弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年6月11日

ベトナム戦争と私

ベトナム


(霧山昴)
著者 石川 文洋 、 出版 朝日新聞出版

現在82歳(1938年生まれ)の著者が27歳のとき、1964年8月に初めてベトナムにカメラマンとして足を踏み入れてから今日までのベトナムとの関わり、とりわけ当初の4年間(1968年12月まで)のベトナム取材の様子を写真とともに語った本です。
ベトナム戦争は、その反対運動に大学生時代のとき、私も参加していたので、決して忘れることができません。アメリカは5万人あまりの青年をベトナムのジャングルで死なせましたが、だいたい私と同じ世代です。前途有為の青年がむなしく大義のない戦死をさせられたのですから、むごいものです。もちろん、ベトナムの青年は何十万人、何百万人も殺されていることも決して忘れるわけにはいきません。前に紹介しました『トゥイイーの日記』は涙なくして読めませんでした。
この本によると、アメリカ軍・ベトナム政府は軍に捕まった「ベトコン」(解放戦線)の兵士は拷問にあっても、たとえ親指を切断されても悲鳴すらあげなかったとのこと。
まさしく祖国を守るという大義のために身を挺して戦っていたことがよく分かります。
そして、ベトナム戦争で、日本は韓国とちがって憲法9条のおかげで参戦することもありませんでした。韓国軍はアメリカ軍と同じようにベトナムで残虐なことをしていたことで有名ですが、日本はそんな悪評を立てることなく、経済的利益だけはしっかり吸いとったのでした。
この本によると、日本は、テント、軍服、プレハブ建設資材、建築鋼材、発電機、軍用車、テレビ、ラジオ、冷蔵庫、肉・魚の缶詰、インスタント食品などいろんなものの特需があった。
基地にあるPX(売店)には、日本製のカメラや小型テレビが売られていた。
ダナン基地内を回るバスは日本の国際興業(例の小佐野賢治の会社です)が請け負っていた。また、沖縄からベトナムへ物資を運ぶ輸送船LST(戦車揚陸艦)には2000人以上の日本人乗組員が働いていた。
日本の特需は1964年に3億ドルをこえ、1969円には6億5千万ドルに近かった。しかも、これは表に出た数字であり、もっと多くの金額が働いていたとみられる。戦争は、一部の人間には何のリスクもなく、ぬれ手にアワ式でボロもうけ出来る絶好のチャンスなのです。それを、いつだって愛国心とか、うまくカムフラージュして、きれいごとで覆い隠すのです。
著者の取材は、アメリカ軍・ベトナム政府軍に同行するものでした。そして、現地での、ベトナムの村々を破壊し、農民を虐殺する実際を見るにつけ、これでは農民の支持が得られるはずはない、ベトナム政府軍は、作戦を繰り返すほど敵を増やしていったと確信したのでした。
ベトナムでアメリカ軍が見事に敗退したあと、実は、ベトナム軍のナンバー2の副参謀総長も解放戦線のシンパだったことが判明しました。これはすごいことです。ベトナム政府軍には少なくない人々が見切りをつけていたのですね...。
そして、著者は、ベトナムで撮った写真のネガは1万5千枚あり、そのうち発表したのは500枚のみで、残る1万4500枚は眠っているとのこと。ぜひ、日の目を見せてほしいものです。
80歳になっても元気に日本縦断・徒歩の旅を完行した著者です。ますますのご活躍を心より期待します。
(2020年2月刊。2000円+税)

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