弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2016年12月22日

弁護士の経験学

(霧山昴)
著者 髙中正彦・山下善久・太田秀哉ほか 、 出版  ぎょうせい

困難な時代をどう生き抜くか、失敗続きの人生、それでも何とかなる!
オビのフレーズです。本のサブタイトルは、「事件処理・事務所運営・人生設計の実践知」となっています。現役として活動している弁護士全般にとって大変役に立つ内容となっています。
私は、この本に書かれていることの大半について、まったく同感だと思いながら、福岡までの帰りの飛行機のなかで一気に読みあげました。
福岡県弁護士会では、このところ懲戒処分を受ける弁護士が相次いでいます。先日は、福岡県弁護士会自体が監査責任を問われた裁判の判決が出ました。幸いにも弁護士会の監督責任は認められませんでしたが、これをギリギリ詰めていくと、あまりに統制が強すぎて息苦しくなってきます。すると、戦前のように行政の監督下においたらいいとか、強制加入をやめてアメリカのように自由化せよということになりかねません。それは、いずれも権力をもつ人が大喜びする方向です。
自由業としての弁護士と、権力を抑制・監視する存在としての弁護士と、弁護士は独立した存在であり続ける必要と意義があると私は確信しています。そして、強制加入団体としての弁護士会は、その制度的保障なのだと思います。
それはともかくとして、懲戒処分を受けた弁護士には共通するところがあると本書は指摘しています。
虚栄心が強い人、見栄っ張りの人。性格的に弱いため、自制が利かない人が多い。
弁護士の仲間内でも孤立していると危険。IQの高さは関係ない。
弁護士の依頼層は、その弁護士の人格の投影である。
弁護士の誰もが転落するリスクを負っている。それは、弁護士業務が楽しいことばかりではないからだ。苦しいときに独りぼっち。そんなとき、果たしてとどまることが出来るのか。自分は絶対に大丈夫だといっている人はリスクが大きい。
ハッピーな終末を迎えるためには投資も必要。もっとも大切な投資は、自己への投資、とりわけ健康に対する投資である。 
収入を増やし、支出を減らすこと。まとまった大きな収入があったとき、ダメな人は豪遊してしまう。そうではなくて、半分は定期預金にしておく工夫がいる。
弁護士がうつ病にならないためには、依頼者とともに泣かないこと。
依頼者と一歩でも距離を置いていてこそ、冷静な判断が出来ると私は考えています。岡目八目です。
弁護士に対する苦情のなかには、うつ病だとか脳出血の後遺症があるということが少なくない。これは悲しい現実です。
法律事務所をわたり歩く弁護士には、能力のない人、協調性のない人が多い。
この本の前半は、弁護士業務を適正かつ円滑にすすめていくうえで大変参考になることが盛り沢山です。
反対尋問は、弁護士の仕事の花だ。反対尋問は意地悪であることが求められる。わざと順番を逆転させ、予想の裏をかくという工夫もする。
証人尋問のリハーサルのとき、答えまで覚え込ませるのはよくない。それでは学芸会の台本のようになって、緊張感が希薄になってしまう。答えを覚えておこうという意識が先行すると、ちょっとした反対尋問でもボロボロになる危険がある。
クレーマーには、毅然とした対応することが原則。できる限り話は聞く。しかし、それで満足することはない。だから、きちんと当方の見解を述べて対応を打ち切ること。長く話を聞けばよいというものではない。話を聞くのは、喫茶店など、外部の開けた場所が望ましい。密室の面談室で1対1で会うの危険だ。
嘘を言う人。自分が絶対に正しいと言い張る人。ずるい人。自分に都合のいいことしか話さない人。時間にルーズな人。頼んだ書類をもってこない人。話し方がぞんざいな人。自慢話を長々とする人。みな要注意だ。
とても実践的な本です。ご一読をおすすめします。
(2016年12月刊。3000円+税)

2016年12月 6日

希望の裁判所

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  LABO

このタイトルは、ジョークでも皮肉でもない。日本の現元裁判官が大まじめでつけたもの。
希望が今後も大きくなるように、さらなる司法改革を心から訴えている本である。
日本裁判官ネットワークは、1999年(平成11年)9月に、現職裁判官をメンバーとする日本で唯一の裁判官団体(裁判官OBがサポーターとなっている)。
この本の冒頭にあるのは、なんと「判決どどいつ」です。弁護士から裁判官になった竹内浩史判事です。それがなるほど、よく出来た「どどいつ」なのです。たとえば、次のようなものがあります。
セブン・イレブン、反省気分、多分報告、不十分
これは、最高裁判決がセブン・イレブンの本部に仕入の詳細に関する情報開示を命じたものに関するものです。
福岡高裁を最後に定年退官した森野俊彦弁護士は非嫡出子の相続分差別規定を憲法違反とした最高裁判決を積極的に評価しながらも、その理由づけに不満を述べています。立法理由の合理性の判断から逃げているという点です。そして、夫婦同姓規定について合憲とした最高裁判決については大いなる疑問を投げかけています。
ただ、鎌倉時代の北条政子について、官位を付与するときの便宜的なもので、記録上だけとしているのは、本当なのでしょうか。同じように、夫婦別姓だったとして有名なのは日野富子もいますし、江戸時代は夫婦別墓で、妻は実家の墓に入っていたということですし、単に便宜とか記録上というのではないように私は考えています(私も、さらに調べてみます)。
人生の半分以上を費やした場所である裁判所になお、希望を見出そうとする思いがにじみ出ている論稿でした。
浅見宣義判事は、激動する日本社会の中で、裁判官という職務のやりがいが特に大きくなり、その魅力が高まっていると力説しています。
私も、そう考えている裁判官がもっと増えてほしいと思います。現実には、やる気のない裁判官、記録をじっくり検討しているのか疑わしい裁判官、枝葉を妙にこじくりまわす裁判官、いかにも勇気のない裁判官があまりに目立つからです。
裁判員裁判を経験した刑事裁判官が、体験して本当に良かったと述懐していたとのこと。私も、こういう話を聞くと、うれしくなります。私は残念ながら、裁判員裁判を1件も経験していません。殺人事件を担当したら、いわゆる認定落ちになってしまったのです。
体験した弁護士の、必ずしも全員が裁判員裁判を積極評価しているわけではありません。先日、これまで8件ほど体験した福岡の弁護士に意見を求めると、昔の職業裁判官による裁判に比べたら断然いいと思うし、やり甲斐があると語っていました。パワーポイントなど使わず、裁判員の顔を見ながら弁論するので、反応がすぐ分かり、手ごたえがあるのが良い、とのことでした。
これまでの調書偏重裁判を打破したという点で、裁判員裁判は画期的なものだと私も考えています。そして、被告人の保釈が認められやすくなったのも事実です。「人質司法」が少しだけ改善されたのです。
もちろん、裁判所は、もっともっと改革されるべきです。たとえば、裁判官の再任審査にあたって外部意見を取り入れる建前になっていますが、それは「外部」といっても、せいぜい弁護士しか想定していません。広く裁判を利用した国民の声を反映させるものではまったくありません。実は、弁護士会のなかにも、その点について消極的な声があるので、驚くばかりです。大学でも学生が教授を評価するのがあたりまえになっている世の中です。裁判を担当した裁判官について、利用した国民がプラス・マイナスの評価をつけることが「裁判の独立」をおかすものとは私には思えません。
最後に『法服の王国』の著者である黒木亮氏がイギリスの裁判では、みんなが活発議論していることを紹介しています。私は日本でも、もっと本当の口頭弁論をしなければいけないと考えていますので、日本はイギリスを見習うべきだと思いました。
ともあれ、日本の司法について希望を捨ててしまったら、いいことは何もありません。
日本国憲法の輝ける人権保護規定を深く根づかせるためにも、私たち弁護士も、裁判官も、もっと努力する必要がある。そのことを確信させる貴重な問題提起の本です。
私の同期の元裁判官(仲戸川隆人弁護士)より贈呈を受けました。ありがとうございました。日本裁判官ネットワークのさらなる健闘を心から期待しています。
(2016年12月刊。2500円+税)

2016年12月 1日

黒い巨塔、最高裁判所


(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版  講談社

最高裁判所の内部を小説として描いた話題の本です。
さすがに最高裁で働いたこともある元裁判官だけに、その描写は精密をきわめます。私も弁護士会の役員をしているときに最高裁の判事室や民事局長室などに立ち入ったことがありますので、なんとなく部屋の雰囲気が分かります。
事件の関係でも最高裁調査官と面談したことが昔ありました。今では調査官すら面談に応じてくれないようです・・・。
当然のことながら、この本の冒頭には、「この作品は架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係がありません」という但書があります。しかし、それにしては、あまりに迫真的な描写です。最高裁による青法協つぶしについても「東法協」攻撃として登場してきますし、裁判官会同を開いて最高裁が全国の裁判をリードしていること、裁判官と政治家との結びつきなど、フィクションどころではありません。
砂川事件の最高裁判決のとき、ときの最高裁長官・田中耕太郎(裁判官の名に値しない、軽蔑するしかない人物ですので、呼び捨てにします)が司法の独立どころか、アメリカの下僕として言いなりに動いていたことが最近明らかにされましたが、最高裁上層部の自民党言いなりは昔も今も変わりません。本当に情けない話です。
出世主義者の裁判官がいるのは現実です。出世主義者の裁判官は、お世辞(せじ)、お追従(ついしょう)には、きわめて弱い。上の人の履き物を背広の中に入れて温めんばかりの忠誠を尽くす。
東法協(青法協)パージは、1970年代に急速に薄れていった。その会員のなかで成績や能力において秀でていた人々のほとんどが転向し、一定の節を守り続けた人は少なかった。そして、日本における左派の転向の常として、自由主義のレベルにとどまることなく、極端な体制派、狭量な保守派となって、出世の階段をひた走った。同時に、人事による締め付け、裁判官支配、統制工作に一役も二役も買った。
東(青)法協の後身である日本裁判官懇談会(懇話会)も、政治的な色彩を薄めたが、最初のうちこそ新任判事補の加入者も多かったが、7、8年のうちには、ほとんどが脱会してしまっていた。
転向者が極端な極右になったりするのは、日本だけではありません。アメリカのネオコンもそうです。そして、裁判官懇話会は会員制ではなかったし、8年で消滅したどころではなく、平成18年まで20年以上も続いていました。ここらは、著者の思いこみと認識不足だと私は思います。
最高裁長官による人事は、昔から、基準がよく分からず、恣意的で有名だった。一度でも意に逆らったり、許しがたいと思われる行動をとった人物に対して意識返しをするのは明らかだった。こうした恣意的な、あるいは報復であることが明らかな人事は、長官の思惑をはるかに超えた強烈な効果を裁判官たちに及ぼした。判決の内容や論文執筆のみならず日常のさまざまな言動にまで細かく気を遣い、長官や事務総局の意向をうかがう人々がどんどん増えていった。
これは今も生きている現象ではないかと思わざるをえません。
最高裁長官は、持ち前の冷徹な勘を最大限に発揮し、緻密な戦略の下に、確実に敵をつぶし、若手の優秀な裁判官たちを一人また一人と転向させていった。
『法服の王国』にも似たような状況が描かれています。
裁判官のなかに、大学時代に地域密着の学生セツルメント活動をしたという経歴の人が登場します。実際、私の知っている元セツラーが何人も裁判官になり、真面目に仕事をしています。
この本は、学生時代に民青シンパだった裁判官について、次のように揶揄した表現をしていますが、これは著者の本には過去何度も登場してくるもので、鼻をつくとしか言いようがありません。
「そんな学生によくあるように、彼の思想は深いところまで突き詰められたものではなく、系統的な読書にもとづいたものでもなく、ただ単純かつムード的な正義感に根差していた」
著者のこのような表現は、私からすると、著者こそ根の浅い表層的なモノの見方しか出来ない思考を反映しているものに思えてなりません。
良識派の裁判官たちを苦しめているのは、出世欲ではなく、閉じられた横並び社会における、理由のよく分からない線引きや選別にさらされることの辛さ、そうしたことの不安ではないか。自分の能力が正当に評価されない可能性についての不安だ。
ヒラメ裁判官ばかりになってしまったという反省が少し前には多く聞かれましたが、最近は、それがあたりまえになったためか、反省の声が内部からあまり聞こえてきません。
本人たちは自由に発想しているつもりでも、客観的には、がっしりした枠のなかの小さな「自由」でしかない。それが残念ながら現実ではないかと私は考えています。まだ読んでいませんが、先日『希望の裁判所』という本が発刊されました。「絶望」しているだけではダメですので、なんとか少しでもより良い裁判所につくり変えていきたいものです。
そのような問題提起の本として、一読をおすすめします。
(2016年10月刊。1600円+税)

2016年11月24日

学校内弁護士、学校現場のための教育紛争対策ガイドブック

(霧山昴)
著者 神内 聡 、 出版  日本加除出版株式会社

著者は学校内弁護士です。スクールロイヤーではありません。えっ、どこが違うの・・・?
著者は5年前から、私立高校の社会科教員であり、また弁護士でもあり、兼業しています。
実際のスクールロイヤーは、「学校」の弁護士ではなく、「教育委員会と管理職教員」の弁護士。学校からすれば、あくまでも外部の第三者。毎日、学校にいるわけではない弁護士が「スクールロイヤー」の名称を用いるのは、あまりにも実態とかけ離れている。スクールロイヤーと称する弁護士の最大の問題点は、学校と日常的に関わっていないことにある。
学校内弁護士の魅力は、一日、学校に勤務するだけでも、何十人、何百人もの生徒と接することにある。もう一つは、同僚として教育現場で働く先生と直接的な関わりをもてること。 
学級担任の法的責任は、学級経営に関する裁量権の逸脱・濫用が認められる場合にのみ成立すると考えるべき。学級経営に関する事実の認識に重要かつ不注意な誤りがなく、判断の過程・内容が著しく不合理でない場合でない限り、学級担任は責任を負わないと解される。
教育的責任と法的責任はまったく別の概念である。
何らかの事故が起きた場合、保護者から責められたときには、
「一教育者として申し訳なく思います」
「損害賠償などの件については、弁護士と協議してお答えしたいと思います」
このように答える。事実関係や因果関係を記載した「報告書」などの書面は、弁護士や第三者が関与するまでは作成すべきではない。
保護者側が秘密録音することを防止するのは不可能。
「いじめ」のとき、加害者を直接交渉に関与させることは、加害者の親権者に対して、家庭の責任を意識させる契機になる。紛争当事者としての意識をもってもらうことも大切。学校は補完的に仲介するのがよい。
危険性を有する加害者の家庭は、そもそも家庭内での問題をかかえていたり、連絡がなかなかとれなかったりする場合が少なくない。そのため、学校としては、家庭の事情や連絡した事実を記録して、証拠化しておくことも大切。
「いじめ」が発生した場合、学校は、通常、在学契約にもとづく安全配慮義務または不法行為責任を負う。しかし、「いじめ」の法的責任を一時的に負うのは、あくまでも加害者とその親権者である。学校は、できる限り早期に双方に対して「紛争当事者」であることを意識させる必要がある。
学校は必ずしもアンケート調査を実施する必要はない。むしろ、アンケート調査は不要と考える。匿名によるアンケート調査は気休め程度のものでしかない。むしろ、日常的に面談調査やヒアリング調査を行うほうが、「いじめ」の早期発見につながる。
「いじめ」を早期発見できなかった責任は教員だけでなく、親権者にもある。
男子は身体的で可視的ないじめが多く、女子は心理的で陰険ないじめが多い。いじめる家庭は家庭に問題を抱えていることが多い。これは、全世界に万国共通の傾向である。
保護者対応の基本原則は、保護者のクレーム内容に合理性があるかどうかを検討すること。合理性のない主張には毅然とした対応を示す。合理性のない主張には、合理的な主張で対応することが非常に効果的である。
さすがに学校現場にいる弁護士だけあって、とても説得的かつ実践的な本です。学校にからむトラブルに関心のある人々に、一読を強くおすすめします。
(2016年8月刊。2700円+税)

2016年11月 8日

法解釈の正解

(霧山昴)
著者 田村 智明 、 出版  頸草書房

実務法曹の世界で活動している若き哲学者の目で書かれた法解釈の本です。
正直言って、私には少々難しい場面も少なくありませんでしたが、なるほど、そういうことだったのかと初めて認識させられるところの多い法解釈の本でした。
今は青森で弁護士をしている著者は司法試験に合格したあと、8年間も司法試験の予備校専任講師として受験指導をしています。その体験もふまえた哲学的見地から法解釈のあり方がとかれています。著者は法解釈には正解があるという立場です。
だからこそ自己の立場は有限なのであり、謙虚にふるまう必要がある。そして、一般意志ですくいきれなかった他の立場の人の思いに対して、きちんと思いやらねばいけない。
法の支配の原理、あるいは憲法上の個性尊重主義は、もともと正解志向こそが本質なのである。そして、法の支配の原理の論理学のなかには、他者排除、価値観の押しつけの論理が含まれている。
法の支配の原理にもとづく法解釈の論理とは、結局のところ、「支配者の論理」なのである。だから、他者との共存を排除する方向性をもつ危険を秘めた思想である。この点を自覚しておかねばらない。法解釈の実践とは、まさに、このような支配の論理学を駆使しているのである。このことの自覚が実務法曹には不可欠である。
司法試験では、法の支配の原理こそが重要な価値である。
自分が信じる正義の内容も示さずに条文の言葉だけで結論を導いたり、あるいは正義を示したとしても、あまりに形式的、独善的で社会的な説得力を欠くようではいけない。
実務家として、自分がどんな立場に立っていても、プロとして、社会の人々に対して自己の立場の正義を理論的に説得するという役割を担っていることを自覚すべきだ。
正解志向は決して悪いことではない。むしろ、これを自覚的に実践することは、自己批判を可能にし、自己を謙虚にさえする。なぜなら、正解志向は、自分がある特定の価値観を前提に正解を導いていることを自覚させるから。
プロの法律家に必要とされる能力は、与えられた、あるいは自己が現実を欲している実質的主義を法的な形式にしたがって表現、主張すること、これに尽きる。
真に自由になるためには、自分を知らなければならない。真の自分は、普遍的な法に従うことで幸福を感じるような自分である。
自由とは、一般に、自分が生活している社会の中で自分が発揮できる持ち味を発見し、その発見した持ち味を生かす道を選びとること。そのためには、目先の快楽などにはとらわれずに、自分や社会のことを知る必要がある。
子どものころ、私たちが勉強するのは、大人になってから自由になるため。自由とは、強制から解放されたらすぐに獲得できるというものではない。自分が従うべき普遍的法則を発見し、かつ強制から解放された場合にはじめて得られるものなのである。その普遍的法則を発見するためには、学校でみなが同じことを学ぶ必要がある。
自由とは、自己の個性の発揮である。だから、自由になるためには、自己の個性を知らなければならない。それには、さまざまな経験と勉強とが必要である。なぜなら、個性には、自分の属している社会との関係も含まれているから。自分がもっとも社会に貢献できる持ち味を発見することが自由獲得の条件である。
民主主義が正義である根拠は、討論や審議によって、さまざまな立場の意見が法案に反映される点にこそある。
多数派の意見は多数派の利益になる意見とは必ずしも合致していない。
裁判官の多くは、自分の頭で何が正しいかを判断する勇気をもたず、上級審判決がこうであれば、それに従うのが正義だという内容の判決を大量生産しているのが現状である。
なかなか考えさせられることの多い本でした。今度は、論文式合格答案の書き方の本も読んでみることにします。著者から贈呈を受けました。ありがとうございました。今後ますますのご活躍を期待しています。
(2010年10月刊。2500円+税)

2016年11月 4日

日本国憲法は希望

(霧山昴)
著者 白神 優理子、 出版  平和文化

いま大いに注目されている若手弁護士です。そのさわやかな話しぶりは、憲法の伝道師を名乗る伊藤真弁護士に匹敵します。
なにより、弁護士生活3年だというのに、憲法を語る学習会の講師を100回以上もつとめたというのですから、ただものではありません。私なんか、3年間で片手もあるかなという体たらくなのです。まあ、なんといっても若さにはかないません。
白神は「しらが」と読みます。著者から講師として憲法を語るときのポイントを聞きました。
まず第一に、憲法の魅力を自分の生き方を紹介しながら具体的に語ること。中学生までは、どうせ世の中は変わらない、変えられないと思っていた。ところが高校に入ってから、いや世の中は変わるし、変えられる。憲法は国民の自由を保障するもの、権力を縛るものだと知って心を動かされた。歴史は着実に前へ進んでいることを教えられた。
第二に、憲法を改正しようとする人たちの狙いは、日本を戦争できる国の体制につくり変えることにある。戦争と言えば、イラクでもアフガニスタンでも、大勢の罪なき市民が殺され傷ついている。子どもの手足が爆弾でもがれる、そんな悲惨な戦争を日本の権力者は再びしょうとしている。黙っていては危ない。
第三に、自民党の憲法改正草案は国民の基本的人権をまったく無視し、公益に反しない範囲でしか守られないとしている。つまり、国民は国家に逆らってはいけない存在になっている。
第四に、経済の視点からの話も欠かせない。戦争する国づくりは、福祉国家をこわすことになる。つまり、国民の貧困化が一層すすんでしまう。
白神弁護士は、ここまで話してきて、頭を上げてニッコリほほえみました。でも、最後に、希望を語ることが大切だと強調したのです。私も、まったく同感でした。せっかく憲法について学習しようと足を運んでくれた人を暗い足どりで帰してはいけません。しっかり元気を取り戻して、明るい気持ちで、家に帰って、周囲の人に声かけあうようにしなくてはいけないのです。
その点を白神弁護士が最後に強調したので、さすがに多くの憲法学習会で鍛えられている人は違うな、そう感嘆しました。
「ワインで語る憲法の話」という企画にも講師として参加したそうです。ワインのソムリエをしている人がアメリカ、ドイツ、スペインのワインの特長を紹介すると、この三国の憲法状況を白神弁護士が語ったというのです。すごい発想です。こんな柔軟な発想が年輩の私たちにも必要です。
都知事選挙のなかでのネガティブ・キャンペーンに踊らされる人がいかに多いか。その現実を前にして、日頃から私たちの言うことに耳を傾けてくれる人々をいかにたくさんつくっておくかがポイントだ。この白神弁護士の指摘にも、私は共感を覚えました。
このブックレットは、そんな豊富な憲法講師活動のエッセンスがまとまっています。年金・福祉や教育・予算を削る一方で、軍事(防衛)予算だけは、一貫して右肩上がりに増え続け、ついに5兆円を突破しました。そんな流れをぜひ変えたいものです。
憲法を守って、私たちの平和と人権を守り抜きたいものです。
80頁、800円(プラス消費税)という、とても手頃で味わい深い冊子です。表紙にある白神弁護士の笑顔の写真を眺めるだけでも心が癒されます。あなたに、ご一読を強くおすすめします。
(2016年7月刊。800円+税)

2016年10月19日

日本法の舞台裏

(霧山昴)
著者 新堂 幸司(編集代表) 、 出版 商事法務 

立法や制度改革の過程で起きていたことを立法秘話として関係者が語った本です。商事法務の編集長を長くつとめてきた松澤三男氏の古稀記念論文集でもありますが、学者や弁護士、そして官僚など、日本の法曹界で名高い人々が登場している点でも画期的な内容になっています。
法制審議会やら国会対策、そして各種研究会でのエピソードが豊富で、さまざまな法律の立法過程が手にとるように見えてきます。
研究者が発言するとき、わざわざ「個人的見解だ」と断りを入れる人がいるが、不自然な感じを受ける。研究者にとって、個人的見解以外のものが果たして、あるのか。そして、自らの意見を開陳するのは義務というべきこと(伊藤眞)。
法案づくりは、営業と似ている。消費者法を改正しようとするとき、説明すべき業界は限りなく多い。もれがあると、あとあとのプロセスで表面化し、大きな問題になりかねない。(川口康裕)。
閣法とは、内閣の提出する法案のこと。議員提出法案は、議員の所属による提出先議院の違いにより、衆法とか、参法と呼ばれる(村松秀樹)。
日本でも、渉外婚姻等によって夫婦や親子間で氏を異にする家庭も少なくない。それを考えたら、氏を異にすることが家族の一体性を害し、婚姻の意義を薄れさせるという消極論は、現実を見ない、観念論にすぎない(加藤朋寛)。
審議会の意見をまとめる必要があるときには、結論に至る論理をまず展開し、次にそれと異なる意見があったことを具体的に紹介する。責任は結論をまとめた学長がとることになっている(平野正宣)。
新法の名称をどうするか話題になったとき、幹事として出席していたので、「民事再生法」としてはどうかと提案したところ、並居る論客から一蹴された。ところが、法務省の呈示した案の一つに民事再生法があったので、うれしかった。あきらめかけていた迷子の子犬にめぐりあった気分だった。日弁連では大方の賛同を得られた(瀨戸英雄)。
私も、個人版民事再生法の制定過程の議論に少しだけ加わりました。一丁あがり方式の破産免責では救われない債務者が少なくないことから、私が必要に迫られて実践していた方式を踏まえて発言したのです。
民事執行法の制定過程では、午前3時ころに議論を終え、会議室の床に貸布団を敷いて就寝する。庁舎内で泊まると、朝8時半まで眠れるので便利だ。そのうち、会議室の床よりは、じゅうたん敷きの局長室の床が良さそうなので、密かに寝場所を変更した。起床後は、局長の出勤前に臭気取りのために窓を全面開放して部屋を寒気にさらした。帰宅するのは交替で週1日だけ、入浴のため。やせた豚になるよりは、太った豚になるほうがまし、と考えていた(園尾隆司)。
平成8年の新民事訴訟法の制定過程で部会のなかで敢然として発言する気骨ある弁護士がいて、感銘を受けた。ところが、当局のつくった原案に賛成する意見を述べるばかりの弁護士もいた(高橋宏志)。
商事法務研究会は経営法友会の事務局を支えている。そして、法律編集者懇話会が組織されている。
いずれも私の知らないことでした。そんな立法秘話が満載ですから、500頁もの大作になっています。私は、東京から福岡までの帰りの飛行機のなかで、一気に読みとおしました。
(2016年10月刊。4600円+税)

2016年10月18日

久保利英明、ロースクール講義

(霧山昴)
著者 久保利 英明 、 出版  日経BP社

 「債権者集会って、面白くないよね」
 「そんなことはないさ。債権者集会は宝の山なんだぜ」
 「えっ、どうして?」
 「だって、債権者集会に来る債権者は、今日は債権者だけど、いつ債務者になるか分らない零細企業なんだ。だから、倒産した企業の代理人となった弁護士がどれくらい頼り甲斐があるか、よく見ている。ビシッと債権者集会を仕切っていたら、自分が倒れたときには、この弁護士に頼もうっていう気になる」
 「なるほど、債権者集会は弁護士にとって依頼者獲得の場でもあるんだね・・・」
 「そう、そのとおり」
 このやりとりは、私も、なるほどと思いました。
 良い準備書面とは、司法修習所で評価される模範答案とは違う。何のために準備書面を書くのか。自己満足のためでなく、依頼者のためでもなく、相手方をやっつけるためでもない。裁判官に、そうか、この事件は、こういう話なのかと、思わず膝を叩いてしまうような書面を書かなければいけない。
話を聞くときは、まずは依頼者の立場に立って、どうしてこういう経緯になったのか、それぞれの時点で依頼者はどういうことを考えてこうしたのか、といった動機や理由を理解してあげることが必要だ。そのうえで、疑問に思ったところをきちんと正面から尋ねて理由を解明していく。そのとき、決して依頼者を責めないこと。
訴訟の見通しを説明するときは、「現時点の情報によれば」と、その時点で得ている情報にもとづく見通しであることを明確にしておく。
 腕のいい弁護士は、よく負ける。勝率の高い弁護士は、負けようのない種類の仕事を数多くこなしているだけのことが多い。勝率の高い弁護士を目ざしても意味はない。
 裁判期日の報告は、きちんと書面で作成して依頼者に渡すのが良い。信頼関係を生む始まりだ。
 予想外の判決をもらうことは弁護士生活30年になってもある。ホント、そうなんですよね。裁判官次第で、判決の勝ち負けが決まる。そのとき、必ずしも論理と事実によらず、好き嫌いの感情論が隠れたベースになっていることが少なくない。
 おそらく先に結論を決め、どの論点でその結論を導くかを決め、それにあわせて事実認定しているのではないかとしか思えない判決文がある。本当に、私も何度となく実感させられました。
人生を元気に、やり甲斐をもって生きることが幸せなのだ。自主性と、能力、そして人間関係が大切だ。
弁護士にとって一番大切なことは、依頼者を、事務所に入ってきたときよりも、事務所のドアを開けて出ていくときのほうが元気にして帰すこと。
これらの指摘(岡田和樹弁護士)に、私もまったく同感です。
 全力では仕事をしない。ふだんから「ゆとり時間」のない状態で、いつも全力疾走していたら、緊急事態に対応できない。つまり自由になる時間をもっておくこと。
 自分のもらう給料の3倍は稼がないと、独立した職業人とは言えない。
 病気するのは、日頃の生活態度にゆるみがあるから。弁護士が風邪をひいて休むなんて、恥ずかしいことともうべき。病気にならないよう、仕事と生活を適切に管理し、定期的な運動や休息をとる。
久保利弁護士には、先日、福岡で講演していただきましたが、そのきっかけがこの書評コーナーによる本の紹介だったと聞きました。うれしいことです。先輩弁護士の培った貴重なノウハウをきちんと受け継ぎ、次に伝達していきたいものです。
 
(2016年8月刊。1800円+税)

2016年10月 6日

未来ダイアリー


(霧山昴)
著者 内山 宙 、 出版  金曜日

 もしも、自民党改憲草案が実現したら?
 静岡の若手弁護士によるイメージあふれる本です。自民党改憲草案の本質が、その不気味さが余すところなく紹介されていて、心底からゾクゾク悪寒を覚えてしまいます。
 さしずめ寅さん映画で、タコ社長が、ああ、気分が悪くなってきた、まくら、サクラをくれ(「サクラ、枕をくれ」の言い間違い)を起こしてしまいます。
 安倍首相は、今国会で憲法改正論議を始めると宣言しました。おっと待ってください。首相も国会議員も、憲法を守り尊重する義務があるのを忘れてはいけませんよ・・・。
著者に面識はありませんが、「あすわか」に所属して、最近メキメキと売出し中です。「宙」って、なんと読むのかと思うと、「ひろし」だそうです。
「あすわか」って、何ですか・・・。「明日の自由を守る若手弁護士の会」の略称です。ですから、私には残念ながら加入資格がありません。「あすわか」の作成した「司法芝居」も良く出来ていますよ。私も小さな学習会で活用させてもらいました。
この本は、自民党改憲草案が草案でなくなり、現実のものになったとき、日本はどうなっているのかをリアルに再現(?)しています。いやあ、実にソラ恐ろしい世の中です。
 まるで、戦前の域詰まる日本の再来です。
 「改正前の日本国憲法を学ぶことは、今の新憲法の秩序を破壊しようとする行為に該当する」
 「以前の憲法を学ぶことすら、公の秩序違反と言われるようになってしまった」
 「いろいろ政府に文句を言っていると、内乱予備罪の疑いをかけられてしまう」
 「たしかに国民投票があったけれど、まさか、こんなに変わってしまうなんて、思ってもみなかったもんで、投票には行かなかった・・・」
 「憲法なんて、よく分からない。難しくて、考えるのが面倒。自分には関係がない。収入が少ないから目の前の生活で手一杯で、考える余裕なんてない。まじめに投票に行くなんて、カッコ悪いし・・・」
 「NHKなんて、ひたすら政府をよいしょしてて、気持ち悪いです・・・」
 いまの日本は、憲法改正するかどうかの瀬戸際にある。そして、すでに安倍政権は国会で3分の2の議席を占めている。ところが、国民の多くは、まだまだ憲法が自分たちの生活と平和を守ってくれるという自覚が薄いようです。そのスキを安倍政権はついているのです。
 この本は、その隙をつかれたあげく改憲が現実化したときの日本の恐ろしい状況を、とても分かりやすく示しています。
 私も、著者のような若手弁護士と一緒に、日本の平和と世界の平和を願って、すこしずつでも引き続き声をあげていくつもりです。
 いい本をありがとうございました。ぜひ、みなさん、手にとってお読みください。
 
(2016年8月刊。1000円+税)

2016年9月29日

銀行員30年、弁護士20年

(霧山昴)
著者  浜中 善彦 、 出版  商事法務

 著者が大学を卒業して銀行に入ったのは昭和39年。東京オリンピックのあった年です。私が高校に入学した年でもあります。
 そのころ、銀行の総務部には総会屋が「毎月の給料」をもらいに来ていたというのです。銀行のトップは昔から黒い世界と交際していたのです。そして、インサイダー取引も半ば公然と行われていたとのこと。今ではまったくない、と果たして言い切れるのでしょうか・・・。
 著者は融資課長のとき、毎日、夕方6時前には退社していたとのこと。これって、すごいことですよね。でも、これでは、恐らく出世はしなかったでしょうね。
 管理者として、もっとも力を入れたのは、部下の教育。接客の際、相手に失礼がないよう言葉づかいに注意する。部屋の出入りの順序や席順等にも目を配らせた。
 銀行の有担保貸出は、長期貸付金の場合であり、短期貸付金は無担保が原則。銀行は担保にお金を貸すのではない。
銀行員としての経験から、大企業とは、無駄が多いほど大企業であると思う。大企業の特徴として、コピーや紙の消費量が多い。いまでは、ネット活用によって、ペーパレス化は進んでいるのでしょうか・・・。
 著者は43歳のとき、経営相談所へ配属された。窓際の仕事である。ところが、著者はこれをチャンスだと考えたのでした。
銀行員になって20年仕事をしてきて、はじめて定時出勤、定時退社の部署に来ることができた。さあ、与えられて時間を、どうするか。よくよく著者は考えたのです。水泳を始め、座禅をし、司法試験に挑戦することにしました。
 資格を取ることに限らず、何かを達成しようとするとき、もっとも重要なのはモチベーション。動機と目的と工夫がなければ勉強時間をつくり出すこともできない。日本一難しい試験に挑戦してみよう、定年後は、銀行が決めた人生ではなく、自分でも選択肢をもちたいというのが動機だった。
 いかに勉強時間を確保するか。そのためには極力、無駄な時間を省くことが必要になる。スケジュール管理の方法として、目的別に3冊の手帳を使うことにした。
 スケジュール管理で大切なことは、単に予定を立てるだけでなく、記録すること。そして、記録した結果をチェックし、今後の計画の参考にする必要がある。次に、確保した時間を、いかに有効活用するか。
学者の解説は、予備校の講師とは全然比べ物にならない。予備校の講師の解説は、一旦極めて明快なようだが、これは問題を単純化して説明しているからなので、まるきり深みに欠ける。
かばんには、まとまった時間が出来たときに読む本と、細切れの時間に読む本の2種類を入れている。
私の場合には、カバンの外側には、ホームの待ちあいでも読めるように絶えず新書を入れています。電車のなかでは部厚い単行本を読みます
 著者は54歳で30年勤めた銀行を定年退職しました。定年が54歳だなんて、早すぎますよね・・・。
平成7年に和光の司法研修所に入った。730人の合格者があり、12クラスで、1クラス60人ほど。
サラリーマンになれないような弁護士は、弁護士としても無能だと思う。
私にとっては耳の痛い言葉です。私は、とてもサラリーマンには向いていないと思うからです。
 プロフェッションといわれる医師、聖職者および法律家の共通点は、いずれも何らかの形で人間のもつ悩みの解決に奉仕する職業であるということ。医師は肉体的悩みの解決、聖職者は精神的な悩みの解決が本来の任務である。法律家は、人間関係から生ずる紛争の解決をその任務とする。
職業としての弁護士は、決して気楽ではない。むしろ、精神的には、かなりストレスのかかる職業である。受任事件から来るプレッシャーは大きい。
弁護士にとって大事なことは信頼関係である。しかし、そのことは依頼者の言いなりになればいいということを意味しない。依頼者を説得するのも弁護士の役割。しかし、他人を論理で説得することはできない。人が他人の意見に納得するのは、論理ではなく感情による。 
弁護士の仕事のいいところは、仕事を通じて、常に社会との接点があること。
さすがは人生の大先輩です。いかにも含蓄深い言葉ばかりでした。
著者の、今後ますますのご健勝を祈念します。
(2016年7月刊。2700円+税)

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