弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年9月18日

帝銀事件と日本の秘密戦

日本史(戦前・戦後)


(霧山昴)
著者 山田 朗 、 出版 新日本出版社

帝銀事件とは1948年1月26日、東京で発生した銀行強盗殺人事件。銀行員12人が毒殺され、現金・小切手500万円が盗まれた。画家の平沢貞通が8月に逮捕され、9月に犯行を「自白」。しかし、裁判では一貫して否認して無実を主張したが、1955年に死刑が確定した。その後、19回も再審請求したが、すべて却下(今も請求中)。平沢は死刑執行も釈放もされず、事件から9年後の1987年5月に95歳で死亡した。
この本は帝銀事件の捜査にあたった警視庁捜査一家の甲斐文助係長の個人的なメモ(全12巻、3000頁、80万字という膨大なもの)を著者がパソコンに入力してデータとして整理しなおしたものをもととしています。
10人以上の銀行員に対して、平然と毒を飲ませ(行員を安心させるため自分も一口飲んでいる)たという手口、しかも、2回に分けて飲ませ、即死ではなく数分後に全員が死ぬ毒物という、素人にはとても出来ない手口。それは、人を何度も殺したことのある、しかも毒物の扱いに慣れた者でなければやれないことは明らか。素人の画家に出来るような手口ではない。
この甲斐捜査手記によると、捜査本部は、毒物(青酸化合物)を扱っていた日本陸軍の機関、部隊にターゲットを絞って捜査をすすめていたことが判明する。これらの関係者は、帝銀事件の犯人は、そのような機関ないし部隊の出身者だし、青酸化合物は青酸ニトリールだと特定した。もちろん、そのなかには、例の七三一部隊もふくまれている。
石井四郎にも何回となく面談して追求しているのですが、いつものらりくらりだったようです。それにしても、著者は、戦後3年もたってない1948年1月(犯行日)から8月までのあいだに、日本軍の秘密戦争機関・部隊のほぼ全容を警視庁の捜査本部が把握していたことに驚いています。ただし、占領軍が七三一部隊の石井四郎以下と取引して、「研究」資料の提供とひきかえに免責したこと、世間には一切秘匿にしたままにするという大方針でもありました。
その結果、日本軍が中国大陸で残虐非道なことをしていたことを日本国民は知らされず、知ることなく、ひらすら戦争の被害者とばかり思い込むようになって今日に至っているわけです。
この本のなかに、七三一部隊と同じことをしていた日本人医学者の次のような述懐が紹介されています。恐るべき内容です。戦争は本当に怖いものです。
「はじめは厭(いや)であったが、馴(な)れると一つの趣味になった。
オレが先に飲んでみせるから心配しなくともよいから飲めと言ってやった。捕虜の茶碗には印をつけてある(ので、自分は安心して飲める)」
目の前で生きた人間に毒物を投与して死に至らしめる残酷な実験が「馴れると一つの趣味になる」というのは、戦争が、あるいは軍事科学に歯どめなく没入することは、人間の正常な倫理観を破壊してしまうことを示している。戦争に勝利するため、研究成果をあげるという大義名分がかかげられたとき、真面目な人間、使命感をもつ研究者であればあるほど、人間性を喪失してしまうという戦争の恐ろしさを示す実例だ。いやはや、人を殺すのが「趣味」になった科学者(医師)がいたのですね。チャップリンの映画「殺人狂時代」を思い出します。
七三一部隊と同じようなことをしていた「六研」での話...。
人間には荷札をつけ、青酸ガスを吸わせて、「1号は何分(で死んだ)、2号は何分」と観察する。そして、その死後の遺体処分は、特設焼却場で電気仕掛けでミジンも残らないようにしてしまう。粉にして上空に飛ばしてしまう。
「捕虜」とされているのは、「反満抗日運動」によって捕まった中国の人々であったり、ロシア人であったりした。
七三一部隊は敗戦直前の1945年8月11、12日の2日間で、残っていた捕虜400人近くを全員殺した。4分の1は縄を一本ずつ与えたので、首吊り自殺した。残りは青酸カリを飲ませたり、クロロホルム注射で殺して「処理」した。青酸ガスで殺したという報告もある。
いやはや、日本陸軍というもののあまりに残酷な本質に接すると、同じ日本人として身の毛がよだちます。本当に残念ですが、中国の人々には申し訳ないことをしたと思います。これは決して自虐史観なんかではありません。
1948年は、極東軍事裁判でA級戦犯に対する判決が出された年であり、BC級戦犯の裁判はまだ継続していた。大牟田にあった連合軍捕虜収容所の初代・二代の所長は捕虜虐殺(アメリカ人2人が死亡)によって死刑となり、絞首刑1号そして2号となりました。
この同じ時期に同じような、はるかに大量の「捕虜」殺害をした七三一部隊の石井四郎部隊長以下は免責され、やがて要職を歴任していったのです。
平沢貞通は、政治力学に翻弄された哀れな犠牲者だった。まさしく、そのとおりです。
大変な労作に驚嘆してしまいました。
(2020年7月刊。2000円+税)

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