弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2015年4月 3日

帝国の慰安婦


著者  朴 裕河 、 出版  朝日新聞出版

 慰安婦問題を多角的に解明している本です。300頁、2100円という本ですが、ずっしり読みごたえがあります。
慰安婦の存在を世に広く知らしめたのは日本人だった。1973年、千田夏光(せんだかこう)の『従軍慰安婦、声なき女、8万人の告発』という本。
 当時の朝鮮では、まだ幼い少女たちをだまして連れていって売り飛ばすことは少なくなかった。わずか12歳の少女をかどわかして酌婦として売り飛ばそうとしたのは、同じ村の人だった。
 幼い少女たちが「慰安婦」になったのは、殆どの場合まわりの人がだまして連れていった場合が、彼女が所属した共同体が彼女を保護するような空間ではなかったケースである。
 慰安婦の多くは日本軍に要請連行されたというより、誘惑に応じて家を離れたと語っている。ただし、日本軍が慰安婦を必要とし、募集と移動に関与したことだけは否定できない。
 兵士たちに供給できる女性をもっと調達しようとした軍の希望を直接または間接的に知った業者が、慰安婦を「募集」した。
 慰安婦の多くは二重性をもつ存在だった。300万をこえる膨大な人数の軍隊がアジア全域にとどまりながら戦争を行ったため、需要が爆発的にふえた状況に対処すべく動員されたのが、慰安婦である。日本軍慰安所は、一様ではない。
 慰安婦を必要としたのは、間違いなく日本という国家だった。しかし、その需要にこたえて女たちを誘拐や甘言などの手段まで使って「連れていった」のは、ほとんど中間業者だった。「強制連行」した主体を日本軍とする証言も少数ながらあるが、それは軍属が制服を着て軍人と勘違いされた可能性が高い。
 軍と何らかの関係をもっていた朝鮮人が、その特権を利用して、軍の管理下に慰安所を経営していたのであろう。国家の規律を利用して慰安婦たちを競争させ、繰り返される暴行で「管理」していた主体は業者たちだった。当時も不法とされていた行為をしていた業者が多かったことを看過してきたことが「慰安婦」に対する正確な理解を難しくしてきた。
挺身隊とは、男たちが戦場に送られて労働力が不足したもとで、女性を工場の一般労働力として動員するための制度である。
 挺身隊に動員された若い人は、学校教育システムのなかにいた者たちである。
 慰安婦のなかで暗黙に公認された「強制」と強姦の対象は、中国やオランダ、フィリピンなど、「敵国」の占領地の女性だった。
軍人たちが戦争をしているあいだ、必要なさまざまな補助作業をするように動員された存在が慰安婦だった。その補助作業のなかでもっとも大事だったのは、軍人たちの性欲にこたえることだった。そこは、あたかも疑似家庭のような空間でもあった。性的に搾取されながらも、最前線で死の恐怖と絶望にさらされていた兵士を、後方の人間を代表とする女として慰安し、彼らの最期を疑似家庭として見守る役割を果たしていた。
朝鮮人慰安婦たちは、小百合や桃子などの花の名前の日本名で呼ばれた。植民地人が日本軍慰安婦になることは、「代替日本人」になることだった。
 朝鮮人慰安婦と日本人兵士との関係は、構造的には「同じ日本人」としての「同志的関係」だった。
 慰安所の役割は性欲を満たすことだけでなく、軍人たちの「心を和らげ」るとにもあった。
 身体以上に心を慰安する機能が注目された。慰安婦と一緒に泣く軍人たちは、必ずしも同情だけでなく、自分の立場もまた慰安婦の運命に劣らないと思って泣いたのだろう。
 慰安婦が、国家によって自分の意思に反して遠いところに連れていかれてしまった被害者なら、兵士もまた、同じく自分の意思とは無関係に、国家によって遠い異国の地に「強制連行」された者である。
 朝鮮人慰安婦は、植民地の国民として、日本という帝国の国民動員に抵抗できずに動員されたという点において、まぎれもない日本の奴隷だった。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、その側面のみに注目して、「被害者」としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。
 慰安婦、つまり性的サービスを強制された主な対象は、まともな教育を受けられなかった乏しい階層の女性だった。そして、慰安婦の平均年齢は、25歳だった。
 オランダ人慰安婦は、日本軍にとって征服の結果として得た「戦利品」だった。日本人、朝鮮人、台湾人の慰安婦は、士気高揚の目的で常に必要とされた軍需品だった。彼女たちは、ともに男性と国家の被害者である。
 慰安所は、占領地の女性を強姦しないためという名目で作られた。そのことから、慰安所をつくらないで強姦をくり返した他国について野蛮な国とする人もいる。しかし「野蛮」(被管理)に対照される「文明」(管理)的場所としての慰安所は、貧しさやその他の理由で「もの」として扱われやすかった女性が集められた場所だった。そのような暴力を公式に容認した場所でしかない。つまり、慰安所とは、人間が人間を「手段」に使っていいとする「野蛮」を正当化する空間でしかない。性病の管理をしっかりしたという意味で、いたって「文明的」な顔をした、野蛮で暴力的な場所というほかない。
 大変勉強になりました。「慰安所」について大いに考えさせられる本として、ご一読を強くおすすめします。
(2014年11月刊。2100円+税)

2015年3月21日

還暦からの医療と法律


著者  川人 明・川人 博 、 出版  連合出版

 川人(かわひと)兄弟は、東大駒場の自治会で活躍していました。どちらも団塊世代となりますが、私は弟の明弁護士とだけ面識があります。
 川人弁護士は東大駒場で長く「川人ゼミ」を主宰していることで有名ですが、労災裁判とりわけ過労死裁判の第一人者です。
 川人医師のほうは、東大医学部を卒業してからは、地域医療に長く従事してきたとのこと。
 その臨床経験から、近藤誠医師の「がんもどき」説を批判しています。
 兄弟とも、それぞれに著書がありますが、本書は川人兄弟の初めての共著です。
 医師についてのQ&A、そして法律問答があり、さらには川人兄弟の生い立ちの語りをふくめた対談があって、実務的であると同時に、なかなか興味深く考えさせられる内容になっています。
 いずれにしても、私をふくめて、いつのまにか、みんな還暦を過ぎてしまっています。ですから、どうしても体力とか健康・介護の話題に集中してしまうのです。
 がん検診のうち、費用対効果の優れているのは、胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、子宮がん検診の五つである。
 近藤誠医師の「がんもどき」は、「本物のがん」と何でもって診断できるのかという肝心のところが、どの本を読んでもさっぱり理解できない。ただし、根治不可能ながん患者を痛めつける化学療法(抗がん剤治療)への非難については共感できる。
 脳梗塞の前ぶれは、つまずきやすくなり、転倒する。ものが二重に見える。急に言葉が不自由になって、ろれつがまわらない、言葉がでなくなり。ところが、やがて何事もなかったように回復してしまう。しかし、2%の人は48時間内に脳梗塞を起こし、1年以内だと10倍以上にもなる。
 認知症の中核症状を改善させる治療法はない。長期的にみて、進行速度を抑える効果があるだけ。
 認知症は、頭の働きが悪くなるだけではなく、全身の動き、手足の動きも悪くなる。末期になると、飲み込めない、食べられない。食べることすら忘れる。生命としての機能、動物として生きるいろいろな能力が全部衰えて悪くなっていく。
 末期のがん。再発・転移のある場合は、積極的な治療はやめておいたほうがいい。副作用のつらさがあり、下手すると化学療法をやったほうが命を縮めてしまうことがある。
 原因になっているがんを叩く治療をすると、その副作用のためにかえって本人の調子が悪くなりかねない。生活がものすごく制約されてしまう。完治は難しいと思ったら、緩和療法をして、残りの人生をよくするように自宅へ帰ったがまし・・・。
 東大では、世帯収入が400万円以下の新入生は授業料が100%免除される。そして、東大・三鷹にある学生寮に安く住むことができる。どれだけ利用する学生がいるのでしょうか。東大生の家庭は裕福なところが多いのは周知の事実です。
 川人弁護士から贈呈を受けて読んだ本です。ありがとうございました。
(2015年3月刊。1600円+税)

2015年3月15日

私の人生・社会・読書ノートから


著者  小林 保夫 、 出版  清風堂書店

 大阪の先輩弁護士が来しかたを振り返り、書いてきたものをまとめて本にしました。
 タイトルのとおり、長い弁護士人生を語っていて、味わい深いものがあります。
まずは、著者の母と父について語られています。私も父と母の一生を伝記(読みもの)としてまとめてみました。その作業を通じていろんなことを学ぶことが出来ました。
 著者の生みの母親は29歳の若さで亡くなっています。夫が三度にもわたって召集されて中国へ兵隊として駆り出され、その留守を守って家業と4人の子どもの世話に追われるうちに肺を病んで、29歳で亡くなったのです。
 そして、父親の再婚で稼いできた新しい母親は、伏せ字だけの『蟹工船』を嫁入り道具の中に入れていたといいます。
 著者の父親は71歳で亡くなり、母親は95歳で亡くなったとのことですが、私もほとんど同じ年齢で両親を亡くしました。
著者の父親は、21歳から38歳までという人生最良の時期に3度も兵隊として中国の戦場に駆り出された。中国大陸での作戦行動の詳細が几帳面な筆跡で記録したものが残っている。
 1937年の日本軍による南京大虐殺事件のときにも、南京城郊外に布陣していた。
 そして、中国人に対して残虐な行為をしていた日本兵は、同時に、善良な夫であり父でもあった。
 著者の父親は日本にいる子どもたちへ、中国の風物を色エンピツで描いた手書きの絵ハガキを送っている。
私の父は、病気になり、そのため中国本土から台湾の病院へ送られ、日本内地に帰還して命拾いをしました。
 著者は阪神・淡路大震災を体験しています。その体験記を読んで、水不足とトイレ問題が深刻だったことを改めて思い知りました。
 著者は、長い弁護士生活のなかで、一般の市民事件において11件の無罪判決を得たとのことです。たいしたものです。私は、一般的な市民事件で得た無罪判決は1件しかありません(もう1件ありますが、それは、公選法違憲・無罪判決です)。
 著者は労働・公安関係の刑事事件で、9件もの無罪判決を得たといいます。いやはや、たいしたものです。頭が下がります。
 法廷で証人尋問した警察官はのべ100人を下まわらないというのですから、恐れ入りましたというほかありません。私も警察官は何人か尋問していますが、せいぜい片手ほどしか思い出せません。
 無罪判決を獲得した事件で、反対尋問を成功させる秘訣について、著者は次のようにコメントしています。
 反対尋問の成否は、弁護士が被告人の無罪について確信をもつかどうかに大きく左右される。そして、そのためには、弁護人として被告人の訴えに敏感に反応する正義感あるいは素朴な情熱が求められている。
 そのうえで、徹底的な調査と事実の分析をして、事実に精通しておくことだ。
敵性証人に対する尋問にあたっては、開始直後の数分の応酬において証人に対して心理的な優位を獲得しておく。この優位の獲得は、尋問者を勇気づけ、余裕を与え、反対に証人を萎縮させる。その結果として、尋問者にとって状況を実際よりもはるかに有利に変えてしまう。
 はじめのうちの重要な尋問事項において、証人に抵抗しがたいことを悟らせ、諦めさせ、事実を述べるほかないという心境に追い込むことによって、被告人の無罪や行為の正統性の事実を明らかにすることができる。
 弁護人は、反対尋問の内容、過程で、絶えず裁判官の態度や反応を観察し、尋問とこれに対する証言を通して裁判官の疑問にこたえて、その理解を深めるという観点を貫かなければならない。
 著者は旺盛に読書し、また海外へ旅行しています。私も同じようにがんばっていますが、読んだ本はともかくとして、出かけた海外の国では私が圧倒的に負けています。私は、たとえば南アフリカとかロシアなどには行っていません。
 ただ、私はフランス語が少しばかり話せるので、モロッコやカナダなどには行ってみたいと思ってはいます。
 小林先生、ますますお元気でご活躍ください。
(2015年1月刊。1500円+税)

2015年2月15日

弁護士ドットコム


著者  元榮 太一郎 、 出版  日系BP社

 今や日の出の勢いとも言うべき弁護士ドットコムについて、創業者である弁護士が苦労話を語った本です。
月間の訪問者は660万人。登録する弁護士は7000人、これは日本の弁護士の5人に1人にあたる。サイトに寄せられる法律相談や問い合わせは月に1万500件。
モバイル有料会員は、毎月、純増1000人というペースで増え、1年で1万人を突破した。2014年には4万人をこえた。
 登録する弁護士は、2010年6月に200人、2011年6月に3000人、2012年4月に4000人をこえた。FAXのほか電話によるアプローチをはじめると、2013年5月に6000人、2014年8月に7000人となった。
 弁護士向けの有料サービスを2013年8月にスタートした。有料会員はサービス内容によって、月2万円、3万円、5万円のプランがある。有料会員は、1年しないうちに900人をこえた。
 2014年に入ってから、赤字が長く続いた弁護士ドットコムは、採算がとれるようになった。月商ベースで前年同月比2倍の売上高となった。
 弁護士ドットコムを運営する主体となっている法律事務所は、今や弁護士28人、事務所スタッフをふくめると120人という大所帯である。
 2014年12月、弁護士ドットコムは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。
 著者は1975年生まれなので、現在40歳(まだかな?)。弁護士になってから3年間は、東京の四大事務所の一つ、アンダーソン・毛利法律事務所に在籍した。
 しかし、退職してベンチャー企業を目ざしたのです。やはり、若さですね。
 私の法律事務所でも、一人だけ弁護士ドットコムに加入しています。それなりの反応はあるようです。
 社会がインターネットを活用している社会環境のなかで、いち早くそれを弁護士業界に生かした点で、著者には先見の明があったというべきなのでしょうね。といっても、私自身はネットを依然として見るだけなのです・・・。
(2015年1月刊。1400円+税)

2015年2月11日

憲法と沖縄を問う


著者  仲山 忠克・井端 正幸ほか 、 出版  法律文化社

 戦後、沖縄は日本国の一部でありながら、アメリカに支配されていた。しかし、このアメリカの沖縄支配は、国際法に反する、違法な軍事占領もしくは事実上の支配にすぎなかったのではないか。
 アメリカの支配下にあるとはいえ、沖縄にアメリカ合衆国憲法が適用されたわけでもない。沖縄は、「憲法番外地」だった。
 私が大学2年生のとき(1968年)、沖縄でついに主席公選制が実現し、屋良朝苗(革新)主席が誕生しました。そのとき感激を今も覚えています。もちろん、私は、そのころ沖縄に行ったことなんて、ありません。
 米軍は、住民のいなくなった土地を囲い込み、また住民を排除して、現在もある広大な米軍基地をつくりあげた。しかし、戦闘行為が終了したあとの土地取り上げは、財産権の保護を定めたヘーグ陸戦法規(条約)に違反する。
 1972年5月、沖縄は日本に復帰し、日本国憲法の適用を受けるようになった。私が司法修習生になった年のことです。それまでは、沖縄に行くには同じ日本なのに、パスポートが必要でしたし、公然たる共産党員は行けませんでした。
 日本政府は、1978年からアメリカ軍に対する「思いやり予算」をはじめた。はじめは62億円だったのが、2008年には2083億円にまでふくらんでいる。
基地で働く労働者の賃金や基地にかかる光熱費その他を、私たち日本国民の税金でまかなっているのです。沖縄にいる海兵隊は、イラクなどへの殴り込み部隊であって、日本防衛のための軍隊ではありません。それなのに、経費丸がかえなんて、とんでもないことです。
 アメリカ軍は、日本の領土内で活動しているにもかかわらず、日本の「法への支配」を受けないで活動しています。いわば「無法地帯」があるのです。
 アメリカ軍への不公平な優遇措置を定めた日米地位協定について、日本政府は一度も見直しをせず、アメリカの言いなりです。これでは、日本は完全な独立国家とは言えません。
 よく「押しつけ」憲法だという人がいますが、この不公平な現実には目をつぶって、何も文句を言いません。不思議なことです。
 アメリカ軍は、軍隊としても軍人個人としても、何ら法的責任を追及されることがない。
沖縄の弁護士と学者が共同執筆した本です。学生向けの教科書として使われることを意識した本だということもあって、大変わかりやすい内容になっています。
編者の一人である仲山忠克弁護士より贈呈していただきました。正月休みの人間ドッグのときにホテルで読みふけった本の一つです。人間ドッグは、積んどくになった分厚い本を滞貨一掃する絶好の機会なのです。ちなみに、昨年(2014年)に読了した単行本は602冊でした。それだけ、あちこちに出かけて移動時間が多かったということです。健康と経済状態に恵まれて出来たことですので、ありがたいことだと思っています。
 仲山先生、遅くなりましたが、いい本を贈呈いただきまして、お礼を申し上げます。
(2010年7月刊。2000円+税)

2015年2月 4日

「ニッポンの裁判」


著者  瀬木 比呂志 、 出版  講談社現代新書

 同じ著者による前の『絶望の裁判所』は、いささか刺激的すぎるタイトルでもあり、いくらか抵抗感がありましたが、今回は、タイトルにふさわしく読みやすくなって、日本の裁判所の抱えている問題点が鮮明になっているという印象を受けました。とは言っても、「明日は、あなたも殺人犯!!」というサブ・タイトルには、ギョギョッとされますよね。そして、唖然、呆然、戦慄、驚愕、日本の裁判は中世並み、というのにも、やや心理的に抵抗を覚えます。
 とは言うものの、私も、やる気のなさそうな裁判官にあたったり、「理論」が上すべりするだけで、事案の適正妥当な解決を考えようともしない裁判官に日々接していて、呆然として、立ちすくんでしまうことも多いのです・・・。
 裁判官は、ある種の総合的直感にもとづいて結論を出している。裁判官は、主張と証拠を総合して得た直感によって結論を決めているのであり、判決に表現されている思考過程は、後付けの検証、説明に過ぎない。
 裁判官は、訴状や双方の準備書面そして主要な書証で8割は心証を決めている。証人や本人の証言を聞かなければ判断がつかないというのは2割程度しかない。弁護士生活40年をこえた私も、この点は、きっとそうなんだろうなと思います。
 民事の判決は、必要以上に長くて読みにくいが、訴訟の肝心な争点については、そっけない形式論理だけで事務的に片付けてしまっているものがかなり多い。のっぺりとした官僚の作文である。
 裁判官を人間機械のようにみる考え方は明らかに誤りである。実際には、裁判官は、あなたと何ら変わりのない生身の人間であり、その人間性や能力が、裁判の質と内容に大きく関係する。このように、裁判官も人間であり、また、国民にとって重要な裁判ほど、裁判官の人間性に深く影響される。
 最高裁長官は、やめてしまえば、ただの人。矢口洪一のような独裁的人物でさえ、腹心の部下たちに裏切られ、退官後は大きな影響力をもちえなかった。この点は、検察とは大きく異なる。検事総長などは、まだ実質的な決定権をもっていない小僧っ子と言われるほど、検察OBたちの力は強い。
 私の同期の検事総長だった人を見ても、そうかもしれないなと思ってしまいました。
 裁判所当局は、原発(原子力発電所)訴訟について方針転換している。
 一般に、動いているものを差し止めするのには、大きな勇気と決断力が必要となる。
 福島原発事故は、客観的にみても「想定不能の天災」などでは全くなかった。
 最高裁の千葉勝美裁判官について、その権力擁護者的な姿勢は実に一貫していると、著者は厳しく指摘しています。エリート裁判官としての歩んできた裁判官について、このように実名で批判することこそ、今の日本に求められているものではないでしょうか。その点で、私は、この本と著者を高く評価します。もちろん、千葉裁判官には反論する権利があります。第三者としては大いに反論してほしいところです。
 民事保全事件の激減を著者は問題としています。この点も、私は本当に同感なのです。というのは、弁護士生活40年のうち、当初の20年間ほどは仮処分・保全事件がありましたが、この20年間は、まったく保全・仮処分事件がないのです。申し立てたこともなければ申し立てされた人の相談を受けたことも、ほとんど記憶にありません。
 裁判所に対する人々・企業の期待が激減していることの反映ではないかという指摘は、まったくそのとおりではないかと思うのです。でも、そんなことではいけませんよね・・・。
かつての法廷には緊張感があった。弁護士は、裁判官の言うことには、よく耳を傾けた。裁判官も、当事者の言い分を丁寧に聞いて、紛争の本質や背景についての見きわめ、そのために真に紛争解決にふさわしいものを考えようという姿勢があった。だから、和解でも判決でも、その結果に納得できた。
 でも、最近は、そういうことがない。裁判官は記録をきちんと読まず、和解で早く事件を片付けたいという姿勢が露骨だ。
 今の日本では、優等生の質の劣化がはなはだしい。だから、学生から裁判官になる人々の質の劣化は当然のこと。
 日本の裁判官にあまり期待しすぎてはいけないと思う一方で、やはり、裁判官らしく公正かつ妥当な紛争の解決を目ざしてほしいものだと思っている次第です。ぜひ、あなたも読んでみて下さい。
(2015年1月刊。840円+税)

2015年1月28日

脱ダムへの道のり


著者  編集委員会 、 出版  熊本出版文化会館

 熊本県の住民が川辺川ダムを苦労の末に止めた闘いの教訓を学ぶことのできる本です。
ハードカバーで、400頁をこえる大作ですので、手にとるのに少し勇気がいりました。正月休みの人間ドックのときにホテルに持ち込んで読了しました。
とても勉強になりました。とりわけ、行政とのたたかい方は、大いに参考になりました。広く、多くの国民に知ってもらいたいと思います。何事によらず、権力の横暴とたたかうためには、あきらめないことが肝心です。
川辺川ダムを建設する話がもちあがったのは、今から60年も前の1954年(昭和29年)のこと。すごーく古い話です。そして、そのときのダム計画は、水力発電を目的とするものでした。
1950年(昭和25年)ころ、五木村の人口は6000人をこえていた。ところが、1970年(昭和45年)には4000人、2007年(平成19年)には、わずか1400人にまで減ってしまった。
それは、気象災害、ダム計画がもたらした村内対立そして、展望のないまま外へ移住していったことによる。
1966年、建設省は治水を主たる目的として川辺川ダム建設構想を打ち出した。
1968年に、利水(かんがい)を含む多目的ダム構想によって、ダム反対を叫ぶ五木村は孤立化していった。国と県は、五木村を孤立化させながら、「所得」と「札束」で揺さぶりをかけた。
行政処分に対して異議申立したとき、口頭審理の申立ができる。申立があれば、法によって審査は口頭でしなければならない。
私も、公害認定審査会における口頭審査を何回も体験しましたが、これは、裁判の口頭弁論以上に面白いものです。行政とのあいだで丁々発止のやりとりができます。真剣勝負です。もちろん、そのためにそれなりの準備が必要です。
弁護団は、口頭審査申立書を農水大臣あてに送付した。その回答が来ないので、九州農政局へ抗議に行った。すると、課長や次長は「口頭審理の申立など知らない」とうそぶき、抗議団を立たせたままで応対した。次長に至っては、足を机に乗せてスポーツ新聞を読むという対応だった。そして、抗議団の一人が帽子をかぶっていると、「帽子を取れ」と高飛車に命令した。
弁護団が、行政手続は送達主義であって、裁判の到達主義とは違う。このように説明しても、農政局は、口頭審理申立書を受けとっていないと繰り返した。やむなく弁護団が抗議したあと事務所に戻ると、九州農政局の課長らが追いかけてきて、「口頭審理申立書が来ていました」と言いながら、土下座して謝罪した。
なんということでしょうか・・・。しかし、まだその次があります。今度は、口頭審理の日時・場所を一方的に指定したうえ、発言は代理人に限るとしたのです。とんでもないことです。
発言する人のための椅子は一つだけ。農政局側は十数人が机を前に座っている。そして、窓のカーテンを閉める。隣のビルからのテレビ局の撮影を妨害しようとする。それで、閉めたカーテンを開けさせた。そのうえ、農政局側は、本人の発言を許さないという。
そこで農政局の法律スタッフに「使者」という概念があるのを確認させ、弁護士が「私の使者である○○さんに発言させる」と言って、本人発言を認めさせた。結局、こうやって本人発言を認めさせていって、合計207人もの住民が口頭意見陳述を実行した。
このたたかいによって、はじめは弁護団に依頼しなかった人たちも、裁判のときには弁護団に委任するようになった。
川辺川ダムの裁判では、一審の熊本地裁では敗訴したものの、福岡高裁では逆転勝訴します。福岡高裁の井垣敏生裁判長は、第一回口頭弁論で、双方の主張をスライドなど絵を使ってするよう求めた。そこで、原告弁護団は動画を作成し、4×4メートルのスクリーンで上映し、国を圧倒した。井垣裁判長も偉いと思いますが、それにこたえた原告弁護団も見事ですね。
そのうえで、原告弁護団は、4000人の農家を調べて、その3分の2以上の同意がないことを立証するという大変な作業にとりかかったのです。土、日、祭日に農家の人たちに地域公民館に来てもらって、調査したのでした。大変な作業です。しかし、この作業を立派にやり終えたことによって、原告側の勝訴判決が得られたのでした。
住民運動とともに裁判をすすめていくときの弁護団の苦労がしのばれる本として、とても教訓にみちた貴重な本だと思いました。恵贈いただいた板井優弁護士に感謝します。
(2010年11月刊。2800円+税)

2015年1月24日

憲法を守るのは誰か


著者  青井未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書

 今、大いに行動し、声をあげている気鋭の憲法学者による本です。
 憲法は道徳本とは違う。
 自らの人生をどう生きるかは、個人の選択に委ねられるべきこと。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはいけない。
 自民党の憲法改正草案は、憲法に定めるべきでないことを盛り込んでしまっている。
 明治憲法には、人々の自由や人権という概念や、その保障のための制度が大いに欠けていた。
 選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの思い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えられたら、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 小選挙区制は、選挙区から一人しか当選しないので、振れ幅が大きくなってしまう。
 憲法9条の「キモ」は第2項にある、9条1項だけでは、武力行使の全面的な放棄にはならない。第2項があってはじめて、いかなる戦争をも放棄し、武力をもたないという我が国の憲法独自性が発揮されることになる。
 9条が規範力を及ぼした結果、他国とはひと味ちがう独自の安保政策が70年近くのあいだに積み重ねられてきた。
 日本は、関係機関と協力して、小型武器の回収・廃棄プロジェクトや、元兵士、元児童兵の武装解除・社会復帰事業などを実施してきた。
 軍縮・不拡散の取りくみへの日本による努力は、もっと広く知られてよい。
 平和的な外交の蓄積が、日本人が世界各国を観光やビジネスで訪問するとき、目には見えていないけれど、日本人の安全を保障する貴重な財産となってきた。これを改めて認識すべきだ。
いま、安倍首相が、それを根底から覆そうとしています。怖いです。
 まさしく、憲法を守るのは、私たち国民一人ひとりの声です。あきらめることなく、声を上げていきましょう。
(2013年7月刊。838円+税)

2015年1月17日

「偽りの記憶」


著者  高野 隆・松山 馨ほか 、 出版  現代人文社

 「本庄保険金殺人事件」の真相、をサブタイトルとする本です。
 八木茂被告人に対する死刑判決は誤りだと訴える弁護人による本です。この本を読むと、たしかに、弁護人の言い分はなるほど、もっともだと思わせる主張です。
共犯者の主張(自白)で、私がもっともおかしいと思ったのは、トリカブトで毒殺した被害者の体を洗って、死後硬直した遺体に革ジャンバーを着せたというところです。両手を広げたマネキン人形に革ジャンバーを着せることは不可能です。そして、死体を川に放り込んだあと、「遺体捜索」として、「放り込んだ」地点よりも上流部分を「探した」というのです。これは、まるでマンガです。常識的にみて、ありえないことが書かれた「自白」は、疑うしかありません。
しかし、裁判所は証拠を何も見ていない世間が有罪だという判定をしているなかで無罪にする勇気はありません。そこに、八木茂氏の無念があります。
 たしかに、怪しいことがありすぎます。疑わしいところは多々あります。八木茂氏は団塊世代に入るのでしょう。金融業そして居酒屋(赤ちょうちん)を営んでいました。登場してくる女性の大半を愛人にしていたというのですから、たいしたものです。
 死亡保険金の合計額が10億円というのにも驚かされます。いったんは「自殺」とされた男性について、3億円の生命保険金が支払われていたとのことです。いったい、その大金はどうなったのでしょうか。この本には、お金の流れについては触れられてはいません。
 八木茂が逮捕される半年前から、警察は「保険金殺人事件」として追及するシナリオを描いていた。
 八木茂の「共犯者」である武まゆみの取調べを担当した佐久間佳枝検事は、死刑にならないようにすると言って、武まゆみの「自白」をひき出した。
 武まゆみは、2年もの勾留生活について、大学ノート10冊の日記をつけた。取調状況などがつづられているノートだ。
佐久間検事は、弁護士なんて何も実情を知らない無力な存在であることを強調した。黙秘や供述調書への署名の拒否は、かえって事態を悪くすると繰り返した。
 自分を守ってくれるはずの弁護士さえ「生命の保証はできない」というので、「このままでは死刑になる」と焦ってしまうのは必至だ。
 武まゆみは、逮捕されてからの60日間、一日の休みもなく、毎日朝から晩まで取り調べを受けた。「このままでは死刑になる」、「黙っていると、判決まで10年も20年もかかる」と脅され続けた。そして、「あなたを生きて帰したい」、「あなたが話をすれば、八木も助かるかもしれない」と検察官は武まゆみにもちかけた。
 硬軟とりまぜた検察官の戦略が、事実を否定する武まゆみの心理を大きく動揺させ、弁護人よりも目の前の佐久間検事を信頼するように仕向けた。武まゆみは、いったんは忘れていた「記憶回復」の作業を、検察官と共同してすすめた。捜査官は、武まゆみにさまざまな情報を与えて、ストーリーの獲得に協力した。
 そして検察官は、弁護人の反対尋問中に、しばしば異議に名をかりて尋問をさえぎり、武まゆみに対して質問への答えを示唆した。検察官は、尋問のあいだ、武まゆみの答え方によって、大きくうなずいたり、眉をしかめて唇をすぼめるという動作を繰り返した。弁護人の反対尋問中に、小声でボソボソとつぶやいたりもした。武まゆみも、そのような検察官の動作をうかがいながら答えていた。裁判官も、それに気がついて、「そういうことは止めなさい」と、検察官をたしなめることもあった。
 佐久間検事たちは、判決後、武まゆみに控訴をすすめたが、武まゆみは控訴せず、無期懲役刑が確定した。
 トリカブトは、微量をとり続けていると、耐性ができ、中毒量が増えて中毒は起きにくくなる。
 武まゆみ証言を裏付ける証拠物は、一点も発見されなかった。
 私は、もともとテレビを見ませんので、分かりませんが、一審判決の直前には、武まゆみの「自白」をもとにした「再現ドラマ」が放映されたとのことです、世間の下した判決が、証拠のみで裁くべき裁判所を拘束してしまったようです。
 横書で500頁近い大作です。正月休みの人間ドックのときに、ホテルに持ち込んで読みふけった本の一冊です。日本の裁判所が、本当に証拠を適切に採用して判断しているのか、心配にさせる本でもあります。それにしても、本格的な無罪弁論というのは、ここまで詳細にやるのですね・・・。脱帽でした。
(2014年11月刊。2800円+税)

2015年1月15日

日中歴史和解への道


著者  松岡 肇 、 出版  高文研

 著者は2006年まで福岡で弁護士をしていましたが、今は東京で活動しておられます。
 戦時中、中学2年生になったばかりで(13歳)、福岡の市内電車の運転手をしていました。学徒動員です。
 学徒動員って、大学生だけではなくて、中学生も対象だったのですね。そして、13歳の少年に市内電車を運転させていたなんて、ひどい話ですよね・・・。
日本は、敗戦間近となった1943年4月から45年5月までの2年間に、占領していた中国から中国人を強制的に日本へ連行してきて、土建業や金属鉱山、炭鉱や造船、港湾荷役などの重労働現場で強制労働、奴隷労働をさせていた。
 中国各地から4万人近い人々を連行してきた。年齢は、11歳から78歳まで。強制労働をさせた日本企業は35社、135事業場。北海道から九州にまで及んでいる。
強制連行・強制労働させたのは日本軍だったが、強制労働については日本の企業が加害者として関わっている。
 1995年6月から2005年9月までに日本で提訴された裁判は、12の地方裁判所で15件の裁判だった。原告数は275人、被告となった日本企業は24社。
 中国人を日本へ強制連行したのは、日本人(男性)が兵隊や軍属として召集され、国内男子労働者が急速に減少したことによる。
 何しろ古い話です。戦中のことなので、記憶が薄れてしまっています。事実の再現と確認すら困難です。
そのうえ「国家無答責の法理」というものがある。これは、戦前の明治憲法の下ですすめられた国家の権力作用については、それによって個人の損害が発生したとしても、民法の適用はなく、国の賠償責任を問うことも出来ないとするもの。
 しかし、そんな「形式論理」で原告の主張を排斥してよいものでしょうか・・・。最高裁の判決こそおかしい、無法だと思います。
 西松建設事件では、裁判こそ敗訴となったものの、西松建設側の内部事情もあって、それなりの内容で和解が成立し、現地に立派な石碑まで建立されています。東京の内田雅敏弁護士ほかの努力が実ったのです。
 村山・河野談話の見直しがいま話題になっています。日本政府は、過去、日本軍がしたひどい侵略戦争について正面から向きあって謝罪することをしていません。とりわけ今の安倍政権の開き直りはひどいものです。アメリカからも顰蹙を買っているほどです。
 松岡先生、今後ますます、お元気にご活躍ください。ありがとうございました。
(2014年12月刊。1500円+税)

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