弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2012年1月18日

プレニテュード

著者  ジュリエット・B・ショア 、 出版  岩波書店

この本を読んで一番おどろいたのは、次の一節です。
衣料品は、今や一着いくらではなく、一ポンド(450グラム)の山が1ドルといった低価格で購入される。ええーっ、そうなんですか・・・。そう言えば、私の町にもアメリカの古着を安く、大量に売っている倉庫のような大型店舗があります。
西洋では、衣料品は生産が高くつき、何世紀にもわたって高価で基調な商品だった。いったん作られると、衣服はさまざまに用途を変えながら、長期間つかわれてきた。
 今のアメリカでは、事実上無価値な衣料品を文字どおり山積みにしている。消費システムは、作られた製品をほとんど瞬間時に不要にする。衣料品の山ができたのは価格の急速な下落があったから。頻繁に買うことは、衣料品全体のあり方を変えることになった。数年単位で比較的ゆっくりと変化するデザインから、刻々と変化する流行を特徴とするファッションへの転換があった。
今や、おしゃれではなくなっているという理由だけでモノを捨てることが出来る。そういう浪費する余裕があることを顕示するために、私たちはファッションを喜んで受け入れている。ファッションは、ある程度は軽率さへの受であり、少なくとも必要からの逃走である。
 私自身は衣料品を店で買うことがほとんどありませんが、衣料品を一山いくらで買うという発想にはショックを受けました。現代の浪費はここまで来ているのですね・・・。
 衣料品の廃棄物が劇的に増加している。古着産業は10億ドルをこえる。
 コンピューターはペーパーレス社会を実現すると考えられていたが、現実には、アメリカの1人あたりの紙の消費量は1980年から増加し、2005年には300キロ近くになって世界最大となった。世界人口の4.5%を占めるアメリカが紙消費の3分の1を占めている。
 私たちは、ただならぬ時代に生きている。現代の消費ブームは歴史的に異常である。減少すると予測されていたモノの移動は、加速された。これほど多くの人が、これほど短期間に、これだけたくさん買ったことはなかった。しかし、どんなドンチャン騒ぎにも終わりがある。
アメリカの平均的な労働者は2006年には1979年より180時間も多く働いている。働き過ぎている労働者は、ストレスレベルがとても高く、身体的な健康状態も悪く、うつ病にかかる割合も高く、身の回りのことを自分でできる能力も低い。
 アメリカの、あまりにも営利を追求する民間会社主導の健康保険制度は崩壊しつつある。アメリカ企業は、めまいがしそうな勢いで労働者を削減している。2009年10月までに800万人の雇用が失われ、勤労者の6人に1人が失業者か半失業者と化した。私たちは生産性の伸びを利用し、各仕事にともなう労働時間を削減する必要がある。こうすることで、企業は人員をレイオフすることなしに革新を行い、売り上げ減を緩和し、需要が拡大したときには仕事を増やすことが出来る。
 時短は富を生み出し、富を共有する解決策なのである。時短の前進に再び取り組まなければ、少なすぎる仕事に労働者が押し寄せて、失業が増えるだろう。
 いったい何が幸福度を高めるのか。より多くの時間を家族や友人たちとともに過ごすこと、より多くの時間を親しい人との関係のために使うこと、食事やエクササイズにもっと時間をかけること。自然そのものも幸福の源泉である。
 この本のタイトルであるプレニテュードとは聞き慣れない言葉ですが、豊かさのことです。
 豊かさには4つの原理がある。第一は、新たな時間の配分。第二は、自分のために何かを作ったり、育たり、行ったりすること。第三は、消費について環境を意識したアプローチをすること。第四は、お互い同士と私たちのコミュニティの投資を回復させる必要性。
 豊かさに関する個人の原理は、労働と消費を減らし、創造と絆を増やすことである。これは、エコロジー的利益と、楽しみと健康を増やすと言う人間的利益を生み出すものでもある。
 この本のあとがきに、本のタイトルをどうするか悩んだと書いてあります。たしかにプレニテュードなんて書かれても何の本だか、まるで見当もつきません。内容がとてもいい本なので、やっぱりタイトルは変えてほしいものだと思いました。むしろ、サブタイトルである「新しい〈豊かさ〉の経済学」というほうが、私をふくめて一般にピンとくるし、読んでみようかなと思わせると思います。やっぱり本は読まれなくてはどうにも仕方ありません。本のタイトルは大切です。
この本も訳者の一人である川人博弁護士より贈呈を受けました。いい本をありがとうございました。
(2011年11月刊。2000円+税)

2012年1月 4日

検証・チリ鉱山の69日、33人の生還

著者  名波 正晴 、 出版   平凡社

 2010年8月5日、チリ鉱山の落盤事故によって坑底に閉じ込められた33人の鉱夫が
17日後、その全員の生還が確認され、69日後の10月13日に全員が地中から救出された。
 この感動的な出来事は忘れることができません。この事故の関係で読んだ本の3冊目になります。
 世界一の生産量を誇る銅鉱山分野で、政府とコデルコは一糸乱れぬタッグを組んだ。劇場さながらの舞台で涙の再開を実現し、これを全世界に生中継するという巨額を投じた演出が仕組まれた。
 鉱山では何が起きるか分からない。ヤマは生き物だ。
 33人で飛び込んだ地下700メートルの避難所の周辺は不衛生なサウナのようだった。しかし、空気は循環し、坑道には空気が流れていた。避難所周辺では2,6キロほど自由に身動きがとれた。ただし、ケータイ電話の電波は圏外だった。
意思決定は33人の総意で決める。33人は誰もが対等な発言力をもった。絶対的なリーダーはいなかった。
幸いにも33人の多くが太っていた。体脂肪を分解させることで、3週間程度の生存は可能とみられていた。
誰も独りにさせてはいけない。坑道に独りで向かう者がいたら、数人が同行した。自ら命を絶つことがないように。自殺者を出すことは、「生き抜く」という共通の目的をもった共同体の帰属意識を揺るがし、組織が互解する。共同体が崩壊し、後に続く者も出るだろう。一人だけの死ですむはずがない。
 このころ、チリのビニエラ大統領は政治的な行き詰まりを打開する策を手探りしていた。ビニエラ大統領は、政治的な得点を上げられないなかで、サンホセ鉱山の落盤事故への対応を迫られた。ビニエラ大統領は勝負に出た。鉱山の所有企業から管理権を剥奪し、政府の支配下に置いて国が矢面に立つことを選択した。なによりビニエラ大統領をサンホセ鉱山に向かわせたのは、大統領の有権者との連帯感の薄さ、自身の政治資産の乏しさだった。33人の生存が確認された8月22日以降は、チリ政府が表舞台に立ち、鉱山国家の威信をかけた救出作戦の準備と助走が始まった。
 要点は、救出計画の立案と技術的な調整、それに33人の心身の健康管理だ。失敗は許されない。昼夜の区別をつけるよう、発光ダイオード(LED)の照明装置が地下に送り届けられた。間違った希望を与えるな。救出時期についての楽観的な見通しは禁句となった。救出時期は一度たりとも先延ばしされることなく、常に前倒しされていった。
33人を3つのグループに分けて、8時間ごとの労働を割りふった。ビニエラ大統領は、異なった技術を用いて、複数の救出戦略を立案するよう注文した。常にバックアップを用意せよということ、最終的に3つの縦穴を掘ることが決まった。完成まで3~4ヶ月かかる。
 政府は当初から相当なサバを読んでいた。水増しして日程に余裕を持たせていた。これは救出日程が遅れた場合に備えた保険だった。
救出用カプセルは引き上げる過程で左右に揺れて10回以上は回転する。めまいや血圧上昇を防ぐため、救出の6時間前から食事は流動食に切り替え、ビタミン剤が投与された。33人は連日20分以上のエアロビクスで体調を整えるよう指示された。
 カプセルで救出された作業員がテレビの前で体調不良を訴え吐しゃ物にまみれてしまうのではないかと当局は本気で心配していた。それでは生中継のショーが台なしになるからなのです。
 結局、救出費用は総額16億円(2000万ドル)作業員一人あたり60万ドルかかった。
 政府、とりわけビニエラ大統領の大きな政治宣伝につかわれたというわけです。それでも、33人が無事に救出されて本当に良かったと思います。地上に出てから、今も大変な思いをしている人が少なくないようですね。元気に過ごしてほしいものです。
(2011年8月刊。1900円+税)

2011年12月22日

ルポ・アメリカの医療破綻

著者   ジョナサン・コーン 、 出版   東洋経済新報社

 世界一の高度医療を受けられるアメリカは、その便益は金持ちだけで、平均的な国民は病気になったとき満足な治療を受けられる保証がないことを鋭く告発している本です。
 1990年代初め、ビル・クリントンは医療保険改革法案を議会に提出した。この法案が成立していれば、国民皆保険が実現し、医療保険業界が大きく姿を変えるはずだった。しかし、クリントンの試みは失敗に終わった。これについて大きな責任を負うべきは、どっちつかずの態度に終始した国民自身である。
 マスコミのキャンペーンの恐ろしさはアメリカも日本も同じことです。アメリカで国民皆保険を主張すると、社会主義者、アカだというレッテルを貼られるというのです。信じられません。それなら、日本もヨーロッパも、みんな社会主義国、アカの国ですよね。それでいいじゃないですか。アメリカの人は何を恐れているのでしょうね。
 医療費債務は、アメリカでは破産原因の2位になっている。破産に陥ったアメリカ人の相当数は無保険者だった。たった一度の緊急治療、あるいは入院して集中治療を受ける必要が生じたために、数万ドルから数十万ドルの医療費を請求され破産に追い込まれた。保険会社は、もっとも深刻な症状をかかえた人々を厄介払いする傾向がある。任意の医療保険を扱う会社は、既に病気を抱えた人は扱わないし、病気治療についても「厳格に」査定して、「必要のない」治療に保険を適用としないのです。結局、そこで泣かされるのは患者であり、家族です。ロサンゼルスは、もっとも深刻で、無保険者は全米一、200万人もいる。
 このような現実があるにもかかわらず、アメリカの世論は、医療保険については、おおむねクリントンの医療保険改革が挫折したころと同じように曖昧なままである。むしろ、当時より混迷の度は深まっている。大半の国民は、今も医療保険に加入しており、まずまず満足している。無保険者がいることは知っていても、その大半が失業者だと多くのアメリカ人は思い込んでいる。そして、必要なときには無保険者も医療を受けることができると思っている。人口の16%、4600万人のアメリカ人は医療保険にまったく加入していない。2013年には、無保険者は5600万人に達すると予測されている。そして、保険に加入していても、医療費の支払いに四苦八苦している人は少なくない。ブッシュとブッシュを支援する勢力は、規制は保険業界の自由な活動を妨げるからよくない、政府が管理する高齢者向け処方薬給付は医療品業界の利益を損なうからよくない。公的保険プログラムは財源を税金に頼り、否応なしに富裕層が大企業が最大の負担を負うからよくない。このように考えている。
 アメリカの保守派は、自分の生命は自分で守るのが人間としての当然の誇りというカウボーイ文化がある。彼らは自分の甲斐性がなく、家族の健康保険に加入できないような人間の分まで、どうして自分が負担しなくてはならないのかが分からないのだ。
しかし、日本にもアメリカを笑えない現実があります。国民健康保険料を滞納しているのは461万世帯(2006年、19%)、実質的な無保険者が35万人(2007年)に達している。
 病気になったとき、安心して治療を受けられる世の中であってほしいものです。絶対にアメリカのような国に日本はなってほしくないと改めてしみじみ思ったことでした。
(2011年9月刊。2000円+税)

 フランス語検定試験(準1級)の結果が分かりました。合格です。基準点71点のところ、得点73点でした。自己採点では76点でしたので、3点だけ甘い評価だったということです。1月に口頭試験を受けます。今から緊張しています。いまパリに留学中の娘と、ネットで話すときにはいつもお互いフランス語で話すようにしています。カルチェラタンのガレット屋さんでアルバイトをしています。とても日本人客の多い店のようです。ぜひ行ってやってください。丸い顔をした女の子がいたら、私の娘です。

2011年12月17日

フェア・ゲーム

著者  ヴァレリー・プレイム・ウィルソン  、 出版  ブックマン社   

 映画もみましたが、アメリカ政府の卑劣さを改めて思い知らされる本です。
 そして、CIA検閲済となっているだけに、本のあちらこちらが黒塗りとなっているという異様な本でもあります。訳者は黒塗り前の文章を読んだのでしょうか・・・・。
 イラク戦争が、実は、何の根拠もないアメリカによる侵略戦争であることは、今や明々白々です。ところが、そのことがあまり問題になっていないのは、既成事実と大きな力の前にひれ伏す人間の悲しい習性によるものなのでしょうね。
 サダム・フセインのイラク政府が大量破壊兵器をつくったり、所持していた事実はないことをCIAは察知し、アメリカ政府トップに報告していました。しかし、それでは侵略の口実がなくなって困るブッシュ政府はその情報を握りつぶしてしまったのです。そして、アフリカまで調査に行った元大使が告発すると、逆に政府は元大使の妻はCIAのエージェントだと暴露して、マスコミの目がそちらに向くように操作・誘導しました。
 フェア・ゲームというから公正なゲームという意味かと思うと、さにあらず、格好の餌食だという、からかいの言葉なのです。
CIAの使命に忠実だった著者は、民主主義制度を信じ、真実が勝つと信じていた。しかし、ワシントンにおいては、真実だけでは十分だとは限らないことを知らされた。
ウォーターゲート事件で記者として名を上げたボブ・ウッドワードも厳しく批判されています。たしかに今では、ウッドワードの本を読んでも、かつての迫力は感じられません。
 同じく、日本によく来るアーミテージも分別のない政府高官とされています。要するに、自己保身ばかりを考えている、つまらない人物だということです。多くの日本人は今もアーミテージを大物として、あがめたてまつっていますけれど・・・・。
 映画をみて、黒塗りだらけの本を読むと、アメリカの民主主義も底が割れてしまいます。TPPにしても、アメリカの企業の権益擁護のためのものでしかありませんよね。アメリカって本当に偉ぶっているばかりいる、嫌味な国です。
(2011年11月刊。1714円+税)

2011年12月 7日

TPPの仮面を剥ぐ

著者   ジェーン・ケルシー   、 出版   農文協  

 ニュージーランド・オーストラリアにTPPが導入されてどうなったのか、ニュージーランドの大学教授が怒りを込めて告発しています。
 TPPは通常の自由貿易交渉ではない。TPP交渉は例外的なものだ。自由な世界市場というものが馬鹿げたものであることを率直に非難してきた当の政治指導者によって、10年間でもっとも野心的な自由貿易のプロジェクトが促進され、矛盾がいっそう増加している。
 バラク・オバマは大統領になる前(2008年8月)、市場モデルの非人間性を次のようにこきおろした。
 「20年以上にわたって、共和党員はもっとも金持ちの人間にもっともっと与えよ、そして繁栄が他のあらゆる人々に滴り落ちることを期待しようという、古い、信用の失われた共和党の哲学に賛同してきた。あなたは自分自身に頼れ、という。健康保険がない?市場がそれを決める。自分のことは自分で。貧困に生まれた?たとえ頼るべきつまみ革がなくても、自分自身の努力によって脱出を図れ。自分で自分の失敗を背負うべきだ。我々がアメリカを変えるべきときだ。それが私がアメリカ大統領に立候補した理由だ」
 オバマは本当にいいことを言っていましたね。ところが、どうでしょう。大統領になったら、持てる「1%」の方にぐんぐんすり寄っていってしまった気がしてなりません。
 TPPには、たった一つ確実なことがある。アメリカの貿易戦略と交渉上の要求が、交渉の形態と最終的な合意の見通しを決定する。アメリカとの自由貿易交渉の歴史は次のことを明らかに示している。つまり、どんな美辞麗句を並べようとも、アメリカは交渉のなかでアメリカ市場を猛烈に保護する一方で、アメリカに対する譲歩を引き出す手段とみなしている。
 外国からの直接投資を利用した農産物輸出は、やり方が良くないと農村社会の荒廃を招き、農村の貧困と不平等を固定してしまう可能性がある。貧しい農民は農場を追われ、農場所有権の著しい集中を引き起こした。かつての小農地所有者たちは、地方に残って厳しい条件で働く新たな無産階級となったか、それとも都会に移住して、さらなる大きな苦労を負った。
 新たな輸出志向地域の経済基盤の変化は、しばしば単一栽培(モノカルチャー)の拡大を招き、経済的および環境的な危険と犠牲を伴った。
 オバマ政権がサービス輸出の3倍増を目ざしていることは、TPPに対する商業的アプローチを示唆している。アメリカが自由に対して残っている「障壁」を標的にしようと試みていることは、各国政府が時刻のもっともセンシティブなサービスを規制する権限を保護するような各種の壁を、将来的に除去するようにプレッシャーをかけてくるということ。
 TPPは、ほんの手始めに過ぎないだろう。これらの協定には約束を延長し、規則を見直すために契約前から定期的な交渉の新ラウンドが含まれるのが常である。それは、サービス市場を支配する大規模企業(有力なアメリカ企業)によって設計された、そのような企業のためのハイリスク戦略である。これは、民主的支配にとって受け入れがたいコストとなり、社会的な義務の合法的な追及を危うくする。
この本は、このようにTPPの危険性をニュージーランドなどで現実化した問題をふまえて実証的に鋭く告発している本です。とりあえず交渉の場にのぞみ、不利になったら撤退すればいいという考え方があります。しかし、これはごまかしですし、危険です。アメリカの言いなりになって良いことはひとつもありません。
(2011年11月刊。2600円+税)

2011年12月 6日

FBI美術捜査官

著者   ロバート・K・ウィットマン 、 出版   柏書房

 美術品泥棒は、美術犯罪の技量が盗み自体より売却にあるという事実にたちまち直面する。闇市場において、盗難美術品は公にされている価格10%で出回ることになる。作品が有名なほど売るのは難しい。時間が過ぎるにつれ、泥棒はしびれを切らし、早く厄介払いをしたいと思うようになる。そこで、7500万ドルの値のつく絵を75万ドルでの取引に応じたりする。
 美術品犯罪において、窃盗の9割は内部犯行である。
潜入捜査はチェスに似ている。対象について熟知し、常に相手の一手先二手先を読まなければいけない。最高の潜入捜査官が頼るのは、自分自身の直感にほかならない。こうした技倆は教えられて身につくものではない。天賦の才のない捜査官には潜入は無理だ。友になり、そして裏切るという仕事をこなすには、営業的かつ社交的な才覚に恵まれているか否かにかかわる。
 潜入捜査官には偽の身分が必要になる。ファーストネームはそのまま本名を使うのがベストだ。嘘はできるだけつかないというのが潜入調査の鉄則。嘘をつけば覚えるべきことが増える。覚えるべきことが少なければ、それだけ落ち着いて自然に振る舞える。ラストネームは、平凡でごくありふれていて、インターネットで調べても簡単には特定できないものがいい。
 潜入調査は多くの点で営業とよく似ている。要は、人間の本質を理解することであり、相手の信頼を勝ちとり、そこにつけ込む。友になり、そして裏切るのだ。
 5つのステップがある。ターゲットの見きわめ、自己紹介、ターゲットとの関係の構築、裏切り、帰宅。
 うひゃあ、こんなステップを淡々とこなすなんて、常人にはとてもできませんよね。少なくとも私には、とうてい無理です。
第一印象はきわめて重要だ。相手に対しては、最初から親しみやすい雰囲気をつくっておきたい。何より表情が大切だ。いやがる相手に近づくには、その人物の良い面を見つけて、そこに焦点をあてる。世の中に根っからの悪人はいない。
 潜入調査の最中に不安に感じたら動かないこと。悪党に車に乗るようにいわれて気後れを感じたら、とにかく言い訳を思いついて逃げる。何よりも自分自身が役のなかでくつろぐこと。ミスを犯せば死ぬことになる。
 潜入調査にかかる負担は肉体的にも精神的にも半端なものではない。常に気を張って、ときに事件をかけ持ちするなかで、複数の人格を切り換えるというのは、ストレスがたまる。動きがなく、ひたすら取引を待つ時間となると、なおさらだ。
 FBI捜査官はターゲットと親密になる過ぎないよう、感情をコントロールする訓練を受ける。その理屈は正しい。しかし、感情を抑えこんだり、教科書どおりのやり方では、まともな潜入捜査はできない。自分の本能に従い、人間らしくあること。これが難しく身も心も疲れ果ててしまうときがある。
 誰の手も触れていない原画なら表面は均一のくすんだ光を放つ。手を加えられた絵画は絵の具がむらのある光を放つ。
 前にマフィアに潜入したFBI捜査官の体験記を読みましたが、それこそ命がけでしたし、その潜入を許したマフィアの親分は発覚後すぐに消されてしまったのでした。
それにしても美術品の盗難事件って世界中でよく起きていますよね。
(2011年7月刊。2500円+税)

2011年11月26日

天空の帝国、インカ

著者  山本紀夫  、 出版  PHP新書   

 いま、日本人が一番行きたい世界遺産として、マチュ・ピチュ遺跡をふくむインカ帝国がある。
 本当にそうですよね。私も行きたいと思いますが、高山病そして言葉、なによりその遠さに怖じ気づいてしまいます。先日は、大雨で土砂崩れが起きて途中の列車が不通になりましたよね・・・。ですから、私は、本と写真でガマンするつもりです。
 マチュ・ピチュの発見は1911年のこと。いまからちょうど100年前だ。
 マチュ・ピチュは第9代インカ王のパチャクティの私領(郊外の王宮)であることが分かっている。そこに居住していたのは、せいぜい750人ほど。インカ帝国が栄えていたのは、日本でいうと室町時代。インカ帝国はアンデス文明を代表するが、その最盛期は15世紀からわずか100年ほどでしかない。
 アンデス高地の住人は低地に行くのを好まない。低地には蚊がいるし、蛇もいる。肉などの食べ物もすぐに腐り、ハエがいてウジがわく。それにひきかえ、高地は健康地だ。
 インカ帝国にとってきわめて重要な作物が二つある。その一つはトウガラシであり、もう一つはコカである。インカ時代、コカは生産も消費も国家がコントロールしていた。
ジャガイモの起源地はチチカカ湖畔を中心とする中央アンデス高地である。
 インカ時代、トウモロコシは酒をつくる材料として大量に利用されていた。
インカ時代、灌漑技術はすすんでいた。それにスペイン人は驚いていた。そして、インカでは大規模に階段耕作していた。
インカ帝国の生活を大いにしのぶことができる本でした。
 それにしても、もっと近ければ、ぜひ行ってみたいところですよね。

(2011年7月刊。720円+税)

2011年11月10日

アフガン諜報戦争(上)

著者    スティーブ・コール 、 出版   白水社

 1980年代後半から1990年代初めにかけて、ソ連占領軍やアフガンの共産主義者と戦う盟友として、アメリカのCIAはマスードとそのイスラム・ゲリラ組織に月20万ドルもの現金および武器などの物資を注ぎ込んでいた。
 そうなんです。今、アメリカが敵とするアフガニスタンのイスラム・ゲリラ組織は、元はと言えばアメリカが大金を注ぎ込んで育成したものなのです。
 1986年、CIAはアフガニスタンの戦場にスティンガー・ミサイルを持ち込んだ。CIAの供給を受けたアフガン反乱軍は、1986年から89年にかけて、スティンガーによって多くのソ連軍ヘリコプターと輸送機を撃墜した。そして、ソ連軍が撤退したあと、テロ組織やイランのような敵対国が出回っているスティンガーを買い付け、アメリカの民間旅客機や軍用機に向けて使うのではないかとCIAは思い悩んだ。
 戦争中、CIAは2500近くのミサイルをアフガン反乱軍に提供した。その多くが反過激派イスラム指導者とつながる司令官たちに渡ってしまっていた。イランも数基を手に入れた。
 そこで、ブッシュ(父)大統領とクリントン大統領は、CIAに対して可能な限りスティンガーを現在の所有者から買い戻すよう命じた。
 1990年代中頃、CIAがスティンガーの買い戻しに支出した金額は、同時期にアメリカ政府の他部局がアフガン人道支援に注いだ総額に匹敵した。スティンガー買い戻しは、空の安全を向上させたかもしれないが、アフガンの町や村を破壊している軍閥に多額の現金を与えることにもなった。
 ウサマ・ビンラディンの父親のムハンマド・ビンラディンは1930年代から40年代にかけて、建設業をつくり上げた。家を建て、道路をつくり、会社やホテルを建設し、サウジ王室との関係をもつくりあげた。ビンラディンは何人もの妻をめとって、50人の子どもをもうけた。
 サウジアラビアのサウド国王そしてファイサル国王のもとで、ビンラディンの建設会社はサウジ有数の請負業者になった。友人であり、事業上のパートナー、政治的盟友だった。
 ファサル国王はムハンマド・ビンラディンを公共事業相に任命した。国王の後援によって、ビンラディン家は王室の明白な支援を手にし、建設事業で数十億ドルの富を確実に得た。
 1992年にアフガニスタン国内に存在した個人用兵器は、インドとパキスタンの合計よりも多かった。過去10年間にアフガニスタンに運び込めれた兵器数は、世界中のどの国より多かったという推定もある。ソ連はアフガニスタン共産革命の当時から、360億ドルから480億ドル相当の軍用物資を送り込んだ。同じ時期にアメリカ、サウジアラビア、中国が送った支援の総額は60億ドルから120億ドル相当だった。
 海外でのCIAのスパイ作戦や準軍事作戦は秘密裡に執行され、アメリカの国内法廷の検討対象にはならない。CIA工作員は、情報収集のために常習的に海外大使館に忍び込んだ。CIAはアメリカの敵の内部情報を得るために、軍閥や人殺しにお金を払った。CIAがこうして集めた情報は、アメリカの法廷では証拠として使えないことが多かった。
 タリバンの軍事力が成長するにつれて、タリバン指導者とサウジアラビアとの接触の幅と深さも成長した。サウジ情報当局は、パキスタンのISIと密接な直接の関係を保っており、ベナジル、ブット文民内閣との接触を省略することができた。
 1996年1月、CIAのテロ対策センターは、ウサマ・ビンラディンを追跡する新しい部門を開設した。CIAは、これまで一人のテロリストのために、こんな編成をしたことはなかった。
 タリバンがカブールを占領したころ、反ソ戦争中にCIAが配布したスティンガー・ミサイル2300発のうち600発が行方不明のままだった。CIA担当者は、イランは100発のスティンガーを買い入れたと推定した。
 売り手が売り惜しみするので、スティンガー・ミサイルは一式で7万ドルから15万ドルまではね上がった。タリバンがカブールを占領したあと、CIAはタリバン指導部からスティンガーを直接買い戻す方針を決めた。当時の相場でCIAがタリバンの所有するスティンガーを全部買い取ると、タリバンは800万ドル近い現金収入を保つはずだった。
 1996年秋に、アメリカがタリバンを味方と見ていたのか敵と見ていたのかは明確ではない。アフガニスタンにおけるアメリカ、とりわけCIAの暗躍がよく描かれています。しかし、アメリカには民衆の平和と安全、福利の向上のためにはどうあるべきかという視点がまったく欠落しています。アメリカはすべてを軍事力に頼ろうとしていますが、それでうまくいくとはとても思えません。
(2011年9月刊。3200円+税)

2011年9月29日

オバマの戦争

著者  ボブ・ウッドワード  、 出版  日本経済新聞出版社  

 アメリカのイラク侵略戦争は、まったく間違った戦争でした。たとえフセイン元大統領が圧制をしいたとしても、軍事力によって力づくで抑えこむなんて最低です。おかげで、あたら有為のアメリカ人青年が何千人もイラクで亡くなりましたし、なにより、その何十倍もの罪なきイラク人が殺されてしまいました。
 そして、アフガニスタンへの進出です。アメリカは、いつまで世界の憲兵役を気でるつもりなんでしょうか。軍事力に頼らず、平和外交こそを強めて欲しいものです。ノーベル平和賞が泣きます。そのオバマ大統領も、この本によると、アメリカを抑えこむのには苦労しているようです。軍人というのは、とかく強がりを言いたがり、また、最新兵器を欲しがります。軍人まかせにしておくところ、ろくなことにならないのは、戦前の日本で立証ずみなのですが・・・・。
 取材するとき、先方がオフレコだということがある。他の情報源から同じ情報を得られないときには使ってはいけないということを意味する。ほとんどの場合、他から情報が得られたから使うことができた。なるほど、オフレコって、そういうものなのですね。別に裏付けを取ればいいのですね。
 連邦ビルのなかに、秘密保全措置をほどこした密室がある。枢要区画格納情報施設と呼ばれる。盗聴を防ぐために設計された部屋で、窓はない。監禁部屋のようで、閉所恐怖症を起こしそうになる。そんな部屋になんか入りたくありませんよね。
 パキスタンは、アフガニスタンにおけるアメリカの同盟国だが、表裏がある。嘘は日常茶飯事だ。パキスタン軍の統合情報局(ISI)には、6重ないし7重の人格がそなわっている。
 北朝鮮の指導者たちは狂信的だ。その政権と交渉しようとすると、ブッシュ政権の轍を踏むことになる。交渉、いい逃れ、危機拡大、再交渉のくり返しになる。北朝鮮は口先ばかりで、嘘をつき、危機を拡大させれば、交渉を決裂させると脅し、また交渉しようとする、そういう仕組みになっている。
 アルカイダ幹部を無人機で殺せば、アルカイダの計画・準備・訓練能力に甚大な打撃を与え、テロ対策上は大勝利とみなされる。しかし、無人機による攻撃は戦術的なものであり、戦況全体を変えることにはならない。たとえ大規模空襲を行っても、戦争には勝てないというのは、第二次大戦やベトナム戦争で得た最大の教訓である。
 アフガニスタンのカルザイ首相は、情報によれば、そううつ病と診断されている。気分がころころ変わる。
 アフガニスタン国民のことをアメリカ軍はほとんど理解していないことが分かった。恐怖を広めて威圧するタリバンのプロパガンダが住民にどれほど影響を与えているか、軍には判断できていなかった。
 42カ国の連合軍の兵士たちは、一般のアフガニスタン人と隔離するように造られている基地で生活している。住民との接触が不足しているため、街で何が起きているのか、把握できていない。現地人の通訳をたくさん確保しなければならないが、数十億ドルと兵士十数万人を投入してもなお、十分に確保できていない。
アルカイダは、タリバンに寄生しているヒルだ。タリバンの力が強まれば、ヒルの力も強まる。
タリバンの組織内は決して一枚岩ではなく、いくつものレベルから組織は成り立っている。筋金入りの主義者は上層レベルで5~10%、これは撃滅する必要がある。次が中級で、15~20%。主義に打ち込んでいる理由はさまざま。説得は可能かもしれないが、なんとも言えない。タリバンの70%は下っ端の兵隊であり、食べるための手段だったり、外国人を国外へ追い出せるという理由から参加している。読み書きもきちんとできない教育程度の低い若者たちだ。
 アフガニスタンにとっては、パキスタンの演じる役割が決定的だ。パキスタンがアフガニスタンのタリバンの指導者たちをかくまい、安全地帯を提供しているあいだは、アフガニスタンでの成功は不可能だ。
 アフガニスタンは、イラクより数百倍も困難だ。民族もさまざまなら、文化も多様で、識字率ははるかに低く、地形が険しい。
 アフガニスタン政府が犯罪組織にひとしいことは、アメリカ政府も分かっている。しかし、アメリカ軍は治安を改善し、主導権を取り戻さなければならない。腐敗とアフガニスタンの警察も、鎖の輪のもろい部分だ。アメリカの存在そのものがアフガニスタンに腐敗を招いている。
開発プロジェクトを扱う民間業者は、すべて保護してもらい、道路をつかわせてもらうためにタリバンに賄賂を使っている。つまり、アメリカと、その連合軍のお金がタリバンの資金源になっている。そのため開発、道路の往来、兵員が増えると、タリバンの実入りも増える。
アフガニスタンの警官の80%が読み書きができない。そして、麻薬中毒もあたりまえ・・・・。イラクとは違って、石油などの国家的権益がほとんどからんでいないアフガニスタンは、ブッシュ政権下の8年間なおざりにされ、アフガニスタン戦争は「忘れかけている戦争に」なっていた。
政府が軍人のいいなりになっていいことは一つもないように思います。
(2011年6月刊。2400円+税)

2011年9月24日

100年の残響

著者    栗原  達男  、 出版   彩流社

 西部の写真家、松浦栄。こんなサブタイトルのついた写真集です。
 松浦栄は、明治6年(1873年)に東京は向島で生まれ、27歳のとき単身アメリカに渡った。シアトルに上陸し、西部にあるオカノガン峡谷で町の写真家となった。1913年、惜しくも39歳の若さで独身のまま病死した。
 松浦はインディアンと親しくつきあうためにチヌーク語(フランス語、英語、インディアン語の混合語)までマスターした。
 100年前、すでにアメリカの人々は野球場でプレーしていた。インディアンの居住するティピが近くに林立する中で、人々が野球に打ち興じている写真があります。
 今はさびれ果てた小さな町ですが、当時は銀山景気にわいていたようです。
 当時、すでに絵ハガキが売られていたのには驚きました。そして、フランク松浦のとった写真が、今、町のあちこちで建物の壁を大きく飾っています。町の人々にとっても100年前の風景はなつかしいものなのです。なんと100年前の建物がそのまま残っています。
 メインストリートで人々が大勢あつまって競馬を楽しんでいる写真があります。屋根の上にまで見物する人々が鈴なりです。インディアン一家が8人の子どもと一緒におめかしして馬車に乗って出かけている、そんなのどかな光景も撮られています。
 ビリヤード店の外側に男たちが18人もずらりと並んで腰かけている様子は壮観です。
インディアンの住むティピ(テント)が円形にずらりと囲むキャンプ地の遠景写真は一見の価値があります。それだけインディアンの人々と仲良くなっていたのでしょうね。
 100年前のアメリカ西部の様子を伝える貴重な写真集です。
(2011年7月刊。3800円+税)

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