弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2016年2月 3日

新時代を切り拓く弁護士

(霧山昴)
著者  本林 徹 、 出版  商事法務

 これは素晴らしい本です。文句なしに面白い。
 私は編著者より贈呈を受けて、一日のうちに2時間かけてじっくり熟読玩味、読み切りました。大切だと思えるところに赤鉛筆でアンダーラインを引きますので、この本のいたるところが真っ赤になってしましました。
 弁護士とは何か、何をする人なのか、弁護士はどこに工夫し、知恵を絞るのか、そこにどんな困難が待ち構えていて、それをどうやって突破していくのか・・・。
 また、弁護士の「営業努力」の要点は何か、弁護士にとって何が大切なのか・・・。
 東京と大阪においてビジネス法務の最前線で活躍する10人の弁護士が自分の体験を惜しみなく語っています。
 編者は日弁連の元会長です。東京で若手意欲あふれる弁護士100人の前で語られた本林塾の講演録が本になったのです。面白くないはずがありません。弁護士として活動していくヒント満載ですから、まさしく価値ある2300円、安いものです。ぜひ、買って読んでください。
先日、福岡の敬愛する野田部哲也弁護士から、弁護士の仕事に役立つ本をこのコーナーで紹介してほしいという注文を受けましたが、この本は、まさしく私のイチオシの本です。
 本林弁護士は、友だちを大事にする、友人は宝だと考え、無償サービスをいとわないでやってきた。頼みごとを受けたら、嫌な顔をせず最優先で対応する。大学のクラス会も永久幹事を引き受け、友人たちの消息をつかんでおく。少し長期的な視野でものを考えるようにする。顧問先の会社では担当者との絆をふだんから強めておく。会社のなかに自分のファンをつくっていく。依頼者を集めて、毎月のように一緒に研究会をし、年に1回は大規模なセミナーや懇親パーティを開く。
 交渉にあたっては、相手との依頼関係を築きながら、情熱と人間的魅力をもって説得する。そして、社会に役立つことをする。人がやったことのないことに挑戦する。人に喜んでもらえたことを励みにする。これが自分を支えてきたモチベーションだ。
 弁護士は、道草や趣味が不思議に生きる職業である。今井和男弁護士は、優れた弁護士になるためには、優れた弁護士になりたいと強く思って行動することだと言います。
 私も何人か憧れの先輩弁護士がいて、その先輩たちのようになろうと努力してきて、今日に至っています。もちろん、先輩のようになれたとは思っていないのですが、座標軸というか、具体的な目標があるので、ぶれることがありません。
ビジネス社会は大変狭くて、悪い評判はすぐに広がり、良い評判は徐々に広がっていく。
 弁護士にとって必要なものは、信念、お金、ビジネス、判断力、愛嬌、心遣いだ。
 「あなたが決めて下さい」と突き放すのではなくて、一緒に考え、私はこう思うと言う。背中を押して進んであげることが大切。
 暗い状況で来た人を、一筋の光明が見えるようにする。少しの希望をもって帰っていってもらう。その意味で、弁護士は慎重な楽観主義者であることが大切だ。
 國廣正弁護士は、企業は社長の持ち物ではないと強調します。企業は株主、従業員、取引先、顧客というステークホルダーに囲まれた存在である。だから、悪いものは悪いと言うこと、それがまさしく危機管理であり、企業が生き返るために必要なこと。
 弁護士は目の前にある仕事を一生懸命やること。それが結果につながる。
 何か新しい分野をいきなりやるよりも、自分の領域から進めていって、一歩だけ踏み出した仕事をしてみる。
書面にするとき、一回飛んで、すっと頭に入るものになるよう文章は推敲を重ねる。書面は読んでもらうものなので、錯綜した事実関係をきれいに整理して、易しい言葉で分かりやすく書く。
 弁護士はたたかうべきときにはたたかわなければいけない。事実を隠したって必ずばれるし、企業の成長には絶対に訳に立たない。プロフェッショナルとしての弁護士の使命感をもち、究極的には会社のためになると思って、障害を乗り越えていく。
 松村謙一弁護士は、人間は二度死ぬと言います。一つは肉体の死。もう一つは記憶から忘れ去られたときの死。父親も弁護士だった矢吹公敏弁護士は、人を助けてお金がもうかるなんて、こんな良い仕事はないと小学生のときに思って弁護士を志望した。
今の私も、申し訳ありませんが、そう考えています。
矢吹弁護士は、いつも考えているとのことです。歩いても、お風呂に入っていても、何をしていても常に事件を考え、問題点を考えている。これが大切だ。雨垂れ、石をうがつ。ぽとぽとと粘り強く落ちていけば、いつかは石にも穴があくと信じてとにかくやってきた。
 牛島信弁護士は、敵対的買収に関する仕事は、難しいから面白いとします。 
 会社は何のために存在しているのか。会社が存続し続け、毎月、毎年、給料を払い続けることの意味は大きい。会社は社会(雇用)のためにある。人間は、仕事を通じて社会につながることで社会と対等の関係を結ぶことができ、また自立していると感じることができる。
 そして、雇用は緊張感の下になければいけない。
 自尊心のない人間には、人生への幸福感はない。ビジネスマンは日本に雇用をつくり出している。雇用は人々の人生の幸せをつくり出している。
 準備書面は、読みはじめた瞬間から、読んでいくと興味が尽きないように書かれるべきもの。そうか、よく分った。こういう事件なのか、よく分ったよ。息つく暇もなく読み終えて、よく分った。裁判官にそう思わせなければいけない。弁護士は、裁判官の癖もふまえて、きちんとした書面を書いて提出しなければいけない。それを先方の責任に転嫁するようでは、弁護士バッジは返上すべきだ。自分の好奇心にしたがって世の中のことに興味をもつこと。これが弁護士には欠かせない。
 なるほど、なるほど。この指摘には私も大いに反省させられました。
 久保利英明弁護士は、弁護士にとっての営業能力とは、他人(ひと)の話をよく聞いて、コミュニケーションをとって、目の前の人が何に困っているかを探りあてて、迅速に解決してあげることに尽きると断言しています。
 弁護士の本質は正義のための闘争業者だと思うから、人と争うのは嫌だという人には向かない。ただ、闘争が好きで好きでたまらないという人も本当は向かない。正義が好きで、正義のためにはやむをえず闘うこともいとわれないという人が一番向いている。
 私自身も、他人との争い事は好みません。争いの現場からはさっと身を退いて立ち去りたいのです。でも、これは黙っておられないと思ったときには、一言いうようにしています。腕力にはまったく自信がありませんので、口で言うしかありません。
 本当に役に立つ本です。弁護士生活40年以上になる私ですが、改めて、弁護士の仕事の奥深さを感じました。ぜひ、あなたもお読みください。

          (2016年2月刊。2300円+税)

2016年1月 4日

リベンジ・ポルノ

(霧山昴)
著者  渡辺 真由子 、 出版  弘文堂

 リベンジポルノとは、恋人や配偶者と別れた腹いせに、交際中に撮影した相手の性的画像や動画をインターネット上に公開し、拡散する行為。
 このようなリベンジ・ポルノは、実は昔からあった。30年前に女優の裸体写真が出まわった。性的な内容を撮影したいという欲求は、もともと多くの人が内に秘めている。その実現を可能にする道具を与えられたとき、欲求は開花する。
 ネットに載せた画像には、他人にも「保存」が可能だという特徴がある。
 日本よりアメリカで、このリベンジポルノによる被害は先行している。
女子高校生にとって、恋人と性交する関係に至ることは、「同級生より一歩先に大人になった」ことを意味する。そのような自分を自慢したい心理が働く。
 自分に自信のない女の子は、良い評価がほしいから、自分からわざと、そそるような画像を撮ってしまう。恋愛まっただなかの少女たちは、後先を考える余裕がない。いつか別れるかもとか、先のリスクは自分のこととして考えられない。
 10代の少女の恋愛は、あくまでもピュアなのだ。もっと好きになってほしい。浮気や自慰を防止したいという理由で少女たちは撮影に応じている。相手が自分を裏切るはずはないと信じるから撮影に応じる。
 リベンジポルノが発生したとき、撮らせた側は、まさに被害者である。
 撮らせたあなたが悪いときめつけたら、被害者として名乗り出ようとは思わなくなる。加害者が顔見知りであることが多いのも、周囲に相談できない理由の一つになっている。
 ガラケーをもち、スマホに縁のない私ですので、リベンジポルノの世界にも無縁なのですが、小さいころからスマホに慣れ親しんでいるという社会環境も、この問題の背景にあることがよく分る本でもありました。
 被害者に非はなく、被害者が責められる社会はおかしい。私もそう思います。もっと、深く考えるべきなのですよね・・・。

(2015年11月刊。1300円+税)

2015年12月23日

ベテラン弁護士の「争わない生き方」

(霧山昴)
著者  西中 務 、 出版  ぱる出版

  私も弁護士生活が40年以上となりましたが、この本の著者は45年以上ですので、さらに先輩となります。
  弁護士の仕事というと、人の争いごとでもうけていると思われるかもしれないけれど、大きな誤解だ。弁護士ほど「争わない生き方」を望んでいる職業はない。なぜなら、争いをして人生に良いことはなにもないと実感しているから・・・。
  私もまったく同感、と言いたいところではありますが、残念ながら、それほど簡単に断言することはできません。というのも、人の社会(世界)に争いごとがなくなるはずはないというのも日々、実感しているからです。争いごとは、金銭・男女・親子関係・政治・思想など、さまざまな要素で発生します。そのとき、一定のルールに従って処理しようとする専門家は不可欠だと思うのです。また、「もうける」というが、それによって「食べていくプロ」が生まれるのも必然のように思うのです。なぜなら、プロだからこそ職業倫理でしばることができるからです。これは行政による監督もあれば、弁護士会のような自治組織であっても言えます。
  まあ、そうは言っても、争いごとが少ないほど人生は充実している気がしています。無用な争いに時間を割くのは人生のムダだと日々、私は実感しています。
  高級老人ホームを経営している理事長は、子どもの教育に熱心な親ほど、老人ホームに入所したあと、子どもが親に面会に来ない。子どもを一流大学に入れ、一流会社に就職した子どもほど、面会に来ない。ところが親が亡くなると、すぐに駆けつける。
  老人ホームの保証金がいくら返ってくるかをめぐって、子ども同士の争いが始まる。高学歴で、一流の会社に働いていると、自らの能力が高いために、おごり高ぶり、相手の至らぬ点を改めて自分の利を得ようとする考えになりやすいようだ・・・。
 うむむ、胸の痛む指摘です。幸い、私の両親が亡くなったとき、我が姉兄で争族問題は起きませんでした。
  大阪で活躍しているベテラン弁護士が書いた本です。大阪には、かの橋下のような嘘八百を並べる鉄面皮の弁護士がいて、弁護士の社会的評価を下げているのが残念でなりません。

(2015年11月刊。1300円+税)

2015年11月30日

裁判官の書架

(霧山昴)
著者  大竹たかし 、 出版  白水社

  裁判官にも、こんな柔らかい文章を書ける人がいるんですね。
  日頃、どうしようもないほど頭の固い、世間知らずとしか言いようのない裁判官ばかりを相手にして仕事をしている身として、この本を読んで、ほっと救われる気分になりました。
  といっても、著者は団塊世代、私よりほんの少しだけ年下です。だから、私としては団塊世代のおじさんたちも、それなりに世の中に貢献しているんだよ。この本を読んで、それを実感してね、と言いたくなります。
  著者はエリートコースを歩んできた裁判官です。なぜか最高裁の判事になっていません(今からでもなれるのでしょうか・・・?)。東京地裁、東京高裁であわせて10年間も裁判長をつとめています。そして、東京法務局の訟務部長、最高裁調査官、法務省・・・。そして、民事再生法に関する著書も出てますから、それこそ出来る裁判官の一人でしょうね。
  そして、イギリスにも留学しています。この本には、イギリス留学のころが、何回も出てきます。よほど印象深かったのでしょうね・・・。私にとっては、40代のころの40日間のフランス語夏期研修が忘れられません。やはり、若い時には外国に大いに出かけるべきです。
  ところで、この本を読んで印象深いのは、沖縄に勤務していた時代の話なのです。沖縄に、それほど長くいたとは思えませんが、泡盛の話など、しっとりした話が胸を打ちます。やっぱり、沖縄文化って本土と少し違ったところがあるんですね、そう気づかされます。
  いま、弁護士は本当に本を読みません。本を買って読もうという弁護士が減ってしまいました。ネットで情報は手に入るというのでしょう。でも、想像力をかきたてるのには本です。本にかなうものはありません。そして、弁護士と同じく裁判官も本を読んでいないように思われます。たまに、本当に、ごくまれに、この書評を読んでるという裁判官と話すことがあります。
  もちろん、この書評を読んでいるのが偉いわけでもなんでもありません。そうではなくて、視野を裁判所の外にまで広げているかどうか、なのです。本を読むということは、想像力を豊かにすることです。これって、法曹に生きる人にとって、必要不可欠だと思うのですが、それが決定的に欠けているとしか思えない裁判官が本当に多いような気がしてなりません。
  この本で紹介されている本の大半は、私も読んだことがありませんでした。それでも、最後に紹介された我妻栄の『民法講義』を裁判で参照していたというのには驚かされましたし、尊敬しました。私も40年前に我妻栄は読みましたが、その後、本を捨てていないだけで、読んだことはありません。申し訳ない限りです。
 読書好きの人には、おすすめの一冊です。
(2015年9月刊。2500円+税)

2015年11月 7日

あなたは死刑判決を下せますか

(霧山昴)
著者  木村 伸夫 、 出版  花伝社

 私は残念なことに裁判員裁判を経験したことがありません。
 殺人事件の弁護人になったことはあるのですが、いつのまにか嘱託殺人となり、裁判員裁判ではなくなりました。裁判員裁判が始まって、もう6年になりますが、私のパートナー弁護士も私と同じで、やったことがありません。ですから、体験にもとづいて裁判員裁判の是非を論じることはできません。
でも、私は、一般市民が裁判所のなかに入って、裁判官と「対等に」議論する仕組み自体はいいことだと評価しています。その裏返しに、職業裁判官の裁判への深い不信感があります。もちろん、まともな裁判官も多いわけですが、どうしてこんな人が裁判官を続けているのか強い疑問を感じることも決して少なくありません。そんなときには、せめて市民に直接接して説得できるようになってほしいと願うのです。
 この本は殺人事件を担当するようになった高校教員の体験記という仕掛けで裁判員裁判の展開を紹介しています。
 審議状況を傍聴したことのある司法修習生に感想を聞いたことがあります。彼らは異口同音に、裁判員になった市民はみんな真剣に考え、発言していましたよと教えてくれました。もちろん、守秘義務がありますので、具体的なことを聞いたわけではありません。それでも、真面目な議論がなされていること、裁判官の「誘導」はあまりないということを知って安心したものです。
 この本のなかに、裁判官の回想録はあまりないとか、見たことがないと書かれています。たしかに少ないとは思いますが、決してないというわけではありません。木谷明氏など、いくつか秀れた回想記も出ています。
 8月はヒマなので、海外旅行に行っていますという裁判官の話が出てきますが、多くの裁判官にとって、8月は長大事件の判決書きに精進していて、海外旅行どころではないように思います・・・。
 裁判員裁判の具体的イメージをつかめる本として、おすすめします。
(2015年10月刊。1500円+税)

2015年11月 5日

さえこ照ラス

(霧山昴)
著者  友井 羊 、 出版  光文社

 沖縄にある法テラス事務所が舞台となっています。
 法テラスでスタッフ弁護士として働く沙英子が主人公。とぼけた男性事務員の大城が主人公を補佐して大活躍します。
 沖縄の特殊事情を生かした状況設定のなかで、スタッフ弁護士である沙英子と大城のコンビが難問を次々に解決していくのです。
 うまい。ストーリー展開が実に見事です。誰だろう、こんなストーリーを描けるのは・・・、と思っていると、著者は弁護士ではなかったのでした。それにしても、司法による解決の落としどころもおさえていて、驚嘆するばかりでした。
 交通事故の後遺症をめぐる話では、反射性交換神経性ジストロフィーという病気が登場してきます。聞いたことのない病名です。
 外傷の治療が終わったと診断されたあとでも、外傷の程度に不釣合いな激痛が持続する。軽く触れるだけでも灼けるような激痛が走り、筋肉や骨が委縮するケースもある。また、発汗異常や皮膚の変化もある。こんな病名かもしれないと考えるべきなのですね・・・。
 沖縄には、頼母子講に似た模合(もあい)というのがある。複数の人間が毎月集まり、そのときに、1万円とか決まったお金を持ち寄る。そして、そのお金を参加者の一人がまとめて受けとる。これを全員が受けとるまで続ける。問題は、お金をもらったのに、毎月のお金を出さなくなったメンバーが出てきたとき。さあ、どうする・・・。福岡県南部でも20年前ころ、頼母子講が次々に破綻していき、裁判になりました。
 沖縄は結婚しやすく、離婚もしやすい土地柄だ。人口あたりの離婚件数は沖縄が全国一。片親疎外。両親が別居して片親に育てられた子どもは、同居親から強い影響を受ける。子どもは、その同居親から別居親に対する不満を聞かされて育ち、その不満を信じ込んでしまう。
 「小説宝石」に連載されていたそうですが、本当によく出来たストーリーですし、弁護士として勉強になりました。
(2015年5月刊。1500円+税)

2015年11月 2日

セキララ憲法

(霧山昴)
著者  金杉 美和 、 出版  新日本出版社

 富山県出身で、今は京都で活躍している女性弁護士が憲法の意義を生き生きと語った本です。何がセキララ(赤裸々)かというと、著者の悩み多き半生が本当に赤裸々(セキララ)に語られているのです。
 大学(ハンダイ)では航空部に所属し、グライダーを操縦していました。そして、エアラインのパイロットを目ざしたのです。残念ながら合格できずに、次はフリーター生活。美人の著者は、イベントコンパニオンとなり、大阪は北新地のクラブでホステスとして働いたのです。5年間もホステスをやって、人間を表からも裏からも深く見る目を養ったといいます。うひゃあ、す、すごーい、すごいです・・・。たしかに、夜のクラブでは人生の深くて暗い断面に何度も直面したことでしょうね。
 選挙があっても、投票にも行っていない生活。あるとき、何気ない話で、弁護士が向いているということから大転身。わずか2年で司法試験に合格したのでした。さすがの集中力です。
 この本の序章は、日本の自衛隊が安保法によって海外へ派遣される話から始まります。
 戦場でのストレスから、帰ってきたら廃人同様になってしまうという、おぞましい結末を迎えます。アベ首相のいうような、「リスクはまったくない」どころではありません。
 憲法は、私たちの一人ひとりの幸せのためにある。
 暗黒のフリーター時代、無明(むみょう)の闇の底に沈んでいたとき、いっそ戦争でも起こらないかと思ったことがある。想像力が働かなかったから、どこかで戦争なんか自分とは関係ないと思っていた。
 だけど、本当に戦争になったら、死ぬのはアベ首相や、その取り巻き連中ではなくて、私たち自身、私と私の子どもたちなのだ。
 憲法9条は、日本人の私たちが戦争で死なないための最大の武器なのだ。
 自分自身の過去を恥ずかしさとともに客観的に語り、日本の将来を心配して、一緒に考えましょうという、本当に頼もしい本です。 一気に読めます。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2015年8月刊。1300円+税)

2015年9月 8日

証拠は天から地から

(霧山昴)
著者  岡田 尚 、 出版  新日本出版社
 著者は司法研修所で私と同期(26期)で、同クラスでした。実は、実務修習地も同じ横浜だったのです。
著者の扱った事件からタイトルがとられていますが、本としても大変面白く、一気に読了しました。では、タイトルにちなむ話を紹介しましょう、本書の後半に出てくる話です。
国鉄の分割・民営化の過程で、当時の日本で最強の労働組合と言われていた国労や全動労の組合員は徹底して弾圧され、迫害を受けた。1986年12月、横浜貨車区で国労の組合員5人が助役に傷害を負わせたとして逮捕された。逮捕当日の夕刊各紙は大きく事件を報道し、国労つぶしキャンペーンに加担した。
しかし、起訴されたとき、助役に対する傷害罪は消え、公務執行妨害罪しかなかった。いったいどういうことか?
この刑事裁判で、検察側は、物的証拠としてマイクロカセットテープ一本を提出した。助役が事件の現場で隠しどりしたというもの。
弁護団は当然のことながらテープをダビングして聞いていた。すると、坂本堤弁護士(オウム真理教から妻子ともども無惨に殺されてしまいました)が「あれ、なんか違うのが入ってるな」と、つぶやいた。このテープには、当局側の事件直前の打合せまで録音されていて、それとも知らずに消去されることなく裁判所へ提出されていたのです。
ところが、雑音がひどくて、とても聞きとれない。そこで音楽スタジオを借りて、大変な苦労をして2年かけてテープ全部の反訳書を完成させた。
「やつら、たくさんいるんでね。動かないんですよ、、、、。公安関係の人、残っていただいてね」
「皆さん、ここに隠れてもらって、なにかあったときは、すぐ飛び出してもらいます」
「うちのほうは隠れていてね、やつらにやらせるように仕向けますから。決定的なやつをね、、、、、皆さんにみてもらえば、、、、」
「ワーワーやったところで、現認してもらえばいいですから」
このような当局の内部打ち合せが27分間も録音されていた。
このテープの謀議場面を著者はテレビ局に提供した。深夜に、「刻まれた謀議」として1時間番組として放映され、2桁の視聴率をとった。
助役のズボンのポケットにカセットテープレコーダーが入っていたというが、国労組合員による具体的「暴力行為」に触れた発言がどこにも出てこないことも明らかになった。
そこで、裁判所は、「(暴力があったら聞けるはずの)衣擦れ音等をまったく聴取できない」「本件テープは、暴力の裏付けとならないばかりか、問題性を広げてみせるばかりである」「管理者側の挑発の策謀といった、これまた不明瞭な事情が認められる」
などとして、無罪判決を下した。検察官による控訴はなく、一審で確定した。
 要するに、国鉄当局が公安警察としめしあわせて「傷害」事件をデッチあげたのです。
 次は、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」で、いじめにあって自殺した若い自衛官の事件です。
 一審判決は遺族が勝訴(国は440万円支払え)したものの、自殺とイジメの因果関係を裁判所は認めなかった。東京高裁へ控訴した段階で、一審で国側代理人だった自衛官が内部告発したのです。自衛隊は、この自衛官が自殺した直後に乗組員全員にアンケートをとり、実情をつかんでいたのに、それを裁判の証拠として提出していなかったのです。
 この勇気ある自衛官は、ついに裁判所あてに陳述書まで書いたのでした。
 証拠隠しがバレた自衛隊側は、当然のことながら敗訴(国は7350万円を支払え)します。
 そして、自衛隊のトップは遺族宅に出向いて直接、謝罪し、告発した自衛官は差別されないような措置がとられたのでした。
 著者は、「あとがき」で次のように書いています。
  「弁護士生活41年だから、負けたこともあるし、勝利も、そこで私が果たした役割がどれほどのものか分からないが、それでも私は、これまで幸せな弁護士人生であった」
 弁護士の仕事に全力投球したため、家庭のほうはいささかおろそかな面があったようです。著者も、その点は反省しきりです。
 ともかく、熊本県玉名市で生まれ育ち、横浜での41年あまりの弁護士生活を振り返っている本書は、あとに続く弁護士にとって大変教訓に富むテキストにもなっていると思います。ぜひ、ご一読ください。
著者の今後ひき続きのご健闘を心より祈念しています。

(2015年7月刊。1700円+税)

2015年8月25日

腹いっぱい生きて

(霧山昴)
出版  角銅立身追悼文集 

 昨年(2014年)6月に亡くなられた角銅立身弁護士をしのぶ文集です。
 角銅弁護士は昭和4年生まれ。敗戦の年の4月、秋田鉱山専門学校採鉱科に入学し、戦後に卒業したあと、古河鉱業に入り、幹部職員へのコースを歩んでいたとき、労働争議に直面します。そのとき、諌山博弁護士が争議団への現地支援に入ってきた姿に感動し、一念発起して司法試験を目ざすのです。
 すごいことですよね。ストライキで会社側職制が労働者側の弁護士の活躍ぶりに接して、自分もそちらの側に移ろうと思って会社を辞めて司法試験を目ざしたというのですから・・・。
 昭和34年に会社を辞職して3年後の昭和37年9月に司法試験に合格。翌38年に司法研修所に入りました(17期)。司法研究所では青法協の議長もつとめ、昭和40年に憧れの諌山博弁護士の事務所(福岡第一法律事務所)に入所します。
 そして、3年後の昭和43年に田川へ移り、飯塚部会に所属します。福岡県弁護士会では、飯塚部会長兼副会長を10年間つとめています。
 社会福祉法人の理事長もつとめるなど、幅広く活動してきました。
 角銅弁護士の旅行好きは有名です。この追悼文集のなかにも、横井久美子(歌手)の「世界ツアー」にリーダー的存在として参加していたことが感動的なエピソードとともに語られています。ベトナム、アイルランド、ポーランド、チリ、ベネズエラ、アメリカ、南アフリカなど、本当に世界各国をまわっています。中村博則弁護士は、このほかキューバ旅行をともにしたこと、日本国内も北海道から沖縄まで旅した思い出が紹介されています。
 前進座の俳優である嵐圭史が葬儀当日、前触れなく参列して、弔辞を読んだという話には感嘆するばかりです。角銅弁護士の度量の深さを如実に物語っています。
タイトルの「腹いっぱい生きて」は、角銅弁護士の口癖であった、「すごいですねぇ」「ゆたかだよねぇ」「ユニークだよねぇ」「イエスバットなんだよ」「やあ」などから、長女のしおり氏(医師)の発案だとのことです。
 角銅弁護士の豊かな人生を偲ぶ心温まる文集になっています。
 角銅先生、どうか安らかにお眠りください。
 と書きましたが、アベ政治はひどいねえ、という角銅弁護士の地声が聞こえてきそうです。そうです。生かされている私たちも、元気にがんばっているとお答えします。
(2015年7月刊。非売品)

2015年7月22日

憲法を守り活かす力はどこに

                               (霧山昴)
著者  宮下 和裕 、 出版  自治体研究社

 ながく自治体問題を研究してきた著者による、実践的な憲法論です。
 明治憲法よりも日本国憲法のほうが長生きしているという指摘には、ハッとさせられます。
 明治憲法(大日本帝国憲法)は、1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで56年6ヶ月のあいだ、生きていた。ところが、日本国憲法は1947年5月3日から施行されて、もう68年も続いている。12年も長生きしていることになる。なぜ、現行憲法がこんなに長生きしているのか。それが問題です。
安倍首相のような改憲派は、古臭くなって、時代遅れになっていると罵倒しますが、本当でしょうか。
いったい、どこが古臭くなったというのか、安倍首相や桜井よし子は、具体的な批判はできません。なんとなく、古臭いというイメージをふりまいているだけです。
 日本国憲法が長生きしているのは、第一に、内容において人類の到達点を反映し、先取りしていたこと。第二に、日本国民の願いに合致していること。第三に、戦争で多大の被害をこうむったアジアの民衆の願いに合致していることが、理由としてあげられる。
 アメリカの法律学者も、日本の憲法が長生きしているのは、「65年も前に画期的な人権の先取りをした、とてもユニークな憲法」だからとしている。
 本当に、そうですよね。「押し付け憲法」というよりも、その内容が、当時も今も、時代の最先端を行く、画期的な先進的内容であることに日本人は誇りと自信をもっていいのです。
 著者は大牟田出身で、今は鳥栖市に住んでいます。大牟田には、99歳になる父親がヘルパーサポートのなかで一人住まいだというのです。これまた、すごいですよね。
 そして、小選挙区制の弊害をきびしく弾劾しています。
 投票率は、かつての70%台から53%へと急降下したなかで、自民党は小選挙区で8割近い議席を占めているものの、実は、その得票率は5割にもみたない。
 比例代表のほうでは、3割の得票率なのに、4割の議席を占めている。トップ一人だけ当選する小選挙区制は、単に大政党というより、第一党が極端に有利で、第一党を勝たせるための選挙と言ってよい。
 安倍政権は、「小選挙区制によってもたらされた虚構」の上に存在しているにすぎない。そのもろさを自覚しているからこそ、強行採決をくり返すのです。そんな安倍政権を許すわけにはいきません。著者の、今後のますますの健筆を心より期待します。
(2015年6月刊。1500円+税)

前の10件 12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー