弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2012年9月 7日

つながりすぎた世界

著者   ウィリアム・H・ダビドゥ 、 出版    ダイヤモンド社 

 インターネットは便利ですが、その反面とても怖いものですよね。
 2008年9月に起きたリーマンショックは、世界を震撼させた。その中心地となったがアイスランドである。アイスランド人は、長いこと漁業という当たり外れの大きい職業を生業としてきたこともあって、もともと過剰に走る国民性だった。これはあてにならない気候から産まれた国民性だ。今回も、事態がどれほど深刻であっても銀行家たちは、どうにかなるさと一向にリスクをかえりみなかった。
 大恐慌が発生した1929年当時は、アメリカの人口1億2000万人のうち株式をもっていたのは、わずか150万人の富裕層に限られていた。証券市場の暴落によって直接的に損害を受けたのは、比較的少数にとどまった。もし、当時、インターネットがあったら、中流層まで職を失い、銀行が倒産するなど、被害はもっと拡大していただろう。
 今日では、インターネットのおかげで、株式所有は、はるかに分散している。一般的なアメリカ人は401Kや引退年金制度を通じて株式を保有している。10年前には、7000万人が株式を保有していた。2008年以降の株価暴落では、多くの米国国民が損失をこうむり、経済をまわす資産をもはや持っていなかった。
 個人情報が詐欺に悪用されたという事件が次々に発生している。今日では、収入を得たいと思っている高齢者の個人情報なら330万人分、がんやアルツハイマーなどを患っている高齢者のデータなら470万人分、55歳以上のギャンブル好きのデータは50万人が売り買いされている。
 2006年に有罪判決を受けた男性は、データベースに違法に侵入して、137件の検索を実行して、16億件にのぼるデータを盗み出した。
インターネットは思考感染を促す。ネオナチの集団はフェイスブックで会員集めをしていた。
 ネット上では、匿名で自分たちの教義や主義を広めることができる。
 インターネットの有用性は私も否定しません。でも、本当に必要な情報を、よくよくかみくだきながら取り入れることができるのか、いささかの疑問も感じています。つまり付和雷同型の、自分の頭で考えない人間を増やすばかりなのではないかということです。そこに根本的な疑問があるからです。
(2012年4月刊。1800円+税)

2012年8月28日

それをお金で買いますか

著者   マイケル・サンデル 、 出版    早川書房 

 価値あるものがすべて売買の対象になるとすれば、お金を持っていることが世界におけるあらゆる違いを生みだすことになる。これが、この数十年間が、貧困家族や中流家庭にとってとりわけ厳しい時代だった理由である。
 貧富の差が拡大しただけではない。あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなった。市場には腐敗を招く傾向がある。
かつては非市場的規範にしたがっていた生活の領域へ、お金と市場がどんどん入り込んできている。たとえば、行列に入りこむ権利だって、お金で買える。ええーっ、行列に割り込む権利をお金で買うですって・・・。ほら、飛行機に乗るとき、ファーストクラスだと優先搭乗できるようなものですよね。
 罰金と料金の違いは何か?罰金は道徳的な非難を表しているのに対し、料金は道徳的な判断を一切ふくんでいない。スピード違反の罰金に収入に応じて上がるシステムをとっている国がある。フィンランドがそうだ。時速40キロの超過の罰金が21万ドル(2100万円)だった金持ちがいる。うひゃあ、すごいですね。
 イスラエルの保育所で実験があった。子どものむかえに遅刻した親から罰金をとることにしたら、遅刻する親は減るどころか、かえって増えてしまった。遅刻の発生率は2倍にもなった。親たちは、罰金をみずから支払う料金とみなしたのだ。お金を払うことで迎えの時間に遅れないという道徳的義務がいったんはずれると、かつての責任感を回復させるのは難しくなった。うむむ、難しいところですよね、これって・・・。
 従業員保険というものがある(これは日本にもあります)。会社が従業員の同意をとらずに(今では同意が必要だと思います)生命保険をかけていて、従業員が死亡すると、その遺族ではなく、会社に死亡保険金が入るというものです。そのとき、遺族には会社規定のわずかな見舞金が交付されます。会社は死亡保険金の一部を遺族に渡すのです。
 この従業員保険は、今ではアメリカの生命保険の全契約高の3割近くを占めている。アメリカの銀行だけで、1220億ドルもの生命保険となった(2008年)。このように、生命保険は、今や遺族のためのセーフティーネットから企業財務の戦略に変質している。つまり、従業員は生きているより、かえって死んだほうが会社にとって価値があることになる。そんな条件をつくり出すのは、従業員をモノとみなすことだ。会社にとって価値が、労働する人々としてではなく、商品先物取引の対象として扱っている。かつては家族にとっての安心の源だったものが、今や企業にとっての節税策になっている。うへーっ、これって許されることでしょうか・・・?
 お金をもらってタバコをすうのを止めようとした人の9割以上が、そのインセンティブがなくなった6ヵ月後にはタバコをすい始めた。金銭的インセンティブでは、一般に長期的な習慣や行動を変えることなく、特定のイベントに参加させることにのみ効果を発揮する。人々にお金を払って健全でいてもらおうとしても、裏目に出る可能性がある。健康を保つ価値観を養えないからだ。
なーるほど、なるほど、さすがは名高いハーバードの教授の話ではありました。
(2012年5月刊。2095円+税)

2012年8月23日

それでも、読書をやめない理由

著者   デヴィット・L・ユーリン 、 出版    柏書房 

 1946年2月、ナチス・ドイツのヘルマン・ゲーリングはニュルンベルグ裁判のときに裁判官に向かってこう言った。
 もちろん、民衆は戦争など望んではいない。しかし、政治的な判断を下すのは、結局のところ国の幹部であり、国民を引きずりこむのはどんな国でも造作のないことだ。民主主義政権であれ、ファシズムの独裁政権であれ、議会統治であれ、共産主義独裁政権であれ、やり方に変わりはない。国が攻撃を受けそうだと国民に告げ、平和主義者を非国民呼ばわりして国を危険にさらすものだと非難する。これだけでいい。これは、どんな国でも効き目がある。
 なーるほど、今の日本でも通用している手法ですね。尖閣諸島を守れ、北方領土を守れ、北朝鮮のテポドンが脅威だと言いつのるマスコミには、本当にうんざりしています。
本を読むとき、初読と再読の違いは、次のようなもの。初読は疾走、再読は深化。初読は世界を閉め出して集中し、再読はストーリーを熟考する。初読は甘く、再読は苦い。しかし、再読のすばらしい点は、初読をふくんでいることである。
うむむ、そうも言ええるのでしょうね・・・。
読書には、余裕が必要だ。読書は、瞬間を身上とする生き方から私たちを引き戻し、私たちに本来的な時間を返してくれる。今という時の中だけで本を読むことはできない。本は、いくつもの時間の中に存在する。まず、私たちが本と向きあう直接的な時間経験がある。そして、物語が進行する時間がある。登場人物や作家にも、それぞれの人生の時間が進行している。誰しもが、時間との独自の関係を背負っている。
 本に集中することで、私たちは知らずしらずに内面生活という領域へ戻っていけるのだ。有史以来、今日ほど人の脳が多くの情報を処理しなければならない時代はなかった。現代人は、あらゆる方角から飛び込んでいる情報処理に忙しく、考えたり感じたりする習性を失いつつある。現代人が触れる情報の多くは表面的なものばかりだ。人々は深い思考や感情を犠牲にしており、次第に孤立して他者とのつながりを失いつつある。
 人と人との心の内面に結びつくようなふれあいは、たしかに少なくなっていますよね。
読書とは没頭すること。読書は、もっとも深いレベルで私たちを結びつける。それは、早く終わらせるものではなく、時間をかけるものだ。それこそが読書の美しさであり、難しさでもある。なぜなら、一瞬のうちの情報が手に入るこの文化の中で、読書するには、自分のペースで進むことが求められるからだ。
読書の最中には、私たちは辛抱強くならざるを得ない。一つひとつのことを読むたびに受け入れ、物語るに身をゆだねるのだ。
さらに私たちは気づかされる。この瞬間を、この場面を、この行を、ていねいに味わうことが重要なのだと。
世界からほんの少し離れ、その騒音や混乱から一歩退いて見ることによって私たちは世界そのものを取り戻し、他者の精神にうつる自分の姿を発見する。そのとき、私たちは、より広い対話に加わっている、その対話によって自分自身を超越し、より大きな自分を得るのだ。
 インターネットが万能であるかのような現代でも、活字による書物を読むことの意義はとても大きいと主張する本です。スマホに無縁な私にとって、共鳴するところの多い本でした。
(2012年3月刊。1600円+税)

2012年8月10日

インカ帝国

著者   島田 泉・篠田 謙一 、 出版   東海大学出版会

 私もふくめて、多くの日本人が一度は行ってみたいと思っているのが、インカ帝国最後の都、マチュピチュでしょう。とは言っても、はるか彼方にあって、遠すぎます。そこで、せめて活字の上でインカ帝国をしのびたいと思って読みはじめました。
悪らつなスペイン人侵略者たちによってたちまち崩壊されたインカ帝国。文字がなく、キープというひもを使った記録がどの程度有効なものだったのか、謎は深まるばかりのインカ帝国の実相を少しだけ知った気分になりました。
インカ帝国は、自然環境の面でも社会文化的な面でも、モザイクのような性格をもっていた。
インカ道は軍事遠征の途上で敷設され、広大な帝国のほぼ全域に通じており、その統延長は2万5千キロメートル、海岸部と高地に2本の幹線道路が並行して走り、その間は何十本もの横道で結ばれている。それらの道路上に設置された行政センターや倉庫その他の帝国の施設が、インカ帝国のインフラ設備の基盤となっていた。
 キープの情報の解読は難しい。文字で書かれた使用説明書は今もってひとつも見つかっていない。インカ時代に存在した組織に関する生きた知識や技術は、植民地化で消え去ってしまった。
 1533年まで、神の地位をもつ一族がアンデスを支配していた。首都には、インカすなわち「太陽の子たち」が君臨していた。
南北アメリカ大陸の先住民は、全体としての遺伝的多様性は小さいが、地域集団同士の間の遺伝的な違いは大きい。
 インカの外交は、表面上は寛容であったが、厳格で無慈悲な支配が裏に存在した。進んで独立をインカに明けて渡さず、インカが太陽の子であることを認めなかった人々は軍によって壊滅させられ、貢納に従事させられた。
 インカは、征服した社会から何人かを戦争捕虜とし、その他多くをクスコへと連れて行き、恒久的な使用人ないし、奴隷として用いた。
インカ帝国の3分の2が3000メートル以上の高度に居住し、青銅器時代に相当する技術を用い、効率的な水上輸送手段や車輪をもつ運輸具がない状況で、困難は計り知れないものがあった。
基本的な納税単位は結婚した夫婦だった。一般的には、召集されると、世帯あたり1回2~3ヵ月の労働奉仕を負担した。軍事奉仕だと、長いあいだ家を離れる必要があった。
 インカにとって、農地と同じように重要だったのが、リャマとアルパカの群れだった。
 インカは、民族集団の特殊技能を利用して、それぞれ特殊な任務を与えた。たとえば、ルカナス族は輿の担い手、コリャ族は石工、チュンビビルカ族は踊り手として取り立てられた。また、チャチャボヤ族、カニャリ族、チュイェス族、チャルカス族は兵士として傑出していた。チリャシンガス族は食人の習慣をもっていたことから重宝された。
 近年、キープの記録能力については、多くのことが分かってきた。
 クスコは、インカ帝国における最高権力、権威の中心だった。ここで、「唯一のインカ」(サパ・インカ)であるインカ王が后であるコヤと王宮で統治した。クスコにおける行政装置に配置されたのは、10人から12人いたインカ王の直系の、あるいは傍系の子孫だった。インカ王はクスコで統治したが、帝国の広大さのわりには、その期間は驚くほど短い。
十進法による労働税システムがあった。労役は、双分制と五分組織に従って十進法の集団単位で組織化された。つまり、各地の共同体での10人の労働者が5つ集まると、50人の労働者集団となり、同規模の集団と組になって100人の労働集団となる。
 インカの王は、娯楽や儀礼のための施設だけではなく、自分が休息に訪れるための宮殿を王領につくった。
 この本を読むと、ますますインカ帝国をこの目で見て偲びたいと思ったことでした。でも、やっぱりやめておきましょう。
(2012年3月刊。3500円+税)

2012年8月 3日

社会の真実の見つけかた

著者   堤 未果、 出版   岩波ジュニア新書  

 日本がアメリカのような国になってはいけないと改めて強く思わせる本でした。アメリカン・ドリームなんて、年収1億円とか金融資産が1億円以上の人だけに縁がある世界なんですよね。多くのアメリカ人、そして大多数の日本人は地に足のつかない夢をみて、いつまでもアメリカに幻想をいだいているように見えます。私はとっくにアメリカを見限りました。だから、私はフランス語を勉強しています。
 アメリカには、日本のような皆保険制度はない。65歳以上の高齢者と低所得層だけが公的保障を受け、その他の国民はみな自己責任で民間の医療保険に入らなければならない。加入しても、患者と医師とのあいだに医療保険会社という中間業者が入るため、生命よりも利益が最優先されるしくみだ。
医師や病院は保険加入者を自分たちの病院に患者として回してもらう代わりに、医療保険会社から人件費削減や診療時間短縮をして利益を上げるように、いろいろ指示される。
患者が診療を受けられるのは医療保険会社のリストの載っている医師のみで、高い保険料を払っても、いざ治療を受けたあとで保険金を請求すると、保険会社に支払いを渋られ、払い切れずに破産するケースがとても多い。アメリカの自己破産の理由ナンバーワンは医療費である。
落ちこぼれゼロ法(2002年)は、生徒の成績が悪ければ教師は降格やクビで、学校への助成金は削減する。その後も、成績が上がらなければ、助成金を全部カットして学校自体を廃校にする。
学資ローンは4年生大学では平均3万ドル、修士なら12万ドル、医学部なら15万ドルの借金となる。卒業と同時に、若者の肩にのしかかる。家を手放せば借金が消える住宅ローンとは違い、学資ローンには消費者保護法がきかない。
 2008年、帰還兵の3割がPTSDや脳損傷に苦しんでいる。30万人が重度のうつ病である。帰還兵の自殺者がイラク・アフガニスタンでの戦死者数を上回っている事実が公表された。
 アメリカの肥満児を生み出す原因は、貧困、親の栄養知識のなさ、そして運動不足である。
教師の2人に1人は5年以内に辞める。かつて、教師は、女性にとってあこがれの職業ナンバーワンだった。今は違う。落ちこぼれゼロ法、そして、親の理不尽な要求が教師を辞めさせている。子どもは、親と学校、そして地域社会という三つの手によって育てられてきた。この三つのどれが欠けても、子どもは不安定になる。しかし、今のアメリカでは、この三つとも崩れかけている。親と教師、地域社会がばらばらに分断されている環境で、一番不幸になるのは子どもたちだ。
 いま、大阪の橋下「教育改革」がアメリカのまねをしようとしています。でも、アメリカでは失敗したとされているのです。教師を「敵」とするような「教育改革」によって子どもたちが本当に幸せになれるはずがありませんよ。
 それにしても、NHKをふくめて日本のオール・マスコミが橋下、維新の会をあんなに天まで高く持ち上げるのは、あまりに異常です。もういいかげんやめてほしいと切に思います。小泉「改革」の失敗を繰り返したくありません。
(2012年4月刊。820円+税)

 脱原発の声をあげながら首相官邸のまわりを取り巻く市民が増えています。私も近くだったら、ぜひ参加したいです。
 初めは数百人から始まったのが、今では10万人、20万人という規模になりました。鳩山さん(元首相)も参加したようです。
 でも、マスコミの扱いが小さいですよね。とくにNHKなんて無視そのものです。マスコミは、財界と同じで脱原発に流れが怖いのでしょうね。日本経団連の会長が脱原発なんてとんでもないと公言しています。まるで、お金の亡者ですね。お金より生命ですよね。

2012年7月26日

ピダハン

著者  ダニエル・L・エヴェレット  、 出版   みすず書房   

 1977年12月、26歳の著者はアマゾンの奥地に住む未開の部族、ピダハンにキリスト教を伝えようとして出かけていったのです。とてつもない奥地にピダハンは住んでいました。
 初めてピダハンに出会ったときに何より印象的だったのは、みんながそれはそれは幸せそうに見えたこと。どの顔も笑みに彩られ、ふくれっつらをしている者や、ふさぎ込んでいる者は一人もいない。
 西洋人の一家がアマゾンの村で暮らすための準備を整えるのは容易ではない。ピダハンの村に行く前には、何百ドルもの薬を用意した。アスピリンやヘビの解毒剤、そしてマラリアの治療薬だ。
 ピダハン語には、多くの言語にみられる要素が欠けている。とりわけ文章のつなげ方が恐ろしく難しい。ピダハン語には比較級がない。色を表す単語もなく、赤だったら、「あれは血みたいだ」といい、緑だったら、「まだ熟していない」という。また、完了した過去を語る言葉もない。ピダハンは、現存するどのような言語にも似ていない。
 ピダハン語には、数も勘定も、名色もない。ピダハンは血縁関係が単純だ。
ピダハン語は、だいたい、非常に単純だ。ピダハンは外国の恩恵や哲学、技術などを取りいれようとはいない。ピダハン語には、心配するというのに対応する言葉がない。今では、ピダハン語を話す人は400人もいない。
 ピダハンが病気になったら、その人物が命を落とす可能性は高い。母親が死んでも、子どもが死んでも、伴侶が死んでも、狩りをし、魚を獲り、食料を集めなければならない。誰も代わってはくれない。ピダハンの生活に、死がのんびりと腰を落ち着ける余地はない。
身内が死にかけているからといって、日課をおろそかにすることは許されない。
ピダハンの家は恐ろしく簡素だ。家はただ、雨や太陽を適度に遮断して眠れる場所であればいい。大人は砂の上に平気で寝るし、照りつける太陽の下で、一日じゅうでも座っていられる。
ピダハンは道具類をほとんど作らない。芸術作品は皆無で、物を加工することもまずない。大型で強力な弓と矢はつくる。加工品を作るにしても長くもたせるようなものは作らない。加工品としてネックレスはある。それは美しいというより、毎日のように見ている悪霊を祓うためのもの。
 ピダハンな、外の世界の知識や習慣が、どんなに役に立つと思っても、易々とはとり入れない。
 ピダハンは狩りや漁をしたら、獲物はすぐに食べきってしまう。自分用に加工してとっておくことはしない。ピダハンは空腹を自分を鍛えるいい方法だと考える。平均的な体格のピダハンは女でも男でも身長150センチから160センチ。体重は45~56キロほど。誰もが痩せて力強いピダハンの人々は、魚やバナナ、森にすむ野生動物、幼虫。ブラジルナッツ、電気ウナギ、カワウソ、ワニ、昆虫、ウナギなど、周囲の環境にあるものを何でも食べる。ただし、爬虫類と両生類は通常、口にしない。
 ジャングルでは熟睡するのは危険だ。だから「寝るなよ。ヘビがいるから」と声をかけあう。ピダハンの家庭には、たいていアルミ鍋とスプーンやナイフなどがあるだけ。
ピダハンは人の性生活をこだわりなく話題にする。結婚していないピダハンは、気持ちのおもむくままに性交する。夫婦であれば、性交するためにただジャングルに入っていけばいい。歌と踊りは、たいてい満月の夜に催され、その間は、結婚していないもの同士はもとより、別の相手と結婚しているもの同士でも、かなり奔放に性交する。いとことの婚姻にも制限がない。
夫婦は、これといった儀式をせずに共同生活を始め、子づくりをする。ピダハンも社会を形成している。しかし、公的な強制力というものは、ピダハン社会には存在しない。
 ピダハンは、どんなことにも笑う。自分の不幸も笑いの種にする。ピダハンは穏やかで平和的な人々だ。
 ピダハンは、一日一日を生き抜く原動力がひとえに自分自身の才覚とたくましさであることを知っている。
 ピダハンの女性は、たいていは自分ひとりで子どもを産む。ピダハンの子育てには、原則として暴力は介在しない。誰に対しても、相手が子どもであれ、大人であれ、ピダハンの社会で暴力は容認されない。
 平均45年は生きるピダハンは、原則として自分が直接に出会える人々で社会を構成している。
ピダハンは、仲間うちでは寛大で平和的だが、自分たちの土地から他者を追い出すとなると、暴力も辞さない。アマゾンでは、身を守り、狩りや食料採取などに互いに協力し合うことが命綱なのである。指導者も法も規則も必要としていない。生き延びる必要、そして追放という仕組みがあれば、社会を律していける。
 30年以上、アマゾンのピダハンの人々と一緒に暮らし、研究してきた元宣教師による観察記です。大変面白く読みました。前に、「ヤノマニ」というアマゾンの人々を観察する本を紹介しましたが、同じようなショックを受けました。
(2012年5月刊。3400円+税)

2012年7月20日

閉じこもるインターネット

著者   イーライ・パリサー 、 出版   早川書房

 インターネットで世界が広がったというのは単なる錯覚ではないのか、著者は鋭く問題を投げかけています。
 我々は、ある狭い範囲の刺激に反応しがちだ。セックスや権力、ゴシップ、暴力、有名人、お笑いなどのニュースがあれば、そこから読むことが多い。
 パーソナライズされた世界では刑務所人口が増えているとか、ホームレスが増えているとか、重要だが複雑だったり不快な問題が視野に入ることが減っている。
 アマゾンは、あらゆる機会をとらえて、マーザーからデータを集めようとする。たとえば、ギンドルで本を読むと、どこをハイライトしたのか、どのページを読んだのか、また、通読したのか行ったり来たりしたのかといった情報が、アマゾンのサーバーに送られ、次に購入する本の予測に用いられる。
 グーグルもフェイスブックも、関連性の高いターゲット広告を収益源としている。このように人々の行動が商品となっている。インターネット全体をパーソナライズするプラットフォームを提供する市場で取引され小さな商品に、関連性を追求した結果、インターネットの巨大企業が生まれ、企業は我々のデータを少しでも多く集めようとし、オンライン体験は我々が気づかないうちに関連性にもとづいてパーソナライズされつつある。
 アメリカ人は、とても受動的にテレビ番組を選ぶ。テレビ広告はテレビ局にとって宝の山となる。受け身でテレビを見ているから、広告になっても何となく見つづける。説得においては、受け身が大きな力を発揮するのだ。
 インターネットの草創期には、自分のアイデンティティを明らかにしなくてよいことが、インターネットの大きな魅力だと言われていた。好きな皮をかぶれるから、この媒体はすばらしいとみなが大喜びした。ところが、ウェブの匿名性を排除しようとする企業が数多く出現した。
 今では、顔認識さえできる。被疑者の顔写真をとると、数秒で身元と犯罪歴が確認できる。顔からの検索が可能になると、プライバシーや匿名性について我々が文化的に抱いている幻想の多くが壊れてしまう。顔認識はプライバシーを途切れさせてしまう。うひゃあ、これは怖いです・・・。
最近のインターネットは、いつのまにか、自分が興味をもっていること、自分の意見を補強する情報ばかりが見えるようになりつつある。おもわぬモノとの出会いがなくなり、成長や革新のチャンスが失われる。世論をある方向に動かしたいと思えば、少しずつそちら向きの情報が増えるようにフィルターを調節してゆけばいい。
 うへーっ、これって本当に怖いことですよね。すごい世の中になってきましたね。とてもインターネット万歳とは言えませんよね。
(2012年2月刊。2000円+税)

2012年7月13日

FBI秘録

著者   ロナルド・ケスラー 、 出版   原書房

 アメリカのFBIがどんな違法な活動をしているのか、興味があります。
司法公認の極秘侵入であり、住宅やオフィス、自動車、ヨット、飛行機そして大使館などに隠しマイクやビデオカメラを設置し、コンピュータや机の中を覗きまわった。
 極秘侵入の回数は年間400件にものぼる。その80%は、テロ事件や対敵諜報活動にかかわる国家安全保障問題が対象である。残りは、組織犯罪や知的犯罪、政治家の汚職事件などが対象になっている。
 嘱託を含めると1000人もの職員をかかえる作戦技術課には工学研究施設が含まれる。そこではFBI特注の盗聴装置や追跡装置、センサー、そして犯罪者を監視し、行動を記録できる監視カメラなどが作られている。
 FBIの捜査官1万4千人ほどのうち、20%が女性だ。捜査官は4つのグループに分けられる。現場をくまなく調査してコントロールする調査グループ。錠前を破り、金庫や郵便物を開けるメカニックグループ。コンピュータや携帯電話の取り扱いが専門のエレクトロニクスグループ。そして、開封と封印(フラップ・アンド・シール)グループである。このグループは、現場の回復も担当し、捜査官が侵入した痕跡を一切残さないよう気を配る。一回の作戦に100人以上の捜査官が関わることがある。
 極秘侵入では、捜査官の一人は、すべてが元通りになっていることを確認する責任を負う。現場に何ひとつ置き忘れてこないように、作戦中に使用する器具には、すべて番号と目印が付けられ、使用した捜査官を特定できるようになっている。
 隠しマイクや隠しカメラを設置するとき、人間の髪の毛ほど細さの光ファイバーで、音声や画像を送信することがある。そのため、盗聴器解除の専門家にも、電子の放出を検知されることはない。
 FBI長官をながくつとめたフーヴァーは、マフィアに目をつぶった。組織犯罪は、合衆国に対する唯一最大の犯罪的脅威であるという周知の事実をフーヴァーは否定し続けた。フーヴァーは、マフィアの構成員は地方のチンピラに過ぎず、全国犯罪組織には関与していないと主張した。
 きっとフーヴァーとマフィアはくされ縁があったのでしょうね。
 フーヴァーはトールソン副長官と切り離すことのできない仲だった。毎日、昼食をともにし、夕食もほとんど一緒にとった。いずれも独身を通した。これって要するに、二人ともゲイだったということですよね。先日のアメリカ映画も、そのことを強く示唆していました。
 フーヴァーとトールソンは、広い意味で夫婦同然の関係にあった。
 ところが、フーヴァーは、表向きでは、ゲイを口汚くののしっていたようです。それも自分の「弱点」を隠すためだったのでしょうね。
 ウォーターゲート事件について内部告発した「ディープ・スロート」が誰であるか、今では明らかになっています。フーヴァーの下にいたフェルト副長官でした。2005年にフェルト自身がディープ・スロートであることを告白したのです。
 映画『アメリカを売った男』の主人公であるFBI捜査官ロバート・ハンセンは、ロシアのスパイとして21年以上にわたって、ソ連そしてロシアに機密情報を売り渡していた。始まりは1979年のこと。ところで、このハンセンは、教会のオプス・デイという強硬な反共主義を唱える保守的団体に属していた。さらに、ハンセンはワシントンのスリップクラブで働く女性と親密な関係にあり、彼女にベンツや宝石を買い与え、香港に同伴していた。
あらゆる人間を蔑視していたハンセンは、とりわけFBIの女性職員を蔑視していた。ハンセンは、金銭的報酬以上に、FBIへの意識返しや、インテリジェンス・コミュニティーを出し抜くスリルや、支配権を手にした感覚を楽しんだ。ハンセンは2001年7月に保釈なしの終身刑を言い渡され、今もアメリカの刑務所にいる。
 ハンセンの妻は、今もなお妻であり、1980年ころから妻がソ連と取引していたのを知っていた。
 FBI捜査官について当局の承認を得て書かれた本です。その制約はありながら、よく実情が紹介されていると感心しながら読みすすめました。
(2012年3月刊。2200円+税)

2012年6月22日

タックスヘイブンの闇

著者   ニコラス・シャクソン 、 出版   朝日新聞出版

 税金は庶民が払うものだ。
これは、アメリカの大富豪(レオナ・ヘルムズリー)の言葉だ。
 そうなんですよね。民主党政権が自民党のできなかった消費税を10%にしようと奔走していますが、大企業と大金持ちへの減税をすすめながらのことですからね。そして、マスコミは大新聞そろって消費税率アップに大賛成です。
 タックスヘイブンは避難所である。ただし、一般庶民にとってではない。オフショアは、冨と権力をもつエリートたちが、コストを負担せずに社会から便益を得る手助けをする事業なのだ。オフショア・ビジネスとは、本質的には、国境を越えた資金移働の書類上のルートを人為的に操作することだ。
 人口2万5000人ほどのイギリス領ヴァージン諸島に80万社もの企業が置かれている。アメリカを中心とするオフショア・システムは三層構造になっている。連邦レベルでは、アメリカは外国人の資金を本格的なオフショア方式で引き寄せるため、さまざまな免税措置や秘密保持規定を設けている。たとえば、アメリカの銀行は、盗品の取扱などの犯罪から得た利益を受け入れても、その犯罪が海外で行われたものである限り、罪には問われない。きわめて低コストで、きわめて強力な守秘性を提供することで、世界中から不法資金はもちろん、テロ資金まで大量に引き寄せている。
 世界でもっとも重要なタックスヘイブンは島だと言っても誰も驚かない。しかし、その島の名はマンハッタンだと言ったら、人々はびっくりする。さらに、世界で二番目に重要なタックスヘイブンも島にある。それはイギリスのロンドと呼ばれる都市にあるのだ・・・。
 租税回避と脱税の差は、刑務所の壁の厚さだ。
世界的に著名な金持ちが税務当局の調査を受けたとき、こう言った。私が刑務所に行くという噂があるが、言わせてもらえば、私より先に刑務所に行かなくてはいけない法律事務所が四つほど、それに会計事務所が五つほどある。どれも、世界最大手の部類に入るところだ。
世界最大の法律事務所や会計事務所が脱税の手伝いをしているというわけです。これが悲しい現実なのでしょうね。
 スイスは依然として、ダーティーマネーの世界最大の保管場所の一つである。2兆ドルとか3兆ドルと言った規模である。ヨーロッパからスイスに持ちこまれる資金の80%、イタリアからだと99%が、税務当局に申告されていないお金である。
 ケイマン諸島にあるマグラントハウスには1万2000以上の企業が入居している。オバマ大統領は、かつて、この建物について、「これは史上最大の建物か、でなければ史上最大の税金詐欺だ」と批判した。しかし、ケイマン諸島の金融庁長官は次のように反論した。「オバマはアメリカのデラウェア州に関心を向けるべきだ。ウィルミントンの町には、全部で21万7000の企業が入っているオフィスがある」
 2008年には、デラウェア州は88万2000の活動中の企業が登記されている。
 1970年代になって、世界中で税率が急激に下がり、同時に国際的な脱税が世界各地で急増し、資本逃避という突然の災厄が頻発するようになった。タックスヘイブンが爆発的に増え、金融規制が緩和され、その後脱税と資本逃避が急増したのだ。
 大企業への課税税率を上げると外国へ逃げ出すからあげるべきでないという意見がありますが、それは実態を反映しないものだということがよく分かります。担税力のある大企業にきちんと税金を負担させ、庶民の負担は軽くして、福祉を充実させる。この方式の導入を日本人はもっと真剣に考えるべきではないでしょうか。大企業のインチキ宣伝なんかに負けてはいけません。
(2012年2月刊。2500円+税)

2012年5月25日

パブリック

著者   ジェフ・ジャービス 、 出版   NHK出版

 若者たちは、古い世代が戦々恐々とするパブリックな未来に生きている。自分をオープンにすることへの見返りを分かっているからだ。
 インターネットは、ただのコンテンツを運ぶ媒体ではない。それは、人と人とがつながりあう手段だ。インターネットは既存世界の一部だという考え方には異議がある。それはもう一つの並行宇宙なのである。それほど「別物」なのだ。
 インターネットは、この世界の新たな層、新たな社会、または、よりパブリックな新しい未来へのもうひとつの道筋なのだ。インターネットは、破壊の道具、つまり古い絆を再び分断し、ぼくらを制約から解き放ち、未来の姿をあらためて模索させる触媒だ。インターネットが再びぼくらを原子にする。
 社会がパブリックになることは明らかだし、避けられない。抵抗してもムダなのだ。だが、その新しい社会がどんな形になるかは、まったく予想もつかない。
インターネットをうろついているとき、それを見られるのはうれしくない。
 インターネットは「深い読書」と、それがもたらす「深い思考」を阻むと言う人がいる。そこには、本こそが思考を刺激する唯一の、または最良のものだという思い込みがある。
インターネットができてから読む本の数は減ったが、インターネットのおかげで知識欲は増えた。なぜなら、インターネットは好奇心を呼びさまし、それを簡単に満たすことができるからだ。
 2011年の初め、13歳以上のアメリカ人の半数以上がフェイスブックに登録している。
 アメリカのティーンエイジャーと若年層の4分の3と、成人の半分がソーシャルネットワークを利用していた。1億7500万人をこえるツイッターユーザーが毎日1億回ツイートし、合計で250億のつぶやきを残している。アメリカの成人の1割は、ブログを管理している。
 ユーチューブは、毎分35時間分の動画を受けている。
 果たして、本当にインターネットは人類の知恵を向上させ、相互の結びつきを深めるものなのでしょうか。今の私には、大いに疑問です。
 私の身近な人がツイッター中毒となり周囲の状況が目に入らなくなって周囲の人が困ったということが起きました。その人を見ていて、あまりにインターネットの世界に入りこみ過ぎていて、じっくり落ち着いて考えることが出来なくなっている気がしました。
 インターネットの怖さは依然として小さくないというのが私の意見です。
(2011年6月刊。760円+税)

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