弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

司法

2014年6月19日

十代のきみたちへ


著者  日野原 重明 、 出版  冨山房インターナショナル

 ぜひ読んでほしい憲法の本です。
 102歳になる現役の医師が、憲法を、日本国憲法の意義をやさしい言葉で、平明にとき明かしています。もちろん、読み手を十代の読者として、です。
 著者の日常は、百歳をこえた人間にしては、けた外れに忙しく、時間がひどく足りないという思いで、毎日を過ごしている。
 なぜ、医師なのに憲法に興味をもったのか?
 それは、「いのちを守る」という医師の仕事に、日本の憲法が深い関係を持っていると思ったから。憲法は国民のいのちを守るはたらきをしている。ふつうの法律は、人々や守るべきルールを定めている。憲法は、政治家や役人が、つまり日本のえらい人たちが守るべきことを決めている。これが、ふつうの法律と憲法とが大きく違うところ。
 著者は102歳まで生きてきたが、まだまだ毎日が勉強の連続。人間は死ぬまで勉強が続く。この点については、65歳になる私も、まったく同感です。法律論も、社会の現実も、本当に知らないことだらけです。
 ふつうの法律は、ルールとそれを破ったことについての罰則が書かれている。しかし、憲法には、罰則はない。
 日本国憲法は、「戦争をしない」「軍隊は持たない」と明記しているので、自衛隊は戦争の手伝いはできても、アメリカ軍と一緒になって戦うことはできない。それが不満な人たちが、憲法を改正しようと言っている。
 そのとおりです。要するに、日本が昔のように海外に出かけていって戦争しようという人が憲法改正を唱えているのです。そして、その人たちは確信犯ですから、口あたりのいいコトバで善良な人々をごまかして、賛同者に仕立てあげます。そんな人たちが、海外の軍隊に攻められてきたとき、丸腰でどうするんだとヒステリックに叫ぶのです。まるで、集団ヒステリーです。そこには、完全な思考停止があります。そんな近親増悪のような状況にならないようにするのが、政治であり、外交ではありませんか・・・。
 気をつけなければいけないのは、「自衛のための戦争」というのは、いくらでも広く考えることができるということ。
 これまで、世界の歴史において無数の戦争があったが、その多くはもっともらしい理由ではじめられている。
 集団的自衛権にしても、線引きがむずしくて、戦争の原因になりかねない。人類の歴史のなかで、争いが物事を解決した例はない。
 世の中に、本当の「いますぐ」はない。せっかちになりがちな気持ちを落ち着かせ、待っていれば、必ず話し合いの糸口はつかめるものなのだ。
 102歳の医師が、こんなにも平明な言葉で、しかも十代の読者を意識して憲法を語るなんて、本当に驚き、かつ尊敬というより畏敬の念で一杯です。100頁ほどの本です。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。
(2014年5月刊。1100円+税)

2014年6月14日

56歳からの挑戦


著者  加藤 裕治 、 出版  法学書院

 すごいですね。自動車総連の会長という労働組合運動のトップまでのぼりつめた人が、「人生、二度生きる」をモットーとして、司法試験に挑戦し、見事、1回で合格を果たしたというのです。もちろん、そこに至るまでの3年余りは苦難の連続でした。そのことが赤裸々に語られていて、共感を呼びます。
 著者が弁護士を目指したのは、ロースクール(法科大学院)がつくられ、社会人枠があって、合格率も良いというキャッチ・コピーに惹かれたからでした。今や、そのキャッチ・コピーは見る影もありません。でも、だからロースクールなんてつぶしてしまえというものではないように私は思います。
ロースクールの同期生60人の半分は社会人。昼間は仕事をして、夜の授業を受ける。公務員、会社員、司法書士、そして医師がいた。
 著者は早稲田大学法学部を卒業して、トヨタ自動車に入社した。トヨタでは、法務部に配属され、国内法務から国際法務まで8年間つとめた。そして、9年目から労働組合の専従となり、24年間にわたって組合役員として過ごした。トヨタ労組から自動車総連に移り、会長を7年間つとめた。連合の副会長、そして国際金属労連の執行委員もつとめた。
ロースクールは4年間のコースとした。はじめの半年間は、1日の睡眠時間が4時間ほどしかとれなかった。
 モチベーションを支え続けたのは、労組役員としての現役時代に果たせなかったたくさんの思いや悔しさの蓄積だった。このまま人生を終わったら、立ちはだかった多くの障害に負けたままになってしまう。せめて自分が納得できる戦いを、もう一度したいという、切なる思いがあった。だから、司法試験を受けるのは1回だけにしようと心に決め、まわりにもそのように高言して退路をふさいだ。すごい決意です。この1回だけという気持ちが甘えをなくし、合格につながったのだと思います。
 合格者の6割は1回目の受験者なのだ。2回目以降は、合格する確率が相当に低下する。
憲法の全条文を暗誦することに挑戦した。ランニング中、4ヵ月で、前文から99条まで暗誦できるようになった。そして、次には民法の家族法、相続法の条文、民事訴訟法、刑事訴訟法を順次、暗誦していった。こ、これはすごいです。私には、ちょっとマネできない芸当です。
 ロースクールの試験の時には胃がきりきりケイレンし、何回も胃腸薬のお世話になった。肌着の首回りが、汗で黄色くなっていた。身体がボロボロになった。私にも、それはよく分かります。
司法試験は素直な人が合格する。講義への集中力が高く、共感の言うことを素直に吸収しようとする人が合格する。
 司法試験では、分析力、論理性、文章力が問われる。記憶力ではなく、法的思考能力が試されている。
 これだけの豊富な社会人経験があるわけですので、ぜひ社会的弱者のためにがんばってほしいと思います。期待しています。
(2014年1月刊。1380円+税)
 トヨタの社長が先日、6年目にしてやっと税金を払えてうれしいと言ったそうです。赤字だから税金を支払わなかったのではありません。営業利益は2兆円をはるかに超えて、過去最高を更新したというのです。要するに、ずっとずっともうけけていたのに、国内で税金を払ったことがなかったわけです。なんということでしょう。
 安倍首相は法人税をさらに引き下げようとしていますが、日本を代表する超大企業が法人税ゼロを続けてきたなんて、信じられません。
 この話はそれだけでは終わりません。実は、トヨタは輸出企業なので、消費税を納付するどころか、毎年1800億円、そして8%になった2800億円をこえる還付金をもらうというのです。
 トヨタが新聞広告で「増税もまた楽しからずや」とうそぶいたのは、トヨタにとってはまさしくホンネだったのです。許せません。
 おかげで、トヨタ税務署は1000億円をこえる赤字の税務署になっているとのこと。
 まだまだ話は続きます。そんなトヨタが、自民党への政治献金は毎年5000万円、3年間で1億5000万円をこえるというのです。そりゃあ、そうでしょうね。これだけ税金をもらっていれば・・・。
でも、こんな政治って間違っていると私は思います。
 お金持ちが優遇され、「ビンボー人」の負担だけはひどくなり、いつだって「自己責任」が強調される世の中って、政治がありませんよね。
 世直し一揆の声が出ないのか不思議でたまりません。もう、そろそろみんなが声を上げるときではないでしょうか・・・。

2014年6月10日

憲法学再入門

著者  木村 草太・西村 裕一 、 出版  有斐閣

 憲法についての、決してやさしくはない本です。正直なところ、私には難しすぎるところがたくさんありました。一見、日常会話のような体裁なのですが、その内容たるや、きわめて高度な論理展開なので、とても私はついていけませんでした。
 といっても、実は、司法試験にパスするためには、このような論理展開が求められているようなのです。ということは、今の私が司法試験を受験したら、少なくとも憲法科目については合格するのは覚束ないということのようです。トホホ・・・。
 著者の2人は、いずれも同世代。30代半ばでしょうか・・・。私が、この本を読んで、少しは理解できたと思えるところを、いくつか紹介します。
 「公共の福祉」条項の趣旨は「公共の福祉」を理由とすれば人権を制約できるという点にあるのではなく、人権を制約するためには、「公共の福祉」=「公権」を理由としなければならないという制限を立法府=国家権力に課した点にある。
 すなわち、「公共の福祉」の名宛人を国民から国家へと転換させたのである。「公共の福祉」は、人権の制約根拠ではあるが、正当化事由ではないという現在の支配的な見解は、このような意味において、理解できる。
 「公共の福祉」が、人権の限界ではなく、国家権力の限界であり、国家権力に対して人権制約の「理由」を要求する概念であるとすれば、ここでの焦点は、自由の側にではなく、自由を制限する国家行為の側にこそある。
人権とは、他者のいない世界において独善的に謳歌されるものではなく、他者によってそれが傷つけられたときに、「苦痛をこうむる人間の異議申立」としてのみ立ち現れるものだろうからである。
 プライバシーの権利は、かつては、一人で放っておいてもらう権利として理解されていた。それが、情報化社会の進展により、「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利」としてとらえる自己情報コントロール権説が通説化している。さらに、最近では、「人間が多様な社会関係に応じて、多様な自己イメージを使い分ける自由をプライバシーと呼ぶ」自己イメージ・コントロール権説があり、また、「プライバシーの保護を社会的評価から自由な領域の確保としてとらえる」社会的評価からの自由説が有力に唱えられている。
プライバシーと思想の自由は、それらが侵害されることは「自分が自分であることを自分で決める」という原則が否定されることを意味するという点において共通している。
 ここらあたりは、私にも、なんとなく分かった気がしてきます。
現在の護憲派と改憲派との対立もまた、知性主義と反知性主義との対立という様相を示している。
 私からすると、安倍首相のような改憲論の主張は明治憲法の悪しき伝統への先祖帰りでしかなく、歴史の進歩をまったく無視しているという点で、反知性主義そのものです。いかがでしょうか・・・?
 宮台真司は、「昨今の判事って、本当に馬鹿だよね。間違いなく、私よりも法理論や法哲学を知らない」と語った、とのことです。弁護士として40年、また、裁判官評価システムに関与している体験からすると、裁判官が全員「馬鹿」だなどということは決してありません。ところが、上ばかり見ているとしか思えない裁判官が決して少なくないように思われます。また、家庭生活をふくめて、人生を豊かに謳歌しようという思考の裁判官も多いとは決して言えません。上(高裁や最高裁)のほうを気にしすぎて、自分の信念をもって、合議体であれば後進・若手の意見を取り入れることもなく、ばっさり切り捨てる判決のいかに多いことでしょうか・・・。
少しだけは理解したつもりになって紹介しました。それにしても、学者ってこんなことを一日中、議論しているのでしょうか。これでは私には一日たりとも学者なんてつとまりません・・・。
(2014年3月刊。1900円+税)
日曜日の午後、庭に植えていたジャガイモを掘り出しました、すぐ近くで、ウグイスが高らかに鳴いています。梅雨入りしたあと、なぜか雨が降りません。
 いくらか小ぶりのジャガイモが大きなザルで2杯分とれました。つやつやして、美味しそうです。
 夜、8時すぎ、暗くなってホタルを見に行きました。もう終わりかけのようで、チラホラ飛んでいました。

2014年6月 7日

八法亭みややっこの憲法噺


著者  飯田 美弥子 、 出版  花伝社

 弁護士にも、本当にいろんな人がいるんですね・・・。なんと、憲法を講談ではなく、落語で語ろうっていうんです。もちろん、キリリとした和服姿で、高座に座って語るのですよ、憲法を・・・。
 私のよく知っている裁判官も、大学で落語研究会(オチケンと読みます)にはいって、その前は、私と同じくセツルメントサークルにいましたが・・・、今もときどき高座に出て一席語っているそうです。こちらは憲法ではなく、世相を斬る新作落語のようです。
 著者の語る憲法ばなしは、CDで見せていただきました。2時間あまり憲法を語って飽きさせないところは、さすがです。水戸一高の落研出身といいますから、年期が入っていますね。
紬(つむぎ)の着物に紅型(びんかた)の染め帯姿。著者は茶道もたしなむので、自分で着物が着られる。そして、書道四段の腕前で、自ら墨書しためくり「安倍のリスク、八法亭みややっこ」のそばに扇子をもってすわる。
 八法亭とは、六法全書というより、著者の所属する八王子合同法律事務所を縮約したネーミングです。
 著者の落語を聴いて、私がもっとも感銘を受けたのは、著者は、憲法9条より13条を一番大切にしているということを、自らの体験をふまえて赤裸々に語っているところです。
 女の子だから、女たるもの・・・、と言われることを高校、大学と大いに反発し続け、さらに結婚してからは夫にも忍従なんてしなかったというあたりです。まさしく自立した女性のたくましさに、大いに心が惹かれました。
 わずか76頁のブックレットですが、ぎっしり著者の思いが込められています。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。
(2014年5月刊。800円+税)

2014年6月 3日

小説で読む憲法改正


著者  木山 泰嗣 、 出版  法学書院

 主人公は17歳の男子、高校2年生です。楽しく読める。気軽に読める。主人公に感情移入して読める。そんな物語を通じて、憲法改正について、最低限の知識が身につく。そんな本です。
 高校生に憲法改正問題を考えてもらうというのは、とても大切なことです。だって、自民党の改憲草案にある「国防軍」が現実のものとなったとき、真っ先にそのターゲットになるからです。伊藤真弁護士も、同じように高校生を主人公とした憲法読本(小説)を書いています。
 豊富な若者コトバを駆使しているので、取材が大変だったでしょうと声をかけたところ、「そうなんですよ」という答えが返ってきました。といっても、憲法講義などで、若い受講生と接する機会はふんだんにあるのでしょうが・・・。
 本書の著者は、たくさんの本を書いていますが、私も、そのいくつかは読んでいます。いつも、感嘆したり、共感して読んでいます。まだ40歳の著者ですから、今後の活躍がますます楽しみです。
 主要な舞台は高校の図書室です。勉強好きではなかった彼が、ほのかな恋心を募らせる彼女と話すために、憲法について一生けん命に勉強するのです。その努力のいじらしさに気がとられ、憲法の前文や条文が丸ごと紹介されても、ちっとも苦になりません。
 戦後まもなく、日本政府はポツダム宣言を受諾して戦争を終結させたことを忘れたかのように、憲法改正の4原則をつくった。その第一が、天皇主権の確認。これでは、占領軍が認められるはずもありません。そこで、マッカーサー三原則が示された。①天皇が最上位であること、②戦争の放棄、③封建制度の廃止。
 GHQは10日足らずで憲法改正案をつくり、2月13日に日本政府に手渡した。そしてそれを受けて日本側で改正案をつくり、帝国議会に提出し、審議された。
 日本国憲法は、占領軍による押し付け憲法だ。そんな憲法は国際法のルールを無視するものだから無効だ。
 つい先日、NHKの経営委員になった長谷川美千子氏が同じことを鹿児島で話したようです。でも、70年間近くも変わらなかったということは、それだけ国民に定着していることの証(あかし)ではありませんか。
 憲法の究極の目的は人権保障にある。だから、日本国憲法13条が一番重要だ。
 知る権利、プライバシー権、報道の自由、取材の自由、自己決定権。そして、環境権。これらの権利は、基本的に憲法で保障された人権だと解されている。
自衛隊は、あくまで軍隊ではない。軍には自治が認められるが、自衛隊は自衛隊法にもとづき、必要最小限度の実力行使が認められるにすぎない。
 日本の自衛隊は、専守防衛。つまり、攻撃があって、急迫不正の侵害があって、初めて出動できる。そして、その場合ですら、「必要最小限度」の実力行使しか出来ない。
日本の防衛費は、世界有数のレベルに達しているが、その多くは人件費に投入されている。アメリカが55兆円、中国は10兆円で、日本は6兆円しかない。
 軍人は、北朝鮮は、110万人いて、ロシアは96万人、韓国は64万人いる。
 直接民主制は、ドイツのように危険性もある。直接民主制は、拍手と喝さいで、チャップリン映画のように人々が熱狂し、独裁政権が誕生するリスクもある。
 ぜひとも、本物の高校生に読んでほしいと思ったことでした。
(2014年3月刊。1500円+税)

有楽町の映画館で南アフリカのマンデラ元大統領を主人公とする映画をみました。大きな映画館に、観客はわずか20人ほどでした。平日の夜だったからでしょうか。それとも、マンデラは、もう忘れ去られた存在だということなのでしょうか。
 黒人を人間として扱わない、下等人種と見てきた白人支配に対して、当初は非暴力で、そして、ついには暴力で対抗したマンデラは、結局、逮捕さされて、27年間もの獄中生活を余儀なくされたのでした。27年間って、長いですよね。
弁護士として活動していたマンデラは、裁判でも黒人差別を許さないという成果も上げていたようです。
 そして、初めの奥さんには逃げられてしまいます。活動だけでなく、浮気していたのがバレたのでした。マンデラを美化しすぎないようにという注文が本人からついた映画なのです。ですから、妻、ウィニーとの葛藤も描かれています。
 ウィニーは、迫害されて、過激になり、武力に走ります。裏切り者とみるとリンチにかけてしまうのです。
 暴力が横行するなか、マンデラは、出獄して、テレビで訴えかけるのです。
 「平和はいらない、報復を」と叫ぶのは間違っている。平和しかないというのです。
 暴力の連鎖を絶ち切ろうと呼びかけるマンデラの崇高な叫びに心が震えました。涙より怒り、そして勇気を与えてくれる映画です。

2014年5月20日

『司法改革の軌跡と展望』


著者  日弁連法務研究財団 、 出版  商事法務

 『法と実務』(10)に収録されているシンポジウムの記録です。2013年6月8日、日弁連会館クレオで開催されています。
 呼びかけ人の本林徹弁護士が、開会挨拶で次のように述べています。
 今回の司法改革は、明治維新、戦後改革に匹敵する歴史的な抜本改革であった。人権の尊重、法の支配、国民主権という崇高な理念のもと、利用者であり、主権者でもある市民の視点から、司法全般にわたって抜本的な改革をするとともに、21世紀のわが国の社会のあり方を変えることを目ざした。
 改革の導火線となったのは、1990年の日弁連定期総会における「司法改革宣言』だった。そして、1990年代半ばから、経済界などから規制緩和要求があり、また、政治改革、行政改革に次いで、司法改革が一つの大きなうねりとなっていた。
 司法改革が大きな成果を上げていたことについて、日弁連は自信を誇りを持つべきだ。弁護士の増加によって、ゼロワン地域は解消し、弁護士の活動の場も法廷をこえて広がりつつある。法テラスの創設によって法律扶助制度は拡充した。被疑者国選弁護制度が実現し、裁判員制度も始まり、法廷中心の裁判へ変わった。また、労働審判も始まっている。しかし、その反面、弁護士数の大幅増加が、大きな問題を生んでいること、法曹養成制度が大きな岐路に立たされていることも現実である。さらに、民事司法改革、行政訴訟改革も不十分であり、司法制度基盤の拡充・強化も非常に遅れている。
 明賀英樹・元日弁連事務総長は、次のように基調報告した。
 法律扶助協会時代の国庫支出金は21億円だった(2000年度)。これに対して、2011年度の法テラスへの運営交付金は165億円、国選弁護費用を加えると310億円となる。この10年間で8倍増となっている。その結果、被疑者国選は、2007年度に国選が4.4%でしかなかったのが、54.6%と、5年間で10倍以上も増えた。
 20年前の1993年に、弁護士ゼロ地域が50カ所、ワン地域が25カ所あった。2009年にはゼロが2カ所、ワンが13カ所となっている。裁判官は、10年間で600人の増員があったが、それだけでしかない。検察官のほうは、10年間で200人しか増員していない。
 2012年には、企業内弁護士が771人、任期付公務員が106人になっている。
 裁判所予算は、2005年には3250億円だったのが、2013年には2988億円と、減っている。
 そのあと、パネルディスカッションとなりました。パネリストは、佐藤岩夫・東大社研教授(法社会学)、豊秀一・朝日新聞社会部次長(大阪)、丸島俊介弁護士(元日弁連事務総長)。
矢口洪一・元最高裁長官は全国の裁判所を見て回って、裁判所の姿に大変落胆した。それは、大変元気のない、活気のない裁判所となってしまったということ。
 司法制度改革審議会に財界代表で参加した委員は、日本の民主主義を議論する場だったという感想を述べた。
 司法制度改革審議会が公開されていたことは大きかった。議事録も顕名で出された。法曹三者の内輪の論理ではなく、国民の目から見てリーズナブルなのか、納得のいく話なのかを繰り返し議論していった。
 日弁連としても、当番弁護士制度、法律相談センター、ひまわり基金法律事務所の設置など、現場での実践を積み重ねていたのが非常に重要だった。
今回の司法改革を象徴する三大改革は、裁判員裁判、法テラス、法科大学院と言われるが、もっとも困難だとされながら、もっともスムースに実施されてきたのが裁判員裁判である。これは、市民参加の裁判を担うだけの力量が日本国民に十分あるということを意味している。裁判員裁判は、「おまかせ民主主義」から日本が抜け出すきっかけの一つになるのではないか。
法的ニーズは顕在化しにくいという独特の性質をもっている。さまざまな分野で眠っているニーズがあり、それを具体的な実践を通じて掘り起こしていくことが重要である。
 旧司法試験合格者は、頭の回転の速さが粘り強さか、どちらかの特殊能力を持つ人が多い。ロースクールを経た新司法試験組には、よくも悪くも普通の人が数多い。つまり、今は、市民に身近で、リーガルトレーニングにきちんと耐える能力を持っていれば、弁護士資格を取得できる時代になりつつあるということ。
 市民に寄り添って、地道にがんばっている若手弁護士にもっと光をあて、弁護士のやり甲斐とか弁護士の意義をぜひ伝えてほしい。
さまざまな論点に光をあてた意義深いシンポジウムだったと思います。とても勉強になりました。
(2014年4月刊。5000円+税)

2014年5月15日

無罪請負人


著者  弘中 惇一郞 、 出版  角川ワンテーマ21新書

 現代日本の刑事弁護人としてもっとも有名な人による本です。マスコミを騒がす大きな刑事事件となると、なぜかこの人が弁護人として登場してくるのです。不思議です。いくらか同意しにくい部分もありましたが、この本で書かれていることの大半は私も同感するばかりです。
 冤罪事件には、共通する構造がある。予断と偏見からなる事件の設定とストーリーづくり、脅しや誘導による自由の強要、否認する被告人の長期勾留、裁判所の供述調書の偏重。社会的関心を集める事件では、これにマスコミへの捜査情報リークを利用した世論操作が加わる。
 弁護人の仕事は、黒を白にするというものではない。
 私が無罪判決を得たのは、10件程度しかない。
 これには驚きました。もっとたくさんの無罪判決をとっているとばかり思っていました。ちなみに私は、40年間の弁護士生活のなかで、2件だけです。
弁護の仕事に際して心がけてきたのは、依頼人の話をよく聞くこと。依頼人に対して、先人観をもって接することはしない。そもそも弁護士は、あらゆることについて、予断や偏見をもつべきではない。依頼人との依頼関係は、弁護活動の大前提なのである。
 人生でもっとも忌むべきもの、それは「退屈」だ。刑事事件を面白いと思って取り組んできた。仕事を選ぶ基準は、まず自分が納得できるかどうか、である。筋が通らないこと、理不尽なことに納得できない。それは、「社会正義」という大上段にかまえた理念ではなく、自分のなかの価値基準のようなもの。
 厚労省のキャリア官僚であった(である)村木厚子さんの事件では、大阪地検特捜部は、検察庁の従来の手法をそのまま受け継いだ捜査をした。弁護人として助言したことは、事件当時の手帳や業務日誌のコピーをとっておくこと。そして、そのコピーを弁護人に渡すのは何ら問題にならない。
 毎日、被疑者と面会(接見)する目的は、三つある。最大の目的は、事実に反する自白調書を検察にとらせないこと。二つ目は、被疑者のたたかう意欲を維持すること。三つ目は、弁護活動に役立つ情報を得ること。無罪判決を得た最大の要因は、村木さんが当初から一貫して容疑を否認し、自白調書を一本もとらせなかったこと。刑事事件では、当人がそれまで送ってきた全人生、人間性のすべてが試される。
 不運にどう対処できるか。検察官と対峙して取調べにきちんと対応する。無実を信じて支援してくれる仲間がいる。囚われの身となっても、家族や職場がそのまま保たれている。これがない人間は、非常に弱い存在となる。
 被告人の精神的なコントロールが大事になるのは、逮捕後よりも、むしろ起訴後である。起訴されると、他人と話す機会がなくなり、非常に辛い状況に陥ってしまう。
 たちが悪いことに、マスコミも捜査当局も、ともに自分たちは正義だと信じこんでいる。だから、マスコミは、捜査官のリーク情報とともに、平気で都合の悪い部分は捨て、都合のよい部分だけをふくらませ、読者の興味をひくストーリーをつくる。
人間という者の弱さに対する寛容や、人が人を裁くことの難しさゆえの謙虚さが社会で薄れてきた。代わりに「犯罪者」の烙印を押した人間を徹底的に叩きのめすという仕打ちが目立ってきた。
 おそらく人々は、「かわいそうな被害者」を引き受けたくないのだろう。被害者に同情を寄せながら、では、その被害者を受け入れるかどうかというと、それはしない。被害の原因・責任追求、制度改善の努力など、その被害の全体を社会で引き受けることは避け、「悪者」を叩くことで自分たちを免責する、ということなのだろう。
 刑事弁護人としての苦労をふまえた、価値ある指摘のつまった本だと思いました。
(2014年4月刊。800円+税)

2014年5月13日

上野千鶴子の選憲論


著者  上野 千鶴子 、 出版  集英社新書

 私と同世代の著者は、「おひとりさま」で、女性学の研究者として有名ですが、自分は護憲派ではなく、もちろん改憲派でもない、選憲派だと言うのです。選憲派って、耳慣れない言葉です。いったい、何なんだろう。そう思って読みはじめました。
 選憲派。同じ憲法を、もう一度選び直したらいいじゃないの・・・。
 憲法は変えなくてはならないものではない。人生の選択だって、1回限りとはとは限らない。節目で、何度でも、もう一度選び直したらいい。
 民主主義には愚行権という権利もある。間違う権利も主権者の権利の一つだ。
 選憲論は、もし憲法を選びなおすのなら、いっそつくり直したいというもの。
 そのとき、どうしても変えてほしいのが、1章1条の天皇の項。象徴天皇という、わけの分からないものは、やめてほしい。これがある限り、日本は本当の民主主義の国家とは言えない。1条改憲。これは選憲の一つの選択肢だ。
 危険な首相が登場する確率は、危険な天皇の登場する確率の1000倍。この危険を無力化する可能性は10万分の1。
 選憲のもう一つの提案は、日本国憲法の「国民」を、英文のように「日本の人々」「日本に住む人々」に変えること。つまり、日本社会を構成し、維持しているすべての人々のことにする。
 歴史が教えているのは、国家は国民を犠牲にしてきたこと。軍隊は、国民を見捨てて、国家を守ってきた。軍隊は、敵だけではなく自国の国民にも銃を向けてきた。それどころか、軍隊とは国家を守るために、国民は死ねという、究極の「人権侵害」の機関なのだ。
 私たちが本当に守らなければいけないのは、国家ではなくて人間だ。
 昨年(2013年)9月の横浜弁護士会の主催するシンポジウムでの講演をもとにする本なので、とても読みやすく、分かりやすい本になっています。桜井みぎわ弁護士が講演会の実現に骨を折ったことも紹介されていて、その桜井弁護士のすすめから読んで、こうやって書評を書いています。定員1100人の関内ホールが満杯になったというのですから、すごいものです。
 いつものように切れ味するどい話がポンポン飛び出し、聴衆を圧倒したのだと思います。初めて知りましたが、1981年に発表された「琉球共和社会憲法C案」なるものがあるそうです。琉球(沖縄)は、戦後ながくアメリカ軍の統治下にあり、日本人が沖縄に行くのにビザが必要だったのです。沖縄の人々は祖国復帰運動を大々的にすすめていきますが、結局、ときの自民党内閣は、アメリカと「密約」を結んで、表面上は日本に施政権を返還しました。でも、今なお、沖縄には、たくさんのアメリカ軍基地があります。
 その前文は、この「密約」があるなかで沖縄が日本の一部になったことを知り、日本国民の忘れっぽさを皮肉る内容になっています。
 いろいろ考え直すところが多い、刺激にみちた本でした。
(2014年4月刊。740円+税)

2014年5月 9日

絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?


著者  中川智正弁護団 、 出版  現代人文社

 いま、先進国のなかで死刑が残っているのは、日本とアメリカのみ。中国も死刑大国ではありますが・・・。韓国では死刑は長く停止されています。ただし、北朝鮮では、先日、ご存じのとおりナンバー2が銃殺されてしまいました。
 日本は、平安時代、810年の薬子(くすこ)の変のあと死刑を停止し、1156年の保元の乱で復活するまで死刑はありませんでした。
 最近、アメリカの死刑執行に使われる薬物の入手が困難になっているというニュースが流れていました。アメリカでは、電気椅子による処刑はなくなっているのです。薬物を使った二段階方式の死刑執行です。はじめに、いわば睡眠薬を注入し、次に薬物で死に至らしめる方式です。より苦しみを少なくするための工夫です。
 そして、日本はずっと絞首刑による死刑執行です。それに立会う人々がいます。検察官もその一人だと知って、私は検察官にならずに良かったと思いました。
 死刑の執行方法のなかで、絞首刑は次の二点で特に残虐である。
 第一に、絞首された人の意識は少なくとも5秒から8秒、あるいは2分から3分間も続き、激しい肉体的な損傷と激痛を伴う。脳の死は早くても4分から5分かかる。
 第二に、絞首刑を執行したとき、いつ意識を失うかは人それぞれであり、5秒で失う人もいれば、3分間は意識があるかもしれない。また、首が切断されるかもしれない。
古畑種基・医学博士は絞首刑をもっとも苦痛のない、安楽な死に方だとしたが、これは明らかな間違いである。脳内の血液循環が直ちに停止したとしても、脳内には多量の酵素が少なくとも数秒間は意識保つのに十分なだけ残っているので、意識の消失が瞬間的に起こることはない。また、日本の絞首刑について、執行によって頭部離断が起こりうる。
 現代日本の世論は、死刑廃止なんてとんでもないということのようですが、それは死刑執行の現場が公開されていないことにもよるのではないでしょうか。そして、死刑執行を担当する拘置所の職員の心労は簡単には回復できないものがあると思います。
 いずれにしても、日本の死刑執行の実情と問題点は、もっと知られていいことだと思います。今は、あまりに秘密主義で、多くの人が漠然と死刑制度を支持しているとしか思えません。
(2011年10月刊。1900円+税)

2014年4月17日

前夜、日本国憲法と自民党改憲案を読み解く

著者  梓澤和幸・澤藤統一郎ほか 、 出版  現代書館

 自民党の改憲案のもつ問題点が縦横に語られています。
 安倍首相の改憲にかける執念深さは、異常としか言いようがありません。それは、自民党の要職をつとめた人々からもやり過ぎだとして警戒されているほどです。野中広務、古賀誠、山崎拓などです。
 アメリカ政府からも「失望した」とか、ケネディ駐日大使は安倍首相と会おうとしないとか、さまざまな圧力が加えられています。安倍首相は、今のところアメリカの圧力に屈せず、自分の信じるとおり敢行しているようです。でも、そんな「対米自立」は、かえって日本人には迷惑なことなのではないでしょうか・・・。
自民党の改憲草案は、ひどく時代錯誤そのものです。
 天皇を元首とすることは、限りなく君主主権に近づけるということ。
今どき、君主主権だなんて・・・。復古調も、ここまでくると、少し狂っているという感じがします。だいいち、いまの天皇自身が、そんなことを望んでいませんよね。要するに、天皇を道具として使いたいために、その下心から、勝手に天皇を「元首」に持ち上げようとしているのです。天皇を心から崇敬しているとは決して思えません。自分の手玉(てだま)として使いたいというだけです。天皇を、そんなに軽々しく扱うなんて、私だって許せません・・・。
 自衛隊を「国防軍」に変えるという自民党の改憲草案は、軍事組織として、ある程度の自由をもって外の世界へ出ていくことを許すこと。
 要するに、日本人の集団が「国防軍」として海外へ戦争しに出かけ、そこで外国の人々を殺し、また外国の人から殺されるということです。「フツーの国」になるということは、戦死者が「フツー」に、すぐ身近に存在するということになります。これって、社会の変質ですよね。
 自民党改憲草案は、現行憲法が「すべて国民は、個人として尊重される」としているのを、「すべて国民は、人として尊重される」に変えるとする。「個人」を「人」に変えるというが、「人」というのは、非常に抽象化されたもの。動物と人という感じだ。それに対して、「個人」は個性をもっている。一人ひとりの個人と「人」とは、ニュアンスがまったく違う。
 原子力発電所(原発)を設置し、稼働する人たちは、戦争を想定していない。そして、防衛、安全保障、戦争を考える人たちは、原発のことを想定していない。
 北朝鮮は、ミサイル一発を原発に撃ち込めば、日本を地上から消し去ることができると言った。本当に、そのとおりなんです。とても怖い現実があります。
 安倍内閣は、北朝鮮のテロの危機を声高に叫んでいますが、ミサイルによる原発攻撃には口をつぐんでいます。防ぎようがないし、本当にそうなったら、日本は「おしまい」だからです。真の怖さは隠して、その一歩も二歩も手前の「怖さ」だけを言いたてて、防衛産業の売り込みを図っているのです。まったく、許せません。
 自民党の改憲草案は、私は何度も読み返しました。草案の前文なんて、お話にならないほどの格調低さです。出来が、まったく違います。ぜひ、見比べてください。
 それにしても、改憲草案の全条について、こうやって詳しく検討してくれて本当にありがたいことです。
(2013年12月刊。2500円+税)

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