弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年5月 6日

はたらく浮世絵

日本史(明治)


(霧山昴)
著者 橋爪 節也・曽田 めぐみ 、 出版  青幻舎

浮世絵師の三代歌川広重が描いた大日本物産図会です。
なるほど、写真でなくても、こんなに当時の職業の実際が生き生きと描けるのかと驚嘆しました。なにしろ驚くほど写実的なのです。まるで、目の前で本当にたくさんの人々が、それぞれの職業を営んでいるかのようです。
大日本物産図会は、明治10年(1877年)の第1回四国勧業博覧会に出品された各地の名産品を描いた錦絵のそろいもの。
明治10年というと、西南戦争があった年です。ですから、薩摩の名産品はありません。
描いた三代歌川広重は天保13年(1842年)に船大工に生まれた、本名は後藤寅吉という。三代広重が浮世絵師としてデビューした翌年、明治となり文明開化がすすんだ。当時は写真が普及していないことも幸いして、三代広重は浮世絵師として順風満帆だった。
団扇(うちわ)をつくって売る店の内部が描かれています。それも、団扇づくりにみんなで励んでいる店の奥のほう(バックヤード)を前景とし、店先に客がむらがっているのを後景にするという珍しい配置図です。なので、そうか、こうやって明治の初めに団扇をつくっていたのか、その製造工程がよく分かります。
菅笠(すげがさ)をつくっている店の店内を描きつつ、店先を洋鞄(カバン)を手にもち、洋傘を差し、洋靴をはき、洋帽をかぶった和服の男性が歩いていく絵もあります。まったく奇妙な絵です。ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする...より、少しだけあとの世相をあらわしています。
駿河国(静岡)では、ミツマタの皮を原料とする「駿河半紙」をつくっていた。全体に赤褐色を帯び、裂けやすいという欠点があったが、安価なため重宝されていた。
生糸をつくるための蚕の養殖の絵もあります。当時、ヨーロッパでは微粒子病が流行していて、日本産の蚕紙(さんし)に対する国際的な需要が高まっていた。
当時の日本は、ジャパン・ブルー(藍染の青)であふれていた。日本に藍染の衣類が多いことが分かる。
土佐の浜辺で、漁師とその妻たちが集合し、カツオをさばいて商品化している。
対馬でとれるなまこは古くから珍重されていたということで、海上でのなまことりの状況も描かれています。このなまこは清(中国)へ輸出されていました。
北海道では、ラッコの猟も描かれています。このころ、ラッコの毛皮に対する需要は高く、ロシア帝国の南下政策を支えた一因でもあった。
熊の胆(い)をとるため、雪深い加賀の山中で猟師が斧で冬ごもり中の熊をおびき寄せて殺す絵もあります。
カラフルな浮世絵のオンパレードです。当時の世相を楽しく学ぶことができました。明治初めではありますが、江戸時代の人々の生活が描かれている気がしました。
(2019年12月刊。2300円+税)

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