弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年7月10日

総力戦としての第二次世界大戦

世界史(戦前)


(霧山昴)
著者 石津 朋之 、 出版 中央公論新社

第二次世界大戦の実際をたどった貴重な労作です。
総力戦とは何か...。戦闘員(軍人)と非戦闘員(一般国民)の区別を無視して戦われる戦争のこと。そこでは、軍事力はもとより、交戦諸国の経済的、技術的、さらには道義的な潜在能力が全面的に動員される。
そして、国民生活のあらゆる領域が戦争遂行のために組織され、あらゆる国民がなんらなかの形で戦争に関与することになる。したがって、敵に対する打撃は、単に敵の軍事力だけでなく、「銃後」の軍需生産はもとより、食糧ならびに工業生産全般の破壊、およそ国民の日常生活の麻痺にまで向けられる。
さらには、国民の士気の高揚、逆にまた敵国民の戦争への意欲をそぐための宣伝、すなわち戦争の心理的側面もきわめて重要な意味をもつことになる。端的にいうと、「総力戦」の時代においては、戦争の勝敗は、もはや戦場で決まるのではなく、国家の技術力や生産力の動員能力の有無によって決定される。
ドイツは西方戦線で圧倒的な物量をもって攻撃を始めたのではない。ドイツ軍と英仏軍は戦力はほぼ互角だった。ドイツ軍は空軍力では優位だったが、戦車の数では劣っていた。フランス軍3000車両、イギリス軍200車両に対し、ドイツ軍2700車両だった。そして戦車の性能に決定的な差異はなかった。ドイツ軍は、歩兵部隊や砲兵部隊の一部は最後まで馬に頼っていた。
「電撃戦」でのドイツ軍の勝利は、優れた運用の結果であり、物量の差ではなかった。
英仏連合国軍の大多数の将校にとって、戦車は「馬車の延長」でしかなかった。
政権を掌握したあとのヒトラーは、あまり大衆の面前での演説を好まなくなった。これに対して、チャーチルは、ラジオなどを通じて常に国民に語りかけた。
わが安倍首相は記者会見のときでさえ、プロンプターというカンニングペーパーなしでは話せないようです。その点、ドイツのメルケル首相とは格別の開きがあります。
ドイツのロンメル将軍について、現在では必ずしも名将と呼ぶに値する軍人ではなかったという評価が歴史家のあいだでは一般的だとのこと。要するに、兵站(へいたん)を無視して、戦術的な勝利ばかりを追求していた軍人だと酷評されているわけです。
ノルマンディー上陸作戦の始動が知らされたとき、ヒトラーは寝ていたわけですが、仮りにすぐ起床して動き出したとしても、連合軍の上陸地点の本命はパ・ド・カレー地区であって、ノルマンディーは陽動作戦だと思っていたので、たいした対策はとらなかっただろう...、としています。なーるほど、ですね。
それにしても、ドイツ軍の目くらましのために連合軍は、いろんなことを準備していたことを改めて知りました。要するに、パ・ド・カレー上陸作戦を本物だと勘違いさせるため、パットン将軍を責任者とする軍団を新設し、しきりに無線で連絡をとりあっていた様子まで演じていたわけですし、お金も手間ヒマもかけていました。
ノルマンディー上陸作戦のとき、アメリカ軍はオマハ海岸で苦戦したが、それはドイツ軍の戦力を過小に評価していたことによる。
日本では戦前・戦後の現代史について、学校では十分な教育がなされていない。それで、日本人は十分に戦争を認識していない。もどかしい限りです。
第二次世界大戦における日本の果たした役割や現実について、もう少し分かりやすい解説があればよかったのですが...。
あなたも、図書館で手にもって通読してみてください。
(2020年3月刊。3500円+税)

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