心の震える2時間が、あっというまにたっていました。女子刑務所のなかで収容者たちが合唱団をつくっていき、ついには外部でも発表するまでの出来栄えになったという実話に基づく映画です。指揮役の大女優の貫録に心が打たれました。ぜひみて下さい。

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2011年1月25日

一見落着、再び

司法

著者 稲田 寛、    出版 中央大学出版部
 元日弁連事務総長だった著者によるエッセイです。先輩弁護士の話は、いつ聞いても(読んでも)参考になります。
 市役所の相談窓口で法律相続を受けるとき、著者は、しばらくは口をはさまずに耳を傾けるようにしているとのこと。なかなか本題に入らない人については、「途中で口をはさむようですが、今日は何を一番お聞きになりたくて見えられたのですか」と質問して、話を本題にもっていけるように誘導する。冒頭から相続内容や結論を探ろうとして質問を重ねてみると、萎縮してしまい、十分に話が聞き出せないおそれがある。うむむ、これは私にはなかなか出来ないことです。気の短い私は単刀直入、ずばり質問ことが多くて、自分でもああしまったなとか、反省することも多いのです。ただ、市役所の職員が事前に質問内容を聞きとってくれているときには、すごくはかどります。30分という制限の中で、著者のような対応をするのは、決して容易なことではありません。
著者は1994年(平成6年)に土屋公献会長の下で、日弁連事務総長に就任します。 横浜で坂本堤弁護士一家がオウム真理教によって殺害されましたが、まだ真相が究明さていないときのことです。土屋会長をはじめとする日弁連執行部は、横浜市内にあった坂本弁護士宅を訪問調査しました。私も、このとき、日弁連理事の一人として参加しました。どこにでもあるような普通のアパートの2階が坂本弁護士宅でした。その室内にオウム真理教のバッジが見つかったのですが、警察は犯人をオウム真理教ではなくて、「過激派の内ゲバ」では・・・、なんてとんでもないことを言うばかりでした。
司法試験の改革が議論されていました。このころの合格者は700人でした。丙案という、合格者の3割は3年内の受験者とするという、大変いびつな制度が試行されていたころのことです。
12月21日に日弁連は臨時総会を開きます。荒れる総会が予測され、それを心配したグループが執行部案とは別の議案である関連決議案を総会にはかったのです。今後5年間は800人の合格者とするというものでした。この関連決議案は圧倒的多数の賛成によって可決されましたが、執行部案も6対4で辛じて可決、承認されました。このときの総会を陰謀があったという本(『こんな日弁連に誰がした』)が出ていますが、この本を読んでも、この総会で陰謀があったなどとはとても思えません。私自身も、この12月21日の総会に出席していたとばかりに思っていましたが、当時の日誌をみてみると出席はしていませんでした。しかし、いずれにしても陰謀論は単なるタメにする議論にすぎず、根拠はないと私は思います。要は、現状維持ではなく大幅増員容認へ舵を切っていった(まだまだ、その後も会内では激しい抵抗が続いていましたが)総会の一つだとみるべきだと私は考えています。
大変読みやすく、しかも味わい深い内容でしたから、一気に読み通しました。
(2010年10月刊。1900円+税)

日曜日の午前中、フランス語の口頭試問を受けました。3分前に2問を知らされ、うち1問について3分間スピーチをします。今回の1問は、日本の自殺者が年に3万人をこえていることをどう考えているか、というものでしたから、迷うことなく、こちらを選択しました。といっても、フランス語で話すのですから大変です。いくつかの理由があることを話しはじめたのですが、なかなかうまくいきませんでした。そのあと、に、試験官と問答します。フラ為すでも自殺者は増えているような話が出ていました。
 この試験にむけて、朝晩、フランス語をずっと勉強しました。今回はともかく話さなければいけませんので、いくつか文章を暗唱するよう努めました。試験官の前に出ると、頭の中が真っ白になって、簡単な単語すら出てこないようになるからです。
 わずか10分間の試験なのですが、終わったときには何だか人生の重大事をやり遂げたという疲労感がありました。今回はペーパーテストの成績が悪くなかったので、恐らく最終合格していると思います……。

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2011年1月24日

手足のないチアリーダー

人間

著者  佐野  有美、   主婦と生活社 出版 
 
 笑顔の素晴らしい女性です。その笑顔を見ていると、自然にこちらの頬がゆるみ、顔がほぐれてきます。
 写真を見ると、あの乙武さんと同じような電動車イスにちょこんと乗っています。両手はまったくありません。右足もほとんどなく、左足は普通にあります(あるようです)が、足の指は3本だけです。その足指で電動車イスを操作します。
 こんな「不自由な」身体で、どうしてこんな天使のような笑顔の女性(ひと)になれるのか、その謎を解き明かしてくれる本です。私の愛読する新聞で紹介されていましたので、早速に注文して読んでみました。届いてから読み始めるのが待ち遠しくてなりませんでした。そして、その期待は裏切られませんでした。ただただ、ありがとうございますと感謝してしまいました。
そんな魅惑の笑顔の彼女にも思春期を迎えた中学生時代は大変だったようです。それはそうですよね。思春期というのは、誰にだって難しい年頃です。ずっと優等生だと思われていた私だって、親とろくに口もきいていませんでしたから・・・・。
 彼女を高校のチアリーダー部に仲間として受け入れた友達も素敵なはじける笑顔で紹介されています。まさに青春が爆発しているという勢い、エネルギーを感じます。
赤ちゃんのころからの写真がたくさんあって、本文がよく理解できます。手足がなくても、人間は周囲の理解と応援があればこんなにも見事に成長するのだということがよく分かります。父親もしっかり支えたようですが、母親は介護に明け暮れて、それこそ大変だったことでしょう。そして、そんな大恩ある母親に思春期(反抗期)には辛くあたってしまうのです・・・・。
手足のほとんどない赤ちゃんが生まれたとき、両親はどんな反応をするのでしょうか・・・・。
 著者は1歳半まで乳児院に預けられます。そして、乳児院から一時帰宅したときの著者の反応は・・・・?
 いつも笑っていた。母を見てはニコニコ。父の後ろ姿を目で追ってはニコニコ。お姉ちゃんが一緒に遊んでくれてニコニコ。そして、自宅で家族と一緒に暮らすことになります。
 乳児のころは、身体を見られても平気。障害児のなかにいたら、みんな違ってあたりまえだったから。そして、3歳すぎて、母親に質問する。
 「ねえ、お母さん。どうして私には手と足がないの?」
 この質問に、親は何と答えたらいいのでしょうか・・・・。
 小学校に上がる前のこと。いちばん悲しいのは、「あのこがかわいそう」という言葉。私は、別に、かわいそうでもなんでもないのに・・・・。なかなか言えない言葉ですね。乙武さんも同じように書いていたように思います。
そして、親の熱意で普通小学校に入学できたのでした。その条件は登校から下校まで母親が一日中付き添うこと。
小学校の学芸会でいつも主役に立候補した。1年で孫悟空、2年でアラジン。体育館のステージに歩行器に乗って、さっそうと登場する。
手足がなくても、水泳で100メートルも泳げるようになった。
 ところが、やがて、気が強く何事にも自分の意志を通し、いつも友達に囲まれていた著者は、いつのまにか友達の気持ちが分からない傲慢な女の子になっていた、というのです。自我のめざめ、そして、悔悟の日々が始まります。
 そして、高校に入り、チアリーディング部に入り、再び自分を取り戻すのでした・・・・。
 ぜひぜひぜひ、あなたに強く一読をおすすめします。心の震える本です。

(2011年1月刊。1200円+税)

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2011年1月23日

戦国合戦の舞台裏

日本史(戦国)

  著者 盛本 昌広、  洋泉社 歴史新書y出版
 
戦国時代の人々の暮らしぶりが伝わってくる本です。知らなかった言葉がたくさん出てきて解説されているのも、うれしいことです。
重説(じゅうせつ)は、再度の情報のこと。戦国時代、敵味方の消息を知るのは必須不可欠ですが、虚報の心配もあります。そこで、二重チェックが必要となります。
注進状とは、一般に敵の動きや合戦の結果といった軍事情報や機密情報を記した文書のこと。注進状は、戦国時大名が出陣するのに不可欠な情報であった。
蝕口(ふれくち)は、出陣を決断したとき陣触(じんぶれ)が出されるが、その陣触を伝える役職をさす。触口の下に小触口がいて、この小触口が実際に侍や村落に出向いて命令を伝える。このつたえる役目を果たしたのが定使(じょうし)であった。
 着到(ちゃくとう)とは、古代以来使われていた言葉で、到着したことを意味する。炭鉱でも、同じく着到という用語がつかわれていました。
小荷駄隊(こにだたい)は、編成された兵糧運搬部隊のこと。
腰兵粮は、腰につけた当時の携行食糧である乾飯(ほしいい)のこと。
 後詰(ごづめ)は、味方の城を包囲している敵を後方から攻めるために出陣すること。
信長が兵糧自弁の原則から一歩ふみ出せたのは、兵糧を大量に購入するだけの資金を持っていたから。信長は各地を攻略していき、財政基盤となる直轄領を設定し、同時に堺など有力な都市も支配下に置いて資金を吸い上げた。また矢銭(やせん。軍用金)の納入の強制なども資金源であったと考えられる。
備場(そなえば)は合戦の場のこと。そこでは高声(こうしょう)や雑談(ぞうたん)が禁止されている。兵卒のおしゃべりは禁止されていた。声高は大将が軍勢を指揮するときに発する声のこと。
 仕寄(しよせ)とは、城攻めの手だてを尽くし、徐々に城の中心に迫っていく状況をあらわす言葉。
自落(じらく)とは、自らの意思で城や屋敷から退くこと。
落武者狩りとは、単なる物取りではなく、敵方の通行を封鎖せよという命令を受けて行われていた。
 まだまだ世の中は知らないことばかりですね。
(2010年10月刊。860円+税)

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2011年1月22日

日本の現場 ― 地方紙で読む

社会

著者  高田 昌幸 ・ 清水 真、   旬報社 出版 
 
全国紙が、どれもこれも似たりよったりの記事しか書かない状況で、地方紙のほうが読みごたえのある記事をかくことがあります。その典型が沖縄の地方紙です。普天間基地問題についての沖縄タイムズや琉球新報の紙面は、まったく本土の記事とつくり方が違います。物事の本質をつき、しかも大胆な紙面構成です。沖縄に行ったときに、ぜひ一度、手にとってみて下さい。こんなにも違うものか、きっと衝撃を受けられると思います。
 共産党を除くオール与党の議会というのが全国どこでもあたりまえとなっています。それでは、議員と議会は何のためにあるのか。そこに目をつけたのが阿久根であり、名古屋、大阪でした。私は議会を無視する首長の独裁的なやり方は許せないと考えています。かといって、「オール与党」のぬるま湯にどっぷりつかって、質問もせず、ぬくぬくとして高給をもらっている議員に問題がないわけでは決してありません。先に『カウントダウン』という本を紹介しましたが、あの本も議会と議員の情けない実情を鋭く告発しています。福岡でいうと、先日の西日本新聞の特集記事でも少し問題としていましたが、今の県議会は本当に県民の役に立っているのか、私は大いに疑問を感じています。
 北海道議会は、議員の質問はすべて「答弁調整」によって質問も答えもあらかじめ出来あがっている。それを全廃したのが鳥取県議会。シナリオのない、スリルとサスペンスの本会議。これが本当の議会のあり方でしょう。行政当局と議会とのあいだに緊張関係がなくなったら、例の阿久根市長のようなとんでもない人物が出現します。
 陸上自衛隊の中央即応連隊は宇都宮駐屯地にあるのですね。下野新聞社がルポで報道しています。総勢700人の中即連隊員のうち3分の1が常時、待機している。海外派遣に備えて風土病などの予防のためワクチン9種類の予防接種をくり返す。
 陸上自衛隊で最初に死ぬのは中央即応連隊員。だから覚悟しておくように。
中央即応集団は、合計4200人態勢である。これって怖い話ですよね・・・・。
静岡県内には「デカセギ」として、ブラジルから日本に逆移民してきている。5万人いる。その実情を静岡新聞社が追っています。差別と孤独。希望と閉塞感。2つの祖国・・・・。静岡県内の公立小中学校に在籍する外国籍の児童・生徒は4000人。うちブラジル国籍が2600人。言葉の壁は厚い。外国人犯罪も発生している。
 びっしり記事のつまった622頁をざっと読みました。日本全国、各地でさまざまな深刻な問題をかかえていることを今さらながら知りました。もっと知るべき、知らされるべき現実だと思います。大新聞以上にテレビがあてにならない現状では、地方紙の健闘に大いに期待したいところです。
(2010年9月刊。2500円+税)

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2011年1月21日

機密を開示せよ

社会

 機密を開示せよ
 著者 西山 太吉、  岩波書店出版 
 1969年というと、私は大学3年生で東京にいました。東大闘争が3月に終わり、1年ぶりの授業が始まってまもなくのころです。そのころ、沖縄はまだアメリカの統治下にあり、日本に復帰する前でした。
アメリカは、日本に沖縄を返還するから、それまでに投資した資本は全部回収する。返還するとき、アメリカは1ドルだって支出はしない。基地については、移転・改良を含めて日本側で費用は負担する。そんな屈辱的な密約が結ばれたのです。当時の首相は、ノーベル平和賞をもらった佐藤栄作首相でした。こんなことを決めたアメリカ言いなりの首相に対して、日本の右翼が売国奴といわないのは不思議なことです。
 アメリカは、このとき日本から7億ドルをもらえることになったほか、基地移転その他の費用として2億ドルも日本から得ることになった。そして、思いやり予算は1978年に62億円で始まったが、その後も存続して、今日なお2000億円台のまま、ずっと推移している。
 これって、日本はアメリカの属国だっていうことなんじゃないのでしょうかね。こんなことをやっている国は、世界中で日本だけです。ひどい話です。それも、日本の安全をアメリカが「守って」くれている代償だというわけです。でも、アメリカに日本を守るつもりがないことは、何回となくアメリカ政府・軍部の高官自身が高言していますよね。本当に日本っておかしな、不思議な国ですよね…。
 著者の長年の取り組みが、判決文によく反映されていると思いますので、2010年4月9日の東京地裁(杉原裁判長)の判決文の一部を紹介します。
 「原告らが求めていたのは、本件各文書の内容を知ることではなく、これまで密約の存在を否定し続けていた我が国の政治あるいは外務省の姿勢の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現であったことが明らかである。
ところが外務大臣は、密約は存在せず、密約を記載した文書も存在しないという従来の姿勢を全く変えることなく、本件各文書について存否の確認に通常求められる作業をしないまま、本件処分をし、原告らの期待を裏切ったものである。このような、国民の知る権利をないがしろにする外務省の対応は不誠実なものと言わざるを得ず、これに対して原告らが感じたであろう失意、落胆、怒り等の感情が激しいものであったことは想像に難くない」
 国は、この敗訴判決に拉訴しましたから確定はしていませんが、なるほど著者の主張するとおりですし、一審判決の認定(判断)したとおりだと私も思います。
 国民に大事なことを知らせず、マスコミを使ってキャンペーンをして国民を誘導するという、戦前からの情報操作を止めさせなければならない。つくづくそう思わせる本でした。
 それにしても、西山太吉氏の不屈のがんばりには頭が下がります。
(2010年10月刊。1500円+税)

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2011年1月20日

世論の曲解

社会

世論の曲解
著者 菅原 琢、 光文社新書  出版 

 メディアや政治評論家にだまされるな。この本のオビに書かれている言葉ですが、本当にそうですよね。でも、テレビの影響力って、怖いですね。小泉改革なんて、弱い者いじめの典型だと私は思うのですが、それを若者をはじめとする「弱者」が支持し、声援を送って投票所まで出かけたわけですから、世の中はほんとうに分かりませんね。
 自民党をぶっ壊せと叫んだ小泉ほど近年の自民党に貢献した人物はいない。小泉は選挙で窮地に陥っていた自民党を一定期間、救った。小泉政権の方針・政策はとくに自民党が苦手としていた都市部住民、若年層と中年層から支持を集めた。自民党は農村の支持基盤を維持したまま、都市部での支持を厚くすることに成功した。これが「小泉効果」である。
 2005年の総選挙で自民党は圧勝したが、それには若年層が大きく寄与している。このときテレビ報道が自民党への投票を促した。テレビが自民党のイメージを良化した。テレビは、限られた放送時間を郵政造反組と「刺客」との対決に焦点をあてた報道に消費し、野党を蚊帳(かや)の外に置いた。300選挙区のうち、わずか1割の33に過ぎない選挙区を過度に取りあげることにより、小泉政権による改革の続行か、守旧派による既得権益の温存か、という選挙の対立軸を設定した。恐らく、これが有権者の認識に影響を与えたのだろう・・・・。そうでしたね。これでころっと騙された人が多かったですね。
 小泉は、「自民党をぶっ壊す」と叫ぶことによって、既得権を擁護する古い自民党の立場を攻撃し、構造改革により小さな政府を目ざす路線を明確な形で導入した。これが新しい自民党路線である。しかし、小泉政権の終了とともに、古い自民党が勢いを取り戻し始める。
麻生太郎は、漢字を読めない。失言癖がひどく、他人(ひと)の注意を聞かない人物だというのは、もともとよく知られていた。リーダーとしてふさわしくないからこそ、小泉以前には麻生は首相候補とは見なされていなかった。うーん、そうだったんですよね。そんな人物でも首相になれるなんて、なんということでしょう・・・・。
 小泉が成功したのは、世論が望むことと合致することを発言し、ある程度、その方向に自民党政権を引っぱっていったからである。
20代や30代の若年層は、おしなべて政治報道に接する頻度が低い。新聞の政治報道に関して、4人に1人のみ。40代、50代の42%、60代以上の62%に比べて圧倒的に低い。ネットでは、政治情勢に触れることは少ない。
 2009年総選挙での自民党について、票の「行ったり来たり」とみるのは間違いである。自民党は、本来ならもっと負けていたところ、民主党が候補者を絞ったことによって助けられた。自民党が農村の10選挙区で「善戦」したように見えたのは、民主党が候補者を絞ったことによるものである。
私は日本の国政選挙の投票率が6割前後でしかないことにいつも歯ぎしりする思いです。北欧のように常時8割をこす投票率であってこそ、政治と生活が定着しますし、この日本が良い方向に進んでいくと確信しています。あなたまかせでは決して日本の政治は良い方向に変わりません。大変刺激的な本でした。一読をおすすめします。
(2009年12月刊。820円+税)

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2011年1月19日

名作映画には「生きるヒント」がいっぱい

社会

著者  坂和 章平、  河出書房新社  出版 
 
テレビをみない私ですが、映画は大好きです。毎月一本はみたいのですが、なかなかそうもいきません。暗い映画館に座って、大きなスクリーンに広がる彼方の情景に胸をわくわくさせながら没入するのは、人生の生き甲斐を感じる一瞬です。先日みたのは『ロビン・フッド』でした。子どもたちが幼いころ、8ミリを上映していましたので懐かしくみました。すごい迫力がありましたよ。
 小学生のころは、すぐ近くにあった映画館に引率され、授業の一環としてディズニーの自然の驚異シリーズをみたことを覚えています。嵐寛寿朗の鞍馬天狗のおじさんが修作を助けようと馬を走らせる場面では、場内が総立ちとなり、励ましの声をみんなでスクリーン目がけて投げかけていました。あのときの熱狂ぶりは今もしっかり記憶しています。同じような館内のどよめきは『男は辛いよ』を場末の小さな映画館で何度も体験しました。笑いと涙と、拍手で、場内が騒然とするシーンを何回も体験しました。一度、銀座にある上品な広い封切館で『男はつらいよ』をみたとき、館内がシーンと静まりかえっているので、この映画はこんな雰囲気でみるものじゃないな。そう思ったことでした。
このように映画大好きの私ですが、著者は、私のレベルをはるかに超えています。同期の大阪で活躍している弁護士なので、よくもこんなに映画をみるヒマがあるものだと冷ややかに眺めていました。なにしろ、みた映画が私なんかより何桁も違うのです。10年間に評論した映画が1500本というのですから、信じられません。頭が痛くなりそうです。
大学生のころまでは、三本立ての映画をみても平気でした。今では、一日に一本の映画をみたら十分ですし、一ヶ月に一本のペースで映画をみたら(みれませんが・・・・)十二分です。それなのに、年間150本だなんて、ちょっと映画のみ過ぎでしょうと言いたくなってしまいます。そして、著者は、その映画評論を25冊のシリーズ本にしています。私も贈呈していただいていますが、あまりの数の多さにいささか敬遠せざるをえません。
ところが、この本は著者のみた数多くの映画のなかから、なんと50本の名作映画を厳選して紹介したというのです。では、どんなものなのかな、ちょっと知りたくなって頁をめくり始めました。すると、なんとなんと、厳選された名作映画50本のなかに、私の好みの映画がいくつも入っているではありませんか。それじゃあ、少しは紹介しなくっちゃ。そう思って、この書評を書きはじめたのです。
 ここに紹介されていないけれど、私の心に残る映画と言えば、韓国映画で言えば、パンソリの熱唱に感動した『西便・・・・を超えて』(正確なタイトルを忘れてしまって、申し訳ありません)と、タイ映画の伝統的な民族音楽(日本の琴に似た楽器でした)の競演を紹介したもの(これもタイトルを忘れてしまいました)です。中国映画では『芙蓉鎮』も心にのこる素晴らしい映像でした。日本映画では『おとうと』もとりあげてほしかったですね。それはともかくとして、私がみた映画で、この本もとりあげているもののタイトルをまず紹介しましょう。
 『沈まぬ太陽』『フラガール』『母べえ』『シュリ』『ライフイズビューティフル』「」山の郵便配達』『王の男』『ブラザーフット』『あの子を探して』『ハート・ロッカー』『エディット・ピアフ、愛の讃歌』『たそがれ清兵衛』『生きる』『スタンドアップ』『ぜんぶのフィデルせい』『さらばわが愛・覇王別姫』『初恋のきた道』
 50本のうち、なんと17本もありました。このなかで私にとって皆さんに一番おすすめしたいのは『初恋のきた道』です。チャン・イーモウのはじける笑顔にすっかり魅せられました。この映画は私の大学生のころの友人から、「ぜひみてね」と勧められたものですから、時間をやりくりしてみたのでした。いやあ、最高傑作でしたね。フランス語を勉強している私としては、エディット・ピアフのシャンソンも心に響くものがありました。「水に流して」という日本語のタイトルは、フランス語では、私は自分のこれまでの人生を後悔なんかしていないというものです。過去を水に流そうなんていう消極的なものではありません。この私も、過去をふり返って後悔したくなんかありません。
 いい映画には、著者のいうように生きるうえでとても役に立つ、というか心の慈養になるものがたくさんたくさん詰まっています。映画大好き人間として、この本を推せんします。
 日頃の本はあまり売れていないようですが、この本ばかりはたくさん売れることを私も祈っています。

(2010年12月刊。1400円+税)

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2011年1月18日

肥満と餓死

アメリカ

著者 ラジ・パテル、    出版 作品社
 いま私はダイエットに励んでいます。ビールは卒業しました。間食はしません。炭水化物は少なくしました。ご飯は30回かみます。それでも、なかなか腹にため込んだ脂肪は減りません。
 いま、世界で10億人の人々が飢えに苦しみ、逆に10億人の人が肥満で苦しんでいます。何というアンバランスでしょう。 そして、農業の危機はビジネスチャンスともなっているのです。いま菅政府が財界とマスコミの後押しを受けてやっきになって推進しようとしているTPPも日本の農業を破壊して、さらにビッグビジネスの支配下に置こうというものですよね。
たとえばリンゴ。見栄えの良いこと。ツヤがあって、無傷の果物である。長距離輸送に耐え、見栄えのよいようにワックスの乗りがよい、農薬がよく効いて大量生産に向いた品種が考えられ、つくられている。うへーっ、これはたまりませんね。
イギリスでも、アメリカと同じように6歳児の8.5%、15歳児の10%以上が肥満となっている。砂糖のとりすぎ。朝食のシリアルには砂糖が多すぎる。
アメリカの外交戦略は、飢えた人々はパンきれを持った人の言うことしか聞かない。食料は道具であり、アメリカにとっての交渉カードのなかでも強力な武器なのである。
アメリカのユナイテッド・フルーツ社は中南半諸国の貧困化に一役買っていた。アメリカ国内では知られていないが、これは事実である。
種子の供給において10社が世界全体の半分を占めている。種子にふくまれる大量の遺伝情報は農薬会社が開発したものではない。人々が数千年にわたって利用してきた結果なのである。それなのに、わずかな付加価値を持たせただけで、種子そのものに特許が設定されてしまった。遺伝子組み換え(GM)作物の安全性は証明されてないし、その恩恵は農民にもたらされない。
アフリカで人々が飢えているのは、食料があって売られてはいるけれど、人々がそれを買うことができないからである。慢性的な食糧不足の影響をもっとも受けやすいのは、女性と子どもと高齢者である。子どもは低体重児になっている。近年に起きたアフリカ南部の食糧危機は、世界銀行による一連の政策の結果であり、農薬産業にはビジネスチャンスとなった。
アメリカでは、スーパーマーケットのある地域の方が肥満率が低い。近所にスーパーマーケットが一軒もないのは最悪だ。そして、黒人の多いスーパーマーケットは、意図的に白人の多い地域よりも健康的でない食品をそろえている。健康的な食品の手に入る地域では、果物と野菜の消費量も多い。スーパーマーケットの現実は、「コーラかペプシか」を選ばせているというものである。ファーストフードの店舗は、貧困地区や有色人種の居住地域に集中している。そのうえ、アメリカの貧困地域には、たいていレクリエーション施設がない。消費者は、加工食品をたらふく食わされ、中毒にさらされている。
アグリビジネスの食品とマーケティングは、食に起因する病気を爆発的に増加させ、人間の人体を害し、世界中の子どもたちの身体に時限爆弾を仕込んでいる。うむむ、なんということでしょう・・・。
スーパーマーケットは、安価な高カロリー食品をたくさん取り揃えているが、そのせいで、地域の経済は大打撃を受けている。そして私たちは食べ物の生産現場からも、食の楽しみからも、ますます遠ざけられている。
食生活をもう一度考え直そうという気持ちにさせてくれる大切な本だと思います。
最後に、ぜひ紹介したい言葉があります。ぜひ読んでみてください。JA中央会などが集会を開いたときの宣言の一節です
「地域環境を破壊し、目先の経済的利益を追求し、格差を拡大し、世界中から食料を買いあさってきたこれまでのこの国の生き方を反省しなければならない。自然の恵みに感謝し、食べ物を大切にし、美しい農産漁村を守り、人々が支え合い、心豊かに暮らし続け、日本人として品格のある国家を作っていくため、我々はTPP交渉への参加に断固反対し、さらなる国民各層の理解と支持を得ながら、大きな国民運動に展開させていく決意である」
 まったくここに書かれているとおりではないでしょうか。日本人として品格のある国家を作っていくためには、TPPなんてとんでもないと私は思います。ところが、各紙は一斉に社説でTPP参加に賛成を表明しています。恐ろしいことです。私はここにも例の内閣機密費の影響もあるんじゃないかと勘繰ってしまいます。だって、菅内閣も自民党時代と同じく毎月1億円を自由につかっているのですよ。このなかにマスコミ対策費が入っているのは公知の事実なんですからね・・・。
(2009年2月刊。1600円+税)

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2011年1月17日

動物たちの地球大移動

生き物

著者 ベン・ホアー 、  悠書館  出版 
 
この本を読むと、地球って広いようで意外に狭いものなんだなと思わせます。だって、キョクアジサシという小鳥は、毎年4万キロメートルもの往復旅行をするっていうんですよ。1年のうちに、北極と南極の夏を両方とも経験する固体がいるというのです。そ、そんな馬鹿な。うひゃあ、し、信じられません・・・・。同じような小鳥が他にもたくさんいるのです。
スグロアメリカムシクイは高度5000メートルを飛んで、カナダなどから越冬地の南アメリカへ片道4000~8000キロメートルを渡る。高いところを飛ぶのは、順風をえるため。そして、胸筋が酷使されてオーバーヒートしないように冷気で冷やすため。この旅に備えて、旅行前にせっせと食べるから普段は11グラムの体重が20グラムまで増える。この余分な脂肪は、旅のあいだに燃焼し尽くされる。うへーっ、そうなんですね。
 ご存知のツバメも、もちろん渡り鳥ですが、すでに紀元前4世紀にアリストテレスが渡り鳥だと確認したのだそうです。どうやって確認したのでしょうか。中世ヨーロッパでは、ツバメは泥のなかで冬眠していると思われていたというのです。ツバメは北欧からアフリカ南部まで10週間かけている。平均すると一日150キロメートルだが、実はツバメはしばらく休んでは発作的に進むことを繰り返す。ただし、春になって北へ向かうときには子育てが待っているので、約2倍の速さで北進し、同じコースを5~6週間で着く。これもすごいですよね。
 小鳥よりももっと小さい蝶も大移動します。たとえば、今や有名なオオカバマダラです。
オオカバマダラは、最大4750キロメートルも飛行する。無風状態では1000キロメートルを休まずに自力移動できる。数千万頭から成る蝶の群れが飛んでいく様子はオレンジ色の流れとなる。一日に130キロメートルすすむ。
 学者は、このような大移動を調べるため、たとえば体重1,5グラムのギンヤンマ(トンボ)になんと300ミリグラムの電子追跡装置をトンボの胸部下面に取り付けるというのです。すごい技術ですよね。
 海中にいるもヨシキリザメもすごいですよ。きわめて鋭敏な嗅覚があるので、泳ぎながら継続的に水を調べ、水に溶けた科学的物質のにおいの濃淡から行き先を判断している。このサメは、イカを捕らえるために、よく潜水し、350メートルも潜る。水を鉛直方向に泳ぐことから、電磁気を感知する能力を使って、磁方位を知るのに役立てている。
 陸上を移動する動物たちの写真もあります。広大なアフリカのサバンナ(太平洋)を一列になってすすんでいくウィルドビーストがいます。圧倒される大群です。
カリブー、ウィルドビースト、ハクガンのような平原の動物たちは、突然、子どもをどっと増やし、獲物の数で捕食動物を圧倒する。捕食動物が消費できる獲物の数には限度があるので、結果的に子どもの多くが生き残れる。
少々高価な本ですが、手にとって眺めていると、日頃の悩みがいかにちっぽけなものかを気が付かせてくれる写真集と考えたら、決して高くはありませんよ。せめて、図書館で手にとって眺めてみてくださいね
(2010年1月刊。8000円+税)

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2011年1月16日

よみがえる脳

著者  生田 哲、  サイエンス・アイ新書  出版 
 
かつて脳細胞は大人になるにつれ、死滅していくだけとされていました。しかし、今では、脳細胞も生成していることが分かっています。だから、あきらめる必要はないのです。
この本は、運動が脳に良いこと、タバコは脳にも悪いことなども強調しています。
脳は、環境の変化に対応し、年齢に関係なく、どんどん変化していく。脳の本質は変わりやすいことなのである。
 カナリヤは平均して10年生きるが、毎年新しい曲を学んで歌う。毎春、同じ鳥がまったく違った歌をうたいだす。うへーっ、そうなんですか・・・・。一度じっくり聞いてみたいですね。
 タバコは頭を悪くする。タバコの煙にふくまれる一酸化炭素が血液中のヘモグロビンというタンパク質と結合することによって、脳が酸欠状態になり、脳に一過性の障害が起きる。また、タバコの喫煙によって発生するアセトアルデヒトという毒物がアセチルコリン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどといった脳内の伝達物質に存在するアミノ基と科学反応を起こして生成するシッフ塩基という毒物が、脳内の神経細胞にダメージを与える。うへーっ、こんな大切なことをもっと国は国民に知らせるべきです。小学生のときから教えておけば、こんなに有毒なタバコを吸う人は絶滅する可能性がありますよね。タバコは税収に貢献しているなんてことは、もう言わないでくださいね。
 エクササイズ(運動)でうつ病が治り、脳は活性化するといいます。抗うつ薬を服用してうつから回復した人で、改善効果を10ヶ月後も維持できた人は55%、再発率は38%。これに対して、エクササイズだけでうつから回復した人の88%が改善効果を10ヵ月後も維持していたし、再発したのもわずか8%でしかなかった。そうなんですか・・・・。
 エクササイズの達成感が自己評価を高め、気分を向上させ、うつを改善する。
瞑想でも脳の機能が改善するそうです。これはありうると思いますが、残念ながら、瞑想を体験したことはありません。分かりやすい説明で、すっと読んで納得できました。
(2010年12月刊。952円+税)

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2011年1月15日

江戸農民の暮らしと人生

日本史(江戸)

 著者 速水 融、  出版 麗澤大学出版会
 
 岐阜県の一農村の97年間にわたる宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)を分析した本です。農村の一断面、とりわけ江戸時代の農村が閉ざされていなかったことが良く分かります。この村から関西方面へ、男も女も出稼ぎ・奉公に行っていたのです。
 日本の江戸時代には豊富な史料・文献が残されている。公私にわたる膨大な文書、記録の山がある。これは識字率の高さにもよる。幕末期の日本において、成人男性の45%、女性の15%が読み書き能力を持っていた。これって、実は、すごいことですよね。昔から日本人の好奇心、知的欲求度の高さを反映している数字だと思います。
 初めの49年間では、夫婦5組に1組は離婚している。残り50年間には離婚数は減った。100年間を通してみると、離婚数は結婚数の11%、9組に1組の割合となっている。しかも、離婚件数26のうち14組には子どもがいた。日本では、離婚は昔から少なくなかったのです。
 女子の結婚年齢は、上層ほど低く、下層では高い。これは、小作層から多数の奉公人が出稼ぎに出ていたからである。
 そして、結婚の継続期間は比較的短かかった。5年以内では離縁が最も多く、妻の死亡によることも少なくなかった。わずか1年内で終了するときには、その8割が離縁だった。
 夫婦が若いうちに離死別したときには、残された夫または妻が再婚する事例は多い。男は、40歳前だと、そのほとんどが再婚し、女も、35歳以下なら半数は再婚している、
 長男が家督を承継する制度ないし慣習が確立していたとは決して言えない。
 ここでは、女性が戸主である率は全体の7.1%であった。
 そして、長男以外の男子による家督の継承は、戸主の死亡の時にかなりの頻度で見られる。戸主が死亡したとき、その半分で女性が継承者となっている。前戸主の妻が継承者となることが多い。これは、夫より妻の方が年齢が低かったことによる。
 江戸時代の農村の実情を知ることができる本として、おすすめします。

(2009年9月刊。2400円+税)

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2011年1月14日

ルポ生活保護

社会

  著者  本田良一  、中公新書  出版 
 
いま日本は、生活保護の受給者数でみれば、1955年、56年と同じ状況にある。
1955年に192万人、1956年に177万人だった。それに対して、2010年は186万人とほぼ同じである。
保護費は国が4分の3を、残り4分の1を地元自治体が負担する。受給者を快く思っていない市民が少なくない。昼間から酒を飲んでいるとかパチンコ店に通っているという通報が福祉事務所へ寄せられる。しかし、地方自治体にとって、現実には生活保護は受給者の生活を支えるだけでなく、地域経済を下支えする「第四の基幹産業」になっている。
日本国憲法25条1項は次のように定めている。すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。忘れてはいけない大切な憲法の条項です。
 母子世帯のうち、生活保護を受けている割合は13.3%。つまり、日本ではひとり親の
2世帯に1世帯以上が貧困状態にあるが、生活保護を受けているのは、8世帯のうち1世帯程度にすぎない。
子どもの学力は家庭や塾に負うところが大きくなっている。ところが、いま日本の家庭は、教育費負担があまりに大きい。大学に進学すると、1年で最低で100万円、多いと240万円かかる。4年間では、少なくとも400万円、多ければ1000万円かかってしまう。なぜこうなっているかというと、家庭に代わって政府が負担する部分が少なくないから。その結果、家庭の経済力の違いによって、子どもの教育機会が不均等となり、子どもの将来格差を生み、世代をこえて貧困が再生産されていく。
いまの生活保護制度は、丸裸になった人に、全部、着物を着せてあげるものになっている。住宅やローン、生命保険、金融資産などの、すべての資産を使い尽くさないと保護を受けられないという制度では、再挑戦の機会も意欲も奪ってしまう。そうなんですよね。弁護士として相談を受けていて、大いなる矛盾を感じることが多々あります。
 貧困世帯の8割以上が生活保護を受けずに暮らしている。貧困を放置すると、社会が貧困者と、そうでない人に分裂して、破綻してしまう。絶望のあげく自殺が増え、また犯罪が増える。
 国が負担する保護費は2009年度、2兆円をこえた。そのうち半分の1兆4千億円が医療扶助となっている。いま生活保護受給者が増えているのは、ほかの制度の矛盾をすべて生活保護が受け止めているから。貧困対策を進めていくうえで、セーフティーネットの拡充は、社会を維持するために必要な投資なのだという社会の合意が不可欠である。
先に(12月7日)釧路市の生活保護についての先進的な取り組み『希望を持って生きる』を紹介しましたが、この本にも、そのことが紹介されています。
日本社会が安全・安心に生活できるものであり続けるためにも貧困対策は大きな意味をもっていることをお互いに確認したいものです。とても分かりやすい新書です。先の本とあわせて一読をおすすめします。

(2010年8月刊。780円+税)

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2011年1月13日

「秀吉の御所参内、聚楽第行幸図屏風」

日本史(戦国)

 著者 狩野 博幸、   青幻舎 出版 
 
 昨年(2009年)秋に、新潟県は上越市で初公開された屏風絵が秀吉や秀次そして聚楽第などを描いているというのです。とても珍しい屏風絵なのですが、著者はそれをこと細かく実証しつつ解説してくれます。眺めて楽しく、読んでうれしくなるような本です。
 京都の御所を出て進んでいく行列の中央に天皇しか乗ることの出来ない鳳輦(ほうれん)が描かれている。その輿の上には金銅製の鳳凰が飾られている。なるほど、白装束の者たちが鳳輦をかついで進んでいます。そして、反対側からは、多くの武士たちに守られて進む牛車が描かれている。その牛車には、桐の紋がはっきり見える。
後陽成天皇が聚楽第(じゅらくだい)に行幸したのは天正16年(1588年)4月14日のこと。秀吉が聚楽第をつくったのは京都における政庁を作るためだったが、天皇の行幸もその視野に入れていた。
 秀吉は、天皇の行幸のとき、室町将軍のときの先例を無視して、内裏に御迎(おむかえ)に参上した。そして秀吉は桐紋の牛車に乗って、天皇の乗る鳳輦と向かいあう形で進んでいった。このあたりは、この本に解説とともに屏風絵が拡大されていますので、よく分かります。
秀吉の参内、天皇の行幸は華やかさのなかにも、恐るべき緊張の下に進められた。厳重な警固が張られ、行幸にあたっては、内裏から聚楽第までわずか15町ほどのあいだに6千余人の武士が張りついて警備していた。屏風絵に描かれた武士たちは、いずれも脇差しさえも着していない。
 この屏風絵は、儀式は儀式として描き尽くしながらも、それとは無関係に当時の市中に生きる人々の姿をこと細かに描いている。当時の女性たちが夫の諒解を得ることなく、勝手に外出している様子も描かれている。外国からやって来た宣教師たちが驚いた光景である。宣教師たちは、女性の貞操観念の低さにも呆れている。女性は自由だったのである。日本の女性こそ、世界でもっとも自由な存在であったと知るべきなのだ。女性だけでなく、子どもたちも伸びのびと生きていました。うらやましい限りです。
このようにきらびやかな素晴らしい屏風絵が最近まで広く世に知られていなかったというのは惜しい限りです。一見、一読の価値ある本としておすすめします。
 
(2010年10月刊。2500円+税)

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2011年1月12日

無縁社会

社会

著者 NHK取材班 、 文芸春秋 出版 
 
現代日本社会って、いつのまにか寒々としたものになってしまったんだなあと、つくづく実感させられる本でした。効率とお金万能、持てる者の強者論理が大手を振ってまかり通っていて、弱者を平然と切り捨てても見て見ぬふりをしてしまう社会の冷たさです。私なんて、涙がでるくらい情けない世の中になってしまったものだと思うのですが・・・・。
日本航空が業績回復のために乗務員など170人の解雇を決めました。これを多くの国民が平然と受けとめていますが、実は大変なことなんですよね。ちょっと業績が悪化した企業だったら簡単に労働者を解雇できるという悪しき先例をつくることになります。これって判例の積み重ねを全否定するような暴挙です。ちょっと待ってよ・・・・。明日は我が身なのかもしれませんよ。ともかく、他人は他人と簡単に割り切っていいものでは決してありません。
NHKスペシャルで「無縁社会」を放映したら大反響があったそうです。私はテレビを見ませんので、残念ながらその映像は見ていませんが、この本を読むと現代日本の病弊が赤裸々に浮きぼりになってきます。
行旅病人および行旅死亡人取扱法という法律があることを初めて知りました。行旅死亡人とは、警察でも自治体でも身元のつかめなかった無縁死のこと。住所、居所、もしくは氏名が知れず、かつ遺体の引き取り者なき死亡人は、行旅死亡人とみなす(法第1条第2項)と定められている。
通夜も告別式もない。遺体を火葬するだけで弔う「直葬」が広がっている。儀礼は行わない。自宅や入院先の病院などから直接遺体を火葬場に運んで茶毘に付す弔いのスタイル。これで費用が10~20万円台。東京都内で行われている葬儀のうち30%を直葬が閉めている。
特殊清掃業者とは、自治体の依頼で、家族に代わって遺品を整理する専門業者のこと。数年前に誕生し、今では30社あまり。いずれもインターネット上に自社のホームページをもって、大都市に事務所をかまえている。この業者は故人の部屋に入るときには、異臭が激しく部屋も汚れているため、オゾンを放出する特殊な装置を持ち込む。オゾンには強力な酸化作用があり、殺菌や脱臭、有機物の除去に役立つ。
富山県高岡市のお寺が引き取り手のない遺骨を引き受けているというのにも驚きました。
 葛飾区にある都営団地には一人暮らしが団地の全世帯の3割になっている。うむむ、これって多いですよね。多すぎます。一人で生活したほうが気ままでいいと言っても、病気したらどうしますか・・・・。
一人暮らしの高齢者が高額な訪問販売の被害にあうことも多い。これは私も何回も事件として取り扱いました。どうやら、騙し易い人のリストがブラック業者に渡っているようです。
高齢者の単身化がすすみ、25年間に2倍になった。そして、50歳まで一度も結婚したことのない「生涯未婚」率も増えている。
結婚しない、できない大きな理由の一つが、非正規雇用が増えて、低賃金のうえに経済的に不安定なため不安から結婚できないということ。これって、まさに政治の責任で解決すべきものです。これを解決しなければ、少子化対策やっていますなんて言えませんよ。 
子どもたちの住む東京など大都会へ呼び寄せられた高齢者の問題も目立ってきた。都会の生活になじめず、孤独を感じながら生活している高齢者が増えている。私の住む団地でも高齢化がすすみ、子どものいる東京や横浜へ転出するお年寄りが続出しています。果たして、周囲に同年輩の知人が一人もいなくて大丈夫やっていけるんだろうかと、いつも心配しています。
 この番組を見た30代、40代の人々から大きな反響があったそうです。「俺も仕事がなくなったら無縁死だなあ」とつぶやく34歳の男性など、他人事とは思えないとういう人が圧倒的に多いのです。今ならまだ間にあうような気がします。もっと生活と仕事が安定するような社会環境を早急につくりあげるべきです。弱者、この場合は高齢者と若者にもっと光をあてて、真剣に打開策を考えるべきです。
読んでいくうちに身につまされ、背筋の凍る思いがする本ですが、それでも一読をおすすめします。
(2010年12月刊。1333円+税)

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2011年1月11日

中世ヨーロッパ、武器・防具・戦術百科

世界史(ヨーロッパ)

 著者 マーティン・J・ドアティ、 原書房 出版 
 
 南フランスのカルカッソンヌにいった事があります。二重になった城壁がそっくり残っています。真夏でしたが、ちょうど雨が降り出し、膚寒さを感じるほどでした。やがて雨がやんで青空も見えてきて、いい写真が撮れました。場内のレストランで温かいカスレ(豆入りのシチューみたいなもの)を食べて身体を暖めました。もちろんワインも飲んで・・・・。この古城も、中世には騎士たちの攻防戦の舞台になったわけです。
シェイクスピアのヘンリー5世で有名なアジャンクールの戦いなど、ヨーロッパ中世の有名な戦場が図解されていて、大変分かりやすく、楽しめます。
 フランスは、勝てた戦闘を騎士たちの性急さで戦いをダメにした。一国一城の主から成る騎士たちを統率するのは王国といえども大変だった。
 その点、12世紀のイングランド王リチャード獅子心王は中世の指揮官としてはかなり異色の存在で、規律を重んじ、兵士たちに徹底させた。騎士たちは、近隣の領主より勇敢さに欠けると世間に思われるのは社会的破滅を意味していたから、彼らはみな恐ろしく向こう見ずだった。
 なーるほど、騎士が規律を守らなかったのには理由があるのですね。世間の目って、今も恐ろしいものです。
 馬はラクダの臭いや奇妙な姿におびえ、なかなか慣れることが出来なかった。ラクダに乗った兵士がいるのを見ただけで、騎兵部隊は逃げ出し、その戦闘力は落ちた。ラクダを馬が怖がったというのを初めて知りました。
戦場での戦いの推移が図示され、その当時の武器や武装が写真とともに図解されていますので、大変イメージが湧いてきます。
 騎士の多くは、自分たちが守るべきは貴族階級だけだと考えていたので、貴婦人に対しては親切で態度も丁寧だったが、農民に対しては、殴ったり、一般の女性を強姦しても、それが不適切だったという認識はなかった。
負けた敵に慈悲をかけるか。 その対象は貴族のみであり、それも思いやりというより、むしろ生け捕りして身代金目当てというのが多かった。
 モンゴルの弓騎兵は、中世を通してもっとも強力な戦闘部隊だった。替えのポニーを引き連れ、効率的に移動することができたので、かなりの距離を短時間でカバーすることができた。この戦略的な機動力のために神出鬼没の攻撃が可能だった。
真に有能な弓兵を養成するのは非常に難しく、その能力は高く評価された。弓兵は、ずっと希少価値のある存在だった。したがって報酬も良く、周囲から尊敬され、戦場でも指揮官から大切に扱われた。イングランドの弓兵は、だいたいヨーマン、つまり小規模な農場を所有する自由人だった。
 アジャンクールの戦いで、ヘンリー5世の弓兵隊は、持ち場の前に鋭い杭を打ち立てた。その杭を前へ移動させながら、軍をゆっくり進め、フランス軍に向かって攻撃を開始した。フランス軍の騎兵部隊は、イングランド投射兵部隊の前に、敗れ去った。フランス軍は100人の大貴族と諸候、1500人をこえるマン・アット・アームを失い、200人が捕虜にとられた。これに対して、イングランド側の死者は400人にすぎなかった。
 ヨーロッパ中世の戦闘の実情を知ることのできる便利な百科事典です。
(2010年7月刊。4200円+税)

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2011年1月10日

広重・名所江戸百景

日本史(江戸)

 著者 望月 義也コレクション、合同出版 
 
すばらしい本です。江戸百景が見事に描かれています。さすがは広重です。最後の解説は英文にもなっていますが、広重の海外での知名度の高さをあらわしています。
安藤広重は幕末のころの絵師である。定火消(じょうひけし)同心、安藤源右衛門の子として生まれた。定火消とは、江戸幕府の役職の一つで、江戸市中の防火と非常警備を担当した30俵二人扶持の下級武士の家柄。広重は、15歳のときに浮世絵師を志し、歌川豊広に入門した。文政6年(1823年)に絵師を専門の職業とし、家業の火消同心を辞した。
広重は風景画をよく描き、「東海道五十三次」「富士三十六景」などを立て続けに描いて名声を得た。
浮世絵は有田焼をヨーロッパに輸出するときの梱包用資材として用いられ、ヨーロッパに広く知られるようになった。とくにゴッホは浮世絵に魅せられ、自ら500点もの浮世絵をコレクションにした。ゴッホは油彩で3点を描写したり、背景画として取りいれてもいる。
広重は江戸後期にヨーロッパからもたらされたベロ藍(ベルリンブルー)を実にうまく使って、ニュアンスに富んだ水と空気の実感を、清涼感と透明感あふれる表現として定着させた。このため、ヨーロッパでは、広重ブルーという名称で賛美されている。
いやあいいですね。大胆な構図、そして鮮烈な色あいの絵を眺めていると、江戸時代の日本人が決して暗黒の世の中に生きていたわけではないことを、今さらながら実感することができます。合同出版の創立55周年記念出版だからでしょうか。こんなに立派な絵画集が1400円で手に入るなんて、夢のようです。 
(2010年8月刊。1400円+税)

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2011年1月 9日

ふたつの戦争を生きて

世界(ヨーロッパ)

 著者 ヌート・レヴェッリ、 岩波書店 出版 
 
 この本は、イタリアにおける第二次大戦での二つの戦争、ファシズムの戦争とパルチザンの戦争についての体験記です。歴史は風化させてはいけない。そう思わせる重味のある証言になっています。
軍の側の歴史書では、人間は常に単なる員数でしかなく、兵士は人的資源とされるだけ。しかし、それは魂のない歴史、価値の低いというより、まったく無価値の歴史、もっと言えば偽りの、誤った歴史でしかない。
 私は、あるとき、軍隊では動員された兵士の人数を数えるとき、決して○○人とか、○○○名とは言わない。あくまでも、○○とか○○○といった数字のみであらわす。そこには、「人」も「名」もない。このことに気がついて愕然としたことがあります。
 この本は、そうではなく、あくまで軍人も一個の人格ある人間としての動きが如実に描かれています。著者は、そのころ20歳だったのでした。私の20歳のころと言えば、東大闘争の真最中であり、無期限ストライキのなかで授業はなく、毎日毎日、集会とデモに明け暮れていました。全共闘の暴力と対峙してヘルメットをかぶり、スクラムを組んでいました。生命の危険を感じたことはありませんでしたが、同じクラスの友人(内山田明くんと言って純朴な好青年でした)が過労から急性白血病で病死することがありました。このほかにも精神的におかしくなって入院した学友もいました。
イタリアの田舎で生まれ育った著者にとってファシズムとスポーツは同じものだった。ファシズムは枠組みと組織と競技に勝つ機会を提供してくれた。お祭気分に浸っていた。イタリア中が制服だらけだった。リボン、メダル、バッジをつけた制服があふれていた。
農村社会にファシズムは容易に浸透しなかった。山の民はファシズムになじみが薄く、政治に無関心だった。戦争になってはじめて、目を開いた。
戦争に入って、企業は大儲けした。収賄罪が横行し、腐敗が目にあまった。
 イタリアの軍部はファシズムとは距離をおいていたようです。ドイツ国防軍にナチスと距離を置く高級軍人がいたのと似ています。
 将軍は、軍の準備不足はファシズムに責任があるのであって、軍にはないと将兵に告げた。イタリア軍に入った著者は、ソ連に侵入したドイツ軍の友邦軍としてソ連に侵入していったのでした。しかし、そこは零下20度から40度という酷寒の地でした。
イタリア軍は8万5000人がそこから帰国できなかった。ソ連の捕虜となった1万人は還ってきた。戦死したと確認されたのは1万1000人。6万4000人は行方不明者となった。退却中の死か捕囚のなかで死んだのかは不明。これに対して、ドイツ軍は300万人のソ連軍捕虜を飢えと苦役で死なせた。ソ連はドイツとの戦争で2000万人の死者を出した。
 イタリアのファシスト党幹部はロシア戦線に身を投じることもなく、戦後まで多くが生きのびた。
イタリアに帰還してから、著者はナチスドイツ軍と戦うパルチザンとなったのでした。
 パルチザンの多くは、軍隊経験がなく、銃を撃ったこともなかった。その手ほどきから始めた。ナチスとの戦いもすさまじいものがあったようです。
イタリアにおいても戦争の記憶の風化は深刻であり、レジスタンスの精神は忘れ去られ、反ファシズムの危機が叫ばれて久しい。そうなんですね・・・・。大切なことは後世にきちんと語り伝えられていく必要がありますよね。
(2010年7月刊。2800円+税)

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2011年1月 8日

大名行列の秘密

日本史(江戸)

 著者 安藤 優一郎、 NHK生活新書 出版 
 
 加賀百万石の前田家の大名行列はなんと4000人が参加していたというのです。信じられませんよね。駕籠に乗った殿様も優雅な旅を楽しんでいたというより、難行苦行だったようです。薄い蒲団しか敷かれていないので腰も足も痛い。朝から夕方まで乗り通しの火が何日も続くと、殿様の苦痛も並大抵ではなかった。
 殿様は、食事の好き嫌いを口に出すことは許されなかった。そして、出された食事は規定どおりの量を残さず食べなければならなかった。そうしないと、料理人の責任問題が派生する。
ええーっ、殿様って、わがまま放題かと思っていました・・・・。違うんですねっ。
大名行列の大半は、150人から300人くらい。江戸に入るときには、江戸屋敷結の家臣や江戸で雇用した人足たちが行列の半分以上を占めていた。これって、今の不正規雇用労働者ですね。
大名行列は一日に平均32~36キロは歩いた。盛岡藩南部家の記録によると、平均して一日に43~46キロ歩いた。ときに50キロも歩いた日がある。うへーっ、これってす、すごいことですよね。
 殿様専用の風呂桶を運び、また、携帯用トイレまで運んでいた。そして、とまりの本陣の殿様の寝床の下には、持参した鉄の延べ板を敷いた。床下に刺客が忍び込んでも殿様は守れるというわけだ。
飲料水も、江戸から国元までの道中で必要な分を持ち運んでいた。
前田家の場合、参勤に擁する日数は12泊13日というのが多かった。暮れ六ツ泊まり七ツ立ち。暮れ六ツ(午後6時)に旅宿に到着し、翌朝七ツ時(午前4時)には出発する。当時は左側通行が基本だった。
 京都は大名行列が立ち入ってはならないところだった。幕府が禁じていた。朝廷と諸大名とが結びつくことを幕府は警戒した。
昔から日本人が旅行好きだったことも明らかにされています。江戸時代の一端を楽しく知ることができました。 
(2010年3月刊。700円+税)

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2011年1月 7日

宇宙飛行士の育て方

宇宙

 著者 林 公式、 出版 日本経済新聞出版社 
 
 実に面白い本です。私は宇宙飛行士になれるはずもなく、また、そのつもりもありませんが、宇宙飛行士になるには何が必要なのか、その訓練はどんなものなのか、よく分かりました。
国際宇宙ステーション(ISS)は、10年かけて、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、日本、カナダの15カ国が協力してつくりあげたもので、サッカー場の大きさがある巨大な有人施設だ。
ISSでは尿を飲料水にリサイクルする。以前は、尿や便は廃棄し、水の大部分を地上から宇宙船で運搬していた。NASAは水再生装置を開発した。
ISSは90分で地球を一周するから、45分ごとに昼と夜がやってきて、温度や明るさが目まぐるしく変わる。船外活動をしているときには、そのたびに宇宙服の中を流れる冷却水で体温調節し、暗いときには手元を照らす。
ISSは地球上の高度400キロメーターあたりを飛行しており、そこにはわずかの空気があるため、大気との摩擦で徐々にISSの高度が下がって地球に近づいてしまう。そこで、1ヶ月に1回は、ISSのエンジンを噴射して、高度を上げる。
2010年まで、日本人8人が宇宙に飛び立った。一人目の秋山豊寛氏はTBS社員だったが、TBSは宇宙旅行の費用として22億円をソ連に支払った。す、すごーい大金ですね。いま、個人旅行で10億円出せば行けるそうで、アラブの金持ちなどが申し込んでいるようです。
 今のISSには、日本実験棟「きぼう」があり、そのため、1年から1年半に1回、半年間は日本人がISSに滞在することが認められている。
 宇宙飛行士の選抜基準として、大学で文系を専攻したひとは除かれる。宇宙飛行士で一番に求められるのは状況認識。その場の「空気」を読むのも含まれている。また、条件のなかには「美しい」日本語も入っている。事故の経験を生き生きと伝える豊かな表現力ということだ。
宇宙飛行士(大卒35歳)の本給は36万円ほどである。英語力はTOEICで800点以上。雑談になっても、楽しく会話できるかも問われる。
 二次選抜まで合格すると、長期滞在適正テストがある。窓のない閉鎖施設内に10人の応募者が一週間も缶詰め状態となる。そして、24時間テレビモニターで室外から監視される。面接ではグループディスカッションをする。出しゃばって、よく分かっていないのにとにかく一生懸命な姿勢を見せようとして発言するのは評価が良くない。基本姿勢として、人の意見をよく聞くこと、そして発言が不明確になったときには、的確に質問して、いい意見をさらに論理的に整理する方向に導いていく姿勢が評価される。
 逃げ場のない宇宙では、一緒にいて楽しいやつという仲間からの評価が実はかなり大きい。分かったふりするのが、もっとも危ない。宇宙では生死にかかわる。宇宙に行く前に徹底的に失敗させる。
宇宙飛行士にも恐がりが多い。逆に、怖さを知らない人は危ない。恐怖感があるからこそ、どうすればいいか対策を考える、最後の一瞬まで、宇宙飛行士は、あきらめずに、助ける方策を追い求める。
コミュニケーションの肝は、タイミングを外さず、マメであること。ここぞというときに、労を惜しまずに話す。
いやはやすごい訓練が課されるのですね。閉じこめられて一週間の集団生活なんて、私にはとても耐えられそうにありません。でも、宇宙に行ってみたら、さぞかし爽快、気持ちのいいことでしょうね。
(2010年10月刊。1600円+税)

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 大晦日の夜、近くの山寺へ恒例の除夜の鐘つきに出かけました。30年来、一度も欠かしたことがありません。我が家から歩いて15分、小高い山の中腹にあります。眼下に町の明かりが良く見えます。珍しく雪が降ってきました。年末年始は豪雪に見舞われるという天気予報の通りです。イヤホンでシャンソンを聞きながらじっと立って始まるのを待ちます。ひところよりは鐘をつく人が減りました。最盛期の半分くらいでしょうか。このところ、いつも最前列のグループに入っています。若いお坊さんが今年一年はどうでしたか、新年がみなさんにとっていい年でありますようにと挨拶して鐘をつき始めます。一家の安全を願って鐘をついたあと、紅白の小さな餅をいただいて帰路につきます。
 翌朝、正月の朝は銀世界になっていました。10年ぶりでしょうか。今年がどうぞ平和で穏やかな一年になることを心から願っています。

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2011年1月 6日

NO LIMIT

社会

 著者 栗城 史多、 サンクチュアリ 出版 
 
 日本人初、エベレストの単独・無酸素登頂。そして世界初となるエベレスト登頂のインターネット生中継に挑戦。
 私はテレビも見なければ、ネットサーフィンをすることもありませんので、著者のネット中継なるものを見たことはありません。でも、恐らく、あまりにも生々しくて、怖さを感じてしまうでしょうね・・・・。
 小さな体で一人。ビデオカメラを片手に巨大な山に向かっていく。上がったり、下がったりをくり返しながら、少しずつ、少しずつ頂上を目ざす。
この本には、写真をバックとして、こんな詩のようなフレーズに満ち充ちています。それが心地よく胸に響いてくるのは、やはり山々の写真の素晴らしさが背後にあるからでしょう。
ヒマラヤでの行動には強い意志が不可欠だが、必要な力はそれだけじゃない気がする。
身長162センチ、体重60キロの小柄な登山家です。
 22歳のとき、初めての海外旅行で、北米で一番高い山に一人で向かった。これが僕にとって人生初めての挑戦だった。不可能は自分がつくり出しているもの。可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくことに気がついた。
 酸素は地上の3分の1。気温はマイナス40度近くにもなる苛酷な世界がそこにある。一歩を踏み出す勇気は、今、やりたいという自分の気持ちを信じることから生まれる。高い山の世界には、どんなに強いやる気でも、それを奪う寒さと酸素の薄さがある。身体が震えて、震えを止めるだけでも必死。持ち物はすべて、地上の3倍くらいの重さに感じる。なにもかもがすべてが苦痛で、すべてのものが遠くに感じる。
 本当に大きなことを成し遂げるためには、自分のこだわりを捨てた方がいい。執着すると、大切なことが見えなくなる。見つけた夢はどこまでも追いたくなるものだが、それはまた危険なものでもある。山登りで一番危険なものは執着心だ。この執着をなくせるかどうかによって、登山の真価が問われる。だから山に入ってからは、絶対に登りたいという思いをなくす努力をする。登りきれば幸せなのは確実だが、頂上にいけるかどうかは、最後は山の神様が決めること。
 山を登って帰ってくると、いつも思うことがある。それは地上の温かさだ。仲間がいて、温かいご飯が食べられて、そしてまた明日が迎えられる。その温かさのありがたみを再認識するために僕は山に登っているのかもしれない。
まだ28歳の若々しい登山家の生命力がびんびん伝わってきます。きっとエネルギーをもらえる本です。
 
(2010年11月刊。1400円+税)

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2011年1月 5日

必生・闘う仏教

インド

 著者 佐々井秀嶺、 集英社新書 出版 
 
 すごい本です。日本人の僧がインドに渡り、今やインド国籍も得てインドで仏教復興運動のリーダーになっているというのですから・・・・。
著者は3回も自殺を試みています。もちろん、みな未遂に終わったので、今日があるわけです・・・・。1回目は、1953年ですからまだ18歳です。太宰治を愛読し、女性問題で悩んだあげく、青函連絡線に乗って海に飛び込もうとしたのです。そして、大菩薩峠でも自殺を試みました。さらに、乗鞍岳に登って、自殺を図ったのですが、寒さのなかで助けてくれーと叫んだのでした。いやはや、この本は、今や大変な高僧となった著者の人間像がかなり赤裸々に描かれています。
不惜身命(ふしゃくしんみょう)とは、他者の幸福のため、みずからの命を惜しまず、力を尽くすこと。
柔和忍辱(にゅうわにんにく)とは、他者の笑顔を守るため、みずから笑顔を絶やさず、屈辱にも耐えること。
著者は、アンベートカル博士を心から慕っています。
 アンベートカル博士こそ、13世紀にムガール帝国による大虐殺によってインド史の表舞台から姿を消したインドの仏教を現代に復活させた正法弘宣の大導師である。
 このアンベートカル博士は、1891年に不可触民階級のマハール(雑役)カーストに生まれた。ガンディーは、不可触民は神の子であると主張したが、アンベートカル博士は、これに強く反対した。人間は皆ひとしく平等であるというのなら分かるが、不可触民だけを神の子と呼ぶのはおかしい。ましてや、その神がカースト差別をするヒンズー教の神の子、総称「ハリ」というのは支離滅裂もはなはだしい。このように主張して、1956年10月、アンベートカル博士は、30万人の不可触民と共にヒンズー教から仏教への集団大改宗を挙行した。
仏教は不殺生が基本なので、その闘いは非暴主義に立つ。しかし、不当な暴力を前にして、それをただ受け入れるだけでは、相手の殺生罪を容認したことになる。そうならないためには、あらゆる手段、たとえば言論活動をはじめ、署名運動、抗議デモ、座り込みなど非暴力の闘争を展開する。それが不殺生(ふせっしょう)の闘いなのだ。非暴力を貫くためには、自己犠牲をふくむ必要最小限の力の行使をみずから選択しなければいけないこともある。
それにしても、日本人がまさしく生命をかけてインドの広大な大地を仏教再興を願って日夜かけずりまわっているのです。たいした仏教家です。驚嘆しました。 
(2010年11月刊。700円+税)

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2011年1月 4日

中世民衆の世界

日本史(中世)

 著者 藤木 久志、 岩波新書 出版 
 
 のっけから衝撃的な問題提起がなされています。年貢納入を前提として、百姓の
 逃散を認める、その年の年貢さえ払えば、百姓はどこへ行ってもかまわない、というのは、中世を一貫して近世に至っていたのではないか。「百姓は土地に縛りつけられた者」と断定すること自体が、もともと間違っていたのではないか。
 ええっ、な、なんということでしょうか・・・・。欠落人(かけおちにん)の田畠は、あくまでも「惣作」(村による耕作の維持管理)が建て前で、家財のように分散はしない、というのが焦点であった。
 村を捨てた欠落百姓を近世では「潰れ百姓」ともいった。この「村の潰れ百姓」もまた、本来、「かならず再興されるべき百姓株(名跡)」とみなされ、そのための積極的な再興作(賄い)が問題になっていた。
 村はずれに、村人たちが寄りあって建てた堂、惣堂があり、そこなら村の「方々」の断って借りるまでもない。だから、村人も気軽に旅人にそこを勧めた。惣堂は、「みんなのもの」でありながら、「だれのものでもない」と広く見なされていた。
 領主が地主に断りもなく村を他人に売り払ったとき、地元の住民は「逃散」という反対運動を起こし、売買を破棄させる。これは特異な出来事ではなかった。
 戦国の村から人夫を調達するには、その労働の程度に応じて、社会的にみて適当と思われる額の「代飯(だいは)」が支給されるのが通例となっていた。
 百姓の夫役は有償だったのであり、タダ働きではなかった。金額の多少を問わず・・・・。中世の軍役は、兵粮自弁ではないのである。
 領主側は、もっぱら朝廷に訴え、裁判によって解決するという道を選んでいた。これに対して村側は、一貫して実力行使によって解決しようとし、鎌を取る行為と、その返還要求が焦点になっていた。
 中世の日本で、百姓は意外にもしたたかで、しぶとく領主権力とたたかっていたのですね。改めて日本史を見直し、考え直してみる必要があると思いました。
(2010年5月刊。800円+税)

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2011年1月 3日

ヴェルサイユ宮殿に暮らす

世界(フランス)

著者:ウィリアム・リッチー・ニュートン、出版社:白水社

 ヴェルサイユ宮殿には私も2度ほど出かけたことがあります。まさしく豪華絢爛たる玉の宮殿です。しかし、実際にそこに住む人々にとっては、とても快適とは言いがたいところだったようです。
 太陽王と言われたルイ14世の公式な食事はいかにも豪華である。ポタージュ8種、アントレ10種、ロティ4種、アルトルメ8種、サラダ2種、果物4種、コンポート6種。うむむ、なんという種類の多さでしょう。いかにルイ14世が大食漢といえども、この全部を食べきれるはずはありません。食卓の残りは、官僚から下っ端の雇われ人にまで順々に回されていった。
 ルイ13世の狩猟用の館を、国王と宮廷の宮殿へと変貌させるには、7000万リーヴルがかかった。そのうち3900万リーヴルは城館と庭、そして、ヴェルサイユの町への水利のために費やされた。
 入浴は、衛生のためというより官能的な行為と思われており、ルイ14世が「国家の広間」の下に豪華な湯殿をつくらせたのも、寵愛する女性たちとの生活のためだった。
 お風呂はあまりなかったようです。
 ルイ14世時代のヴェルサイユには274個の椅子型便器があった。問題は排泄物の処理だった。「母なる自然の汚物」を処分する場所は、ほとんどなかった。トイレの数は、そもそも宮廷に出仕している者とその召使いたちを含め、城館の人数に見あったものとはほど遠かった。
 1780年には、城館の区域に29の汲み取り槽があり、その悪臭はひどいものがあった。年に一度の大掃除が、城館からネズミを一掃するチャンスだった。
 ルイ15世の時代になって、国王の私的な居室の中に水洗式のトイレが設置された。
 照明は、ろうそくの明かりによる。ろうそくには2種類あった。白ろうそくは、食卓や寝室用で、黄ろうそくは、質の劣るろうで出来ていた。黄ろうそくは、牛脂や羊脂の燭台のような臭いや煙は出さなかったが、白ろうそくよりも早く燃え尽き、溶け崩れも多かった。1739年に開かれた大舞踏会で使われたろうそくは、2万4千本以上だった。
 マリー・アントワネットの居室の照明予算は、冬が1日あたり200リーヴル、夏が1日あたり150リーヴルだった。年額では20万リーヴルをこえる。そして、その大部分は王妃付きの2人の女官頭が懐に入れていた。
 宮殿では、使用人が何でも窓から捨てていた。それは、不潔さとひどい臭気のもとになっていて、あまりの悪臭に我慢ならず、住居を出ようとする公爵夫人たちがいた。
 王族たちも、宮殿の不潔さに不満を口にしていた。
 うへーっ、なんということでしょうか・・・。
 ヴェルサイユ宮殿には226の居室があり、そこに1000人以上もの人々が詰め込まれていた。なんということでしょう。広大な庭に比して、宮殿のほうには1000人もの人々が生活できるとは、とても思えません・・・。
 ヴェルサイユ宮殿を生活の視点から眺めてみると、こうなります。
(2010年7月刊。2400円+税)

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2011年1月 2日

マダガスカルがこわれる

世界

著者:藤原幸一、出版社:ポプラ社

 アイアイのいる島、マダガスカルの原生林が消滅寸前だというのです。もちろん、犯人は人間です。現地の人々が生きていくために、森を切り開いています。その結果、野性の動物も植物も生息地を奪われてしまいます。そうなんです。あのバオバブの木も次々に立ち枯れていき、また、種子が発芽して子孫を増やしていくことが出来ません。
 マダガスカルの豊富な自然な写真によくうつっているだけに、その深刻さも、ひしひしと伝わってきます。
 バオバブが本来生息する乾燥した生態系に水が引かれたことから根腐れが起きて、バオバブの木が立ち枯れている。
 マダガスカルの主食は日本と同じ米。ここにも棚田がたくさんある。しかし、森林破壊によって水田の維持が難しくなっている。マダガスカルはずっと米と輸出国だったのに、1970年以降は米の輸入国である。
 マダガスカルの人口は1999年に1572万人だったのが、2009年には、2075万人にまで激増した。10年間で人口が1.3倍に増えた。世界最貧国の一つであり、国民の60%が1日1ドル以下の生活費で暮らしている。
 こんなマダガスカルの貴重な自然をぜひとも保存・維持してほしいと思わせる本です。
(2010年5月刊。1800円+税)

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2011年1月 1日

三国志逍遥

中国

著者:中村 愿・安野光雅、出版社:山川出版社

 「三国志」は、私も学生のころ愛読しました。「水滸伝」と並んで、中国大陸の広大さと、そこに生きる人々の活力に圧倒され、躍動する心を抑え切れないほどでした。
 その「三国志」の現地へ出かけています。そして、絵を安野光雅が描いています。それがまた実に味わい深く、つい現物を見てきたかのように活写されているのです。
 曹操は悪者ではなかった。曹操は、周公の立場で26歳も年下の皇帝を誠心誠意、補佐した。董卓や袁術や袁紹などのように、おのれの権力欲を満たし、栄華を夢見て皇帝の座を手に入れようと目論んだ軍閥・輩とは異なるのだ。
 曹操は、自らが皇帝となるのを願わなかった。漢の遺臣であり、周公の立場に徹するという信念があった。
 曹操は66歳のときに病死しました(220年)が、その墓が発見されたと中国政府が発表しました。本当だとしたら、大変なビッグ・ニュースです。
 曹操の頭蓋骨まで残っているということです。ぜひとも確認してほしいところです。
 それはともかくとして、中国の「三国志」の世界にイメージたっぷり浸ることのできる楽しい本です。
(2010年3月刊。1900円+税)

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2011年1月31日

捕食者なき世界

生き物

著者 ウィリアム・ソウルゼンバーグ、    出版 文芸春秋
 シャチはいるかの仲間で飛びぬけて巨大で破壊力がある。体長9メートル、牙を持つクジラだ。6トンの巨体を時速50キロで進む。ときにはホッキョクグマも食べる。体長15センチのニシンから18メートルあるシロナガスクジラまで海で泳ぐものは何でも襲う。平均して、1日に自分の体重の5%の量を食べる。あるシャチの胃には14頭のアザラシと13頭のネズミイルカの残骸が入っていた。
 捕食者を締め出すと、高くつく。森林野生動物も犠牲になる。オオカミを追い出すと、鳥や植物など多くのものを失うことになる。なぜなら、オオカミが自然を管理しているから。
 肉食動物がいなくなり、ハンターが締め出され、草食動物にとって唯一の危険因子が自動車だけになった森は、どこも深刻なダメージを受けた。 上位の捕獲者が消えた環境では、それより小さな下位の捕食者の国が勢力を伸ばし、10倍にも数を増やして好き勝手をするようになる。
サハラ以南のアフリカではヒヒが大量に増殖し、目にあまる略奪を繰り広げている。ライオンやヒョウがいなくなった広い地球を、化け物じみたヒヒの集団が占領しはじめた。いつでもどこへでも行けるようになったヒヒたちは、アフリカの作物泥棒兼殺し屋となり、人間の女や子どもを襲って食料を奪い、家を壊して侵入し、膨大な数の家畜や野生動物を殺している。うへーっ、これって怖いですね。
オオカミが多いほどヘラジカは少なくなり、年輪の幅は広くなる。オオカミの個体数が多い年には、森林が育つ。オオカミは森林の力になる。そうなんですね。
鳥獣保護区域に設定され、シカの狩猟は禁じられ、シカを捕食する動物はことごとく殺された。25年間で、6000頭もの肉食動物が殺された。800頭のピューマと、オオカミ30頭もふくまれていた。その結果、シカは4000頭が10万頭にふくれあがった。そうなるとシカは全部を食い尽くし、飢えて死ぬか、病気で死ぬしかない。シカを増やすために捕食動物を皆殺しにすることは、いかに愚かかということである。大型の捕食者が消えるということは、生物世界が不毛になるということを意味する。
うふーっ、人間ってこんなにも考えの足りない、身勝手な存在だったんですね。森には、トラがいて、ライオンがいて、またオオカミがいてこそ安定した生態系が保全されるということを改めて認識させられました。シカやきつねがいるだけでは、かえって森も滅びてしまうことになるなんて、私の考えつかないことでした。だって、熊のいる森の中なんて恐ろしくて入っていけませんからからね。でも、これこそが人間の身勝手さなのですね。森は人間のためにだけにあるわけではないということをすっかり忘れていました。私のボンクラ頭をガツーンと殴られた気がする本でした。

(2010年9月刊。1900円+税)

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2011年1月30日

大祖国戦争のソ連戦車

ロシア

著者 古是 三春 、   カマド 出版 
 
 1941年、ナチス・ドイツ軍がソ連に電撃的に侵攻していったとき、モスクワ攻防戦で大活躍したソ連赤軍のT-34戦車というのはどんなものなのか前から関心がありました。この本は、このT-34戦車の生いたちと活躍の状況を紹介しています。
 スターリンの重大な誤りによって大損害を蒙っていたソ連ですが、T―34戦車の必死の大増産によってなんとか挽回することが出来たのでした。
 ドイツ軍のグデーリアン将軍はT-34戦車の威力に脅威を感じたといいます。
ソ連は、ドイツ軍の侵攻を受けて、レニングラードやハリコフなどの西欧地区の工業都市にあった軍需企業をウラル山脈以東へ疎開させた。1500以上の工場を解体して東部へ移動させたが、その規模は鉄道貨車に換算して150万輌にもなる。T-34戦車の大増産が始まり、1942年には1万2千両を戦場へ送り出した。
 T-34戦車の製造工場では、全設備の70%が流れ作業方式でつくられた。スターリングラードも後に1942年9月には戦場になったが、同年8月まではT-34戦車の生産を続けていた。しかし、1943年7月のクルスク大戦車戦では、T-34戦車を主力とするソ連軍はドイツ軍のティーガー重戦車などの前に大損害を蒙ってしまった。このとき、T-34戦車の8割以上が喪われてしまった。
 それでも、T-34戦車はドイツ側からすると、「洪水のようにあふれる戦車の波」がソ連側の戦場に出現したわけです。
T-34戦車の優れた点は、量産を考えて信頼性を重視し、極力単純に設計されていること。ロシアのぬかるみの大地や豪雪地帯でも行動できた。ディーゼルエンジンは燃費に優れ、耐久性に富む。最大速度は時速51.5キロ。ドイツ軍の対戦車砲もはね返す車体となっていた。
ソ連の大祖国戦争の実際を知るうえでは、前に紹介しました『戦争は女の顔をしていない』(群像社)をぜひ読んでみてくださいね。
(2010年2月刊。1600円+税)

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2011年1月29日

世界一空が美しい大陸・南極の図鑑

世界

著者 武田 康男、    出版 草思社
 楽しい、不思議な気持ちにさせる写真集です。南極大陸なんて、行こうと思っても簡単に行けるところではありませんが、そこで撮られた美しい写真を眺めていると、なんだか心が落ち着いてきます。なぜでしょうか・・・?
 オーロラは本当は昼間にも起きているが、人間は暗い夜しか見られない。南極の夏は白夜なので、オーロラは見られない。オーロラは太陽活動が激しいときに多く見られる。オーロラの緑色も赤色も、空気中の酸素原子が出す色である。
 オーロラは、太陽圏のプラズマ粒子(空気を帯びた粒子)が地球磁気圏のなかに入り込むことで起きる現象だ。高さ100キロメートルの空気分子にぶつかって発光している。
さまざまな色と形のオーロラが紹介されています。
 オーロラは空気が光っているので透き通り、オーロラのうしろにも星が見える。
 南極の夕焼け、そして朝焼けも素晴らしい。絶景です。
 南極の夜にダイヤモンドダストが漂う。ダイヤモンドダストの正体は、六角形の柱状の形をした雪の結晶である。表面で光を反射したり、内部で屈折したりして、さまざまな光の現象をつくる。
一度はぜひ見てみたい、夢幻的な現象です。
南極の夜空には、たくさんの人工衛星が見える。衛星の集合場所のようになっているからだ。しかも、南極では高い空に太陽光が当たりやすいために、よく見える。
 南極には、地球上の淡水の7割、氷の9割が存在している。南極大陸の氷が全部溶けて海に流れ出したら、世界の海水面は60メートルも上昇する。
うひょーっ、そうなれば、東京なんて、ほとんどが海面下ですね。まさに「日本沈没」です。といっても、すぐのことでありません。
 南極大陸に生活する人々の大変さはともかくとして、そこで撮られた写真の美しさ、不思議さに驚嘆してしまいました。ありがとうございます。著者に心よりお礼を申し上げます。
 
(2010年8月刊。1600円+税)

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