弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2013年10月11日

ビッグデータの正体

著者  ビクター・マイヤー・ショーベルガー 、 出版  講談社

この本を読むと、ビッグデータが世界を変えるかどうかはともかくとして、日頃の日常生活を私たちの知らないところで大きく変えようとするものだということは分かります。とんでもない社会に生きているのですね、私たちって・・・。なにしろ、私たちが何をしたかが知られているというだけでなく、何をしようとしているか、何をしたいのかまで機械的に高い精度で読みとられているというのです。
 グーグルは2009年、アメリカの冬のインフルエンザの流行を予測し、国内どころか週単位までの流行まで特定した。
 グーグルでは全世界で1日に30億件以上の検索が実行されている。そのうち、上位500万件の言葉を抽出し、インフルエンザとの相関関係を調べた。データ量、処理能力、統計処理のノウハウでグーグルは群を抜いていた。
 データ利用に関する知識が変化した。昔は、データは何のかわりばえもしない陳腐な存在と考えられていた。ところが、その常識は崩れ去った。データは、ビジネスの素材に生まれ変わり、重要な経済資源として、新たな経済価値の創出に活用されていることになった。
 フェイスブックでは、1時間に新規アップロードされる写真は1000万枚をこえる。「いいね!」ボタンのクリックやコメント投稿は1日に30億回。
 グーグルが運営するユーチューブは月間利用者数が8億人。ツイッターのつぶやきは、年200%の勢いで増加しており、2012年には1日に4億ツイートに達した。
 量が変わることで、本質も変わる。ビッグデータは、限りなくすべてのデータを扱う。
 量さえあれば、精度は重要ではない。重要なのは、理由ではなく結論である。
 固定電話を使った選挙世論調査はミスが大きい。ケータイしかもっていない有権者、これは若い世代やリベラル派に多い、が対象になっていない。だから、標本の無作為性が失われている。コミュニティーの外部の接点をもつ人がいなくなると、残った人々は、まるでコミュニティーが崩壊してしまったように、突如として求心力を失う。
 集団では外部の人々とつながりをもつ人間のほうが盛り上げ役になっている。つまり、集団や社会の中では、多様性がいかに大切かということ。
 ビッグデータの世界に脚を踏み入れるためには、正確はメリットだという考え方を改める必要がある。
 ビッグデータの恐ろしさは、次のような記述にもあらわれています。
 84ヶ国240万人のユーザーが2年間に投稿したツイッター5億9000万件を分析してみた。すると、1日のあいだに人々の気分が変化するパターンも、1週間に変化するパターンも、文化圏の違いに関係なく似ていることが判明した。今では、人々の気分までデータ化している。
 この本は、ケータイ使用によるガンの発生リスクの増加は認められなかった、としています。本当に安全なのでしょうか。
 ビッグデータを上手に利用している企業がすでに生まれている事実にも驚かされました。
 大企業だけでなく、小企業にもビッグデータは驚くようなチャンスをもたらしている。ビッグデータは、業界を超大手と小規模に2分してしまう。中堅どころには厳しい向かい風だ。
今や東ドイツの秘密警察(シュタージ)も舌を巻くほどの個人情報が収集され、蓄積されている。支払いにクレジットカードを使った時点で、あるいはケータイ電話で話をした時点で、私たちの行動は常に監視されている。
そうなんですね、ちっとも知りませんでした。この網の目から逃れるのは、とても難しいことです。だったら、現実を直視しなければいけませんよね。奥の深い本でした。
(2013年6月刊。1800円+税)

2013年9月14日

ある奴隷少女に起こった出来事

著者  ハリエット・アン・ジェイコブズ 、 出版  大和書房

アメリカで黒人奴隷制度が続いていたときの実話です。
 セクハラする白人の主人の手から逃れるため、別の白人男性の愛人となり、2人の子をもうけ、さらには奴隷主の家からひそかに脱出したあと、実はすぐ近くの知人の家の屋根裏部屋に7年間も潜伏していたのでした。7年後、ようやく北部へ逃れました。しかし、そこにも南部から追っ手が来て、気が安まることはありません。19世紀前半の話です。
 7年間の潜伏といっても22歳から29歳という、青春まっただなかを暗くて狭いところに閉じこもって生活していたわけです。周囲の支援体制があったからこそなしえたことでしょうが、それにしてもやっぱり本人の意思の強さには脱帽ですよね。
晴れて自由の身になったあと、南部に戻って、解放奴隷のための学校を設立したり活発な黒人活動家として過ごし、84歳に亡くなりました。
 ところで、この本は自費出版で世に出たものの、120年間も忘れられていたのが、1987年に再発見され、しかも事実に非常に忠実な自伝であることが証明されて、アメリカでベストセラーになったのでした。
2人の幼い子どもと、すぐ身近にいながら別々に生活する日々を7年間も続けたなんて、いやはや奴隷制度というのは、本当に非人間的なものですね。
 ただ、奴隷制度を利用する白人ばかりではなかったことが、少しは救いです。でも、結局、映画『リンカーン』にあったように南北戦争に突入してしまうわけです。
理性が暴力を打ち負かすには、多大なる犠牲が必要なのですね。人間社会の不条理を痛感します。読みやすい訳本になっています。
(2013年7月刊。1700円+税)

2013年8月 7日

アメリカ黒人の歴史

著者  上杉 忍 、 出版  中公新書

2010年にアメリカの全人口3億9000万人のうち白人は2億人近く(64%)、ヒスパニック系は5000万人(16%)、黒人は3900万人(13%)、アジア系は1500万人(5%)となっている。
ヒスパニック系が黒人を上まわったのは1990年の調査からだった。しかも、統計に出てこないヒスパニック系住民(不法入国者)が1000万人いると推測されている。
オバマ大統領はアフリカから連れてこられた黒人奴隷の子孫ではない。ケニア出身の黒人留学生とカンザス出身の白人女性との間に生まれ、継父とともにインドネシアで育ち、思春期はハワイの白人社会の中で過ごした。オバマは黒人社会で生活したことがなかった。そして、大学を卒業してから、シカゴの黒人コミュニティーで地域活動を開始した。
 いま、アメリカでは貧しい人を中心とする犯罪経歴者500万人は選挙権を剥奪されていて、200万人以上の受刑者は投票できない。
 アメリカの「独立宣言」を起草したジェファーソンは数百人もの奴隷を所有していた。そして、ほとんどの奴隷を解放することがなかった。黒人は生まれつき劣った存在であることを「科学的」に論証した。
 合衆国憲法は、奴隷制と奴隷所有階級の支配権を保障したものだった。1860年のリンカーン大統領のまえの大統領の大半は奴隷主だった。
奴隷主は、家族もちの奴隷のほうが従順であることを知っていたから、奴隷財産をふやすためにも、奴隷の結婚を奨励した。
 奴隷は、自らの意志で相手を選んで結婚することが多く、そこには奴隷の主体性が表れた。
奴隷たちは、さまざまな形で抵抗した。主人が見分けにくい抵抗は「ふり」をすることだった。愚純さを装ったり、主人を喜ばせる幸せな表情を装ったり・・・。
 南北戦争の前までに「地下鉄道」などを通じて、南部の奴隷7~10万人が北部に脱出したと推定されている。
 1861年、南北戦争が始まった。南部の利点は、職業軍人の多くが南部出身で、早くから準備を進めていたこと、イギリスの支援を期待できること。しかし、南部は海外からの補給なしには生活物資や武器の調達が困難だったし、人口の38%を奴隷が占めるという深刻な弱点があった。北部の連邦軍は、途中から黒人を受け入れはじめ、合計40万人が連邦軍に入った。
奴隷解放宣言は、南部社会の基盤を揺さぶり、イギリスの介入を阻止することを狙ったものだった。
 イギリスは既に植民地奴隷制を廃止しており、奴隷制擁護を掲げる南部を支持するのは世論の反発が予測された。しかも、戦況は南部に有利に動く気配がなかった。
 1900年ころ、南部で白人支配層は裁判所を握り、罰せられることを心配せずに反抗的な黒人に暴力を振るった。「人種エチケット」を守らない黒人はリンチの対象となった。
 1889年から1932年までに記録されたリンチ被害者は3745人で、その処刑儀式には白人の指導的人物が加わっていた。特別列車を仕立ててやった2000人の群衆による公開リンチがあった(1899年、ジョージア州)。
 リンチは、白人共同体を白人男性のもとに結束させる儀式でもあった。
1920年代に労働運動が厳しく弾圧され、1921年に500万人だった組合員数は1933年に300万人以下になった。しかし、大恐慌のもとで回顧反対運動やストライキを闘い、反撃体制に入った。そして、ニューディール政策のもとで、労働者の団結権と労働組合の団体交渉権が認められると、労働者は大挙して労働組合に入った。
 CIOには黒人や女性を受け入れる組合が多く、1938年には、AFLよりも多い370万人を組織していた。CIOの運動には、当時、勢力を拡大しつつあった共産党が参加し、彼らの戦闘的反人種主義は黒人労働者をひきつけ、CIOの中に反人種差別的政策をもちこんだ。
 第二次大戦中、100万人の黒人が軍隊に入り、海兵隊や沿岸警備隊にも黒人は配置された。黒人にとって、軍隊での生活の法が一般社会での生活よりもましだった。衣食住を確保したうえ、技術や知識も獲得できた。そのうえ、賃金も定期的に支給された。多くの黒人にとって、人生初めての安定した生活だった。
 黒人新聞は、黒人兵に対する不当な取り扱いを曝露し、糾弾した。軍隊での職業訓練や教育、そして戦闘経験を通じて、黒人はかつてなく誇り高くなった。
アメリカの「監獄通過人口」は年間1000万人。監獄内での暴力的支配関係の形成があり、ギャング組織メンバーを増やして一般社会に流出している。監獄内で暴力化することにより、再び監獄に戻る率が高まっている。
 人口に応じて割り当てられる国からの補助金について囚人には選挙権がないので、白人が人口に不釣りあいに大きな代表権を得る。そして、彼らは、厳罰化を主張する候補に投票し、厳罰主義が政治の世界で大きな影響力をもつようになる。
 カリフォルニア州では、刑務所予算が州立大学予算を上回って久しい。
 大量収監は、「社会を安全にする」というよりは、家庭崩壊を推進し、社会を腐朽させ、貧しい人々から政治的発言権を奪い、貧しい地域を一生さびれさせ、社会をより危険にさせている。しかし、政治家がこの問題に立ち向かうにはあまりに危険であり、政治的な展望もない。
 アメリカにおける黒人の苦しく厳しい課題の一端を知ることができました。
(2013年3月刊。820円+税)

2013年7月25日

(株)貧困大国アメリカ

著者  堤 未果 、 出版  岩波新書

アメリカの低所得者層に提供するシステムは、前は「フードスタンプ」と呼ばれていたが、2008年10月からSNAPと名称が変わった。クレジットカードのようなカードをSNAP提携店のレジで専用機に通すと、その分が政府から支払われる。このカードでは食品しか買えない。SNAPは月に1度、夜中0時に支給されるため、毎朝、その日は夜中すぎから全米各地の安売りスーパーに受給者があふれる。
 4人家族で年収230万円以下という、国の定める貧困ライン以下で暮らす国民は4600万人。うち1600万人が子どもだ。失業率は10%に近い(9.6%)。潜在的失業者も加えると、実質20%の失業率だ。16歳から29歳までの若者の失業率は、2000年の33%が、2010年には45%へ上昇した。経済的に自立できずに、親と同居している若者は600万人いる。
 SNAPの受給者は年々増加している。1970年には国民の50人に1人だったが、今では(2012年)7人に1人、4700万人がSNAPに依存して生活している。
 SNAPへの支出は2011年は、2008年の2倍、7兆5000億円。にもかかわらず、アメリカ政府はSNAPの広告予算を増やして、もっと受給するように呼びかけている。なぜなのか・・・?
 SNAPの利用者が増えると、食品業界の消費が増えるからだ。コカ・コーラ社やウォルマートなどがSNAPから大きな恩恵を受けている。そして、肥満による病気が増えているため製薬業界がうるおっている。さらには、SNAPカード事業を請け負う金融業界もSNAPを後押ししている。
貧困児童は、そうでない子どもより肥満率が7割も高い。そして、子どもの医療費は増えている。
 SNAPのコールセンターの仕事はインドの企業に外注している。
アメリカ人は、安い食べ物という幻想を見せられている。食べ物は、加工すればするほど、店のレジで支払う代金が安くなる分、栄養が減り、添加物の増えた食品で健康を損なったり、大量生産工場による環境破壊という形でツケが回ってくる。低価格神話に目がくらんだ消費者は、それをカバーするための公共料金や医療費の請求者は、結局、消費者が支払わされる。
 1990年代から刑務所産業が急速に花開いた。アメリカの囚人人口は、1970年から2010年までの40年間で772%も増え、今や600万人をこえている。
 民間刑務所ビジネスの代表は2社ある。今では、最低時給17セントの囚人労働者が底辺を支えている。
 堤さんのアメリカ・レポートを読むたびに、日本はアメリカを手本にしてはいけない、アメリカのような国になってはいけないと痛感します。でも、まだまだ多くの日本人がアメリカを崇拝し、少しの疑いもせず信じ込んでいるのですよね。怖いですね・・・。
(2013年6月刊。760円+税)

2013年7月 5日

「ローマの休日」を仕掛けた男

著者  ピーター・ハリソン 、 出版  中央公論新社

ご存知、かの有名なダルトン・トランボの伝記です。ええーっ、ダルトン・トランボなんて聞いたことがないんですって・・・。でも、映画「ローマの休日」なら見たことがあるでしょ?オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックは、これで映画史上、不動のスターになりました。私も、この映画は何回かみました(テレビでも)。みるたびに泣かせてくれますよね。
 そして『スパルタカス』『ジョニーは戦場へ行った』など、たくさんの映画史に残る名画の脚本を書いています。アメリカ共産党員だったダルトン・トランボはマッカーシズムの赤狩りで映画界を追放され、他人の名前で脚本を書くようになりました。その一つが『ローマの休日』なのです。すごいですね。そして、見事に映画界にカムバックを果たすのでした。
 「ハリウッド・テン」といって、赤狩り旋風の吹き荒れるなかで、仲間を裏切らなかった一人なのです。その点、『エデンの東』のエリア・カザンとは違います。人生の最後まで見事に信念を貫き通したのでした。
 ダルトン・トランボは見事なたたかいをした。才能あふれた芸術家であり、情熱的な活動家であり、そして真の「アメリカ市民」である。トランボはハリウッドにおける1940年代でもっとも卓越した脚本家の一人としての地位をいかし、信念を貫く理想的な人間像を描いた。そして、自らの信念を貫いたがために脚光を浴びる立場を失うと、トランボはまったく新しい生活を始め、1976年に亡くなるまで、言論と思想の自由を一層声高に訴え続けた。
トランボは1年近く警務所に入れられた。アメリカの映画産業で最高の報酬を得ていた作家から、一転して、失業した囚人となった。
 しかし、収監されても、トランボの生活の糧(かて)を奪うことも、市民の反抗というトランボ作品の代名詞をねじ伏せることもできなかった。トランボはハリウッドの闇市場で13年間にわたって脚本を書き続けた。
もっとも大切なことは、トランボは政治をムダ話に終わらせなかったこと。トランボの作品に登場する人物が抱いているのは、怒りというより悲しみだ。多くの右翼政治家が「卑怯なアカ」を悪者にして自らの名を上げようとしていた時代に、トランボは毅然とした左翼だった。同時に、トランボは人道主義者であり、詩的とも言える作品を描く類い稀なる職人だった。
『東京上空30秒』という映画があるそうです。知りませんでした。日本への空爆に志願したB25戦闘機の乗組員のストーリーのようです。トランボは、兵士たちが東京の空襲に備える様子を綿密に描いている。
 戦後、1947年10月、トランボはアメリカ連邦議会に召喚されます。
 トランボは、簡単に答えるように求められたとき、次のように答えた。
 「非常にたくさんの質問にイエスとかノーで答えられるのは、間抜けな奴か奴隷だけだ・・・。これは、アメリカの強制収容所の始まりである」
 1950年夏、トランボはケンタッキー州の連邦刑務所に入れられた。そして1951年11月、出所してメキシコに移住。
 トランボは、最盛期に1本の脚本で7万5000ドル稼いでいた。それが地下潜伏中には、1本わずか1000ドルしかもらえなかった。だから、トランボは質ではなく、量に専念した。
 『ジョニーは戦場に行った』は、いかにも衝撃的な反戦映画でした。上肢も下肢もなくし、実は顔まで奪われた元兵士が、モールス信号で自分の意思を伝達するという話です。といっても、それ以上は思い出せません。トランボは、この小説を自分で書いて、この映画の監督になったのでした。ところが著者は、この脚本の出来はひどいものだと酷評しています。そうなんです。この著者はトランボを天まで高くもち上げているのではありません。冷静に客観的に分析しようとしています。ですから、一味ちがった面白い評伝になっています。
私のような映画好きの人には、こらえられない本です。
(2012年5月刊。3200円+税)

2013年6月25日

真珠湾からバグダッドへ

著者  ドナルド・ラムズ・フェルド 、 出版  幻冬舎

アメリカの国防長官を2度もつとめた著者の自伝です。世界に冠たる帝国主義の中枢にも想像した以上に激しい競争、権力闘争そして嫉妬心がうずまいていることが分かりました。
 アメリカだって、いつまでも世界の憲兵を気取っておられるはずもありません。とりわけ、最近では例の無人機攻撃は卑怯としか言いようがありません。パキスタンやアフガニスタンの人々の怒りはもっともだと思います。これではテロリストと同レベルで、暴力の連鎖を続けるだけなのではないでしょうか・・・。
 ニクソン大統領についてのコメント。もともと打ち解けない性格のニクソンは、常に人目にさらされる政治の世界で20年以上も生きてきた。本来なら、のんびりくつろぐはずのフロリダの太陽の下でも、ニクソンはどこか堅苦しく事務的な態度だった。
 ニクソンには、いわば側近グループが二つ以上あり、大統領はそのときの関心事や気分に応じて、それらの間を行ったり来たりした。目的が変われば、利用するグループも違った。ニクソンは、しばしば秘密裡にことを進めた。
 ウォーターゲット事件によってニクソンが辞任し、フォード大統領になって、著者は首席補佐官に就任しました。
 たいてい立ったまま仕事をするスタンドアップ・デスクに向かう。その方が1日12~15時間の執務に集中しやすいからだ。手元には常にボイス・レコーダを用意し、口述の内容を秘書に書きとらせ、しかるべき相手に届けさせる。
フォードは人間として善良だが、一国の大統領としての能力に欠けるという評判があった。そしてホワイトハウスの運営は混乱していた。
 著者はブッシュをCIA長官の候補者として「水準以下」と評価しました。
 アメリカがベトナム侵略戦争で惨めに敗北したとき(1975年4月29日)、著者は大統領首席補佐官でした。このとき、私は弁護士になって2年目でした。
ベトナム戦争の不幸な終焉を目撃した大勢の軍関係者やアメリカ市民は、二度と熾烈で忌まわしい反乱型の戦争に足を突っ込まないと誓った。そして、内向きになり、ソ連やその代理国が仕掛ける戦争を見て見ぬふりをしていた。ベトナム撤退は、米国の弱さの象徴となり、さらなる攻撃を招くことになる。
 権力を握る帝国主義者というのは、このように自らの誤りを認めず、反省というものをしないのですね・・・。
我々の敵にとって、ベトナム戦争後の米国は弱体化した国に見え、それが相手側の挑発的な行動を許してしまった。
 このようにアメリカは、もっと軍事的に強くなれというのが教訓だというわけです。恐ろしい軍拡路線です。
 1975年に著者は国防長官に就任する。このころ、アメリカでは核攻撃に備えて死の灰を逃れるシェルター付きの家が多く建てられた。学校では、子どもたちに核攻撃に備えたサバイバル訓練を教えた。今から考えると、本当にバカげたことですよね。核戦争が起きたら、人類は死滅する死滅するしかありません。シェルターなんて、何の役にも立つはずがないのです。
 ところが、戦争の脅威をあおりたてる死の商人と、それに結びついた政治屋がアメリカにも日本にも存在します。
鉄のトライアングルがある。連邦議会と国防総省の軍人・文民官僚そして軍需産業という三者が既得権益で結び付いている。戦争でもうける連中が、今も昔も、そしてアメリカにも日本にもいるわけです。怖い連中ですが、表面的には狼の顔つきをしているわけではないので、見抜きにくく、タチが悪いですね。
 著者はカーター大統領をまるでバカにしています。あまりに弱腰に見えたからです。そして、著者自身が大統領選に打って出ようとしたこともあったのでした。しかし、お金が集まらなかったようで、早々に撤退してしまいました。
 そして、さしもの著者にも家庭の問題が発生します。二人の子どもがドラッグに溺れてしまったのです。
ブッシュ大統領について、著者はとても同情的で、高く評価しています。信じられないほどの持ち上げようです。
 ブッシュは英語の使い方を間違えて自分を自分で笑いものにするが、これは自分に満足し、自信を持っているからだ。その冗談は緊張をやわらげるためで、効果を発揮した。ブッシュは、すぐれた洞察力をもっていて、人間をよく分かっている。うひゃあ、ここまで高く持ち上げていいものですかね・・・。
 コンドリーザ・ライスについては辛口です。会議がきちんと準備されていないことが多かった・・・。
 9.11のとき国防長官だった著者は、これまでのテロリズムへの対応は有効ではなかった。アメリカは遠慮がちで、ときには無力だった、と総括します。これは怖いですね。力ずくでテロリズムを抑えこむことができるものと本気で信じているのです。
アメリカは世界規模の軍事作戦をとって、テロリストを守勢に追い込まなければいけない。
軍事力に頼ることしか頭にない権力者ほど、こわいものはありません。アメリカにとっても世界にとっても不幸をもたらす人物です。
イラク侵略作戦について次のように著者は自慢しています。
 フセインの暴政を排除したことで、より安定した安全な世界が実現したのだ。
本当にそう言えるのでしょうか。軍事力に頼るだけしかない。著者の怖い体質は、必ずや反動(リアクション)を招き、果てしない暴力の連鎖を招くと思います。
 私は、福岡出身の中村哲医師のアフガニスタンにおける地道な努力こそ世界と日本を救うものだと確信しています。暴力と軍隊に頼らない道を実践している中村医師の行動を日本は国家的に今こそ顕賞し、後押しすべきではないでしょうか。
 850頁もの大作です。飛ばし読みして、なんとか読了しました。
(2013年3月刊。2600円+税)

2013年6月20日

アメリカ・ロースクールの凋落

著者  ブライアン・タマナハ 、 出版  花伝社

日本がモデルとしたアメリカのロースクールの現状を紹介した本です。アメリカのロースクール生の借金漬けの現実には驚かされますが、日本でも既に似たような状況が生まれています。決して他人事(ひとごと)ではありません。それでは、ロースクールにはまったく良いところはないのか、その点は体験していない者として、まだよく分からないところがあります。司法試験の合格者を私たちのときのような500人から3倍の1500人に増やした点は良かったと思います。ただし、給費制をなくしたのは間違いですし、司法研修所での2年間の修習をなくしたのも誤りだったと言えるでしょう。それに代わるものとしてのロースクールは全否定すべきものなのでしょうか・・・。
 アメリカのロースクールの年間授業料は5万ドルをこえている。これに生活費を加えると、ロースクールで学位を取るのにコストが20万ドルを要する。9%近くのロースクール生が借金する平均額は10万ドルに達する。そして、2010年のロースクール卒業生の初任給の中央値は6万3000ドルだ。これでは借金返済は大変になる。その結果、アメリカのロースクールは、もはや凋落社会になりつつある。
ロースクール教授の引き抜きでしのぎを削っていて、20万ドルというのも珍しくない。
 ロースクールの志願者は1991年に10万人というのがピークで1998年には7万人にまで落ち込んだ。2004年には10万人に戻った。
 ロースクール生は、社会経済的に裕福な層に過度に集中しており、エリート校で顕著である。上位10校は社会経済上の上位10%の家庭出身の学生の集中度がもっとも高く(57%)、上位100校では、それがもっとも低かったロースクール生は、金持ちと上位の中産階級の白人の子どもたちで占められていくだろう。
10万ドルの借金をかかえたロースクール生にとって、それは企業法務に就職せよと言う強い経済的圧力となる。アメリカでは、学生がロースクールに背を向けはじめている。志願者数は、長期低落傾向にある。
皮肉なことに、アメリカには中・下層階級の大衆が法律上の援助を受けられないでいるが、そのときロースクール卒業生の過剰供給がある。
 法律問題をかかえた低所得者の5人に1人が弁護士の支援を受けられない。ニュー・ハンプシャーでは、地裁事件の85%、高裁事件の48%が本人訴訟であり、DV事件の97%が一方当事者は弁護士なしである。
 カリフォルニア州の明渡事件の9%が弁護士なし。マサチューセッツでは10万件の民事事件が本人訴訟であり、ワシントンDCでは認知事件被告の98%、住宅関係訴訟の被告の97%に弁護士がついていない。
 このように、法律家の援助を受けられない相当数の法律需要と、仕事を見つけることのできない法律家とがアメリカには同居している。これは悲劇としか言いようがありません。
 全国の多くのロースクールの教授たちは、身近な人には勧めない学位を自分たちの学生に売りつけている。
 この日本で、40年ほど弁護士をしてきて、依然として弁護士はもっともっと求められていると実感しています。ただし、自律して生きていけるためには人間力、つまりコミュニケーション能力をみがく必要があります。それがなくてもやっていけると誤解(錯覚)している人が少なくないのも現実です。その点の見きわめをつけたら、やっぱり弁護士はもっともっと必要だと思うのです。その意味で「一発勝負の方がよほど望ましい」という訳者の意見に私は同調できません。
 さらに、「市民の弁護士へのアクセス障害は存在しないが、極めて小さいものだった」と書いてあるのには目を疑いました。日本のどこを見て、そんなことが言えるのでしょうか、信じられません。
 それはともかく、アメリカのロースクールの現実を知る本として、一読をおすすめします。
(2013年4月刊。2200円+税)

2013年6月18日

核時計・零時1分前

著者  マイケル・ドブズ 、 出版  NHK出版

背筋の凍る怖いドキュメントです。核戦争が勃発する寸前だったのですね、キューバ危機って・・・。
 ときは1962年10月。アメリカはケネディ大統領、ソ連はフルシチョク首相です。どちらもトップは核戦争回避の道を真剣に探ります。しかし、部下たち、とりわけ軍人たちは「敵は叩け」と声高に言いつのります。日本を空襲して焼野原にし、ベトナム戦争でも空爆によってベトナムを石器時代に戻すと叫んでいたカーチス・ルメイ大将(空軍参謀総長)がタカ派の先頭にいます。あんな、ちっぽけ島(キューバ)なんか「島ごとフライにしろ」、つまり燃やし尽くしてしまえばいいという怖い考えにこり固まっています。このルメイ将軍は日本列島を焼け野原にした張本人ですが、戦後、日本政府は勲章を授与しています。日本の支配層の卑屈さには呆れます。
 部下たちの暴走は、いったい止められるのか。既成事実が次々に危ない展開を見せていき、トップ集団は方針をまとめることができません。怖いですね・・・。なにしろ、キューバに持ち込まれていたソ連の核弾頭は半端な数ではありません。そして、アメリカだって核爆弾を飛行機に積み、船に積み、ミサイルに装着していたのです。よくぞ、こんな動きが寸前に回避できたものです。
 ケネディ大統領にとって戦争とは、軍部が常に何もかも台無しにする場であった。
 要するに、軍部を信用してはいけないということです。
 マクナマラ国防長官はキューバに配備されたソ連軍に配備されたソ連軍の兵力を6000~8000と見積もった。しかし、実際には4万人のソ連軍がキューバにいて、うち1万人は精鋭の将兵だった。
 キューバ駐留のソ連軍はアメリカ軍の侵攻には抵抗せよと命じられたが、核兵器の使用は禁じられた。フルシチョフは、核弾頭の使用についての決定権は誰にも渡さないと決めていた。キューバに運び込まれたソ連の核兵器(核弾頭)は90発だった。
ソ連からの「要注意船」は10月24日の前日に既に引き返しはじめていた。その点、『13日間』は事実に反したことを書いている。
 アメリカの戦略空軍総司令官のパワー大将は既に空中にあり、15分以内に使用可能な核兵器を2962基も指揮下においていた。爆撃機1479機、空中給油機1003機、弾道ミサイル182機が「即応兵力」を形成していた。そして、その優先攻撃目標として、ソ連国内の220地点が選ばれていた。パワー大将は、ソ連との戦いが終わったとき、アメリカ人2人とロシア人1人が生き残っていれば、我々の勝ちだと考えていた。
 うひゃあ、これはなんとも恐ろしいことです・・・。
 キューバにいるソ連軍は、ワシントンだけでなく、ニューヨークも核弾頭の標的として想定していた。ソ連はキューバにFKR聯隊を2個配備した。いずれの聯隊も、核弾頭を40発と、巡航ミサイル発射機を8基そなえていた。キューバにあるアメリカ軍のグアンタナモ海軍基地にも核ミサイルをうち込む計画だった。
ケネディが学んだ教訓は、政治家たるもの、わが子を戦争に送り出すときは、よくよく考えた末にしたほうがよいということだ。
 10月27日(土)、事態はケネディそしてフルシチョフにも制御できないスピードで進行していた。キューバ上空では、アメリカの偵察機が撃墜された。ソ連領空には、別の一機が迷い込んだ。
 ケネディは、自分のアメリカの軍隊さえ完全に掌握できていなかった。フルシチョフにとって、ソ連が最初に核兵器を使う案は、どんなに脅されようと、怒鳴られようと、絶対に受け入れられない。カストロと違って、フルシチョフはソ連がアメリカに核戦争で勝てるなど思ってもいなかった。
 この当時、核戦争が勃発してもアメリカ政府が確実に生きのびられるように秘密計画が作成され、そのための精鋭ヘリコプター部隊が待機していた。大統領は、閣僚、最高裁判事、そして数千人の高官とともにワシントンから80キロ離れたウェザー山に避難する。そこには、緊急放送網、放射能除汚室、病院、緊急発電所、火葬場などが完備されていた。腰痛に悩むケネディ大統領のための15メートルプールもあった。ところが、そのとき家族を連れて行くことは許されていなかったのです。夫が妻子を残して、自分だけ助かるというのです。みんな、そうするでしょうか・・・。
 地位の高い者ほど、今の聞きが平和的に解決されることについて悲観的だった。軍人に任せると戦争が現実化してしまうことがよく分かります。口先だけで勇ましいことを言う石原慎太郎のような人物ですね。自分と家族は後方の安全なところにひっこんでいて、兵隊には「突撃!」と叫ぶような連中です。
「キューバ危機」って、本当に笑えない綱渡りの連続だったことがよく分かる本です。その圧倒的迫力は『13日間』をしのぎます。
(2010年1月刊。3100円+税)

2013年6月 8日

アメリカン・コミュニティ

著者  渡辺 靖 、 出版  新潮選書

現代アメリカの背筋がぞくぞくするような現実が紹介されている本です。日本がこんなアメリカになってはいけないと思いつつ、実はアメリカ型の超格差社会に近づいていることに思い至ると愕然とします。
 テキサス州には刑務所が106ある。カリフォルニア州に次いで、全米第2位。そして、その急増ぶりは史上例のない速さ。テキサス州の収監者は16万人。日本は6万人ほど。なので、3倍近い。アメリカはロシア、南アフリカよりも多い。そしてテキサス州の民営刑務所は全米一多い。
 テキサス州最古のウォールス刑務所では、11日に1人の割合で死刑が執行されている。死刑執行は電気椅子ではなく、(1964年まで)、薬物の静脈注射による。午前6時10分に注射を始め、6時20分に死亡を確認する。わずか10分あまりで執行が終了する。ちなみにアメリカでも、死刑判決は減少傾向にある。1990年代には年間300件だったが、2006年には114件となった。
 アメリカ全体の収監者は220万人。中国の収監者数より50万人も多い。刑務所関連の仕事に従事するアメリカ人は230万人もいる。
 収監者の70%は非白人。アフリカ系アメリカ人が全体の人口比では13%にすぎないのに、49%を占める。アメリカのホームレスは75万人。
カリフォルニア州にゲーテッド・コミュニティがある。住民からの招待状がない限り、住民以外の人間は入れない。20平方キロメートルのタウンだから、東京都港区と同じ広さ。東京ドームの400倍。縦10キロ、横2キロと細長い。そこに4つのゲートがある。コミュニティには、コンビニくらいの大きさの日用雑貨店が一軒しかない。白人85%、アジア系5%、黒人は0.7%。平均年齢は35歳、平均世帯収入は1500万円。アメリカ全土にあるゲーテッド・コミュニティの住民人口は、1995年に400万人だったが、2001年には1600万人(全米世帯数の6%近い)になっている。
 実は、ゲーテッド・コミュニティは決して安全ではない。そのうえ、人付きあいがとても希薄になる。
 子どもを無菌培養することなんてできません。結局、ゲーテッド・コミュニティで自分の家族だけは守ろうという発想では、社会全体の安全性は保証されませんので、自分の家族だって安全に生活できなくなるのです・・・。いやな発想ですよね。檻のなかに閉じこもって身の安全を確保しようなんて。
(2013年4月刊。1300円+税)
 月曜日、恒例の一泊ドックに入りました。
 日頃はなかなか読めない分厚い本を持ち込み、一心不乱に読書に集中します。
 今回はアメリカのイラク戦争そして、キューバ危機の内情を再現した本が印象に残りました。いずれ、どちらも紹介したいと思いますが、アメリカの支配層も決して一枚岩ではなく、激しい内部抗争が続いていることを再認識させられる本でした。
 健康診断の結果は、やがて送られてきますが、少しばかりダイエットの成果があがり、久々に体重が65キロとなりました。やれやれです。

2013年5月 5日

誰もやめない会社

著者  片瀬京子・蓬田宏樹 、 出版  日経BP社

従業員を大切にする会社なら日本にはたくさんありますよね。今度はどこの会社を紹介してくれるのかなと思うと、なんとアメリカの会社でした。しかも、シリコンバレーにある会社なんです。驚きました。やはり、会社は従業員あって成り立つものですよね。法律事務所にしても、事務員の下支えがなければ成り立ちませんし、まわっていきません。
 アメリカのシリコンバレーで、どんな会社が従業員を大切にしているかと思うと、アナログの半導体部品を専門とする開発・設計会社です。そして、日本のメーカーもお得意先なのです。業績が良くて、報酬もまた良い会社です。ですから、従業員が辞めません。でも、それだけではありません。
 東京スカイツリーのLED照明の安定運用に欠かせない部品をこの会社が提供している。トヨタのプリウスにも同じく・・・・。ええーっ、そうなんですか・・・。
 会社の名前はリニアテクノロジー。従業員は4400人。操業は1981年。営業利益率は50%をこえる。そして、この利益率を20年も維持している。
 リニアテクノロジーは、創業以来、企業買収や合併をほとんどしていない。
一度販売した製品は基本的に製造を中止しない。今でも、30年前の創業当時に発売した製品をコツコツと売り続けている。うっそー、と思いました。
 一度入社した社員はほとんど辞めない。退職の95%以上は定年退職による。
 コンシューマ製品市場とは距離を置いている。価格競争が激しく、収益があがらないから。そんな低収益の市場で、貴重なエンジニアのリリースを消耗させるわけにはいかない。すごい見識ですね。見上げたものです。
 平均年収は15万ドルを上回る。1500万円ですよね。そして、年収の50%以上のボーナスを会社員に提供することもあった。さらに、ストック・オプションもある。
 すべてがデジタルになるわけではない。アナログは必ず生き残る。先見の明がありましたね。30年前のアナログIC市場は世界で20億ドルほどだった。今や、世界のアナログ市場は20倍の420億ドルにまで拡大している。
 営業マンは、製品価値を下げるような値引きをしてはならない。従業員が辞めないのは、仕事が楽しいからだ。そして、エンジニアも常に利益のことを考えている。エンジニアの仕事は回路を設計し、社会の会議のもとへ足を運び、顧客の要求を聞き、本当に求められているのは、どの製品なのかを探し出す。値引き合戦という悪循環にはまらないよう、高い顧客価値を提供する努力をしている。
 弁護士も安かろう、悪かろうではいけません。私も値引きはせずに一生懸命に仕事をすることで弁護士としての販路を拡大したいと考えて頑張っています。
(2012年11月刊。1650円+税)

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